2016年06月13日
よしの28奥田(おくだ)敦(あつし)先生(せんせい)にイスラム教のラマダン、サウム(斉(さい)戒(かい))のお話(はなし)を聞(き)く。
よしの28奥田(おくだ)敦(あつし)先生(せんせい)にイスラム教のラマダン、サウム(斉(さい)戒(かい))のお話(はなし)を聞(き)く。
https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E6%88%92-67716
▼ラマダーン月のサウム(斎戒)とは
サウムとは、夜明け前(よあけまえ)から日没(にちぼつ)まで飲食(いんしょく)、争い(あらそい)、性(せい)向(こう)などを行なわない(おこなわない)こと。
▼サウムの効用(こうよう)
1 サウム(斎戒)は人を護る(まもる)盾(たて)になる
2 来(らい)世(せ)で報(むく)われる
3 至福(しふく)に入る
4 過去(かこ)に起こした(おこした)罪(つみ)を許(ゆる)される
↓6月11日奥田先生のお話(はなし)を聞き(きき)ました。
http://ord.yahoo.co.jp/o/image/_ylt=A2RinFhmOl5XWHsAoRaU3uV7;_ylu=X3oDMTAyN3Vldmc1BDAD/SIG=1264b4pug/EXP=1465879526;_ylc=X3IDMgRmc3QDMQRpZHgDMARvaWQDQU5kOUdjUmY4dUFSRHZTaXBid3N3eHVTRDEyT2dYRm5oc1BwazAtTlk5TU95QzlYTXNiRkU4YUtLQkdaMUEEcAM1YVdsNTVTdzVwV20EcG9zAzIEc2VjA3NodwRzbGsDc2ZzdAR0dXJsA2h0dHA6Ly9tc3AuYy55aW1nLmpwL3lqaW1hZ2U_cT1NMF9HUDhrWHlMSGg3NjJmcjhPdTJCczAyZDlSWFJyb0xRXzRBZzUuS05EU2F4X0kuQldKcUFZQ0hIOXlyUi5BVlpINGlFc05iajNFdUNpYThaX0NGSzI4Uk5ueHdpM2FPN05pQlRjWElvUW0zVk1SUTZXUVdFd2g4d0dVV0Uya29IOEJNbHYuN0UxTHpSdEREdy0tJnNpZz0xMzg0dTAxMmg-/**http%3a//www.sfc.keio.ac.jp/img/success/okuda_03.jpg
奥田(おくだ)先生(せんせい)は 法律(ほうりつ)とイスラム教(きょう)を教(おし)えてあります。
難民(なんみん)がたくさんでているシリアにすんであったこともあります。
講義(こうぎ)の内容(ないよう)より、以前(いぜん)の写真(しゃしん)よりずいぶんスリム(すりむ)になられたこと、顔(かお)の表情(ひょうじょう)が
とても悲しげ(かなしげ)であったことが印象的(いんしょうてき)でした。
―
奥田(おくだ)先生(せんせい)のお話(おはなし)のメモ
―
食べられない(たべられない)状況(じょうきょう)を想像(そうぞう)してみる
食べた(たべた)時(とき)の喜び(よろこび)を想像(そうぞう)してみる
誰(だれ)が必要(ひつよう)としていなくても自分(じぶん)の体(からだ)は自分(じぶん)の事(こと)を必要(ひつよう)としてくれている実感(じっかん)
↓キリスト教 カトリックの上智福岡中学高等学校の井上先生たちも来てありました。
(キリスト教(きょう)ではお昼(おひる)ぬきの肉(にく)を食(た)べない40日の断食(だんじき)があったそうですが、 お昼(おひる)たべないだけで おなかがすいて やるきがなくなります。生きる(いきる)事(こと)って食べる(たべる)事(こと)なんだなあ と おもいます。お昼(おひる)食べない(たべない)と人間(にんげん)を考える(かんがえる)し、そんなにあくせくしないでも いいんじゃないかって おもいそうです。
とくに 肉体(にくたい)労働(ろうどう)の人(ひと)は影響(えいきょう)すると思います(おもいます)。
経済(けいざい)の発展(はってん)にはマイナス(まいなす)になりそうです。今(いま)はキリスト教(きょう)の断食(だんじき)はなくなったそうです。
食べられない(たべられない)人(ひと)がいることは忘れない(わすれない)ようにしないといけないと おもいます。)
ラマダンは一人(ひとり)じゃなくイスラム教徒(きょうと)全員(ぜんいん)16億人(おくにん)とともに行う
あの世(よ)はすぐよこにある
アッラーは みんなを みていてくれる
アッラーって 神(かみ)さまだったか 調べ(しらべ)てみると↓
―
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463647559
アラーの神(かみ)に祈り(いのり)をつづけていけば、その慈悲(じひ)によって、善人(ぜんにん)も悪人(あくにん)もともに一切(いっさい)の人間(にんげん)は救済(きゅうさい)されるといいます。
―
↑これは浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)にちかいかんがえでしょうか?
