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2017年10月01日

イギリス王室の至宝 黒太子のルビー

現在、イギリス王室が戴冠式に用いる王冠やその他の宝器などはロンドン塔に陳列されており、誰でも見ることが出来る。そこにあるイギリスの第一公式王冠を見ると、その正面中央、世界有数のダイヤモンドである“カリナンU”の上部に、重さ170カラット、長さ約5cm、雌鶏の卵ほどの大きさの、見事な赤色の宝石が嵌め込まれているのが分かる。これが有名な”黒太子のルビー”で、イギリス王室の宝器の中でも最も重要な物の一つとされている宝石である。

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“黒太子のルビー”という呼び名からも分かるように、この宝石は14世紀のイギリス王エドワード三世の長男で、戦には黒甲冑を着用したエドワード皇太子がかつて所有していたものである。1367年、黒太子がペドロ残酷王を助けるためにナバレーテの戦いでエンリケ軍を打ち破った際、謝礼としてペドロ残酷王からエドワード黒太子へ贈られたことに由来している。

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“黒太子のルビー”は、長い間本物のルビーだと信じられていたが、現在ではルビーではなくスピネルだということがハッキリしている。

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2017年09月24日

不老不死の秘薬の原料とされた赤い石“シンナバー”(辰砂)

神仙思想は不老不死の仙人になることを理想とした思想で、中国では紀元前の時代から大いに流行していた。こうした思想の持ち主にとって、辰砂は他の何にもまして貴重な石だった。辰砂をその他の物質と調合し、様々な方法で加工することで不老不死の秘薬が完成すると信じられていたからだ。しかし、これはかなり危ない考え方だ。辰砂はまたの名を丹砂という。丹とは朱色のことで、辰砂はそのままの状態では朱色をしており、昔からずっと朱墨や赤絵の具の原料として利用されてきた石である。また、その成分は硫黄と水銀であり、水銀の主要な原料としても有名である。こんなものを飲んで身体にいいはずがない。しかし伝説では、その薬を飲んで不老不死の仙人になった人がかなりいると伝えられている。

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では、不老不死の薬としてなぜ辰砂が重要視されたのか? それは、辰砂に水銀が含まれていることと関係がある。先述したように、辰砂は硫黄と水銀の化合物で、硫化水銀という物質である。この辰砂を焼くと水銀が蒸発し、蒸発したものを冷やすと水銀が抽出できる。この水銀には、変幻自在な性質がある。というのは、水銀は塩と一緒に焼くと塩化水銀という白い粉になるし、酸化すると赤や黄の酸化水銀になる。ところが、これらの物質をさらに焼くと、そこから再び純粋な水銀を取り出すことが出来るのだ。つまり、水銀というのは様々な形に変化することが可能である上、尚且ついつでも元の水銀に戻ることが出来る物質なのである。

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このような変幻自在な物質を人間が服用したらどうなるか。物質の性質がそのまま人間に乗り移り、人間もまた変幻自在な性質を手に入れることが出来るに違いない。人間は生まれたときから年月と共に歳をとり、髪は白くなり、顔はしわくちゃになり、腰も曲がってしまうが、水銀から作られた丹薬を飲めば、水銀と同じように元の若さを取り戻すことが出来る。また、死んだ後に新しい人生を始めることも出来るはずだ、と考えられたのだ。

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このような考え方は昔の魔術的な思考の基本と言ってよい。ほとんど全ての宝石が、かつて薬として利用されたのもこのためである。ダイヤモンドが不変の愛の象徴になるのは、物質の中で最も硬く、不変の性質を持つからである。真っ赤なルビーが、血の色をしているからという理由で血止めの薬になると考えられたのも、同じである。

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不老不死の薬には辰砂から作られた丹薬の他に、黄金から作られた金液があると言われるが、黄金が不老不死の薬になる理由も、このように考えれば理解できるだろう。黄金は、永遠に錆びない不変の物質だからだ。では、変幻自在な丹薬と永遠不変の金液とでは、どちらが優れているかというと、神仙思想では丹薬の方が優れたものと見なされている。たとえ不老長寿になったとしても、老人の身体で永遠に不変なのでは、面白くないと考えたからだろう。それよりは、歳をとっても若返り、死んでも生まれ変われるという変幻自在さの方が、優れているのは確かである。

このように変幻自在な性質を持つ水銀は、ヨーロッパの錬金術においても重要な物質とされている。その意味で辰砂は、あらゆる石の中で最も神秘的な石と言っていいのかもしれない。

