2018年06月22日
美化され過ぎた明治維新に今新たな見直しが・・・その1
美化され過ぎた明治維新に今新たな見直しが・・・その1
司馬史観の見直し
戦後の国民作家である司馬遼太郎氏が創り上げた<明治維新の夢>から目を覚ます時を日本人は迎えて居る。
(最も十代・二十代・小生もその夢を事実だと思って居たのだが)
元スタンフォード大学の西悦夫氏が「誰も知ら無い明治維新の真実」と云う講演で明治維新の真実を暴露したり、原田伊織氏の「明治維新の過ち〜日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〜」と云う本が出版され、結構売れて居るのも恐らくそんな時代の大きな変化の現れだ。
そう言えば小栗上野介忠順の甥である蜷川新氏の「維新正観」と云う名著も本年再刊された様だ。知ろうと思えば、本当の事を知る事の出来る環境が整って来たと云う事だろう。未だ一方でNHK大河ドラマ「花燃ゆ」の様な明治維新勝利者側の官製プロパガンダドラマも相変わらず放映されて居るが、間違い無く日本の長い歴史から考えても現在日本は大きな節目を迎えて居ると考えて好い。
私達は平安時代の藤原氏の摂関政治でも150年一寸しか続か無かった事を思い浮かべるべきだ。明治維新以降の現在迄続く藩閥政治も丁度150年でソロソロ幕引きの時を迎えて居る。
明治維新の時はイギリスと、戦後はアメリカと取引して居る訳だが、現在、長州閥の安倍氏が総理をして居るのも何かの因縁だろう。
ここで大切な事は純粋にお金の流れから日本の近代史を見直す事だ。ポイントはヨーロッパが200年に渉る略奪・殺戮を欲しいままにして居た1820年に於いても未だアジアの方が豊かだった事を知る事だ。
1820年に於いて中国・インド・東南アジア・朝鮮・日本から為るアジアの所得は世界の58%を占めて居た。その後、19世紀に於けるヨーロッパの産業革命や20世紀に入ってアメリカの工業化が進む事に依って1950年には、ヨーロッパとイギリスとイギリスの4つの旧植民地(アメリカ・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド)が世界所得の56%を占める一方、アジアのシェアは19%迄に落ち込んだ。
処が、この頃からアジアは成長し始め1992年の段階で39%迄に回復。2025年には57%に達し、200年振りに過つての地位を取り戻す事が予想されて居る。(「アジア経済論」原洋之介編NTT出版、「近代中国の国際的契機」東京大学出版会)
私達日本人は、米国が行った戦後の教育改革に依って東大卒のエリートであっても、国際銀行家とお金の存在がソックリ丸毎抜け落ちて居る近代史しか意図的に教えられて居ないのが現実だ。年表を見れば直ぐ判る様に近代に於ける歴史は戦争が主役である。
そして戦争がどの様に作られるのかと言えば、その原動力はお金であり、そしてそのお金が何処から誰に依ってもたらされたのかと云う金融の仕組みを知る事無しに近代の歴史を本当に理解する事は出来ない。大英帝国を基盤とする国際銀行家のお金が日本に影響を与え始めるのは幕末からである。伊藤博文や坂本龍馬もロスチャイルド一族と繋がって居た人物である事を絶対に私達は忘れては為ら無い。この事は「一外交官の見た明治維新」(アーネスト・サトウ)等の本を行間まで読むとハッキリと浮かび上がって来る。
周知の事だが、明治維新を成し遂げたのは薩摩藩や長州藩それに土佐藩等地方の下級武士であったとされて居る。代表的な人物には、西郷隆盛・大久保利通・木戸孝允(桂小五郎)等が居る。他にも、テレビドラマに再三登場する坂本龍馬等が居る。
