2018年06月21日
司馬史観とは? 司馬遼太郎の「張り扇史観」その4(最終)
司馬史観とは? 司馬遼太郎の「張り扇史観」その4(最終)
司馬遼太郎の「張り扇史観」その4(最終)
明治の俊才達を賛美する司馬遼太郎は、彼等が如何なる土壌から生まれて来たか考察する。彼によれば、それは江戸時代の精神的遺産からだと云う。
(司馬) 子規は、極普通の人であった。明治期には子規の様な一種の人生の達人と言った感じの風韻(ふういん)の持ち主は、どの町内にも村にも有り触れて存在して居た様に思われる。
江戸期が残した精神遺産が子規の時代位まで継続して居たと言えるかも知れず、ひるがえって言えば日露戦争期の明治と云うのはそう云うものの上に成立して居る。
正岡子規が「人生の達人」であったかどうかは議論の分かれる処だが、昭和をもたらしたのが明治だった様に、明治をもたらしたのが江戸時代だった事に疑いは無い。だが、それを「江戸時代の精神的遺産」だとして、問題を精神面に限定してしまう処に司馬遼太郎の限界がある。
明治政府が江戸時代から継承したのは五公五民の高額年貢制度であり、農民を支配対象としか見無い治者意識だった。幕藩時代の諸藩は、農民から収量の半分を年貢として取り立て、明治に為って藩が消滅してからは、地主がこれを引き継いで50%近い高額小作料を取り立てた。明治以後、農村が消費市場として成長し無かったのは政府が農業問題に積極的に取り組ま無かった為である。
明治維新のリーダー達も農民を支配対象としてしか見て居なかった。彼等が、如何に農民を軽視して居たかは西郷隆盛の行動を見れば分かる。情愛の人だった西郷は、時代から取り残された弱者に同情の目を注いだとされて居るけれども、彼が同情したのは維新に依って失業した武士達だった。
彼の征韓論は少数の旧武士の為のもので、彼が国民の大多数を占める農民の為に何か建設的な提案をしたと云う話を聞いた事は無い。「敬天愛人」の「人」とは身内の武士を意識したものに他なら無かった。西南の役では、その武士主体の西郷軍が農民主体の政府軍に敗れたのだから皮肉である。
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司馬遼太郎は唯物史観や貧農史観に対する反発からか、唯「心理」史観と云うべきものに傾斜してしまう。
日露戦争に際して圧倒的に優勢なロシア軍が敗れた原因を、彼は指揮官の心理や性格に帰して居る。司馬遼太郎は、ロシア軍の基本戦略が日本軍を満州奥地に引き込む事にあったと認めて居ながら、クロパトキン総司令官が戦略的後退を続けたのは精神病的な心理によると説明する。
クロパトキンには、恐怖体質に基づく完全主義があり、自軍の体制が完璧に整わ無い内は決戦に出る事を避けたと云うのである。
日本海海戦に敗北したロシア艦隊司令官も、自分だけが天才で他の者は全て愚人だと考える自己肥大的性格の所有者だったとして居る。その為水兵でさえ知って居る軍隊統率の初歩を実行し無かったと云うのだ。
ここは、矢張りロシアの社会体制を掘り下げて原因を追及すべきだったと思う。ロシアでは貴族で無いと将校に為れず、従って兵士の間に戦艦ポチョムキンの反乱に見られる様な気分が横溢(おういつ)して居た。この辺は明治維新によって四民平等の体制を打ち出して居た日本の軍隊とは違って居たのだ。
「坂の上の雲」には、日露戦争の様相が生き生きと描かれ類書には無い充実した内容に為って居る。何しろ司馬遼太郎はこの作品の為に10年を掛けたのである。戦争の流れを掴む為に、彼は自分を戦争当事者の立場に身を置いた。
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(司馬) 満州に於ける陸軍の作戦は、最初から自分で遣ってみた。満州への軍隊輸送から戦場におけるその展開、そして一つ一つの作戦の価値を決める事を自分一人の中で作業してみるのである。
