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22歳までの生活

 高校生になり、部活(吹奏楽部)にも入って普通に生活出来ました。体育だけは全て見学でした。中学のときはできる範囲で参加してましたが、高校生になると、長距離とか普通みんなが嫌いなものが出来ないので、そういうのばかり見学してると、ずるいなーとか思われるのが嫌だったので、診断書を提出して3年間全て見学にしてしまいました。ずるいのかも(T_T)。

その後、専門学校に進学し、社会人となり22歳まで約5年間、病院には行きませんでした。




カテーテル検査-結果

 検査の翌日を向かえ、朝食をとった後に退院となりました。翌週の診察で結果が分かるとのこと。
次の日から普通に学校に行きました。

 検査結果を聞きに病院に行きました。今すぐに何かする必要はないとの事。心臓が肥大しているが、治療の必要はなく(何もできないのかも)、経過観察で良いとの事でした。

 また、今までと同じ生活が始まりました。中学を卒業し、地元の高校に入学しました。高校の合格発表があった夜に、なんと小学校1年の時の担任のk先生から電話を頂きました。小学校3年の時に転勤されて、そのままになっていました。

地元にはケーブルTVがあり、そのTVで地元の高校の合格発表を放送しており、それを見て、私の事を思い出し、元気でいることを知り、電話をくれたそうです。
 
 ずっと心配して頂いていたことを知り、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
ほんとに嬉しかったです。




カテーテル検査@-3

 入院2日目、いよいよ検査の日です。朝食は抜きでした。検査後に食べられるとの事。

 予定は10時からでした。2番目なので時間は多少変わるそうです。パンツを脱いで手術用の服に着替えて待っててとの事。で、いよいよ順番が来ました。ストレッチャに乗せられて手術室に連れてかれました。

 手術室に入ってから手術用のベッドに移動しました。6歳の時の手術室とは雰囲気が違いましたね。ここは、ちょっとした手術用って感じがしました。周りにはモニターや色んな機器がいっぱいでした。全身麻酔ではないので、手術中も意識はちゃんとありました。
  
 4人位の人がいました。まず麻酔をしますとの事。右足の付け根の所に麻酔を打たれました。これが結構痛かったー。( ; ̄ω ̄)ゞイテテ・・・。何回か打つみたいでその内に痛く無くなっていました。

 動脈を切ってそこからカテーテルを入れていきます。麻酔が効いていて、切られたときは痛くなかったです。なんか触ってるなーって感じです。

 カテーテルが入れられました。なんかモゾモゾする感じがしました。よく足の付け根の所から心臓までいけるなーっと思ったら、大動脈は太い所で直径30mm位あるそうです。結構太いんですね。

 で、足から心臓までカテーテルを入れてくと、何かが動いてる感じがありました。心臓の辺りまでいくと、造影剤をカテーテルから出して撮影するみたいです。
  
 体が熱くなりますけど、すぐ収まりますので、がまんしてくださいねー。っと言われました。ほんとに、かーっと熱くなりました、がすぐに収まりました。

 で、そんなことを何回かしたような、してないような。大体1時間位で終了しました。切った大動脈の部分はかなり圧迫されて止血されていました。

 病室に戻り、明日の朝まで右足は動かさないで下さいとのこと。動いて出血すると動脈なので大変な事になると脅かされました。朝食はおにぎりにしてくれて寝たまま食べました。

 夕方位になって、小便がしたくなり、どうしようと思いましたが、我慢してました。やっぱり我慢できず(当たり前ですね)、コールボタンを押して、看護士さんに小便がしたいと告げると、ちょっと待っててください、尿瓶持ってきますねーっと言われました。生まれて初めて尿瓶を使いました。

 看護士さんにパンツを下ろされて、準備されて、いいですよーっと言われましたが、ベッドの上で寝たままなので、なかなか出来ないです。出来ないのを看護士さんもわかったようで、このままにしておきますので、終わったら呼んでくださいとのこと。したいんだけど、出せなくてかなり苦闘しました。ここでは、していけないと体が拒絶して出来ませんでした。30分位かかってやっとできた気がします。やっぱり、何事も経験ですね。

 

 


 



