2016年11月25日
扉シリーズ第五章 『狂都』第二十四話 「澪6」
どれくらいそうしていたのか…
澪の中にあった様々な感情を含んだ重い涙が、ようやく底をつき始めた。
澪の鼻をすする音さえ、はるかには愛おしくて仕方ない。
今まで自分に対して疑心丸出しの冷たい態度を貫いてきた澪を、何故ここまで愛おしく感じるのか、はるかには理解できなかったが、それは考えるべき事ではないと、はるかはその愛おしさを全て自分の心に受け入れていた。
澪は、はるかの胸に顔を埋めたまま、
「ごめんね…ありがとう」
と、いつもの鋭く刺すような声ではない、まだ十代の少女らしい丸く愛らしい声でそう呟いた。
「もう大丈夫?」
はるかは澪の頭を撫でながら、そう声をかける。
澪はまだ顔を埋めたまま、
「うん…もう大丈夫」
と、はるかの腰に回した腕を緩める。
はるかは未婚で今まで母親の気持ち等、想像の域のモノでしかなかったが、少し、それを理解できたような気がして、席へ戻った。
澪ははるかの方を向いているが、顔は伏せたままだ。
そして、右手の人差し指で頬をポリポリと掻きながら、
「めっちゃ…恥ずかしいんだけど…」
と、低い声で呟いたが、その声には照れからくる笑気も含まれていた。
はるかもウフフと笑気を漏らし、薄い唇の前で人差し指を立てながら、
「今のは、二人だけの秘密だね?」
と、笑気と共に囁く。
「うん」
澪は、まだ顔を伏せたまま、そう返した。
「ごめんよ〜」
食卓を挟んだ二人の耳に、玄関の方から男の声が響いた。
声の主は玄関を上がり、こちらへ歩いてくる。
「静馬さんね…」
はるかが笑気を漏らしながら眉間にシワを寄せた。
澪は、
『危なかった!』
と、冷や汗をかいた。
あんな希代の性悪男にさっきの姿を見られていたら、どちらかの生命が終えるまでネタにされるに違いない!
いや、絶対に先に死ぬわけにはいかない。
あの男なら、死後であってもネタにされ続けるからだ!
澪が冷や汗を拭っていると、静馬が台所に姿を現した。
「よう…あれ?晴明いねぇのか?人を呼びつけといて何だそりゃ…おっ、ハンバーグか!いいねぇ…はるかちゃん、オレの分ねぇの?」
澪は思った。
お前の分など、あるわけがない…
いや、もしあったとしても『無い』と答えるのが、この男への正しい対応である。
性悪に加えてガサツ…
真面目とは言えないが、友達が少ない事を除けば普通の女子高生である澪からすれば、静馬は大人になるべき時期に大人になれなかった同情すべき存在である…
しかし、その同情すら芽生えぬ程、澪は静馬を軽蔑している。
「すみません静馬さん…あとは晴明さんの分しか…あ、まだ手をつけてないんで、私の分でよければ…」
はるかはそう言って席を立った。
「えっ?いいのか?じゃあお言葉に甘えて…」
この男は、本当にこうなんだ!
お前に食わせるハンバーグはないんだよ!
澪は、席についた静馬の目の前ではるかの物であったハンバーグを箸でヒョイと持ち上げると、自分の皿に運ぶ。
電光石火の澪の動きに、一瞬惚けた静馬だったが、すぐに我に帰り、
「おい澪!お前何すんだよ!?それはオレの…」
と言いかけたが、そこに澪が被せる。
「ここにはアンタの物なんか何一つないんだよ!」
そう言うと、澪はハンバーグを食べ始める。
「このガキャ〜!こちとら腹ペコなんだよ!ちょっとぐらいくれたっていいだろうが!」
静馬はそう言って澪に突っかかっるが、澪の顔を直視してトーンを落とした。
「あれ?お前…泣いた?」
静馬の問いに、澪は咽せ、はるかは狼狽する。
その様子で問いの答えを理解した静馬は口元を歪ませると、その性悪を発揮する。
「あははっ!澪ちゃん、お目目が充血されておりますわよ?何だよ?男にフラれでもしたか?あ、んなわけないか…お前、友達すらいねぇもんなあ…何だよ?何があったんだよぅ?」
静馬の口撃が始まった。
澪は何とか起死回生の方策を考えようとするが、さっき咽せたのは致命的なミスだった…
どうする?
どうすれば話題を変える事ができる?