戦術的規模より戦略的規模で見る様にした為、師団以上の高級司令部の動きや能力を通じて、時間の推移や事態或いはその軍隊運用の成否を見て行こうとした。
彼は日露戦争を追体験するに当たって、専ら指揮官の立場に自分を置いたのが間違いだった。この為彼は心理主義的偏向に陥ってしまったのだ。司馬遼太郎は、指揮官とそれを取り巻く小状況だけに目を遣り社会経済的背景と云う大状況を検討する労を惜しんだ。
それは彼が当代屈指の流行作家だったからでもある。殺到する原稿依頼に応える為には近景に目を遣るだけで精一杯で遠景を顧みる余裕は無かったのだろう。彼の文章を読んで居て気に為る癖がある。「・・・の奇妙さは」「・・・の不思議さは」「・・・の面白さは」と言う様な叙述法である。「坂の上の雲」にもこの叙法が頻出する。
(司馬)「明治海軍の面白さは、山本権兵衛が一大佐か少将の身で大改革を遣り得たと云う事である」
「西郷従道の不思議さは、海軍に付いて何も知ら無いこの人物が明治18年伊藤内閣で初めて海軍大臣を遣ったのを皮切りに、明治26年に就任し更に松方、伊藤、大隈の三内閣と続いて海軍大臣を遣った事である」
だが、こんな事は面白くも無いし不思議でも無い。藩閥政府が人材不足の宿命を負って居たと云うだけの話なのだ。彼がこう云う叙法を多用したのも、そして又歴史の分岐点に為る様な事件をスター的英雄の個性や知略に還元して描いたのも文筆稼業が繁盛し過ぎて沈思黙考する時間が無かった為と思われる。
「坂の上の雲」を通読した処では、司馬遼太郎の史観は講釈師が張り扇を叩きながら天下国家を論じるのと大差が無い様な気がする。
彼は一つ一つの作品をもっと時間を掛けて書くべきだったのだ。そして息抜きに「梟の城」の様な忍者物を作って居れば好かった。だが、彼は新幹線で突っ走る様な超多忙な作家生活を送り、沿線の細部を見落とす大味な歴史小説を書いてしまった。そして自身の寿命まで縮めてしまったのである。
おわり
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有難う御座いました・・・明治維新以来の日本の膨張主義的対外侵略体質をこの様に分析されたのは実に納得が行きます。そして、日露戦争の原因として、日露両国が遅れた近代国家であった事・・・共に皇帝・天皇を頭に頂く帝政国家であり貧しい農民が主体な国民であり、工業生産の未熟な貧しさが海外への覇権に陥った原因だとするのは的確な指摘だと思います。
私も、戦後GHQの政策の中の「農地解放」は実に的を得た民主的な政策であり戦後経済発展の為には不可欠なものだと考えて居ました。地主から田畑を耕す小作人を開放する・・・まるで革命です。勿論、地主には色々な保障政策を執ったでありましょうが、旧来の思想的な支配被支配の関係を一新したものと考えて好いでしよう。
確かに売れっ子作家として大阪に住みながら、彼は一つの時代を象徴する国民的作家としてこの世を去りました。幕末ものの作品には、維新の英雄だけで無く敗者の新選組を取り上げても居ます。その内容の本質までは問いませんが、司馬史観と呼ばれる彼独特の思想があるのでしよう。
司馬史観=薩長史観とも言われますが、何事も全てを鵜呑みにせずこの記事の様な批評も時には必要だと感じました。好く「歴史上の尊敬する人は?」「断然坂本龍馬!」とする人を見ますが、それは、司馬氏の描いた坂本龍馬であり実像とは別の人格です。この様に作品が独り歩きする程の影響を与えるのも偉大な作家と言えるのでしょう。
が、歴史を学ぶのが現在・未来の為の勉強だとするのなら少し厄介な事に為ります。奥行きを深く広く持って多方面な見方が必要な歴史の解析は、一人の思い込みや心情を少しでも薄める事から始めなくては、今でも「吉田松陰や教育勅語を尊敬する」何処かの総理大臣の様な人を量産する結果に為ってしまう。この恐ろしさに気づいて欲しいものです・・・以上
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