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お年寄りの暴走事故に思う

お年寄りが運転する車が暴走する事故が多発しています。
運動機能や判断力の低下から、年寄りは運転をやめて免許を返納すべきという話が盛り上がっていますし、個人的にもそう思うわけです。
が、事故現場で実況見分をしているところをテレビで見て少し違和感を感じてしまいました。

事故を起こしたお年寄りは杖をついてやっと歩いてるような状態に見えた。
車は手足を使って操作をする乗り物だ。だから若い人だって怪我をして手足を自由に動かすことができなくなれば車の運転は控える。
危ないから。
うまく操作ができないのだから当然だ。

認知症のような難しい問題の前に、わかりやすい身体機能の低下を免許更新に反映させる仕組みを作った方がいいと思うんですが...

列車の背もたれ(ホリエモンのツイートから考える)

 堀江貴文氏が新幹線で前の席の人が背もたれを倒していいか聞いてきたことに「いちいちうるさい」とツイートして騒ぎになっています。

 でも正直、僕も少し、同意してしまいました。ニュアンスは少し違うんですが。

 在来線の普通列車をのぞいて、ほとんどの座席にはリクライニングが付いています。これは鉄道会社がサービスとして提供しているものなので、利用者は使用する権利があります。基本的にはいつでも倒していいと思うんです。
でも、後ろの席が狭くなるということもあり、少し配慮するのが日本人の心というか、日本のマナーなんだと思うんです。

 「倒させてもらいますね〜」「どうぞどうぞ」
 日本だな〜と、日本ていいなぁ〜と思うやり取りだと思うんです。

 でもね、でもですよ、「ひと声かけたんだからいいよね」的な、そんな風潮もないですか?
 例えば、後ろの人が降りる準備を始めたら、それを感じたら、一度そっと戻すのが日本人ってもんでしょう。
 マナーだから声掛けをするのではなくて、後ろの人への気遣いの一つとしての声掛け、配慮の一つの形としての声かけだから気分がいいのであって、それが感じられない声掛けだとしたらホリエモンの気持ちもわかる気がするんです。

 後ろの人が「倒すならひと声かけろ」という風潮ができてるような気もするのですが、リクライニング機能は鉄道会社が利用者にサービスとして提供しているので、後ろの人にやめさせる権利はないはずなんです。
 ただ、狭くなることは事実なので、少し気を配って声を掛けるというのが日本人らしいマナーだと思うんです。

 座席のリクライニングは、利用者に提供されたサービスなのでいつでも利用しましょうよ。
 でも、後ろが狭くなるので、少し配慮するのが日本人ってもんです。
 倒す前に声をかけるのもいいでしょうし、角度を必要最小限に留めるのもまた配慮でしょう。
 トイレに行くとき、戻ったとき、降りる支度を始めたのを感じたら一時戻すのも必要でしょう。
 自分が降りるときももとに戻しましょう。

 後ろの人は、利用者の権利なので黙って倒されても怒ってはいけません。
(でもテーブルを使っている時にいきなり「ガーン!」と倒されて、ジュースがこぼれたようなときは怒ってもいいのかな...)

 根底に周囲への気遣いがあって、その結果として行われる「声掛け」は美しいですが、やらないとうるさいから的な気持ちからくる「声掛け」はトラブルのもとのような気がした記事でした。

 ちなみに「はじめからすべての席のリクライニングを倒しておいて、必要ない人は戻す。」 という提案をしている人もいるようですが、すごく合理的だけど、心がないような感じがしてしまいました。

スペースワールドのフリージングポートのこと...

 北九州市のテーマパーク「スペースワールド」で生の魚をスケートリンクに埋め込んだ話。
 炎上して中止に追い込まれたようですが。

 最近こういう話が非常に多いですが、批判はいいんですがね。
 自分が嫌いと思うもの、倫理的にどうかと思うもの、いろいろな理由があって批判するのは自由です。

 でもですよ、中止させるまで追い込むというか、こういうのはどうなんでしょう?。

「残業100時間で過労死とは情けない」とは情けない...

 電通の女性新入社員が過労自殺だったとして労災認定されたそうです。
 自殺に至ってしまった女性のご冥福をお祈りいたします。

 さて、どこかの大学教授が「100時間の残業で過労死とは情けない」と発言して炎上しております。
 元の投稿は削除されていますが、関連記事はこちら
「残業月100時間で過労死するとは情けない」 コメント炎上で大学教授が謝罪

 昭和のモーレツ社員といったところでしょうか、私もそうでしたがね...

盛土問題...

