2018年08月27日
線路脇の慰霊碑
お昼休みに突然、カメラを持った初老の男性が事務所に来た。
「古い話で恐縮ですが」と...
明治のお話。
信越線の工事の時に作業員の間にコレラが流行し、多くの人がなくなったそうです。
その慰霊碑がこのあたりにあると聞いたのですが、ご存じないでしょうか。
こんなことを尋ねてきました。
残念ながら聞いたことないです...
ちょうど飯山線と分かれるあたりと聞いたらしいのですが、そんなものは見たことがない。
線路脇の道を行って探してみる、そう言って帰っていきました。
あ、言い忘れましたが、くれぐれも線路には入らないでくださいね!
ちょっと気になったのでググってみると、妙高高原・関山間の工事の時の話のようです。
この区間の工事は鹿島組が請負ったそうですが、大田切川の谷を通す難工事とコレラの流行で79名もの殉職者が出たそうです。
工事後に慰霊碑が建てられたそうです。
先人の苦労を知ることができました。
あ、でもこの慰霊碑も線路脇に立っています。
くれぐれも線路内には立ち入らないようにお願いします。
ぜひ車窓からどうぞ。
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