彼等の背後に居たのがロスチャイルド一族の使用人のイギリス人のトーマス・グラバーと云う武器商人で、実はこの人物こそが明治維新のキーマンだ。グラバーはイギリスのロスチャイルド一族の貿易会社マセソン商会の社員として中国の上海に来た後日本の長崎に遣って来た。そこでマセソン商会の日本支社であるグラバー商会を立ち上げ、幕末の混乱を利用して薩摩藩や土佐藩等の倒幕側に武器や弾薬その資金まで提供して居る。
そして坂本竜馬もグラバーから約7000丁のライフルを売って貰い、それを薩摩藩名義で長州藩へ横流しする事で薩長同盟を成功させた。詰り、龍馬も幕府を倒したいグラバーの計画通りに動かされて居たと云う事だ。
この様にグラバーがイギリスのロスチャイルド家の為に働く一方で、フランスのロスチャイルド一族は江戸幕府を支援して居た。この様に日本の幕末から明治初期の動乱の間、ロスチャイルド一族は幕府側と倒幕側の両方に武器を提供して大儲けを狙って居た。
詰り、どちらが勝っても彼等が利益を手にし支配権を握る分断統治の仕組みであった。これこそがヨーロッパで彼等が実践し今も尚世界各地で活用して居る常套手段だ。表向きには、イギリスとフランスは日本の支配権争いで対立して居る様に見えて居たが、これがロスチャイルド一族一流の遣り方で、彼等は国を超えて繋がって居る。しかしその事は当時の幕府側も倒幕側も知る由も無かった。
ご存じの様に日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文は若い時(明治維新前)に、長州藩の仲間と一緒にイギリスに留学して居る。そしてイギリスのロスチャイルド家当主やそれに繋がる人達のお世話に為って居る。この若者達は5人居たので「長州ファイブ」と呼ばれたが、イギリス側からは「マセソン・ボーイズ」と呼ばれて居た。それは彼等の世話をして居たのがロスチャイルド一族に仕えグラバーのボスでもあったマセソン商会社長のヒュー・マセソンだったからだ。
伊藤博文を初めとする5人の長州藩の若者は何れも後に明治新政府で要職に就く事に為る。他にも15名の薩摩藩士の若者達がイギリスに留学して居る。これが偶然の筈が無い。彼等は政治家や経営者に為った後に、恩を受けたロスチャイルド一族の要求に沿った制度改革を実行に移して行く事に為るのは当然の事だろう。
この様にイギリス人の存在も含めて明治維新を見直すと、明治維新がロスチャイルド一族とその配下のイギリス人達が、日本の下級武士達に起こさせたテロ・クーデター(倒幕)であった性格を持つ事がハッキリと見えて来る。
この様にして、イギリス勢は下級武士と協力し明治維新と呼ばれる数々の構造改革を行ない日本の近代を間接的にコントロールして行く事に為る。その事が戦争ばかりをする日本近代史に繋がって居る事をソロソロ私達日本人は、気が付くべきだ。
処で、戦後保守論壇を代表する江藤淳氏は、自殺する前に書いた「南洲残影」で【明治維新と云う近代化】に付いて、西郷隆盛に下記の様に語らせてその欺瞞を鋭く指摘して居る。
「それでは何故に『天子』と皇族と政府の輩とが相集うて国を亡ぼそうとして居ると言えるのか。彼等こそは兵力と小銃大砲と弾薬と軍資と糧食と運輸機関と軍艦と通信電線との力に依ってこの国を西洋に変えようとして居る者達である。
黒船を撃ち攘(はら)い国を守る事こそ維新回天の大業の目的だったではないか。然るに今や「天子」と皇族と政府の「姦謀」は、自らの手でこの日本の津々浦々に黒船を導き入れ国土を売り渡そうとして居るではないか。西郷はそれが赦せ無い、しかるが故に立ったのだと」(58ページ)