 築地市場の移転予定地、豊洲の工事で予定の盛土がされていなかったと。

 久しぶりの更新は鉄道屋らしく、「列車見張員」について書いてみようかと思ってましたが、気になっちゃったのでこんなことで更新してみます。

 東京の築地市場の移転が予定されている豊洲ですが、土壌汚染があるのがわかったということで、その対策工事として土壌を入替えて、盛土をすることになっていたそう。
 それがいつの間にか一部の盛土がなくなってて、そこには異なる工法で施工されていたということのようです。

 土木的な見地や、管理する東京都の組織的な問題などが指摘されてますが、これって一般の会社に例えるとどうなんでしょう...

自動運転中の事故に考える

 テスラモータースのオートパイロットという半自動運転機能を搭載したタイプS
 オートパイロット中に前を横切ったトレーラーに突っ込んでしまったとか。
 自動運転中の事故ということで話題になっています。

 事故原因はこれから詳しく調べられるでしょうから、ここでは置いといて、少し違和感のある報道もあるので持論を少し。

 新しい技術に対する不安はいつの世もあります。
 私も個人的には期待半分、不安半分の技術です。
 鉄道事業者としては素直に喜んでいいのか迷うところですが、完全な自動運転ができたとしても駐車場の問題をクリアしないと鉄道をはじめとした公共交通が一気に衰退することはなさそうな気がします。

 少しそれましたが、自動運転の記事を頻繁に見るようになってから、こんな一文を目にしました。
 「自動運転によって死亡事故が起こるようなことは絶対に避けなければいけない。」

 反論はしません。そのとおりだと思います。
 また、解釈の説明がない、単独の言葉ですからここで極端な上げ足取りはしたくないですが、ただ、個人的に少しアレルギーを含んだ言葉に感じます。
 極端な例えをすれば「(反対を押し切って)やるからには絶対に失敗するな。」というニュアンスです。

 現在の、運転手が全て責任をもつ手動運転において事故がないなら反論の余地はないのですが、日本の交通事故による死亡者は平成5年頃から減少しているとはいえ、年間4,000人以上にもなります。
 この事実とのつながりが見えません。
 自動運転によって年間死亡者が0にならなければ、その自動運転は認めないと言っているように見えます。
 もちろん、自動運転の目指すところは事故の低減ですから、究極の目標はそうなんですが、手動運転における事故を棚に上げた言葉に見えてしまいます。

 テスラモータースはこの事故を受けて、自動運転はあくまで運転支援であって運転者はハンドルをもっていつでも運転できる状態でなければいけないという声明を出しています。
 周知の仕方が十分だったのか検証は必要かもしれませんが、もっともな話だと思います。

 個人的には現状の自動運転機能でハンドルから完全に手を離してしまうのは、温度センサー付きのコンロに天ぷら鍋をかけたまま買い物に行くようなものだと感じます。
 テスラの声明は当然に見えます。

 いずれにしても、この事故を教訓にして、自動運転機能の向上や現状の自動運転の限界についての周知や法整備などなど、交通事故ゼロのための自動運転を目指して発展していって欲しいです。
 ただし、機能の発展途上段階における運転者が、モルモットになるようなことは絶対にあってはならないことだと思います。



 技術屋ですので、やはり技術贔屓(ひいき)なお話になりました...

函館の児童置き去り事件に考える「しつけ」

 今年の5月、北海道七飯町の山林で「しつけ」のため児童が置き去りにされ、自衛隊施設で6日目に発見された事件。(個人的には「置き去り」という表現も少しニュアンスが違うような気もするが)

 「しつけ」が暴走した結果の事件で、同じくらいの子供を持つ親としては非常に心配した6日間でした。
 尾木ママじゃないけど、発見された時には本当にホッとしました。

 当初は連日の捜索にも発見できず、「置き去り自体が疑わしい」という論調もありましたが、山菜採りではぐれたという嘘もつききれない両親が2回目の嘘で周囲を騙し通せるはずはないと思っていました。

 たとえば、昔掘られてそのままになっている井戸か何かに落ちてしまったとか、そういう類の事を考えてたまらない気持になっていました。
 いずれにしても無事に見つかって本当に良かったと思います。

 そしてネット上でも「しつけ」について、いろいろな議論がされました。

 それぞれに持論があって、正しい正しくないはちょっとおいといて、「しつけ」ということの捉え方に個人的にはずっともやもやとした違和感を感じていました。
 その違和感の正体がやっとすこし具体的になってきまして、その正体は「しつけ」というものと、その手段がごっちゃになっているということでした。

 この事件の問題は「しつけ」の手段として「お仕置き」がされたこと、それも虐待とも言える方法をとってしまったことだと思います。

 ご両親の言葉を信じれば、人や車に向かって石を投げていたとのこと。
 これはやっぱり普通の親なら叱るでしょうし、いけないことだということを教える、つまり「しつけ」る必要がある事柄でしょう。

 ちなみに「しつけ(躾)」とは...
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 ウィキペディア様によれば
 人間社会・集団の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い(規範の内面化)ができるように、訓練すること。概念的には伝統的な子供への誉め方や罰し方も含む。

 あらら、「罰し方も含む」だそうです...
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 つまり今回の事件における「置き去り」=「しつけ」という論調、体罰がしつけだと言わんばかりの論調に違和感を感じてたわけですが、ウィキ様は同意とお考えのようです。

 いや、くじけずに続けましょう...