「あ、静馬さんそれは…あっ!澪さんさっきまでアレよね?『火垂るの墓』のDVD見てたんだよね?」
はるかが助け舟を出してくれた…
しかし、その舟は明らかに泥舟である…
火垂るの墓は鉄板で泣ける…でも、普通の女子高生が学校から帰ってすぐに火垂るの墓を見る確率は、おそらく宝くじの三等が当たるのと同じくらいの確率だろう…
しかし、
「えっ?マジで?お前、アレ好きなの?オレもさ、テレビでやってたら絶対見るくらい大好きなんだよ!えっ?DVD持ってんの?持ってんなら貸してくれよ!」
静馬は、澪の想定を上回る『馬鹿』であった…
はるかが漕ぎ出した泥舟は、奇跡的に渡るべき河を渡りきった。
しかし、その向こう岸に新たな問題が発生した…
火垂るの墓のDVDなど、持っているわけがない!
大方の人間がそうであろうが、嫌いではないが、買うほど好きではない…
現に大好きであるとのたもうた静馬が持っていないくらいだ…
どうする?
DVDはどうする!?
奇跡は連続しないから価値のある事だ…
ここは己の全知全能をもって切り抜けるより他はないのだ!
澪の目は、そのストレスから、皿に充血の度合いを増した。
「ん?」
突然、静馬のトーンが変わった…
「澪…お前、変なもん見たり、触れたりしたか?」
澪は、再び奇跡を目の当たりにした。
そして、コロコロと興味の対象が変わる静馬の集中力の無さを、土雲の神に感謝した。
「えっ?べ、別に…?」
母親の姿や声、日記の事を話せば、さっきからの実績から考えれば可能性は極めて低いが、泣いてしまった事と繋がる事が考えられる…こう答えるのが無難だ!
しかし、静馬は似合わない真剣な表情で、
「チッ!ちょっとジッとしてろ…」
舌打ちしながら、澪の頭に両手を伸ばす…
静馬の迫力に気圧され、澪は静馬に従ってしまった。
静馬は澪のコメカミあたりに両手をかざすと、
「フッ!」
と、大きな息を吐き出す。
すると、ジュッという何かが一瞬で燃え尽きたような音と共に、静馬の両手から黒い煙のようなモノが上に向かって昇り、消えた。
「嘘言ってんじゃねえよ…今のは一部だ…お前、何かヤベーもんに憑かれてるぞ…」
奇跡の連続の後に澪に訪れたのは、これから降りかかる災いの前触れであった…
続く
澪の中にあった様々な感情を含んだ重い涙が、ようやく底をつき始めた。
澪の鼻をすする音さえ、はるかには愛おしくて仕方ない。
今まで自分に対して疑心丸出しの冷たい態度を貫いてきた澪を、何故ここまで愛おしく感じるのか、はるかには理解できなかったが、それは考えるべき事ではないと、はるかはその愛おしさを全て自分の心に受け入れていた。
澪は、はるかの胸に顔を埋めたまま、
「ごめんね…ありがとう」
と、いつもの鋭く刺すような声ではない、まだ十代の少女らしい丸く愛らしい声でそう呟いた。
「もう大丈夫?」
はるかは澪の頭を撫でながら、そう声をかける。
澪はまだ顔を埋めたまま、
「うん…もう大丈夫」
と、はるかの腰に回した腕を緩める。
はるかは未婚で今まで母親の気持ち等、想像の域のモノでしかなかったが、少し、それを理解できたような気がして、席へ戻った。
澪ははるかの方を向いているが、顔は伏せたままだ。
そして、右手の人差し指で頬をポリポリと掻きながら、
「めっちゃ…恥ずかしいんだけど…」
と、低い声で呟いたが、その声には照れからくる笑気も含まれていた。
はるかもウフフと笑気を漏らし、薄い唇の前で人差し指を立てながら、
「今のは、二人だけの秘密だね?」
と、笑気と共に囁く。
「うん」
澪は、まだ顔を伏せたまま、そう返した。
「ごめんよ〜」
食卓を挟んだ二人の耳に、玄関の方から男の声が響いた。
声の主は玄関を上がり、こちらへ歩いてくる。
「静馬さんね…」
はるかが笑気を漏らしながら眉間にシワを寄せた。
澪は、
『危なかった!』
と、冷や汗をかいた。
あんな希代の性悪男にさっきの姿を見られていたら、どちらかの生命が終えるまでネタにされるに違いない!
いや、絶対に先に死ぬわけにはいかない。
あの男なら、死後であってもネタにされ続けるからだ!
