2017年01月11日
よしの824従軍慰安婦問題は過去なのか!?
よしの824従軍慰安婦問題は過去なのか!?
従軍(じゅうぐん)慰安婦(いあんふ)問題(もんだい)は過去(かこ)なのか!?
げんぱつろうどう の さいばんで くには ほうしゃせんそくていきを あずけといって あずけて しごとを するので きろくの すうちが ひくいことを みとめません。
これは いま そんなもんだいが ないのであれば みとめてもいいと おもうのです。
それと おなじで じゅうぐんいあんふもんだいを みとめないのは いまも おなじようなもんだいが あるからということは ないでしょうか?
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http://4ch-matome.com/2015/03/23/000520.html
外国人「日本はなぜ慰安婦問題を認めようとしないの?」【海外の反応】
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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7651427.html
なぜ?日本の従軍慰安婦だけが、問題になるの?
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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10111643130
日本はなぜ従軍慰安婦問題に対して謝罪せず、
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↑これは からゆきさん の もんだいと おなじようなきもします。
―
https://www.youtube.com/watch?v=OPU8dnAT3Q8
KARA ジャンピン (歌詞あり)
―
https://www.youtube.com/watch?v=822cmjGLQWM
銀河鉄道の夜 one night 歌詞付
―
https://www.youtube.com/watch?v=pCuk8nKJQfg
美空雲雀(柔)
https://www.youtube.com/watch?v=qUw5qXmykBI
美空ひばり - 昴(すばる) LIVE (中/日歌詞字幕)
―
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F
従軍慰安婦 ウィキペディア
慰安婦像(いあんふぞう)とは、大韓民国や北米大陸、オーストラリアに設置された朝鮮人慰安婦の少女を模したとされるブロンズ像や石像。韓国では「平和の少女像」などとも呼ばれている。
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概要[編集]
2011年に韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、日本軍『慰安婦』問題解決全国行動(通称「水曜デモ」)通算1000回を記念し、ソウル特別市にある日本国大使館前の歩道上に「平和の少女像」を行政の許可なく設置したのが始まりで、その後、大韓民国はもとより、アメリカ合衆国・カナダ・オーストラリア・中華人民共和国に、次々と慰安婦像が設置されている(私有地を含む)。その数は、2016年中に韓国国内外で50を超えると見られている[1](いわゆる「平和の少女像」以外の慰安婦像も存在する)。
―
2014年1月には、杉並区の松浦芳子区議を代表とする日本の地方議員団がグレンデール市を訪れ、同市長に対し「日本軍が強制的に女性を拉致し慰安婦とした事実はない」「虚偽のプロパガンダのために大きな混乱が生じている」「事実ではない「性奴隷」という言葉を碑に刻み、慰安婦像として残すことは、将来に禍根を残す」といった内容の抗議文を提出した[74]。
2014年2月25日に開かれたグレンデール市議会の公聴会で慰安婦像への支持や提訴(後述)への批判が出たことに対し、ウィーヴァー市長は、慰安婦像が残る見通しを述べ、設置を容認する姿勢を示した[75]。
2014年4月22日、米下院議員アダム・シフ(英語版)(民主党、カリフォルニア州)が慰安婦像を訪問し、「何十万人もの女性が戦時中に性奴隷とされた事実を、日本の中には軽視してきた人々がいる。慰安婦の生存者は何十年も恥や怒りとともに生きてきた」と日本側の対応を批判した[76][77]。また、日系人による訴訟(後述)についても「慰安婦像の撤去を求める訴訟も起きているが、提訴した人たちの意見は日系社会の少数意見」と述べた[78]。
慰安婦少女像の碑文 *日本で虚偽だとされている部分:sex slave(性奴隷)、snatched from her home(自宅から強引に連れ去られる)、more than 200,000(20万人以上)、coerced into sexual slavery(強制的に性奴隷状態にされた)、crimes(犯罪)
“I was a sex slave of Japanese military”
• Torn hair symbolizes the girl being snatched from her home by the Imperial Japanese Army.
• Tight fists represent the girl’s firm resolve for a deliverance of justice.
• Bare and unsetteled feet represent having been abandoned by the cold and unsympathetic world.
• Bird on the girl’s shoulder symbolizes a bond between us and the deceased victims.
• Empty chair symbolizes survivors who are dying of old age without having yet witnessed justice.
• Shadow of the girl is that of and old grandma, symbolizing passage of time spent in silence.