2017年09月17日

権力者たちを虜にした呪いのダイヤモンド“コー・イ・ヌール”

“コー・イ・ヌール”とは、どんなダイヤモンドなのか?
“コー・イ・ヌール”はインド生まれで、とにかく歴史の古いダイヤモンドである。ヒンズーの古い伝説では、このダイヤモンドはインドの古代叙事詩「マハーバーラタ」の中に登場する英雄の一人が持っていたという。また、このダイヤモンドは今から4000年も昔に、インド中央部のゴダヴァリ川で発見されたという説もある。ただし、はっきりとした記録がある訳ではない。その意味では、このダイヤモンドの歴史は14世紀に始まったというべきかもしれない。

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当初187カラットもの重さがあったこのダイヤモンドは、「持ち主を世界の支配者にする」という伝説と共に、非常に長い間アジア各国の国王たちから渇望されてきた。権力者たちによる奪い合いで多くの血が流れ、まるで呪われているかのように数多くの悲劇を招いた。そして1847年、シク王国のあった地方が英領インドに併合された際、英国政府が賠償金の一部として“コー・イ・ヌール”を没収し、ついにアジアを離れ英国へと渡ることになった。

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1850年、“コー・イ・ヌール”はセント・ジェームス宮殿でヴィクトリア女王に献上された。この翌年、ロンドンで世界最初の万国博覧会があり、187カラットの“コー・イ・ヌール”は当時世界最大のダイヤモンドとして陳列されることになった。だが、英国では“コー・イ・ヌール”の評判はあまり芳しくなかったと言われている。このダイヤモンドのカットはあまりに旧式で、少しも美しくなかったからだ。そこで、“コー・イ・ヌール”は改めてブリリアン型に再カットされ、108.93カラットの美しいダイヤモンドに生まれ変わった。

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ヴィクトリア女王の死後、“コー・イ・ヌール”は正式に英国の宝器の一つとなり、ヴィクトリア女王の義理の王女アレクサンドラ王妃が戴冠式に着用した。1911年からはメアリ王妃の王冠の前面中央に飾られ、1937年からはエリザベス王妃の王冠の前面を飾るマルタ十字にセットされた。そして現在もこの状態が続いており、普段はロンドン塔に陳列されている。

しかし、この状態が永遠に続くという保証はどこにもない。1947年にはインド政府が、1976年にはパキスタン政府が、それぞれ英国政府に対して“コー・イ・ヌール”の返還を要求したからだ。“コー・イ・ヌール”の所有権を巡る争いは、今もなお完全に終わったとは言えないのである。

2017年09月10日

イエスのさきがけとなったヨハネの象徴石“アゲート”(瑪瑙)

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ヨーロッパの古い伝説によると、かつて真珠採りたちは真珠を見つけるのに、瑪瑙(アゲート)の助けを借りたという。瑪瑙をロープに結び付け、海に投げ込むのである。すると瑪瑙は、真珠を求めて海の底を移動し始める。その動きが止まったところで真珠採りたちは海に飛び込み、ロープを辿って瑪瑙のある場所まで潜って行く。そうすると、瑪瑙が止まった場所に真珠が見つかるというのである。ここから、瑪瑙はイエスのさきがけとなったヨハネを象徴する石だという伝説が生まれた。

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ヨハネは一般にバプテスマ(洗礼)のヨハネと呼ばれている人物で、イエスがまだ伝道活動に入るよりも前に、ユダヤの荒野で宣教活動をしていたという。聖書によれば、その頃ユダヤ人の間には、やがてメシア(救世主)が現れて、この世が生まれ変わるという信仰があった。このため人々はヨハネこそメシアだと言ったが、ヨハネは首を横に振りこう応えた。「私は悔い改めに導くためにあなた方に水で洗礼を授けているが、私の後から来るお方は私よりも優れておられる。私は、その履物をお脱がせする価値もない。」

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そこへイエスが現れた。ヨハネはイエスが自分よりも優れた者であることを知り、最初は洗礼を授けるのを遠慮した。しかし、イエスの申し出によってヨハネがイエスに洗礼を授けることになったのである。つまり、まず初めに必要になるのは瑪瑙(ヨハネ)であり、その後で真珠(イエス)がやってくるというわけだ。この場合、真珠に例えられているのがイエスだということになる。古代にあっては、真珠はそれほど価値の高い宝石だったのである。しかし、だからといって瑪瑙の価値を貶めることにはならないはずだ。ヨハネは最後にはヘロデ王の娘サロメのために殺されることになるが、それを知ったイエスは大いに嘆き、「女から生まれた者の中で、洗礼者ヨハネほど偉大な者は現れなかった。」と言ったほどなのだ。従って、ヨハネの象徴石である瑪瑙にも、それに相応しい十分な価値が認められているのである。