http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/tanni/tanni05.htm
悪人(あくにん)正機説(しょうきせつ)
―
国家(こっか)や制度(せいど)がなくてもアッラーの下僕(げぼく)たる人間(にんげん)を身体(しんたい)と心(こころ)と魂(たましい)でお互い(おたがい)に結(むす)んでくれる。
―
質問(しつもん)コーナーで
アッラーの神(かみ)さまは 難民(なんみん)の人(ひと)をどうみてあるのかお聞き(おきき)しましたが、明確(めいかく)なお答え(おこたえ)はなかったように思(おも)います。よくわかりませんでした。
―
第二次(だいにじ)世界(せかい)大戦(たいせん)でドイツでユダヤ人の大虐殺(だいぎゃくさつ)があってユダヤ教(きょう)の人(ひと)がへったことや
戦後(せんご)日本人(にほんじん)が仏壇(ぶつだん)に拝まな(おがまな)くなった人がいることなどを思(おも)いました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%94%B0%E6%95%A6
奥田 敦(1960年 - )は日本の法学者。イスラム教徒であり、イスラーム法およびその関連諸領域を専門とする。慶應義塾大学総合政策学部教授、同大学政策・メディア研究科委員、シリア国立アレッポ大学学術交流活動日本センター副所長。中央大学博士(法学)。
奥田先生はシリアに住んであったことがあるようでシリア調べてみました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2
シリア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく、アラビア語: الجمهوريّة العربيّة السّوريّة)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。 「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。
―
シリアの難民が増え続けている問題があります。
となりの国、トルコでは1915年ごろ大虐殺がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA
アルメニア人虐殺(アルメニアじんぎゃくさつ)は、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡した事件。ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的で組織的な虐殺と見る意見が大勢である。それによれば、この一連の事件は「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれ、21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコ共和国を非難している。トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていない。
―
https://www.japanforunhcr.org/lp/4846?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=009_%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2&gclid=CJnBtaSFpM0CFVgnvQody4MLRw
http://nafidha.sfc.keio.ac.jp/
動画では 奥田先生は 「どうしてうまくいかないんだろう?」と 思った時 本に「人間は土から作られた」と 書いてあって楽になったそうです。
―
日本人であることと イスラム教徒であることが 両立する
―
生徒
礼拝に参加したいと言ったら、イスラム教徒になってからでしょうと 先生に言われなった
人間にやさしい宗教 無理はさせないところが ありがたい
―
奥田先生
アラビア語は難しい アラビア湖はアッラーと対話できる。
―
https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E6%88%92-67716
ラマダーン
アラビア Ramaḍān
イスラム暦(太陰暦)の第九月。イスラム教徒の断食が行われる。ラマダン。
▼ラマダーン月のサウム(斎戒)とは
サウムとは、夜明け前から日没まで飲食、争い、性向などを行なわないこと。
▼サウムの効用
1 サウム(斎戒)は人を護る盾になる
2 来世で報われる
3 至福に入る
4 過去に起こした罪を許される
斎戒は人を護る盾のようなものあ。あなたがたの誰でも、斎戒の日になったならば、淫らなことを言ったり喧嘩したりするな。もし誰かがあなたを罵倒するか襲いかかるかしたときは、わたしは斎戒している(インニー・サイム)、と言え・・
―
斎戒
さいかい
