2017年01月12日
冤罪物語 連載59 敵討ちの部
※「消えてゆく姿」という真理「煩悩即菩提」の意味
煩悩は、現れては消えてゆく雲のようなもの。
菩提は、悟りで常にある青空のようなもの。 この二つは同じ位置ではない。
一般的には次の説き方をする。
★不幸は神への道を分からせるため。
★不幸は神が体験を与えている。
★自己が高まると問題も高まる。
★すべて過去世の因縁。 と説くのですが、これでは不足しています。
五井昌久氏は次のように説きます。
煩悩が現れた時、因縁のカルマが今消え去ってゆくときです。
現れた時消えるという真理があるのです。
だから、苦悩をとらえようとして手をその方向へ延ばさぬ限り戻ってこない。
これも真理です。
人間は神の子で完全円満である。
自己がとらえているだけの苦悩の中に、その人が住んでいるという事実がある。
だから、
苦悩そのものはその人にあるのてはなく、その人の想念の中にある。
ということは、想念がなくなれば、無くなってしまう。
永劫に消えない実在とは違う。
なので、
苦悩をいつまでも掴んでいると救われない。
業想念(苦悩)暗いモノ・悪いモノはすべて業想念であって、現れたと同時に消えてしまう。つかまえなければもう現れない。
あるのは、真善美の神の子人間の本性がある。
永劫に消えない神仏のみ心は、常に神仏を憧念する想いからうまれてくる。
この「消す」ことを役目としているのが、守護霊・守護神。
そこで、そこで五井昌久氏は世界平和の祈りを唱えることを勧めている。
肉体人間はカルマのある者。それは悪いことと言えません。
カルマは消え去るものという真理を悟り、神の子の本性を悟り、
守護の神霊に感謝する。
悩みはそのまま祈りの中に投げ入れてよい。二度とつかまないようにするばいい。
と説いて、この先は方向を少し変えて、現在の肉体文化と霊の世界の関係の一部を説き明かしてゆきます。
一度に深く説いてもなかなか理解できるものではなく、段階を追って深めるような説き方をします。
これは、読み手を慮っている五井昌久氏流の「思いやり」なのでしょう。
『今の科学は物質を越え、電子波動学までに至っている。この分野は霊科学・霊文化に近い』
『自分の想念行為をごまかしていると、自分の本心(神性)と区別がつかず、神のみ心につながることができまい』
『自分の肉体の頭脳でいくら考え続けても、自己の本体も、神の存在も、真実の幸福生活も分かるわけがない』
『自己の肉体知を空にして、自己の生命の本源にすべてを一任する気にならぬ限りは、自己の本体も真実の幸福生活も分からない』
『この事実を正直な心でハッキリ見つめることが大事』
『ここではじめて、消えてゆく姿の教えの力も、守護霊守護神の働きも、神の大愛も分かってくる』
と説いています。そして次には、明らかに一段上がります。
答えというのか、大きな真理というと間違いないでしょう。
それを説いて、さらに広く深く説いています。・・・・つづくのですよ。
予告。
ここまで五井昌久氏の著書「霊性の開発」の約半分と少しです。この先も本を読んでいては退屈でしょうから、
それは私一人の仕事にして、次回から1〜2回ほどで「敵討ちの部・まとめ」にしたいと思っています。
煩悩は、現れては消えてゆく雲のようなもの。
菩提は、悟りで常にある青空のようなもの。 この二つは同じ位置ではない。
一般的には次の説き方をする。
★不幸は神への道を分からせるため。
★不幸は神が体験を与えている。
★自己が高まると問題も高まる。
★すべて過去世の因縁。 と説くのですが、これでは不足しています。
五井昌久氏は次のように説きます。
煩悩が現れた時、因縁のカルマが今消え去ってゆくときです。
現れた時消えるという真理があるのです。
だから、苦悩をとらえようとして手をその方向へ延ばさぬ限り戻ってこない。
これも真理です。
人間は神の子で完全円満である。
自己がとらえているだけの苦悩の中に、その人が住んでいるという事実がある。
だから、
苦悩そのものはその人にあるのてはなく、その人の想念の中にある。
ということは、想念がなくなれば、無くなってしまう。
永劫に消えない実在とは違う。
なので、
苦悩をいつまでも掴んでいると救われない。
業想念(苦悩)暗いモノ・悪いモノはすべて業想念であって、現れたと同時に消えてしまう。つかまえなければもう現れない。
あるのは、真善美の神の子人間の本性がある。
永劫に消えない神仏のみ心は、常に神仏を憧念する想いからうまれてくる。
この「消す」ことを役目としているのが、守護霊・守護神。
そこで、そこで五井昌久氏は世界平和の祈りを唱えることを勧めている。
肉体人間はカルマのある者。それは悪いことと言えません。
カルマは消え去るものという真理を悟り、神の子の本性を悟り、
守護の神霊に感謝する。
悩みはそのまま祈りの中に投げ入れてよい。二度とつかまないようにするばいい。
と説いて、この先は方向を少し変えて、現在の肉体文化と霊の世界の関係の一部を説き明かしてゆきます。
一度に深く説いてもなかなか理解できるものではなく、段階を追って深めるような説き方をします。
これは、読み手を慮っている五井昌久氏流の「思いやり」なのでしょう。
『今の科学は物質を越え、電子波動学までに至っている。この分野は霊科学・霊文化に近い』
『自分の想念行為をごまかしていると、自分の本心(神性)と区別がつかず、神のみ心につながることができまい』
『自分の肉体の頭脳でいくら考え続けても、自己の本体も、神の存在も、真実の幸福生活も分かるわけがない』
『自己の肉体知を空にして、自己の生命の本源にすべてを一任する気にならぬ限りは、自己の本体も真実の幸福生活も分からない』
『この事実を正直な心でハッキリ見つめることが大事』
『ここではじめて、消えてゆく姿の教えの力も、守護霊守護神の働きも、神の大愛も分かってくる』
と説いています。そして次には、明らかに一段上がります。
答えというのか、大きな真理というと間違いないでしょう。
それを説いて、さらに広く深く説いています。・・・・つづくのですよ。
予告。
ここまで五井昌久氏の著書「霊性の開発」の約半分と少しです。この先も本を読んでいては退屈でしょうから、
それは私一人の仕事にして、次回から1〜2回ほどで「敵討ちの部・まとめ」にしたいと思っています。
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