• Butterfly in shadow represents hope that victims may resurrect one day to receive their apology.
Peace Monument
In memory of more than 200,000 Asian and Dutch women who were removed from their homes in Korea, China, Taiwan, Japan, the Philippines, Thailand, Vietnam, Malaysia, East Timor and Indonesia, to be coerced into sexual slavery by the Imperial Armed Forces of Japan between 1932 and 1945.
And in celebration of proclamation of “Comfort Women Day” by the City of Glendale on July 30, 2012, and of passing of House Resolution 121 by the United States Congress on July 30, 2007, urging the Japanese Government to accept historical responsibility for these crimes.
It is our sincere hope that these unconscionable violations of human rights shall never recur.
July 30, 2013
翻訳
「私は日本軍の性奴隷でした」
• 掻き乱された髪は、日本帝国軍によって自宅から強引に連れ去られている少女を象徴しています。
• 握りこぶしは、正義の回復のための堅い決意を表しています。
• 裸足でかかとの着いていない足は、冷たく無理解な世界によってずっと見捨てられていることを表しています。
• 少女の肩に止まった鳥は、私たちと亡くなった犠牲者との絆を象徴しています。
• 空いている椅子は、正義をいまだ証言していない高齢で死を迎えている生存者を象徴しています。
• 少女の影はその少女と年老いたお婆さんで、無言のまま費やされた時間の経過を象徴しています。
• 影の中の蝶は、犠牲者がある日彼らの謝罪を受け取って甦るかもしれないという希望を表現しています。
平和記念碑
1932年から1945年の間に日本帝国軍によって強制的に性的奴隷状態にされた200,000人以上の韓国・中国・台湾・日本・フィリピン・タイ・ベトナム・マレーシア・東チモール・インドネシアの故郷から移送されたアジアとオランダの女性を偲んで。
そして、日本政府がこれらの犯罪の歴史的責任を受け入れることを勧告する、2007年7月30日の合衆国議会による下院決議121号の通過と、2012年7月30日のグランデール市による「慰安婦の日」の宣言を祝して。
この不当な人権侵害が決して繰り返されないことが、私たちの偽らざる願いです。
2013年7月30日
像の制作者[編集]
最初の慰安婦像である日本大使館前の「平和の少女像」を制作したのは、キム・ウンソン(김운성)当時49歳(夫)キム・ソギョン(김서경)当時48歳(妻)の夫婦で、2人は中央大学校彫塑科の84年入学の同期生で、1989年に結婚してからずっと共同制作してきた[6][7]。2人は、親北朝鮮団体に関わり、反米活動を行ってきた。2002年には、議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件で、「米韓同盟を廃棄しよう」「米兵をいじめ続けて追い出そう」というスローガンを掲げて米軍基地にデモした。キム・ウンソンは、2007年に、親北朝鮮団体「民族美術家協会」の事務長として北朝鮮を訪問した。また反米団体「平和と統一を導くサラムドゥル」の記念碑建設の委員にもなっている[8]。2014年には巨済市に夫妻が制作した新しい形の慰安婦像が建てられ、夫妻は慰安婦問題について「日本は従軍慰安婦問題で謝罪しないだけでなく、事実があったことさえ認めない。史実を隠ぺいし、歪曲し続けている」と主張し、「日本政府が心から謝罪し、反省しない限り、いつでもどこでも少女像を作る。違った姿の少女像をいろいろ考えている」と語った[9][10]。
―
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B0%E6%94%BF%E5%BA%9C%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%BB%8A%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E8%BD%A2%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件(ウィジョンブべいぐんそうこうしゃじょしちゅうがくせいれきしじけん)は、2002年6月13日、大韓民国京畿道楊州郡(現:楊州市)で、議政府市の駐韓米軍基地に帰ろうとしていた米第2歩兵師団所属の装甲車M88が、公道で事故を起こして女子中学生2名を轢き殺した事件である。本稿では事件後、韓国で起こった反米運動についても紹介する。
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調査結果[編集]
事故を起こした装甲車と(ほぼ)同じ型のM88A2装甲車。事故を起こした装甲車はM88A2かM88A1なのか確認できていない
6月19日に同師団は韓米合同調査結果を発表した。米軍側は、故意や悪意によるものでなく偶然の悲劇であったことを強調した。一方で事故原因として、装甲車の構造上右方に死角があり、操縦手が学生たちを見つけることができなかったためであるとした。また、カーブを回った際に管制官が約30m前方に学生たちを見つけ操縦手に警告を試みたが、騒音や他の無線交信などにより不可能であったためであると報告している。また、装甲車は低速度でまっすぐ走行しており、急な方向転換が事故の原因だとする遺族の主張を否定した。
しかしこの発表は、遺族らの疑問に応えていなかった。まず死角ができた、あるいは通信障害が起こったということは考えにくいと指摘された。また低速度で走行していたら学生を轢いた時点ですぐに制動装置が作動していたはずだが、実際は学生の頭骨が完全に砕かれており矛盾が生じていた。さらに道路のアスファルト舗装の割れは、装甲車がまっすぐ走行していたという点と矛盾していた。
その後、聞き取り調査の際に示された走行速度の半分の値で発表していたことが明らかになった。6月28日には同師団の広報がラジオを通して「誰も責任を負うに値する過失がなかった」と述べたが、それを非難する世論が拡大した。
―
↓これって ちがいほうけん の ことかなあ?
