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2017年02月10日

よしの957光母子殺人事件しけいはんけつの きしゃかいけんのとき本村洋さんは さいこんしていたの!?

よしの957光母子殺人事件しけいはんけつの きしゃかいけんのとき本村洋さんは さいこんしていたの!?
1999年のじけんで 13ねんごの2012ねんに しけいはんけつ かくてい。
本村洋さんは 2009ねんに さいこんしていたって ほんとうでしょうか?
↓の どうがでは いっさい そんなはなしは してありません??
https://matome.naver.jp/odai/2139383575547840801?&page=2
光市母子殺害事件 元少年の死刑確定へ


http://aoamanatu.blog.fc2.com/blog-entry-220.html
本村洋氏の再婚で崩れたヒーロー像
http://minnie111.blog40.fc2.com/blog-entry-3242.html
今日は、「本村洋再婚」というサーチワードでこのブログにアクセスする人が多い。やはり誰もが本村氏が再婚していたという事実にとまどいを感じているのだと思う。私は、1ヶ月前くらいに、このブログの読者の方からのコメントで本村氏が再婚したというニュースを知ったのだが、そのときは半信半疑だった。しかし、実際は、いまから3年前の2009年に再婚していたというではないか。

最愛の妻と生まれたばかりの子供を同時に亡くすという耐え難い体験をした本村氏なので、その分、だれよりも幸せになって欲しいという気持ちはあったが、まさか、こんなに早く再婚しているとは、拍子抜けしてしまった。これまでの彼の言動からすると、生涯を独身ですごし、妻と娘の思い出と暮らす男というイメージがあったからだ。つまり、それは、マスコミによって作られた彼のイメージであって、真の本村さんとは、ずれていたということだろう。

マスコミは、元少年の容疑者の立場を悪く見せるため、元少年をどうしようもない悪者に、そして、本村さんをまるでドラマのヒーローのように扱ってきた。しかし、実際は、ヒーローでもなんでもなく、普通の男だったというわけだ。そして、そんなマスコミが作った本村さんのイメージが、世間や裁判官の同情を呼び、この少年を死刑へと導いてしまったのだ。
ご本人も下の動画でおっしゃられている通り、一人で生きていくのがとてもつらくなって精神的にまいっていたというのはわかるし、彼が再婚して幸せになるのも賛成だ。しかし、それなら、その幸せを自分だけのものにするのではなく、元少年にも分けてあげて欲しい。本村さんに人の心があるのなら、元少年を全否定せず、更生の可能性を信じて、生きて罪を補えるよう、裁判所に今から懇願して欲しい。そうすれば、元少年も死刑は避けられると思う。
これまではおしゃれな眼鏡がチャームポイントだった本村さんはレーシック手術を受けて、眼鏡無用となったようだ。しかし、はっきり言って、彼の目はあまり魅力的とは言えず、個人的には眼鏡をかけた本村さんの方が知的に見えて素敵だと思う。その他、本村さんにはいろいろと驚くような噂がたくさんある。

例えば、今の妻との間にすでに5歳と3歳の子供がいるとか、事件後、高級車を購入したとか、頻繁にソープに通っていたとか・・・・。「カナダからのラブレター」じゃなくて、「天国からのラブレター」という本を出版したり、それが映画化されたそうだから、それらの収入で贅沢しているのであって、まさか、保険金で贅沢しているわけではないだろうし、これらの噂が果たして本当なのかはわからないが、もし、本当だとしたら、本村さんのイメージは完全に失墜してしまう。そして、何よりも彼の本を読んで、又この映画を見て泣いた人たちを幻滅させることになるのではないか。
光市母子殺害事件の遺族・本村さん 再婚相手は7才年上同僚
Newsポストセブン 2012.02.23 16:00

2月20日、光市母子殺害事件の大月孝行被告(30才)の死刑が確定した。惨劇から13年──遺族の本村洋さん(35才)は会見で、こう思いを語った。
「死刑判決が下されたことに大変満足していますが、喜びの感情は一切ありません」
 そんな本村さんは、2年ほど前に再婚して、光市から少し離れたところに新居を構えて新たな生活をスタートさせているという。

「奥さんは7才年上の同じ会社の同僚だそうです。趣味のテニスを通じて仲良くなったそうですよ」(本村さんの知人)
 犯罪被害者学専攻で、本村さんと交流のある常磐大学大学院の諸澤英道教授が祝福の言葉を寄せる。

「本当に長い裁判でした。本村さんは妻と娘を思いながら、つらく苦しい日々と闘ってきました。ぶつけようのない怒り、そして寂しさのなかで、彼の気持ちを理解し、ずっと支えてきたパートナーの存在は実に大きなものだったことでしょう。再婚され、共に生きていく人を見つけられたことを祝福したいと思います」
 殺害された弥生さんと夕夏ちゃんの命日には、再婚した妻とともにふたりの墓前を訪れ、手を合わせるという本村さん。会見の終了間際にこう語った。
「被害者がいつまでも事件のことを引きずって下を向いて生きるんではなく、事件のことを考えながらも前を向いて笑って、自分の人生をしっかりと歩んでいくことが大事だと思います」
 死刑確定翌日、本村さんは本誌の取材に電話で一言だけ答えてくれた。

「昨日の共同会見でお話しさせていただいた通りです。妻の支え? それはもう普通にしてくれているだけですよ」
※女性セブン2012年3月8日号
==================================引用終わり