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2017年09月03日

愛人たちの貞節を調べる不思議な“サファイア”(青玉)

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中世のヨーロッパで一般に流布していた伝承では、サファイアには淫らな欲望を追い払い、愛人が貞節であるかどうかを調べる魔力があると信じられていた。淫らな欲望を持って浮気をするような人間がサファイアを身に着けると、その色が濁り、浮気が発覚してしまうというのである。しかしサファイアに淫らな欲望を完全に追い払う魔力があるのなら、それを持つ人が浮気などするはずがないのだから、これはちょっと奇妙な話ではある。

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だが、こんな風に考えることはできる。淫らな欲望を追い払うというサファイアの魔力は、自ら進んで高潔な生活をしようと望んでいる人には有効だが、最初からその気はなく、自ら進んで淫らな欲望に身を任せようとしている人には、なんの役にも立たないのではないだろうか。とすれば、淫らな人がサファイアを身に着けた場合、サファイアは遂にその魔力を使い切り、最後には疲れ切って色が濁ってしまうということも考えられる。

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いずれにしても、このようなサファイアは実在したと言われており、この性質を利用して女性の浮気を調べることをフランスでは「デュー・サフィール(du saphir)」と呼んでいたという。ロンドンのケンジントン博物館にある“不思議なサファイア”が、この種のサファイアとして特に有名である。“不思議なサファイア”という名前も、女性の浮気を調べることができるという不思議な性質から付けられたと言われている。使用方法も伝えられている。それによると、決して浮気などしない高潔な女性の場合には、昼間の3時間だけ身に着けさせて色の変化を調べれば良い。だが、いかにも怪しい女性の場合には朝から晩まで身に着けさせ、夕方の色の変化に気を付けなければいけないのだという。

2017年08月27日

呪術道具として利用された古代日本の“ジェダイト”(翡翠硬玉)

古代日本にあっては日本全国で利用された翡翠だが、その利用方法は純粋な装飾品ではなく、呪術的な道具だったと考えられている。古代日本人は翡翠に限らず貴重な石のことをまとめて玉と呼んだが、玉は魂に通じる。この玉を何個か紐で結び付けて首飾りなどにすると、玉と玉が触れ合って音を立てる。古代人はこの音の中に魂の活動を感じたのだ。従って、玉は魂のシンボルであって、極めて尊いものだったのである。

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古代中国人がそうだったように、翡翠に不老長寿を求める信仰もあったようで、「万葉集」巻第十三の歌(3247番)に次のような歌がある。
「沼名河の 底なる玉 求めて 得まし玉かも 拾ひて 得まし玉かも あたらしき 君が 老ゆらく惜しも」
(訳:ぬな川の底にある玉=翡翠を探し出してやっと手に入れたり、幸運な偶然から見つけて拾ったりすると、それは実に素晴らしいものだ。その玉と同じように立派で大切なお方が老いてしまうのは、惜しまれてならない。)

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この歌で翡翠は、恋する素晴らしい男性に例えられているわけだが、「老ゆらく惜しも」という句の中には不老長寿の薬と言われた翡翠によって、いつまでも若く美しい恋人であって欲しいという願いも込められている。

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古代人は翡翠を玉と呼んでいたが、これが翡翠と言われるようになったのは、その色が鳥の翡翠(カワセミ)に似ていたからだと言われている。一体いつ頃からこのように呼ばれるようになったのか、正確なことは分からない。しかし、「源氏物語」に翡翠という言葉が登場していることから、平安時代には、翡翠は既にその名で呼ばれるようになっていたようである。

2017年08月23日

一国の価値と比するほど珍重された“パール”(真珠)

古くから、神秘的で美しい真珠は非常に価値あるものとされた。プリニウスによれば、古代ローマでは全ての物の中で真珠が最も高価だった。

クレオパトラは、古代ローマ帝国の政治家マルクス・アントニウスと結婚し、子供を残したことで知られているが、このアントニウスは毎晩のように豪華な晩餐会を催していたという。彼はそれが自慢だったようで、あるとき得意気にこんなことを言った。「どうだろう、これ以上に素晴らしいものなど考えられないだろう。」