 しつけと言えば有名なお話が、ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンのお話でしょう。
 幼いころに病気で視覚と聴覚、そして言葉を失ったヘレン・ケラーに対して、両親はしつけをすることができずにいました。
 わがままいっぱいに育ってしまったヘレン・ケラーの家庭教師として来たアン・サリヴァンが彼女をしつけ、言葉を取り戻させ、そしてその後も支援し続けたということです。

 このお話は映画やアニメにもなり、意思疎通ができないヘレン・ケラーとの壮絶なやり取りが描かれています。
 サリヴァン先生は間違いなくヘレン・ケラーを「しつけ」ました。
 もちろん私はその場にいたわけでも、様子を見た訳でもないですが、それはけして虐待などは伴わない真の「しつけ」であったと考えるわけです。

 そうです、やはり「しつけ」とその方法とは分けて議論するべきだと考えます。

 「しつけ」というのは人間の成長に必要な行為で、これは親の責任、大人の責任だと思います。
 ただ、その「しつけ」の方法として、お仕置き、言葉や肉体的、精神的暴力や虐待に走るのは間違いなのだと思います。

 偉そうに書きましたが、私も正しい「しつけ」などできていません。
 感情的に怒りつけて、後になって反省する日々です。

 ですが、罰し方も含めた「しつけ」を否定する論調で、本当に必要な「しつけ」が否定されると日本がおかしな方向に進んでしまうような気がしてなりません。

 「しつけ」は必要なことです。そして「しつけ」は親、大人、先輩、上司など、上に立つものの責任です。
 ただし、「しつけ」は体罰を与えることではありません。



 もやもやとした違和感を吐き出したところで、今日はこのへんで...

交通違反の取り締まりって、誰のため?

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 面白い記事を見つけました。
 こちら → 効力のない”一時停止”標識で3年あまり取り締まり
 滋賀県警で3年前に設置した交通標識が、ミスで正規の事務手続きが行われていなかったとのこと。
 法的には無効な標識となるそうで、これによって違反切符を切られた人たちに違反金の変換などを行うとのこと。

 いやいや、待て待て、やめてくれ。

 君たちの給料は税金だ。
 時は金なり、君たちの一分一秒が全て税金なのだ。
 3年間も遡って該当者を洗い出して連絡し、払い戻しなどという無駄なことに使わないでくれ。
 いや、もしかすると滋賀県の税金かもしれん。
 直接は関係ないのかもしれないけど、いや、言わせてくれ。

 ミスは確かにいけないかもしれない。
 しかし、正規の手続きが行われていない「法的に無効だったから違反金は返します。」は少し短絡的ではないか。

 交通標識の役割は何か?
 「道路交通の安全と円滑のために欠くことができない重要な施設」(国土交通省HPより)とある。
 安全のために必要だからそこに設置したはずだ。
 その場所で一時停止をしないことで事故が発生する可能性が高くなるからそこに設置したはずなのだ。
 設置する必要がない標識が設置されて、その結果、必要が無い違反切符を切ったのなら払い戻しの処置もいるかもしれないが、記事を見る限り今回はそうではないようだ。
 それに一時停止の標識が申請されていなかったことに対して「一時停止の標識は必要ないか?」という問い合わせもなく公安委員会が何を持って設置許可を出しているのか甚だ疑問である。
 これではまるで、交通標識は違反金を取るために設置していると言ってるようではないか。

 もちろん正規の手続きがとれれていないことにはきちんと謝罪して再発防止を考えて欲しいが、少しずれてはいまいか。

 公務員にことさら強い倫理観や、ミスを許さない体制を要求するつもりはないが、一分一秒が税金だという認識は持ってもらいたい。
 ミスをした時には問題点を見極め、効率のよいリカバリーを考えて欲しい。

 三菱自動車ほど図太くなられても困るが、取り締まり自体は必要であったと考えるならそう言うべきだ。

 3年も遡って処理するのはそれなりの作業量だろう。
 職員だってひまじゃないだろう。
 残業で処理するか、本来必要な業務ができなくなることだって考えられる。

 「コスト意識を持つ」とはよく言われる言葉だけど、自分自身の労働時間も立派なコストで、一般に日本は高いと言われている「人件費」なのだ。

パラリンピック

通勤電車の中、スマホでニュースを見ているとこんな記事が。

将来、パラリンピックの記録がオリンピックのそれを超えるというのだ。
記事はこちら

この中で乙武さんの意見が紹介されていた。

乙武さんはオリンピックとパラリンピックの垣根を取り払って、障がい者も同じステージで競うことができればと仰っている。
差がなくなったのなら健常者、障がい者をわざわざ分けて開催する必要もないし、同じフィールドで競い、切磋琢磨できるならそれがいいと思う。

