2017年01月11日
冤罪物語 連載58 敵討ちの部
※霊性の開発方法
宗教者が神仏を説きながら、「いましめ」を口にして、自力でカルマを超えること。
と説くと難しくなってしまう。実際にはできないくらい難しい。
自己の想念として現れる、自己を傷つける想い、他を損ねる想いを消えてゆく姿として、放り出してしまう。そんな想いと決別して、神を心の内で呼ばしめる方法を五井昌久氏は説く。
『肉体人間はどうしても業想念が現れてくる。それにいちいちとらわれることは本末転倒している。カルマにとらわれると神性開発できない』
『神のみを想うことがベスト』
『お前の・・・が悪い、という言い方や人間は罪の子、という言い方は真実でない。人間は神の子であり真善美そのもの』
『霊性の開発は見えないモノを見るようなことではない』
『その人間の想念行為が、神の心である真善美を常に現しえる状態をいう』
『他人に対して優越感を抱いたり、現世の利益のための修業は、人間は神の生命において同一である。という原理を踏み外している』
『霊性の開発は、自力門で行うと難しい。現代では法然や親鸞の説いた、他力門で行うのか易しい』
浄土門のことです。
『神仏は人間自身の中で、常に働き続けている。心の働きや体の諸機能の働きがそうである』
『神仏の世界は、光明燦然とした世界であって、悪や不幸や病などない』
『肉体人間の不調和な世界は、過去から現在までの自分が、神から離れていた想念行為の誤りが消えていく姿』
※煩悩即菩提について
『悩みや不幸や病は、そのまま悟りの道に直通している』
『神の子本体(菩提)を開顕すること。これが1つの真理』
『この真理を知らない限り、真実の救われに入れない』
『神のみこころを知ることはできない』
『この真理を知る第1の心は、自分自身の心に正直である。ごまかさない』
『これは、他人も社会も国家も人類も正直に見続ける』
『この正直という平凡な言葉を無視するようでは、永劫に救われない』
(霊性の開発 五井昌久著 白光真宏会出版本部)
つづきます。
次回は「消えてゆく姿」という真理。「煩悩即菩提」の意味。
宗教者が神仏を説きながら、「いましめ」を口にして、自力でカルマを超えること。
と説くと難しくなってしまう。実際にはできないくらい難しい。
自己の想念として現れる、自己を傷つける想い、他を損ねる想いを消えてゆく姿として、放り出してしまう。そんな想いと決別して、神を心の内で呼ばしめる方法を五井昌久氏は説く。
『肉体人間はどうしても業想念が現れてくる。それにいちいちとらわれることは本末転倒している。カルマにとらわれると神性開発できない』
『神のみを想うことがベスト』
『お前の・・・が悪い、という言い方や人間は罪の子、という言い方は真実でない。人間は神の子であり真善美そのもの』
『霊性の開発は見えないモノを見るようなことではない』
『その人間の想念行為が、神の心である真善美を常に現しえる状態をいう』
『他人に対して優越感を抱いたり、現世の利益のための修業は、人間は神の生命において同一である。という原理を踏み外している』
『霊性の開発は、自力門で行うと難しい。現代では法然や親鸞の説いた、他力門で行うのか易しい』
浄土門のことです。
『神仏は人間自身の中で、常に働き続けている。心の働きや体の諸機能の働きがそうである』
『神仏の世界は、光明燦然とした世界であって、悪や不幸や病などない』
『肉体人間の不調和な世界は、過去から現在までの自分が、神から離れていた想念行為の誤りが消えていく姿』
※煩悩即菩提について
『悩みや不幸や病は、そのまま悟りの道に直通している』
『神の子本体(菩提)を開顕すること。これが1つの真理』
『この真理を知らない限り、真実の救われに入れない』
『神のみこころを知ることはできない』
『この真理を知る第1の心は、自分自身の心に正直である。ごまかさない』
『これは、他人も社会も国家も人類も正直に見続ける』
『この正直という平凡な言葉を無視するようでは、永劫に救われない』
(霊性の開発 五井昌久著 白光真宏会出版本部)
つづきます。
次回は「消えてゆく姿」という真理。「煩悩即菩提」の意味。
タグ:敵討ち
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