カテーテル検査@-2

さてさて、午後なってついにその時はやって来ました。"とっちゃん"さーん。
 
  はいっ。じゃー剃りましょうねー。
 
 来たのは若い看護婦さんでした、しかも、かわいいぞ・・・、恥ずかしいなー、どうしょう、と思っていると、慣れた感じで、ベッドの周りをカーテンで囲い、ズボン脱いでくださいね。"はい"っ。パンツも下げてください。"はいっ"とされるがままでした。(/-\*) ハジュカチ…。
 
 彼女はまず、ゴム手袋をしました。ふむふむ、そう来たか。安全カミソリと石鹸が道具のようです。石鹸を付けられ、カミソリを持ち私の息子へ手が・・・。まるで邪魔な物を扱うように、あっち、こっちと向けられ、きれいに剃られていきました。恥ずかしくて、変な気分になる所ではなかったです。残念。

 で人生初のツルツルになりましたとさ。一応剃ってる間は反応すると困るので、記憶だと元素記号を思い浮かべて気を紛らわせていたと思います。で無事に終わりました。良かった。(^O^)!!  何事も経験ですね。

 その後、シャワーを浴び明日の検査に備えました。

 カテーテル検査@-3へ・・。




 


カテーテル検査@-1

 中学2年生の時のカテーテル検査のお話です。えっと今まで3回程カテーテル検査をしたので@としてみました。(14歳、22歳、43歳の時です)

 とりあえず二泊三日なので、着替えと洗面用具だけ持って病院に午前中に行きました。一人でしたね。入院の手続きをして、病室に案内されて、パジャマに着替えました。看護士さんがスケジュールの説明に来てくれました。この当時はまだ看護婦さんでしたね。

 カテーテル検査とは 

 心臓カテーテル検査は、心臓に特殊な細いプラッチックの管(カテーテル)を挿入し、心臓内の圧や血液の酸素濃度を測定・分析したり、造影剤を注入してX線撮影し、心臓の血液状態や形、心室・心房と弁の動きを調べたり、さらには心臓の筋肉(心筋)を採取して病理学的に検査する心筋生検などを行なう検査です。

 自分の場合は大動脈造影が目的みたいでした。
 
 大動脈造影とは
 
 カテーテルを動脈から挿入し、先端を大動脈に到達させて造影剤を注入し、X線撮影をします。解難性大動脈瘤や大動脈縮窄症の診断に欠かせない検査です。

 で、足の付け根の動脈からカテーテルを入れるので、その部分の毛を剃るとの事。その後シャワーを浴びて入院当日の準備は完了。えっ!まてまて、という事は↓の毛を剃られるのか???。聞いてないぞ!!。

 中学2年の時でしたからねー、看護婦さんに剃ってもらう事がものすごく恥ずかしかったです。なにより、お年頃ですから剃っているときに反応してしまったらどうしよう、と変なことばかり考えてしまいました。

 10時位から検査でその後は翌朝まで安静にしていて下さいとの事。動脈を切るのでくっ付くまで動けないそうです。

 カテーテル検査@-2に続く・・





 





先天性大動脈縮窄症の術後3(中学校の生活)

 中学生になり、片道3Kmを自転車で通っていました。中学校でも自分の年は1クラスでしたね。自分が行った中学校は必ず部活動に入らなくてはなりませんでした。
 
 運動部は無理だったので、吹奏楽部に入りました。うちの学校は文化部がなかったので吹奏楽部しかなかったです。

 年2回、経過観察のための通院は続けていました。中学2年の時に心臓の肥大が指摘されました。手術後8年経過しているのでカテーテル検査をした方が良いとの事。初めて聞く検査の名前です。一泊二日の入院でする検査との事。医者の進めだったので特に疑問もなく検査する事にしました。

 中学2年だったので武士社会でいう元服の年、学校でも立志式が行われました。なにかの節目なのかなーっと、ちょっと思いました。

 ちなみに心臓肥大と心臓拡大があります。

 【心臓肥大】

心臓の壁が厚くなること

高血圧のように、心臓から血液が送り出される際、抵抗があると、心臓(左心室)の壁や隔壁(心室中隔)が均等に厚くなり、全体に肥大します。
また、大動脈弁や肺動脈弁が狭くなり(大動脈弁・肺動脈弁狭窄症)、心室からの出口が狭くなると、同じように左心室や右心室が肥大します。「肥大型心筋症」のように、全体が均等でなく、心室の一部(中隔や心室の筋肉)が肥大することもあります。
  