法的問題へ[編集]
事態が深刻化したため、アメリカ首脳は7月3日、操縦手と管制官を過失致死罪でアメリカ軍事法院に起訴する一方、ラポート在韓米軍司令官が謝罪した。また米軍とは別に韓国側の検察も関与した米軍兵士たちに対して独自調査を開始した。なおこれは遺族たちが6月28日に装甲車の操縦手・管制官と師団長など米軍の責任者6人を業務上過失致死容疑で議政府地方検察庁に告訴して、アメリカ側の裁判権放棄を要請したためである。しかしアメリカ側はこれに応じなかったため、大韓民国法務部は7月10日、史上初めてアメリカ側に裁判権放棄要請書を送付した。しかし8月7日、アメリカ首脳は「米軍としての公務中に起こった事故で、今までアメリカが裁判権を放棄した前例はない」として裁判権放棄の要請を拒否した。
以後11月18日から23日まで、米軍キャンプ内で軍事法廷で開かれ、起訴されていた兵士2人に無罪評決が言い渡された。そして11月27日、謝罪声明を発表して彼らは韓国を去った。
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↑これは おきなわの もんだいと おなじです。
従軍(じゅうぐん)慰安婦(いあんふ)問題(もんだい)は過去(かこ)なのか!?
げんぱつろうどう の さいばんで くには ほうしゃせんそくていきを あずけといって あずけて しごとを するので きろくの すうちが ひくいことを みとめません。
これは いま そんなもんだいが ないのであれば みとめてもいいと おもうのです。
それと おなじで じゅうぐんいあんふもんだいを みとめないのは いまも おなじようなもんだいが あるからということは ないでしょうか?
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http://4ch-matome.com/2015/03/23/000520.html
外国人「日本はなぜ慰安婦問題を認めようとしないの?」【海外の反応】
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https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7651427.html
なぜ?日本の従軍慰安婦だけが、問題になるの?
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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10111643130
日本はなぜ従軍慰安婦問題に対して謝罪せず、
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↑これは からゆきさん の もんだいと おなじようなきもします。
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https://www.youtube.com/watch?v=OPU8dnAT3Q8
KARA ジャンピン (歌詞あり)
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https://www.youtube.com/watch?v=822cmjGLQWM
銀河鉄道の夜 one night 歌詞付
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https://www.youtube.com/watch?v=pCuk8nKJQfg
美空雲雀(柔)
https://www.youtube.com/watch?v=qUw5qXmykBI
美空ひばり - 昴(すばる) LIVE (中/日歌詞字幕)
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E5%83%8F
従軍慰安婦 ウィキペディア
慰安婦像(いあんふぞう)とは、大韓民国や北米大陸、オーストラリアに設置された朝鮮人慰安婦の少女を模したとされるブロンズ像や石像。韓国では「平和の少女像」などとも呼ばれている。
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概要[編集]
2011年に韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)が、日本軍『慰安婦』問題解決全国行動(通称「水曜デモ」)通算1000回を記念し、ソウル特別市にある日本国大使館前の歩道上に「平和の少女像」を行政の許可なく設置したのが始まりで、その後、大韓民国はもとより、アメリカ合衆国・カナダ・オーストラリア・中華人民共和国に、次々と慰安婦像が設置されている(私有地を含む)。その数は、2016年中に韓国国内外で50を超えると見られている[1](いわゆる「平和の少女像」以外の慰安婦像も存在する)。
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2014年1月には、杉並区の松浦芳子区議を代表とする日本の地方議員団がグレンデール市を訪れ、同市長に対し「日本軍が強制的に女性を拉致し慰安婦とした事実はない」「虚偽のプロパガンダのために大きな混乱が生じている」「事実ではない「性奴隷」という言葉を碑に刻み、慰安婦像として残すことは、将来に禍根を残す」といった内容の抗議文を提出した[74]。