澪が冷や汗を拭っていると、静馬が台所に姿を現した。
「よう…あれ?晴明いねぇのか?人を呼びつけといて何だそりゃ…おっ、ハンバーグか!いいねぇ…はるかちゃん、オレの分ねぇの?」
澪は思った。
お前の分など、あるわけがない…
いや、もしあったとしても『無い』と答えるのが、この男への正しい対応である。
性悪に加えてガサツ…
真面目とは言えないが、友達が少ない事を除けば普通の女子高生である澪からすれば、静馬は大人になるべき時期に大人になれなかった同情すべき存在である…
しかし、その同情すら芽生えぬ程、澪は静馬を軽蔑している。
「すみません静馬さん…あとは晴明さんの分しか…あ、まだ手をつけてないんで、私の分でよければ…」
はるかはそう言って席を立った。
「えっ?いいのか?じゃあお言葉に甘えて…」
この男は、本当にこうなんだ!
お前に食わせるハンバーグはないんだよ!
澪は、席についた静馬の目の前ではるかの物であったハンバーグを箸でヒョイと持ち上げると、自分の皿に運ぶ。
電光石火の澪の動きに、一瞬惚けた静馬だったが、すぐに我に帰り、
「おい澪!お前何すんだよ!?それはオレの…」
と言いかけたが、そこに澪が被せる。
「ここにはアンタの物なんか何一つないんだよ!」
そう言うと、澪はハンバーグを食べ始める。
「このガキャ〜!こちとら腹ペコなんだよ!ちょっとぐらいくれたっていいだろうが!」
静馬はそう言って澪に突っかかっるが、澪の顔を直視してトーンを落とした。
「あれ?お前…泣いた?」
静馬の問いに、澪は咽せ、はるかは狼狽する。
その様子で問いの答えを理解した静馬は口元を歪ませると、その性悪を発揮する。
「あははっ!澪ちゃん、お目目が充血されておりますわよ?何だよ?男にフラれでもしたか?あ、んなわけないか…お前、友達すらいねぇもんなあ…何だよ?何があったんだよぅ?」
静馬の口撃が始まった。
澪は何とか起死回生の方策を考えようとするが、さっき咽せたのは致命的なミスだった…
どうする?
どうすれば話題を変える事ができる?
「あ、静馬さんそれは…あっ!澪さんさっきまでアレよね?『火垂るの墓』のDVD見てたんだよね?」
はるかが助け舟を出してくれた…
しかし、その舟は明らかに泥舟である…
火垂るの墓は鉄板で泣ける…でも、普通の女子高生が学校から帰ってすぐに火垂るの墓を見る確率は、おそらく宝くじの三等が当たるのと同じくらいの確率だろう…
しかし、
「えっ?マジで?お前、アレ好きなの?オレもさ、テレビでやってたら絶対見るくらい大好きなんだよ!えっ?DVD持ってんの?持ってんなら貸してくれよ!」
静馬は、澪の想定を上回る『馬鹿』であった…
はるかが漕ぎ出した泥舟は、奇跡的に渡るべき河を渡りきった。
しかし、その向こう岸に新たな問題が発生した…
火垂るの墓のDVDなど、持っているわけがない!
大方の人間がそうであろうが、嫌いではないが、買うほど好きではない…
現に大好きであるとのたもうた静馬が持っていないくらいだ…
どうする?
DVDはどうする!?
奇跡は連続しないから価値のある事だ…
ここは己の全知全能をもって切り抜けるより他はないのだ!
澪の目は、そのストレスから、皿に充血の度合いを増した。
「ん?」
突然、静馬のトーンが変わった…
「澪…お前、変なもん見たり、触れたりしたか?」
澪は、再び奇跡を目の当たりにした。
そして、コロコロと興味の対象が変わる静馬の集中力の無さを、土雲の神に感謝した。
「えっ?べ、別に…?」
母親の姿や声、日記の事を話せば、さっきからの実績から考えれば可能性は極めて低いが、泣いてしまった事と繋がる事が考えられる…こう答えるのが無難だ!
しかし、静馬は似合わない真剣な表情で、
「チッ!ちょっとジッとしてろ…」
舌打ちしながら、澪の頭に両手を伸ばす…
静馬の迫力に気圧され、澪は静馬に従ってしまった。
静馬は澪のコメカミあたりに両手をかざすと、
「フッ!」
と、大きな息を吐き出す。
すると、ジュッという何かが一瞬で燃え尽きたような音と共に、静馬の両手から黒い煙のようなモノが上に向かって昇り、消えた。
「嘘言ってんじゃねえよ…今のは一部だ…お前、何かヤベーもんに憑かれてるぞ…」
奇跡の連続の後に澪に訪れたのは、これから降りかかる災いの前触れであった…
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