祭祀を前に心身を清め,禁忌を犯さないようにすること。心のけがれを清めることを斎といい,身のあやまちを禁じることを戒という。精進と同じ。
―
さい‐かい【斎戒】
[名](スル)祭りを執り行うなど、神聖な仕事に従う者が、飲食や行動を慎み、心身を清めること。物忌み。潔斎。「斎戒して神事に就く」
―
斎戒【さいかい】
祭に参加する者が行う忌(いみ)の一つ。一定期間,心身を清浄にし,禁忌をおかさないようにする。神道では〈いもい〉〈ものいみ〉とも。〈大宝令〉によれば大祀(大嘗(だいじょう)祭のみ)は1ヵ月斎,中祀は3日斎,小祀は1日斎とし,この期間,諸役人は弔喪,問病,食肉,刑殺の判定,罪人の罰,歌舞音曲,穢悪(えお)に触れることを禁じられた。
―
大辞林 第三版の解説
さいかい【斎戒】
( 名 ) スル
祭祀さいしなどを行う者が心身を清浄にすること。
―
斎戒
さいかい
祭りに奉仕する者が、心身の清浄を目的として、事前に守り行う状態をさす。飲食や思念、言語、動作などを慎んで、もっぱら心身の清浄に努め、穢(けが)れに触れぬなど諸種の禁忌(さわりあるものとして禁ずること)が伴っている。そのためには、特定の期間、特定の場所で慎みを行うことも多い。祭りにあたって斎戒が必要とされるのは、奉仕者が神との交流を可能ならしめる絶対的な条件と考えられるからである。古語では忌み、物忌みなどといい、また精進(しょうじん)、潔斎(けっさい)、参籠(さんろう)なども同義の語である。古く大宝令(たいほうりょう)の制度では、斎戒に散斎(さんさい)(荒忌(あらいみ)・大忌(おおいみ))と致斎(ちさい)(真忌(まいみ)・小忌(おみ))を設け、祭祀(さいし)の大小によってその期間を定めている。散斎中に喪を弔い、病を問い、宍(しし)を食うことなど6種の禁をあげ、血の穢れなどの穢れにも触れないこととしている。致斎では祭祀に関することのみを行い、そのほかのことはすべて禁止されている。斎戒のもっとも積極的な方法としては禊(みそぎ)がある。禊は水に浴して穢れをすすぎ去ることであり、水の清浄力により聖別された人間になることで、古くから広く行われてきた。現在の神職もまた斎戒を重んじており、祭祀の規模に応じて期間を設け、沐浴(もくよく)して身体を潔(きよ)め、衣服を改め、居室を別にし、別火(べっか)の飲食をとり、動作を正し、不浄に触れないなどに努めている。[土岐昌訓]
―
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▼ラマダーン月のサウム(斎戒)とは
サウムとは、夜明け前(よあけまえ)から日没(にちぼつ)まで飲食(いんしょく)、争い(あらそい)、性(せい)向(こう)などを行なわない(おこなわない)こと。
▼サウムの効用(こうよう)
1 サウム(斎戒)は人を護る(まもる)盾(たて)になる
2 来(らい)世(せ)で報(むく)われる
3 至福(しふく)に入る
4 過去(かこ)に起こした(おこした)罪(つみ)を許(ゆる)される
↓6月11日奥田先生のお話(はなし)を聞き(きき)ました。
http://ord.yahoo.co.jp/o/image/_ylt=A2RinFhmOl5XWHsAoRaU3uV7;_ylu=X3oDMTAyN3Vldmc1BDAD/SIG=1264b4pug/EXP=1465879526;_ylc=X3IDMgRmc3QDMQRpZHgDMARvaWQDQU5kOUdjUmY4dUFSRHZTaXBid3N3eHVTRDEyT2dYRm5oc1BwazAtTlk5TU95QzlYTXNiRkU4YUtLQkdaMUEEcAM1YVdsNTVTdzVwV20EcG9zAzIEc2VjA3NodwRzbGsDc2ZzdAR0dXJsA2h0dHA6Ly9tc3AuYy55aW1nLmpwL3lqaW1hZ2U_cT1NMF9HUDhrWHlMSGg3NjJmcjhPdTJCczAyZDlSWFJyb0xRXzRBZzUuS05EU2F4X0kuQldKcUFZQ0hIOXlyUi5BVlpINGlFc05iajNFdUNpYThaX0NGSzI4Uk5ueHdpM2FPN05pQlRjWElvUW0zVk1SUTZXUVdFd2g4d0dVV0Uya29IOEJNbHYuN0UxTHpSdEREdy0tJnNpZz0xMzg0dTAxMmg-/**http%3a//www.sfc.keio.ac.jp/img/success/okuda_03.jpg
奥田(おくだ)先生(せんせい)は 法律(ほうりつ)とイスラム教(きょう)を教(おし)えてあります。
難民(なんみん)がたくさんでているシリアにすんであったこともあります。
講義(こうぎ)の内容(ないよう)より、以前(いぜん)の写真(しゃしん)よりずいぶんスリム(すりむ)になられたこと、顔(かお)の表情(ひょうじょう)が
とても悲しげ(かなしげ)であったことが印象的(いんしょうてき)でした。
―
奥田(おくだ)先生(せんせい)のお話(おはなし)のメモ
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食べられない(たべられない)状況(じょうきょう)を想像(そうぞう)してみる