そして、妻に先立たれた江藤淳氏は西郷隆盛の様に欧米主導の日本近代史の真実に気が付き、日本の近代に絶望して自裁したのであったと思われる。
叉「明治維新」と言う言葉は、昭和に為ってから2・26事件、5・15事件等に見られるファシズム運動に依って一般化した言葉で幕末の御一新の時には全く使われて居なかったものである事も私達現代人は理解して置く必要がある。
維新と言う言葉は水戸学の藤田幽谷が生み出した言葉で攘夷と云う言葉も彼の造語だ。一番大きなポイントは、薩摩・長州の倒幕をした下級武士には討幕後の体制の展望が何も無かった事。全て、その後始末をしたのが幕府の老中の阿部正弘等が育てた能吏達であった事も大きな声で語られ無い日本の近代史だ。
それでは「明治維新の過ち〜日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト〜」原田伊織著には何が書かれて居るのか。以下、簡単に紹介する。
敗戦後の占領を自覚しなかった日本人
原田氏が生まれた年に米軍の占領が始まり、小学校に上がる前年日本は独立を回復する。処が日本人自身に、自国が外国に占領されて居たと云う自覚が殆ど無いと著者は指摘して居る。叉日本が歩いた敗戦に至る過ちを「総括」する事も無かった。只単純に、昨日迄は軍国主義、今日からは民主主義と囃し立て軸を大きくブラしたに過ぎ無かったと。
そして明治維新の時も同じだったと著者は主張して居る。それ迄の時代を全否定し、只管(ひたすら)欧化主義に没頭した。没頭した挙句、吉田松陰の主張した対外政策を忠実に従って大陸進出に乗り出して行ったのだと云う。日本に近代化をもたらしたとされる「明治維新」と称するものを一度も総括する事が無く、只極端から極端へとブレる事を繰り返しただけなのだと著者は言っている。
私達が知って居る明治維新は官軍の創作に過ぎ無い
歴史と云うものは勝者が作り上げるものであり、そこには多かれ少なかれ嘘や捏造が紛れ込んで居ると云う考え方がある。しかもその多くが薩長政権による創作であるとしたら如何だろう。NHKの大河ドラマ「花燃ゆ」が描く様な吉田松陰や門下生による幕末・明治維新は本当に存在したのだろうか。
松陰や門下生の活躍を描いた司馬遼太郎「世に棲む日々」を読むと、吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作達が遣った事は、現在で云うならテロである。異国船での密航・英国公使の暗殺未遂・英国公使官の焼き討ち・幕府老中の暗殺計画等は間違い無くテロである。司馬遼太郎はそれ等を「革命」と云う言葉で誤魔化して居るが、果たしてそれは正しい歴史認識なのだろうか?
官軍教育が教える明治維新とは
原田氏は先ず、薩長政権が作り上げた「明治維新」とは何かを提示する。長く鎖国が続き封建体制のまま停滞して居た日本を、欧米の列強による植民地化から防ぎ大い為る近代化をもたらした革命。その立役者が薩長土肥の下級武士を中心とした「志士」達だった。長州の桂小五郎・吉田松陰・久坂玄瑞・高杉晋作・山県有朋・伊藤博文・井上馨・薩摩の西郷隆盛・大久保利通・土佐の坂本龍馬・板垣退助・後藤象二郎・肥前の大隈重信・江藤新平等である。
彼等は幕府や佐幕派の勢力の弾圧に屈せず「戊辰戦争」に勝利して討幕を成し遂げ、日本は要約近代化への道を進み今日の繁栄がある。それが、著者が教えられた「官軍の歴史」だ。しかも学校での教育だけでは無く、エンターティンメントの分野でも「新撰組等悪の勢力と戦い勤皇の志士を助ける正義の味方の鞍馬天狗」等の作品が偽りの「明治維新」を国民に刷り込んで行った。