【心臓拡大】
 
 心臓の内腔(ないくう)が大きくなるなる場合(心臓拡大)と言うそうです。
心筋炎のような心臓全体の炎症の後などに、心臓全体の壁が薄くなり、内腔全体が大きくなることがあります。「※拡張型心筋症」がその典型です。

 自分の場合は弓動脈の所が手術後も狭かったので抵抗があり、一生懸命血液を送らなければならず心臓に筋肉がついたしまったみたいで、左心室が肥大していました。心臓に筋肉がつくのは良いことでないみたいですね。

 次回、カテーテル検査につづく・・
 






先天性大動脈縮窄症の治療費について

 今回は治療費についての話です。病院に行っても治療費を払った事がなかったです。両親ともいないので正確にはわかりませんが、何でだろうと思い少し調べました。

下記の制度があるみたいです。 

 心臓病患者が受けられる医療費の公費負担制度。

@ 心臓手術を受ける場合は、育成医療(18歳未満まで)、更生医療(18歳以上)という国の公費負担医療制度があります。いずれも、前年の所得に応じての徴収金の負担があります。

A 手術以外の心臓病にかかわる検査、治療に関しては、小児慢性特定疾患治療研究事業助成があります。この制度は、来年度から法制化により一部自己負担が検討されていますが、現在のところは全額公費負担で患者の自己負担はありません。ただし、国の基準では、1ヶ月以上の入院見込みでないと対象になりません。この制度は、18歳までを原則対象(18歳時点で受けている場合には20歳まで延長)としており、成人には適用されません。

B 一部の心臓病(特発性拡張型心筋症)に限り、特定疾患治療研究事業の対象疾患に指定されています。ただし、所得に応じた自己負担があります。
 
C身体障害者の認定をうけていると自冶体により助成を受けられます。
                                                                             以上


 自分はAの小児慢性特定疾患治療研究事業助成を申請したんだと思います。
めったに掛からない病気だったから、治療費は国で負担してもらえたという話を親戚がしてましたので。@だった場合すこしは徴収金の負担があるみたいですが、そんな書類書いてるの、みたことないですから。

 小児慢性特定疾患治療研究事業助成は下記の内容でした。


 【小児慢性特定疾患治療研究事業助成の事業の目的・対象年齢・対象疾患群】

 小児慢性疾患のうち、小児がんなどの特定の疾患については、治療が長期にわたり高額な医療費負担が避けられません。小児慢性特定疾患の治療の確立と普及を図り、合わせて患者家庭の医療費の負担を軽減するために、医療費の自己負担分が助成される制度を備えた「小児慢性特定疾患治療研究事業」が実施されています。

対象となるのは18歳未満の児童ですが、18歳以降も引き続き治療が必要であると認められる場合は、20歳まで助成が延長されます。

 自分の場合は、小児慢性特定疾患治療研究事業が通院まで適用されている地域に住んでいたのでこれが適用されたみたいですね。自冶体により微妙に違うみたいです。

高校生までは年2回くらい言ってましたが、卒業後してしばらく20過ぎまで行ってなかったので20歳まで助成があったかどうかは、わかりません。

 日本の医療制度も捨てたもんじゃないですね。手術費用なんかまともに払ったらすごい金額になりますから。

 去年(2010年12月)うけた手術(ベントール術)は治療費が600万超えてましたから。自分が払った費用はその時の話で。

住んでいる自治体によって、制度の内容や対象範囲に違いがありますので、かかっている病院のソーシャルワーカーや保健所、役所の窓口などで、具体的に受けられる制度の内容を確認されることをお勧めします。




先天性大動脈縮窄症の術後2(小学校の生活)

 術後の通院は年2回、検査のため通院してました。検査はレントゲンと心電図がメインで、時々、心エコー(超音波で心臓を見る検査)もしてました。薬はのんでいなかったです。小児科の心臓病外来でしたので月曜と木曜日の午後のみ診察でした。
 
 病院に行くのも結構大変で、まず20分かけて町までバスで行きます。これが2時間に一本位しかなかった。町から病院のある市までさらにバスで1時間かかってました。
 
 午後の診察でも朝9時頃家を出て帰ってくるのは夕方にっなってましたね。診察の受付開始が11時からだったので、その前に病院に行って診察券を出すのに並んで、受付後に昼食を済ませ、午後1時からの診察までに病院に戻ってました。
 