食べた(たべた)時(とき)の喜び(よろこび)を想像(そうぞう)してみる
誰(だれ)が必要(ひつよう)としていなくても自分(じぶん)の体(からだ)は自分(じぶん)の事(こと)を必要(ひつよう)としてくれている実感(じっかん)
↓キリスト教 カトリックの上智福岡中学高等学校の井上先生たちも来てありました。
(キリスト教(きょう)ではお昼(おひる)ぬきの肉(にく)を食(た)べない40日の断食(だんじき)があったそうですが、 お昼(おひる)たべないだけで おなかがすいて やるきがなくなります。生きる(いきる)事(こと)って食べる(たべる)事(こと)なんだなあ と おもいます。お昼(おひる)食べない(たべない)と人間(にんげん)を考える(かんがえる)し、そんなにあくせくしないでも いいんじゃないかって おもいそうです。
とくに 肉体(にくたい)労働(ろうどう)の人(ひと)は影響(えいきょう)すると思います(おもいます)。
経済(けいざい)の発展(はってん)にはマイナス(まいなす)になりそうです。今(いま)はキリスト教(きょう)の断食(だんじき)はなくなったそうです。
食べられない(たべられない)人(ひと)がいることは忘れない(わすれない)ようにしないといけないと おもいます。)
ラマダンは一人(ひとり)じゃなくイスラム教徒(きょうと)全員(ぜんいん)16億人(おくにん)とともに行う
あの世(よ)はすぐよこにある
アッラーは みんなを みていてくれる
アッラーって 神(かみ)さまだったか 調べ(しらべ)てみると↓
―
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1463647559
アラーの神(かみ)に祈り(いのり)をつづけていけば、その慈悲(じひ)によって、善人(ぜんにん)も悪人(あくにん)もともに一切(いっさい)の人間(にんげん)は救済(きゅうさい)されるといいます。
―
↑これは浄土(じょうど)真宗(しんしゅう)にちかいかんがえでしょうか?
http://www.oct.zaq.ne.jp/vows/tanni/tanni05.htm
悪人(あくにん)正機説(しょうきせつ)
―
国家(こっか)や制度(せいど)がなくてもアッラーの下僕(げぼく)たる人間(にんげん)を身体(しんたい)と心(こころ)と魂(たましい)でお互い(おたがい)に結(むす)んでくれる。
―
質問(しつもん)コーナーで
アッラーの神(かみ)さまは 難民(なんみん)の人(ひと)をどうみてあるのかお聞き(おきき)しましたが、明確(めいかく)なお答え(おこたえ)はなかったように思(おも)います。よくわかりませんでした。
―
第二次(だいにじ)世界(せかい)大戦(たいせん)でドイツでユダヤ人の大虐殺(だいぎゃくさつ)があってユダヤ教(きょう)の人(ひと)がへったことや
戦後(せんご)日本人(にほんじん)が仏壇(ぶつだん)に拝まな(おがまな)くなった人がいることなどを思(おも)いました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%94%B0%E6%95%A6
奥田 敦(1960年 - )は日本の法学者。イスラム教徒であり、イスラーム法およびその関連諸領域を専門とする。慶應義塾大学総合政策学部教授、同大学政策・メディア研究科委員、シリア国立アレッポ大学学術交流活動日本センター副所長。中央大学博士(法学)。
奥田先生はシリアに住んであったことがあるようでシリア調べてみました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%82%A2
シリア・アラブ共和国(シリア・アラブきょうわこく、アラビア語: الجمهوريّة العربيّة السّوريّة)、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家。北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面する。首都はダマスカス。 「シリア」という言葉は、国境を持つ国家ではなく、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域(歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州)を指すこともある。
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シリアの難民が増え続けている問題があります。
となりの国、トルコでは1915年ごろ大虐殺がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA%E8%99%90%E6%AE%BA
アルメニア人虐殺(アルメニアじんぎゃくさつ)は、19世紀末から20世紀初頭に、オスマン帝国の少数民族であったアルメニア人の多くが、強制移住、虐殺などにより死亡した事件。ヨーロッパ諸国では、特に第一次世界大戦に起きたものをオスマン帝国政府による計画的で組織的な虐殺と見る意見が大勢である。それによれば、この一連の事件は「アルメニア人ジェノサイド」と呼ばれ、21世紀に至る現代でも、オスマン帝国の主な継承国であるトルコ共和国を非難している。トルコ政府は、その計画性や組織性を認めていない。
