2018年05月17日
明治維新 関連その2 坂本龍馬を暗殺したのは?
明治維新 関連その2
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坂本龍馬の暗殺に迫る!犯人は、幕府・京都見回り組の佐々木只三郎か?
歴史作家・山村竜也氏 から引用しました・・・
明治維新 関連その2
坂本龍馬(高知県立民俗歴史資料館蔵)
坂本龍馬は誰に暗殺されたのか?
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幕末の英雄・坂本龍馬は、慶応3年(1867)11月15日に京都の近江屋で何者かに暗殺されました。犯人は、幕府方の京都見廻組の今井信郎等と判明して居ますが、幾つかの問題点があり、その為犯人は他に居るのではないかとも考えられて居ます。
確かに、京都見廻組よりも龍馬を殺害する強い動機を持って居たり、その死によって得をした様な者達が複数存在します。名を挙げれば、新選組・薩摩藩・土佐藩・紀州藩・・・彼等の内の誰が犯人であっても不思議では無い状況にあったのです。
一体真犯人は誰だったのでしょうか。実は、冷静に考えれば、犯人の特定はそれ程難しい事ではありません。私は次の様に考えました。
今井信郎(個人蔵)
京都見廻組説の問題点
京都見廻組説の問題点とは、次に挙げる二点です。
一つ目は、見廻組が龍馬を殺害する動機が弱いと云う事。見廻組は、幕府方の警察隊であり倒幕派の志士である龍馬を敵視するのは当然の事でした。しかし、龍馬が献策した大政奉還が10月15日に為り政権は平和裏に徳川から朝廷に移譲されて居るのです。そんな、徳川家の温存の為に尽くした龍馬を、倒幕派の者だからと言って何故今殺害しなければ為ら無いのか。これは理解し難い事と言わざるをえません。
そして問題点の二つめは、龍馬暗殺当夜の状況から観て、犯人が龍馬の捕縛を想定せず、最初から殺害だけを目的として居たと云う事。
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捕縛する積りがある為らば、手勢を20乃至30人程用意して龍馬の潜伏先である近江屋を取り囲む筈です。処が実際には7人程の少人数で一気に屋内に踏み込み、龍馬及び同席して居た中岡慎太郎を斬殺し現場から立ち去って居ます。
これは、幕府方の公式な警察隊である見廻組の遣り方とは到底考えられません。見廻組ならば、先ず捕縛を第一に考え、相手が抵抗した場合には武力を持って制すると云う手順を踏む筈だからです。
これ等二つの問題点がある事が、見廻組犯人説がほぼ確実であるにも関わらず真犯人が他に居るのでは無いかとの疑念を呼んで居る理由なのです。
龍馬が暗殺された近江屋跡地(京都市)
龍馬暗殺の動機は何か?
そこで、二つの問題点を何とか解消する事が出来無いものかと私は考えました。それさえ出来れば、犯人は見廻組と確定する事に繋がるのですから、有効なアプローチ方法と言えるでしょう。
先ずは一つ目の動機の問題。これに付いては、犯人グループの一人である事を自白した見廻組の今井信郎が、明治政府の刑部省口書(供述書)でこう語っています。
「土州藩坂本龍馬儀不審の筋これあり、先年伏見に於いて捕縛の節、短筒を放し捕り手の内伏見奉行所同心二人打ち倒し、その機に乗じ逃げ去り候処、当節河原町三条下る町土州邸向い町屋に旅宿まかりあり候に着き、この度は取り逃がさざる様捕縛致すべく、万一手に余り候えば討ち取り候よう御差図これあり・・・」
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龍馬の罪状は、慶応2年(1866)正月23日に伏見の船宿寺田屋に伏見奉行所の捕方が向かった際、龍馬がピストルで二人を撃って逃亡した事にあると云うのです。ここで注目したいのは、大政奉還を龍馬が推進して居た点には一切振れていない事。
勿論取り調べの場での事ですから、知って居る事の全てを自供したとは限りませんが、大政奉還の件は特に伏せるべきものでもありません。それを言って居ないのは、今井にそう云う認識が無かったのであろう事を物語って居ます。
考えてみれば、確かに大政奉還は龍馬が土佐藩参政の後藤象二郎に授けた策ですが、その事実を知って居るのは倒幕派の中でも極限られた人々です。幕府方の者は寧ろ知る由もありません。従って、見廻組が龍馬を殺害しようとした動機は、龍馬が寺田屋で奉行所同心2名を撃って逃亡した、所謂「お尋ね者」であった事に集約されるのです。
奉行所同心、詰り警察官を射殺されたのですから同じ警察組織である見廻組としては許す事の出来無い凶悪犯に思えた事でしょう。
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寺田屋の一件があった慶応2年正月から2年近くも経った時期に龍馬が暗殺された事に付いて、月日が経ち過ぎて居るとの指摘もありますが、その間、殆ど龍馬は西国で活動して居り、京都に戻って居たのは慶応3年6月から7月に掛けての約1カ月間だけ。
後は京都に居なかったのですから、龍馬を討とうとしても討ち様が無い状況にあったのです。これ等の事から、見廻組が龍馬を暗殺したとすれば、動機は大政奉還とは無関係で飽く迄も寺田屋で伏見奉行所同心2名を殺害した事への報復だった。そう決定付ける事が出来るでしょう。