しかし、この記事ではそういうことでもないらしい。
パラリンピックの記録が伸び出したのは義足の性能によるところが大きいらしいのだ。
「義足は加速装置ではないか」というのだ。

確かに、そういうこともあるのかもしれない。

でも障がい者は何かを失い、そのために義足を得たのだ。
両足を失ったがために翼を得たのだ。
なら、その翼は否定するべきではないし取り上げる権利はない。

足を失ってしまったことを見ないで、翼の優位性だけどやいのやいの言うべきではないと思う。

とは言ってもスポーツというのは極めて神聖なもので、公平であるべきとも思う。
極めて公平な立場でこれら最新の義足が本来の身体能力を超える結果を出すものかどうか、しっかりと議論して検証してもらいたいと思う。

そして、失われた機能を補い、身体能力を正しく発揮するものなら、ぜひパラリンピックとオリンピックに分けずに同じフィールドで競い合うことができたら素晴らしいと思う。

また、もし、身体能力以上の結果を生み出すようなものであるならば、今のままパラリンピックとオリンピック、それぞれのフィールドで競うのがいいのではないか。

そのときに二つを比較して「健常者なのに..」「障がい者なのに..」といった見方にならないように、それぞれのフィールドで切磋琢磨して、素晴らしい試合を見せて欲しいと思う。


「障がい者が走れるようになると周りは持ち上げ、健常者の記録を脅かすようになると批判の的になる。」

きな臭い...

どっちが上でも下でも、誰もが納得して受け入れることができるような仕組みづくりをして、公平公正に競い合えるようになればいいと思う。

立ち上がれ!エンジニア!!

久しぶりに名前を聞きましたよ、堀江貴文氏
あるフォーラムで特別講演をされたそうです。
(ちょっと古い話になっちゃいましたが...)

「もう政治に興味はない」堀江貴文氏が語る世の中がメンドくさい理由

直接講演を聞いたわけではないのでもちろん細かなニュアンスまではわからないわけですが、なるほどと思うところと「う〜ん...」と思うところと...
ただ、普段モヤモヤと感じてたあたりをだいぶ代弁していただいたように感じ、少し「スカッ」とした感覚もあります。

氏は、世の中で技術的に可能なことが実現できてないのは、エンジニアが現状に甘んじているから、と説いています。
自分で起業し、希望を実現する力がある人の視点です。
雇われエンジニア、飼われエンジニアは、会社の経営方針によるんですよ、って思ったけど、その考え方自体を批判しているんでしょう。

個人的には、エンジニアにも大きく分けて2つの種類がいると思う。
一つはその企業に収入をもたらすエンジニアと、もう一つはその活動が支出となるエンジニア。
例えば前者は製造業やサービス業に携わるエンジニアで、後者は主に保守業務系のエンジニア。
もっとも保守業務は多くがアウトソーシング化されていて、それを請負う会社のエンジニアは前者の「サービス業」になり、企業にとっては収入をもたらす。

「企業にとって、その働きが支出になるエンジニア」とはその企業に直接雇われて、その企業の設備保守などに携わるエンジニア、ってこと。
で、あくまで個人的な感覚として、この手のエンジニアはやはり企業からは「なるべく活動しない。」ことを要求される。
少し語弊があるが、「設備の安定稼働に必要な最低限度の労働」を要求される、そんな印象を持っている。

製造業にいた頃は、「とにかく働け!」だった。
バブルの余韻が残っていた頃とはいえ、一時間でも多く働き、製品を作る、そんな感じだ。
働いて物を作れば、需要があれば売れて利益になるのだから当然だ。
加えて、コストダウンにも積極的で、コストダウンのためにも積極的に投資する、つまりはエンジニアをこき使う。

これが保守系の業務になるとコロリと変わって、このエンジニアの労働は会社にとっては基本、維持管理経費という支出になるのだから、なるべく働かないように要求される。
まぁ、少し極端な言い方かも知れないが...

いずれにしても「現状維持」ということが最小コストという間違った意識が、結局のところ時代遅れの高コスト体質を産んでしまう。
コストダウンにも投資、コストダウンのためのコストが必要だ。

こき使う ≒ 活用する。
会社のリソースであるエンジニアは活用すべきでしょう。
そして、堀江氏の言うように、エンジニアがもっともっと実力で主導権を握って行こう!

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プロフィール

デンマニ
鉄道会社に転職しました。 鉄道って独特の世界だなぁ... こんなに危険が伴うお仕事とは思わなかった。


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