このブログの管理人、美爾依(みにー)さんは、とてもいい事を書いていらっしゃいます。
その幸せを自分だけのものにするのではなく、元少年にも分けてあげて欲しい。本村さんに人の心があるのなら、元少年を全否定せず、更生の可能性を信じて、生きて罪を補えるよう、裁判所に今から懇願して欲しい。そうすれば、元少年も死刑は避けられると思う。
私も同感です。

ここにも洗脳があるのでしょうか。
マスコミが作り上げた本村氏像はキモチワルイだけです。

私には本村氏はむしろ冷たい印象です。

普通の人間とはこんなものなんでしょうか。
御伽噺の王子様を夢見ているようなオコチャマならともかく、
人生経験を積んだオバチャンたちまでもが、
どうしてその冷たい虚像に涙してしまうのかがわかりません。

現実を見ましょう、現実を見る感覚を鍛えましょう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E5%B8%82%E6%AF%8D%E5%AD%90%E6%AE%BA%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
裁判の経過[編集]
• 1999年(平成11年)6月 - 山口家庭裁判所が、加害者を山口地方検察庁の検察官に送致することを決定。6月11日、山口地検は加害者を山口地方裁判所[注釈 2]に起訴した[2]。
o 12月22日 - 山口地検は死刑を求刑した[2]。
• 2000年(平成12年)3月22日 - 山口地裁は無期懲役の判決を下した[2]。
• 2002年(平成14年)3月14日 - 広島高裁は、検察の控訴を棄却した[3][2]。
o 山口地裁および広島高裁の判決は、いずれも、被告が犯行時18歳1か月で発育途上にあったことや、殺害については計画性がないこと、不十分ながらも反省の情が芽生えていることなどに着目して判決を下した。ただし、広島高裁は更生の可能性について、「更生の可能性が無いわけではない」と曖昧な判断をしていた。
• 2005年 (平成17年)12月6日 - 最高裁判所第三小法廷は上告審弁論の期日を翌年3月14日に指定した[2]。
o 通常、最高裁で口頭弁論が行われる場合は二審の判決が覆る場合が多く、世論の注目を集めた。
• 2006年 (平成18年)3月14日 - 最高裁の弁論で、上告審から主任弁護人となった安田好弘弁護士と足立修一弁護士が欠席した[2]。最高裁はこれまでで初となる「出頭在廷命令」を翌日に発動した[2]。弁論が翌月に遅延したことについて、最高裁からも不誠実な対応であると非難された。
• 6月20日 - 最高裁は広島高裁の判決を破棄し、審理を広島高裁へ差し戻した[4]。最高裁は判決の中で、一審及び二審において酌量すべき事情として述べられた、殺害についての計画性のなさや被告人の反省の情などにつき、消極的な判断をしている。
• 差し戻し審の第1回公判は、2007年(平成19年)5月24日に開かれた。
o 検察側は「高裁の無期懲役判決における『殺害の計画性が認め難い』という点は著しく不当」とした上で、事件の悪質性などから死刑適用を主張。弁護側は「殺意はなく傷害致死にとどまるべき」として死刑回避を主張した。
• 第2回以降の公判は6月26日から3日連続で開かれた。
o 1審の山口地裁以来7年7か月ぶりに行われた被告人質問において被告は殺意、強姦目的を否定した。
o 7月24日から3日連続の公判が行われた。弁護側が申請した精神鑑定人は被告の犯行当時の精神が未成熟だったと証言した。
o 9月18日から3日連続の公判が行われた。被告は1、2審から一転して殺意を否定したことについて「(捜査段階から)認めていたわけではなく、主張が受け入れてもらえなかっただけ」とした。20日の公判では遺族の意見陳述が行われ、改めて極刑を求めた。
o 10月18日に検察側の最終弁論が行われ、改めて死刑を求刑した。
o 12月4日に弁護側の最終弁論が行われ、殺意や乱暴目的はなかったとして傷害致死罪の適用を求めた。この日の公判で結審した。
• 2008年(平成20年)4月22日 - 判決公判が行われ、弁護側主張を全面的に退け死刑回避理由にはあたらないとして死刑判決となった[5]。弁護側は判決を不服として即日上告した。
• 2012年(平成24年)1月23日 - 最高裁判所第一小法廷での上告審弁論が開廷。検察側は死刑適用、弁護側は死刑回避をそれぞれ求めて結審[6]。
• 2012年(平成24年)2月20日 - 最高裁判所第一小法廷で判決公判。差し戻し二審判決を支持して被告人の上告を棄却、死刑判決が確定[7]。犯行当時少年の死刑が確定するのは大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件(1994年発生、2011年判決確定)以来であり、平成の少年事件では市川一家4人殺人事件(1992年発生、2001年判決確定)と連続リンチ殺人事件以来3件目、計5人目となる(これら2件はどちらも罪状に強盗殺人が含まる死者4人の事件なのに対し、単純殺人事件及び死者2人での犯行当時少年の死刑確定は平成の事件では初)。これを受け、毎日新聞を除く全国メディアは実名報道に切り替えた(#実名報道の節を参照)。
• 2012年(平成24年)3月1日 - 判決訂正の申し立てを行っていたが、3月14日付けで申し立てを棄却。死刑が確定判決となった[8]。
• 2012年(平成24年)10月29日 - 確定した死刑判決に重大な誤りがある、として弁護団が広島高裁に再審請求を行い、法医学者や心理学者による鑑定結果などを新証拠として提出[9]。
• 2016年現在、広島拘置所に収監されている。

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