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これを聞いたクレオパトラはカチンときた。彼女はアントニウスの態度を馬鹿にするように、「私ならば一回の食事で一国の価値に値する贅沢ができますわ。」と言ったのである。彼女は女王らしく負けん気が強く、見栄っ張りで気まぐれなところがあったわけだ。アントニウスはそんなことは不可能だと思ったので、「一体どうやるんだ?」と挑発し、それが出来るか出来ないか二人で賭けをすることになった。

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そこで、翌日はクレオパトラが豪華な食事を用意して、アントニウスを招待した。だが、それがいくら豪華と言っても、アントニウスがいつも食べているものとそれほど変わらなかった。アントニウスは笑った。しかし、クレオパトラは平然として言った。「これはちょっとした付け足しに過ぎないの。」それから、彼女は二番目のコースを注文した。給仕が酢の入ったグラスを一つだけ彼女の前に置いた。すると、クレオパトラは自分の耳を飾っていた真珠の一つを取り外した。これは、当時歴史上最大と評判の高かった素晴らしい真珠の内の一つで、1,000万セステルティウスの価値があるというものだった。勿論、2個ともクレオパトラの所有物で、彼女の両耳を飾っていたのである。(※セステルティウス:古代ローマの通貨単位で、当時のローマ軍兵士の年俸は1,000セステルティウスだった。)

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一体何をするんだろう?とアントニウスが不思議に思って見ていると、彼女は手に取った真珠を酢の入ったグラスの中に投げ入れた。酢には真珠を溶かす力があったから、真珠はすぐにもゆっくりと溶け始めた。そして、それが完全に溶け切ったとき、クレオパトラはグラスに入った酢を飲み干してしまったのである。それから、彼女は酢入りのグラスをもう一度注文すると、もう一つの真珠もその中に投げ込もうとした。だが、この席に二人の賭けの審判役として同席していたキウス・ブランクスが、彼女を制止して宣言した。「この勝負はアントニウスの負けだ。」

その当時、真珠がいかに効果なものだったか、よくわかる逸話なのではないだろうか。

2017年08月05日

豊穣と復活をもたらす母性の石“ガーネット”(柘榴石)

ガーネットのことを日本語で柘榴石と言うのは、赤い宝石のガーネットが、同じように赤い色をした柘榴の種子に似ているからである。英語のガーネット(garnet)もラテン語のgranatus(「多くの種子を持つ」の意)からきているので、やはり柘榴の種子を指していると言っていい。

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ところで、柘榴の果実にはおびただしい数の種子が詰まっている。そのせいか、柘榴は世界中で多産と豊作の象徴とされており、大地の恵みを司る地母神と関係が深い。柘榴に似ているガーネットにも、同じことが言える。

フランスに住んでいたヴィーヴルという地母神は、蛇の身体にコウモリの翼を持ったドラゴンで、その眼は真っ赤な宝石のガーネットだった。どういう訳か、ヴィーヴルの眼は取り外し可能で、川で水浴びをするときなど、水に濡れないように岸辺に置いておく習性があった。ヴィーヴルは美しい女性の姿をした精霊で、洞窟の中に財宝を隠し持っていたという伝承もある。しかし、美しい女性というのはあくまでも仮の姿で、本当はコウモリの翼、鷲の足、毒蛇の長い尾を持っており、額には小さな割れ目があって、そこに赤い宝石のガーネットが埋まっていたという。

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ヴィーヴルの額にあるこの裂け目は、女性器を表している。これで若い男を誘惑するのである。ヴィーヴルが多産の象徴であるなら、それも不思議ではない。また、そのガーネットは単なる飾りではなく、この宝石のおかげでヴィーヴルは様々な魔法を使うことが出来た。そして人々にとっても、災いを防ぎ、幸運を呼ぶという力があった。このため、多くの人々がそれを奪おうと努力したようだ。これに煩わしさを感じたヴィーヴルは、やがて財宝と一緒に洞窟の中に身を隠し、入り口の扉を閉じてしまう。しかし、この扉は毎年復活祭前の日曜日になると、自然に開いたと言われている。

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復活祭はキリスト教の世界で最も重要な祝日だが、ヨーロッパに古くから伝わっていた豊穣を祈る祭りに始まったもので、春分の日を中心にした3月22日〜4月25日の間に行われる。この時期に、ヴィーヴルの洞窟の扉が開くのは、勿論冬が終わり、実りの季節が始まることを意味するのである。

2017年07月23日

祖先のマナが凝縮されたマオリ族の護符“ヘイティキ”(翡翠)