 週2回の診察で県内から患者が集まりますので、早めに行って診察券をださないと混んでいるので帰りが遅くなってしまい大変でした。予約制ではなかったです。

 小学校時代の生活は特に問題はありませんでした。全力で走るのは無理でしたが、日常生活は普通に送れましたね。見た目は普通の子供とまったく一緒でした。

 ただ何をするにも先生や友達が気遣ってくれていたので、それが何となく違和感があったように覚えています。何で同じようにさせてくれないのかなーっと。





 

先天性大動脈縮窄症の術後1

 無事に手術も終わり、小学校1年の2学期から普通に登校していました。手術の前後での体調の変化ですが、よく覚えていません。劇的に何かが良くなったという実感はまったくありませんでした。振り返ってみると、手術前には遊びまくって楽しかったっていう記憶はないので、あまり動けずおとなしくしてたと思います。病気のせいでしょう。術後は小学校に入学して友達ができた事もあり楽しく遊んでた記憶があるので、手術して動けるようになったんでしょう。よかった。
 
 体育の時間も走ること以外は普通にしてました。あと水泳もやらせてもらえなかったです。今でも泳げません。
 
 手術後の冬に問題が発生しました。姉と一緒に登校していましたが、なぜか泣き出して帰るといって学校に行かないで帰ったみたいです。覚えてない・とほほ。

毎日ではなく時々途中で帰ってしまったようです。理由を聞いても泣いてるだけで答えなかったようです。姉いわく、寒いと泣くみたいと、おふくろに言ってたみたいで、おふくろがよくよく聞くと背中が痛くて泣いてたようです。

真冬だと氷点下5度以下にもなるとこだったのですが、なんで手とか耳ではなく背中なのか最初はわからなかったみたいです。
 
 次に病院に行ったときに、おふくろが寒いと背中が痛くて泣くんですと相談したら、手術の傷跡が痛いんですね、との事。

季節の変わり目とか冬になると古傷が痛むというあれです。心臓の手術なので正面に傷跡がありそうですが、弓動脈の所を手術したので背中から左のわき腹にかけてかなり大きな傷跡がわたしにはあります。

背後から刀で切られ、振り向いて応戦しようとして切っ先が左のわき腹に流れたような感じです。原因がわかれば対策は簡単で寒くても痛くならないように防寒対策がされたのでした。この痛みは2年生までで、その後はまったく平気になりました。よかった。




大動脈縮窄症の手術2

 麻酔によって意識がなくなって意識が戻ったのは数日後でした。気がついたらプラスチックのケースの中(保育器のような物)でした。自分の置かれている状況はまったく理解していませんでした。手術したことすら理解してなかったと思います。術後の痛みの記憶はないので痛くはなかったんでしょうきっと。
 
 入院中に同級生から千羽鶴を頂きました。入学して一週間位しか学校に行かないで入院してしまったので、同級生の事もその頃は名前すら覚えていませんでした。保育園にも行ってないのでなお更です。

きっと先生と親御さんも一緒に作ってくれたと思います。同級生が一学年全員で15人でしたから大変だったと思います。(田舎という事と、丙午(ひのえうま)だったので昭和41年の出生人数も少なかったみたいです。

この年生まれの女性は怖いそうです・・迷信ですけどね。興味ある方はググればすぐわかりますよ)。脱線しましたが、千羽鶴は本当に感謝です。
 
 それと担任のk先生は女性でめっちゃ優しかったです。
 
 入学式の後に入院したのは、すこしでもいろんな体験をさせたかった両親の思いからでしょう、手術が成功するかどうか誰もわからなかったですから。
 
 入院していたのは20日間程でした。心臓の手術は術後の回復は早いです。すぐにご飯食べられますから。学校に行ったのは2学期になってからでした。いくら回復が早くても2km程歩いて行かなくてはならなかったので、すぐには無理でした。当時我が家には車などありませんでしたから。なので一学期はほとんど休んでしまいました。
 
 一学期のほとんどを休んでしまい、同級生からは完全に体の弱い子と思われ、その様に対応してくれていました。友達みんな優しかったです。さらに自分でもそれが当たり前だと思っていました。なのでそんな優しさに甘えてばっかりいる子供になっていました。なさけない!。何でもかんでも病気のせいにして逃げていたような気がします。




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