「竜馬がゆく」を書いた司馬遼太郎にもその責任の一端はあると云う。著者は、この「官軍による明治維新」をほぼ全て否定して居る。そして勝者では無い側の視点から幕末史をもう一度見つめ直そうとして居る。
テロリスト集団、長州藩
原田氏が先ず注目するのは薩長土肥の勤皇の志士の人物像である。彼等は、今で云うなら「暗殺者集団」詰りテロリストであると著者は云う。我が国の初代総理大臣は「暗殺者集団」の構成員だった。叉維新の精神的支柱と言われた吉田松陰が、事ある毎にどれだけ暗殺を主張したか・・・著者は、本書で多くのページを費やして長州そして薩摩のテロリスト振りを紹介して居る。
高杉晋作による英国公使の暗殺未遂や英国公館の焼き討ち、久坂玄瑞等による京での残虐なテロの数々・そして天皇の拉致・御所への砲撃も辞さ無かった長州のクーデター計画。幕府を挑発する為に、江戸に於いて火付け強盗・強姦・殺人等暴力の限りを尽くした薩摩の赤報隊。「大政奉還」や「王政復古」を巡る薩長勢力と幕府や佐幕派の熾烈な暗闘・そこで薩長が仕組んだ天をも恐れぬ策略の数々・・・そして著者は、テロリスト達の元凶とも言える吉田松陰の実像に迫って行く。
吉田松陰像の嘘
長州の志士達の中でも最も嘘で固められて居るのが吉田松陰であると著者は云う。松陰は、乱暴者が多い長州人の中でも特に過激な若者に過ぎず、言わば地方都市の悪ガキであると著者は決め着けて居る。松陰が開いたとされる松下村塾は、実は松陰の叔父の玉木文之進が開いたもの。松陰が神格化されるのは維新後暫く経ってから、自らの出自を権威付けたかった山県有朋の手に依ってだ。
松陰の思想と云うのも稚拙なもので、北海道の開拓・北方の占拠・琉球の日本領化・朝鮮の属国化・満州・台湾・フィリッピンの領有等を主張して居る。奇妙な事に、長州閥が支配する帝国陸軍を中心とした勢力は、松陰が主張した通りにアジアを侵略しその挙句日本を敗戦に導いて行く。
松陰の思想のルーツは水戸学
原田氏は、更に松陰や長州の志士達を駆り立てた思想のルーツは「水戸学」にあると指摘する。吉田松陰は、水戸学の中心人物である藤田東湖を崇拝したと云う。著者によると、
「水戸学は学問と言える様な代物では無く、空虚な観念論を積み重ね、それに反する生身の人間の史実を否定し、己の気分を高揚させて自己満足に浸る為だけの檄文£度のものと考えて差し支え無い。
この気分に依って水戸藩自身が四分五裂し、幕末には互いに粛清を繰り返すと云う悲惨な状況に陥った」
と云う。水戸で生まれた浅薄な狂気の思想が長州を狂気に駆り立て幕府を滅ぼし、その後も水戸藩縁の人物達に依って日本ファシズム運動として受け継がれて行く。この流れが昭和初期に5.15事件や2.26事件を惹き起こし、日本を大東亜戦争へと導いて行く。
この水戸学を生み出した張本人が2代目藩主である水戸光圀(水戸黄門)と9代目の徳川斉昭であると著者は云う。水戸の攘夷論の特徴は「誇大妄想・自己陶酔・論理性の欠如」に尽きると著者は云う。大言壮語して居る内に自己陶酔に陥って行く。この傾向は長州軍閥にそのまま継承され、昭和陸軍が結局軍事と云う最も論理性を求められる領域で論理性を放棄し、自己陶酔と膨張本能だけで中国戦線を拡大して行った事に繋がって行ったと云う。
以上
<原田伊織氏は昭和21年京都伏見生まれで、幼少時代を近江・佐和山・彦根で過ごし、司馬遼太郎と同じ大阪外国語大学を卒業、広告・編集の世界に。マーケティングプランナー、コピーライター、クリエイティブ・ディレクター、として活動している>
その2につづく
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