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https://www.japanforunhcr.org/lp/4846?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=009_%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%A2&gclid=CJnBtaSFpM0CFVgnvQody4MLRw
http://nafidha.sfc.keio.ac.jp/
動画では 奥田先生は 「どうしてうまくいかないんだろう?」と 思った時 本に「人間は土から作られた」と 書いてあって楽になったそうです。
―
日本人であることと イスラム教徒であることが 両立する
―
生徒
礼拝に参加したいと言ったら、イスラム教徒になってからでしょうと 先生に言われなった
人間にやさしい宗教 無理はさせないところが ありがたい
―
奥田先生
アラビア語は難しい アラビア湖はアッラーと対話できる。
―
https://kotobank.jp/word/%E6%96%8E%E6%88%92-67716
ラマダーン
アラビア Ramaḍān
イスラム暦(太陰暦)の第九月。イスラム教徒の断食が行われる。ラマダン。
▼ラマダーン月のサウム(斎戒)とは
サウムとは、夜明け前から日没まで飲食、争い、性向などを行なわないこと。
▼サウムの効用
1 サウム(斎戒)は人を護る盾になる
2 来世で報われる
3 至福に入る
4 過去に起こした罪を許される
斎戒は人を護る盾のようなものあ。あなたがたの誰でも、斎戒の日になったならば、淫らなことを言ったり喧嘩したりするな。もし誰かがあなたを罵倒するか襲いかかるかしたときは、わたしは斎戒している(インニー・サイム)、と言え・・
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斎戒
さいかい
祭祀を前に心身を清め,禁忌を犯さないようにすること。心のけがれを清めることを斎といい,身のあやまちを禁じることを戒という。精進と同じ。
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さい‐かい【斎戒】
[名](スル)祭りを執り行うなど、神聖な仕事に従う者が、飲食や行動を慎み、心身を清めること。物忌み。潔斎。「斎戒して神事に就く」
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斎戒【さいかい】
祭に参加する者が行う忌(いみ)の一つ。一定期間,心身を清浄にし,禁忌をおかさないようにする。神道では〈いもい〉〈ものいみ〉とも。〈大宝令〉によれば大祀(大嘗(だいじょう)祭のみ)は1ヵ月斎,中祀は3日斎,小祀は1日斎とし,この期間,諸役人は弔喪,問病,食肉,刑殺の判定,罪人の罰,歌舞音曲,穢悪(えお)に触れることを禁じられた。
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大辞林 第三版の解説
さいかい【斎戒】
( 名 ) スル
祭祀さいしなどを行う者が心身を清浄にすること。
―
斎戒
さいかい
祭りに奉仕する者が、心身の清浄を目的として、事前に守り行う状態をさす。飲食や思念、言語、動作などを慎んで、もっぱら心身の清浄に努め、穢(けが)れに触れぬなど諸種の禁忌(さわりあるものとして禁ずること)が伴っている。そのためには、特定の期間、特定の場所で慎みを行うことも多い。祭りにあたって斎戒が必要とされるのは、奉仕者が神との交流を可能ならしめる絶対的な条件と考えられるからである。古語では忌み、物忌みなどといい、また精進(しょうじん)、潔斎(けっさい)、参籠(さんろう)なども同義の語である。古く大宝令(たいほうりょう)の制度では、斎戒に散斎(さんさい)(荒忌(あらいみ)・大忌(おおいみ))と致斎(ちさい)(真忌(まいみ)・小忌(おみ))を設け、祭祀(さいし)の大小によってその期間を定めている。散斎中に喪を弔い、病を問い、宍(しし)を食うことなど6種の禁をあげ、血の穢れなどの穢れにも触れないこととしている。致斎では祭祀に関することのみを行い、そのほかのことはすべて禁止されている。斎戒のもっとも積極的な方法としては禊(みそぎ)がある。禊は水に浴して穢れをすすぎ去ることであり、水の清浄力により聖別された人間になることで、古くから広く行われてきた。現在の神職もまた斎戒を重んじており、祭祀の規模に応じて期間を設け、沐浴(もくよく)して身体を潔(きよ)め、衣服を改め、居室を別にし、別火(べっか)の飲食をとり、動作を正し、不浄に触れないなどに努めている。[土岐昌訓]
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