2014年2月25日に開かれたグレンデール市議会の公聴会で慰安婦像への支持や提訴(後述)への批判が出たことに対し、ウィーヴァー市長は、慰安婦像が残る見通しを述べ、設置を容認する姿勢を示した[75]。
2014年4月22日、米下院議員アダム・シフ(英語版)(民主党、カリフォルニア州)が慰安婦像を訪問し、「何十万人もの女性が戦時中に性奴隷とされた事実を、日本の中には軽視してきた人々がいる。慰安婦の生存者は何十年も恥や怒りとともに生きてきた」と日本側の対応を批判した[76][77]。また、日系人による訴訟(後述)についても「慰安婦像の撤去を求める訴訟も起きているが、提訴した人たちの意見は日系社会の少数意見」と述べた[78]。
慰安婦少女像の碑文 *日本で虚偽だとされている部分:sex slave(性奴隷)、snatched from her home(自宅から強引に連れ去られる)、more than 200,000(20万人以上)、coerced into sexual slavery(強制的に性奴隷状態にされた)、crimes(犯罪)
“I was a sex slave of Japanese military”
• Torn hair symbolizes the girl being snatched from her home by the Imperial Japanese Army.
• Tight fists represent the girl’s firm resolve for a deliverance of justice.
• Bare and unsetteled feet represent having been abandoned by the cold and unsympathetic world.
• Bird on the girl’s shoulder symbolizes a bond between us and the deceased victims.
• Empty chair symbolizes survivors who are dying of old age without having yet witnessed justice.
• Shadow of the girl is that of and old grandma, symbolizing passage of time spent in silence.
• Butterfly in shadow represents hope that victims may resurrect one day to receive their apology.
Peace Monument
In memory of more than 200,000 Asian and Dutch women who were removed from their homes in Korea, China, Taiwan, Japan, the Philippines, Thailand, Vietnam, Malaysia, East Timor and Indonesia, to be coerced into sexual slavery by the Imperial Armed Forces of Japan between 1932 and 1945.
And in celebration of proclamation of “Comfort Women Day” by the City of Glendale on July 30, 2012, and of passing of House Resolution 121 by the United States Congress on July 30, 2007, urging the Japanese Government to accept historical responsibility for these crimes.
It is our sincere hope that these unconscionable violations of human rights shall never recur.
July 30, 2013
翻訳
「私は日本軍の性奴隷でした」
• 掻き乱された髪は、日本帝国軍によって自宅から強引に連れ去られている少女を象徴しています。
• 握りこぶしは、正義の回復のための堅い決意を表しています。
• 裸足でかかとの着いていない足は、冷たく無理解な世界によってずっと見捨てられていることを表しています。
• 少女の肩に止まった鳥は、私たちと亡くなった犠牲者との絆を象徴しています。
• 空いている椅子は、正義をいまだ証言していない高齢で死を迎えている生存者を象徴しています。
• 少女の影はその少女と年老いたお婆さんで、無言のまま費やされた時間の経過を象徴しています。
• 影の中の蝶は、犠牲者がある日彼らの謝罪を受け取って甦るかもしれないという希望を表現しています。
平和記念碑
1932年から1945年の間に日本帝国軍によって強制的に性的奴隷状態にされた200,000人以上の韓国・中国・台湾・日本・フィリピン・タイ・ベトナム・マレーシア・東チモール・インドネシアの故郷から移送されたアジアとオランダの女性を偲んで。
