2016年09月26日
よしの525「ベルナルドの祈り」
よしの525「ベルナルドの祈り」
なんだか 長田弘さんの ポエムを よみたくなったので ほんだなを さがすと なくて 「ベルナルドのいのり」でぱっと ひらいたところ よんでみました。
長田弘さんのは こんなのです。
―
http://homepage3.nifty.com/tiisanayorokobi/Slow%20is.htm
なぜわれわれは、 じぶんのでない
人生を忙しく生きなければならないのか?
ゆっくりと生きなくてはいけない
空が言った。 木が言った。 風も言った。
(長田弘 「人生の短さとゆたかさ」より)
―
これは きのう おひがんの おまいりを しても かんじました。
―
おひがん とは にほんどくとくの ものだそうです。
―
https://books.google.co.jp/books?id=5GGDIvx-6C0C&pg=PA425&dq=%E3%81%8A%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%8B%AC%E7%89%B9%E3%80%80%E4%BB%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwja587Yr6rPAhWJk5QKHUtQATkQ6AEIHDAA#v=onepage&q=%E3%81%8A%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%8B%AC%E7%89%B9%E3%80%80%E4%BB%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B&f=false
427ページ おひがん に ついて
さとりの ひがん(ほとけ の せかい)
わたしは さとりの ひがんに いたることができない
いっしょうかかっても できそうにない
あゆみつづけることが 「到(いたる)彼岸(ひがん)」
ほとけの くににむかって ひたすら あゆみつづけなければ ならない
―
はいく
きょう彼岸(ひがん) 菩提(ぼだい)の種(たね)をまく日(ひ)かな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90
菩提(ぼだい)とは、サンスクリット語でボーディ(bodhi)の音写であり、「完全なる英知」あるいは「悟り」の意味である。
サンスクリット語において、bodhati「目覚める、知る」、bodha「覚醒、知識」、buddhi「知恵、知識」、buddha「目覚めた人」のように、語根√budhは「知る」に関連し、bodhiもまたその縁語である。
サンスクリット語のボーディ(bodhi)を菩提ではなく「覚」と意訳する新訳も出現したが、「覚」と訳出した他のサンスクリット語があるなどして混乱の元となった[1]。
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「ベルナルドの祈り」
http://www.inori-no-sono.com/jyouhou/syoseki.htm
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なんだか 長田弘さんの ポエムを よみたくなったので ほんだなを さがすと なくて 「ベルナルドのいのり」でぱっと ひらいたところ よんでみました。
長田弘さんのは こんなのです。
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http://homepage3.nifty.com/tiisanayorokobi/Slow%20is.htm
なぜわれわれは、 じぶんのでない
人生を忙しく生きなければならないのか?
ゆっくりと生きなくてはいけない
空が言った。 木が言った。 風も言った。
(長田弘 「人生の短さとゆたかさ」より)
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これは きのう おひがんの おまいりを しても かんじました。
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おひがん とは にほんどくとくの ものだそうです。
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https://books.google.co.jp/books?id=5GGDIvx-6C0C&pg=PA425&dq=%E3%81%8A%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%8B%AC%E7%89%B9%E3%80%80%E4%BB%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwja587Yr6rPAhWJk5QKHUtQATkQ6AEIHDAA#v=onepage&q=%E3%81%8A%E5%BD%BC%E5%B2%B8%E3%80%80%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%8B%AC%E7%89%B9%E3%80%80%E4%BB%8F%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B&f=false
427ページ おひがん に ついて
さとりの ひがん(ほとけ の せかい)
わたしは さとりの ひがんに いたることができない
いっしょうかかっても できそうにない
あゆみつづけることが 「到(いたる)彼岸(ひがん)」
ほとけの くににむかって ひたすら あゆみつづけなければ ならない
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はいく
きょう彼岸(ひがん) 菩提(ぼだい)の種(たね)をまく日(ひ)かな
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%A9%E6%8F%90
菩提(ぼだい)とは、サンスクリット語でボーディ(bodhi)の音写であり、「完全なる英知」あるいは「悟り」の意味である。
サンスクリット語において、bodhati「目覚める、知る」、bodha「覚醒、知識」、buddhi「知恵、知識」、buddha「目覚めた人」のように、語根√budhは「知る」に関連し、bodhiもまたその縁語である。
サンスクリット語のボーディ(bodhi)を菩提ではなく「覚」と意訳する新訳も出現したが、「覚」と訳出した他のサンスクリット語があるなどして混乱の元となった[1]。
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「ベルナルドの祈り」
http://www.inori-no-sono.com/jyouhou/syoseki.htm
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