マオリ族が19世紀初頭まで制作していた護符に、翡翠軟玉の「ヘイティキ」というものがある。「ヘイ」はペンダントの意、「ティキ」はニュージーランドの神話で人類の祖とされている男のことである。ニュージーランドでは現在も観光地の売店などで、プラスチック製の模造品が販売されている。
(※マオリ族:10世紀前後に東ポリネシアの何処かからニュージーランドに移住してきたと言われる部族で、当地で採れる翡翠軟玉を利用し、斧や武器や様々な呪具を制作した。)

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ヘイティキは翡翠に彫刻を施して、ある種の人間を型どった小像を作り、それをペンダントにしたものであるが、その小像はかなり奇妙な形をしており、どう見ても普通の人間とは思えない。さらに無理やり身体を捻じ曲げ、日本で言うところのあぐらをかいた様な恰好をしている。

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マオリ族は、このヘイティキに祖先の「マナ」が蓄えられていると信じており、とても大切にしている。「マナ」というのは、ハワイ、ニュージーランド、ニューギニアなどを含むポリネシアやメラネシアの言葉で、この世に存在するあらゆるものに宿っている超自然的なパワーのことである。人間は勿論、動物、植物、石、山、河川、人工的に作られた様々な道具、さらに死霊にもこのパワーが宿っているとされる。そしてマナは決してそれ固有のものではなく、あるものから別のものへ移転するという特徴がある。強力なマナを持ったものは強力な力を発揮すると信じられているため、マナを手に入れることは人々にとって他の何よりも重要な事とされ、その為に大変な努力もする。これは、世界中の宗教者が超自然的なパワーを手に入れるために、厳しい修行をするのと全く同じ事と言っていい。

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ヘイティキには決まった使い方があり、マオリ族の習慣では、ヘイティキを身に着けるのは家族の長と決まっていた。主人は翡翠でできたヘイティキに宿っているマナを自分のものとして利用することで、主人としての働きを立派に果たし、家族の名誉や未来を守ることが出来ると信じられていたからだ。そして主人自身のマナもヘイティキに宿らせて後世に託し、どんどん強力なヘイティキとしていくのだ。マオリ族の人々は、祖先のマナが蓄えられた古く歴史のあるヘイティキの強力な魔力を信じ、家宝として大切にしている。

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2017年07月17日

全てのものを打ち砕く最高の宝石“ダイヤモンド”(金剛石)

一般に「乳海の攪拌」と呼ばれているインド神話の物語−。
アスラ(阿修羅)と呼ばれる魔族が勢力を蓄え、地上で権力を奮う神々を脅かしたときのことだ。弱り果てた神々は、神々の頂点に立つヴィシュヌ神に救いを求めた。話を聞いたヴィシュヌ神は神々のために策略を練り、神々と魔族の全員に向けて、「永遠の生命を保証する霊薬アムリタを作ろう」と提案した。すると、全員が賛成した。霊薬アムリタは神々だけでなく、魔族にとっても貴重なものだったからだ。

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すぐにも、神々と魔族の共同作業が始まった。世界中のあらゆる植物と種子が集められ、大海に投げ込まれた。この海を掻き回す攪拌棒には、マンダラ山が利用された。また、攪拌棒を回転させる縄には、長大なヴァースキ竜というナーガ(蛇)族の王が採用された。このヴァースキ竜をマンダラ山に巻き付け、その両端を神々と魔族が、まるで綱引きのように引っ張り合うのである。ヴィシュヌ神は巨大な亀に変身して、攪拌棒を支える軸受けの役割を果たした。

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こうして大海が攪拌されると、様々な物質が混ざり合い、海は乳白色となった。そこからは様々な宝物が生まれてきた。願いが叶う聖牛、酒の女神、天界の樹木、宝石…などである。そして、このとき誕生した宝石の中に、永遠不滅とされる「抜折羅石」があった。この「抜折羅石」こそ、ダイヤモンドだったのである。

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神話という非常に古い時代の物語に、既にダイヤモンドが登場していることからも分かるように、インドにおけるダイヤモンドの歴史は古い。そもそも1726年にブラジルでダイヤモンドが発見されるまでは、ダイヤモンドの産地はインドしかなかった。従って、世界で最初にダイヤモンドを利用したのもインド人だったわけだが、それはインド南部に住んでいたドラビダ族で、紀元前7〜8世紀のことだったという。

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面白いのは、この当時の習慣から、ダイヤモンドの重さを量る単位が決められたということだ。ドラビダ族はダイヤモンドの重さを量るのに天秤を使い、一方の皿の上にカロブあるいはカラットと呼ばれる木の実を乗せた。ダイヤモンドの重さの単位がカラットと呼ばれるのは、このためなのだという。

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