薩長同盟が締結して間も無く、龍馬が長府藩士・三吉慎蔵と共に襲撃を受けた寺田屋(京都市)
龍馬暗殺の鍵を握る佐々木只三郎
次に二つ目の、最初から暗殺を目的としていたのは何故かと云う問題です。龍馬襲撃が見廻組の公式な任務だったとしたら、捕縛を考えずに殺害すると云うのは有り得無い事は前述しました。為らば何故彼等は龍馬を少人数で襲い殺害したのか。その問題点を解決する鍵に為るのは、当夜、龍馬襲撃を指揮して居たとされる佐々木只三郎の存在です。
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佐々木は、見廻組の「与頭」を務める大幹部で「見廻役」「見廻役並」に次ぐ隊内ナンバースリーの実力者でした。
実は見廻組の長官である見廻役は創設以来、蒔田相模守が務めて居ましたが慶応3年6月に辞職して後任の小笠原河内守に交替して居ました。この小笠原は、前任の蒔田とは違って余り任務に積極的ではありませんでした。結局、病気を理由に就任から僅か半年後の12月に辞職してしまった様な人物です。
一方、佐々木は入隊以来着実に実績を積み重ね、慶応元年(1865)12月に与頭に昇進しました。そんな隊内を統率する立場に昇り詰め、張り切って居た処に出食わしたのが翌月に起こった寺田屋襲撃事件でした。倒幕派の坂本龍馬と云う土佐浪士が伏見奉行所の同心を2名射殺して逃亡した・・・。この事は、徳川幕府を倒幕派から守ろうと決意を新たにして居た佐々木に取って衝撃的な出来事であったのは想像に難くありません。
事件以来、龍馬の名は倒幕派の中でも特に凶悪な者として佐々木の胸に刻み込まれた事でしょう。前述した様に龍馬はその後、殆ど京都に現れる事が無かったのですが、慶応3年11月に為って再び舞い戻って居るとの情報を佐々木は掴みました。
前月には大政奉還が行われ、それが龍馬の献策によるものとは知ら無くても、龍馬ら倒幕派の所為で幕府は政権を失う事に為ってしまった。そんな憎き龍馬が今手の届く場所に居ると知れば、佐々木に殺意が芽生えたであろう事は十分に考えられるでしょう。
だから佐々木は、見廻組の公式な任務では無く、龍馬を殺害する事を唯一の目的として近江屋に向かった。その為上司の小笠原やもう一人の上司である見廻役並の岩田織部正にも告げずに、少人数の隊士だけを連れて密かに暗殺を決行したと思われるのです。
勿論独断専行は組織にあっては問題に為りますが、当時の佐々木は実質的には小笠原や岩田を凌ぐ程の権力を持って居ました。見廻組内では、誰も佐々木の行動を制する事は出来ない状況にあったのです。
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最初から暗殺が目的だった
龍馬襲撃は公務では無く、佐々木が独断で行った暗殺行為だった・・・そう考えて最早間違い無いでしょう。この事により、彼等が最初から暗殺だけを考えて行動して居た理由が判り、見廻組説が抱えて居た二つ目の問題点も解消されるのです。
暗殺部隊のメンバーは、今井信郎によれば渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂隼之助が実行犯・今井・佐々木・土肥仲蔵・桜井大三郎が見張り役であったと言い、もう一人の証言者である見廻組の渡辺一郎(篤)によれば佐々木・渡辺・今井・世良敏郎が実行犯、他に二名の見張り役が居たとされて居ます。
どちらが事実を語っているのかは難しい処ですが、今井の証言は自分以外の者が全員鳥羽伏見の戦いの戦死者であると云う処に不自然さが感じられます。その点で、渡辺の証言の方に信憑性があると考えて好いでしょう。
犯人は、京都見廻組の佐々木只三郎・渡辺一郎・今井信郎・世良敏郎の4人だったに違いありません。彼等の内の誰か、若しくは複数の者が龍馬に向けて凶刃を振り下ろした。これが、見廻組説の問題点を解消した事により導き出された、龍馬暗殺の真実なのです。
以上
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現在まで事ある毎に取り上げられた犯人探しですが、一向に結論は出て無いようです。ここではハッキリと名指しで挙げられています。私も納得できる内容だと感じましたが、皆様は如何でしょうか?
昨今、坂本龍馬氏が余りにも有名に為ってしまい何度も取り上げられましたので、多くの方々が色々と推測・推理されています。意外に思うのが、薩摩や長州の所謂龍馬の仲間と思われる維新派を挙げたり、新選組の名も挙げられている等、謎が謎を呼んでいました。
当時は、意外に日常的に殺人・テロが頻繁に起こって居り、人命への軽重が低かった感じがします。一寸気に食わないと「天誅!」と切り着けるのが好くある風潮の様でした。そんな時代に一人の男(中岡と二人?)が殺されてもどれだけ真剣に調べが行われたのか疑問ですが、それなりの取り調べた書類が残っている様で、明治に為っても取り調べが続いて居た様です。
維新の時代には、まだまだ多くの人が知らない事がある様です・・・今後も謎を追って行きます・・・
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