そして、日本政府がこれらの犯罪の歴史的責任を受け入れることを勧告する、2007年7月30日の合衆国議会による下院決議121号の通過と、2012年7月30日のグランデール市による「慰安婦の日」の宣言を祝して。
この不当な人権侵害が決して繰り返されないことが、私たちの偽らざる願いです。
2013年7月30日
像の制作者[編集]
最初の慰安婦像である日本大使館前の「平和の少女像」を制作したのは、キム・ウンソン(김운성)当時49歳(夫)キム・ソギョン(김서경)当時48歳(妻)の夫婦で、2人は中央大学校彫塑科の84年入学の同期生で、1989年に結婚してからずっと共同制作してきた[6][7]。2人は、親北朝鮮団体に関わり、反米活動を行ってきた。2002年には、議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件で、「米韓同盟を廃棄しよう」「米兵をいじめ続けて追い出そう」というスローガンを掲げて米軍基地にデモした。キム・ウンソンは、2007年に、親北朝鮮団体「民族美術家協会」の事務長として北朝鮮を訪問した。また反米団体「平和と統一を導くサラムドゥル」の記念碑建設の委員にもなっている[8]。2014年には巨済市に夫妻が制作した新しい形の慰安婦像が建てられ、夫妻は慰安婦問題について「日本は従軍慰安婦問題で謝罪しないだけでなく、事実があったことさえ認めない。史実を隠ぺいし、歪曲し続けている」と主張し、「日本政府が心から謝罪し、反省しない限り、いつでもどこでも少女像を作る。違った姿の少女像をいろいろ考えている」と語った[9][10]。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%B0%E6%94%BF%E5%BA%9C%E7%B1%B3%E8%BB%8D%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%BB%8A%E5%A5%B3%E5%AD%90%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E7%94%9F%E8%BD%A2%E6%AD%BB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件(ウィジョンブべいぐんそうこうしゃじょしちゅうがくせいれきしじけん)は、2002年6月13日、大韓民国京畿道楊州郡(現:楊州市)で、議政府市の駐韓米軍基地に帰ろうとしていた米第2歩兵師団所属の装甲車M88が、公道で事故を起こして女子中学生2名を轢き殺した事件である。本稿では事件後、韓国で起こった反米運動についても紹介する。
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調査結果[編集]
事故を起こした装甲車と(ほぼ)同じ型のM88A2装甲車。事故を起こした装甲車はM88A2かM88A1なのか確認できていない
6月19日に同師団は韓米合同調査結果を発表した。米軍側は、故意や悪意によるものでなく偶然の悲劇であったことを強調した。一方で事故原因として、装甲車の構造上右方に死角があり、操縦手が学生たちを見つけることができなかったためであるとした。また、カーブを回った際に管制官が約30m前方に学生たちを見つけ操縦手に警告を試みたが、騒音や他の無線交信などにより不可能であったためであると報告している。また、装甲車は低速度でまっすぐ走行しており、急な方向転換が事故の原因だとする遺族の主張を否定した。
しかしこの発表は、遺族らの疑問に応えていなかった。まず死角ができた、あるいは通信障害が起こったということは考えにくいと指摘された。また低速度で走行していたら学生を轢いた時点ですぐに制動装置が作動していたはずだが、実際は学生の頭骨が完全に砕かれており矛盾が生じていた。さらに道路のアスファルト舗装の割れは、装甲車がまっすぐ走行していたという点と矛盾していた。
その後、聞き取り調査の際に示された走行速度の半分の値で発表していたことが明らかになった。6月28日には同師団の広報がラジオを通して「誰も責任を負うに値する過失がなかった」と述べたが、それを非難する世論が拡大した。
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↓これって ちがいほうけん の ことかなあ?
法的問題へ[編集]
事態が深刻化したため、アメリカ首脳は7月3日、操縦手と管制官を過失致死罪でアメリカ軍事法院に起訴する一方、ラポート在韓米軍司令官が謝罪した。また米軍とは別に韓国側の検察も関与した米軍兵士たちに対して独自調査を開始した。なおこれは遺族たちが6月28日に装甲車の操縦手・管制官と師団長など米軍の責任者6人を業務上過失致死容疑で議政府地方検察庁に告訴して、アメリカ側の裁判権放棄を要請したためである。しかしアメリカ側はこれに応じなかったため、大韓民国法務部は7月10日、史上初めてアメリカ側に裁判権放棄要請書を送付した。しかし8月7日、アメリカ首脳は「米軍としての公務中に起こった事故で、今までアメリカが裁判権を放棄した前例はない」として裁判権放棄の要請を拒否した。
以後11月18日から23日まで、米軍キャンプ内で軍事法廷で開かれ、起訴されていた兵士2人に無罪評決が言い渡された。そして11月27日、謝罪声明を発表して彼らは韓国を去った。
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