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2019年03月05日

北朝鮮と戦前の日本 戦艦大和の建造は核弾道弾の開発に匹敵か?



 

 非常に面白い対談記事を拝聞しましたので、皆様にご紹介したいと思います。



 北朝鮮の核開発は「戦艦大和」建造に似ている?



   


 

 戦前の日本を思うと、北朝鮮への経済制裁強化は不安だ!



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   三田 紀房 ( 漫画家) 氏と 山本 一生 ( 近代史家)氏の対談



 2017/09/05 5:00 戦前の日本を考える時「対北朝鮮」経済制裁の不安とは?(撮影:梅谷秀司)


  




 日本人は何故あの戦争を止められ無かったのか?あの戦争に一体どれだけのカネがつぎ込まれたのか?


 太平洋戦争に突入する前夜の日本「戦艦大和」の建造計画を阻止する為に山本五十六が海軍に招じ入れた若き天才数学者・櫂直を主人公にしたマンガ『アルキメデスの大戦』の作者・三田紀房さん。
 山本五十六をダマして「水からガソリンを製造する」実証実験を霞が関の海軍省で行った詐欺師・本多維富を歴史の闇から発掘した歴史ノンフィクション『水を石油に変える人山本五十六、不覚の一瞬』の著者、山本一生さん。2017年8月、2人の異色対談が実現した。架空の天才と希代の詐欺師が照らし出す戦前昭和を覗くと、現代の日本、そして北朝鮮問題が見えて来る・・・


 「英霊」を気にすると、戦争は簡単には辞められ無い

 ・・・お2人にお聞きします。何故日本は太平洋戦争へと突入してしまったのでしょう。あの愚かな戦争は止められ無かったのでしょうか?

 三田紀房 戦争と云うものは全て愚かなもので、愚かで無い戦争はありません。それでも敢えて「愚かな戦争」と云うのは、2度と戦争をしない為の戒めとして、修辞が重なっても戦争は愚かなものと言わなければなら無いと思っています。
 太平洋戦争はアメリカとの対立が開戦原因と思っている方が多いかも知れませんが、当時の日本に取っては、太平洋戦争とは日中戦争に勝利する為の戦争なんです。日本は1937(昭和12)年から中国と泥沼の戦いを続けていました。
 この戦いの根源は、日清・日露戦争にまで遡ります。当時、大陸の玄関口で日本の目と鼻の先にある朝鮮半島は最重要衝(ようしょう)なので、日本は、ここに清国やロシア帝国が影響力を及ぼすのは絶対に避けたい事態と考えられて居ました。日清戦争で朝鮮半島を勢力下に置くと、次は朝鮮半島の防衛には満州が重要と為り日露戦争が行われる。そして満州を得ると満州防衛には中国が重要と為る・・・もう切りが無い。朝鮮半島と満州迄は世界列強各国も、日本の進出に未だ目を瞑っていましたが中国と為ると話は別です。
 1930(昭和5)年、中国の総人口は4億5279万人と云われています。日本は6470万人で、アメリカは1億2363万人です。市場規模で考えた場合中国に勝るものは存在しません。イギリスは3億5237万人の人口を持つインドを植民地として支配し、排他的なブロック経済で利益を独り占めした上、1842年の南京条約で香港を永久割譲され対中国貿易で巨万の利を得ていました。米国も1898年の米西戦争でフィリピンを得て、中国への進出準備を着々と整えていました。
 一方、日本も世界恐慌から立ち直る為には大陸進出が必須と叫ばれる。しかも、ここで後ろに下がると、これ迄大陸で戦死した“英霊”に申し訳が立た無い。「戦友の骨が埋まっている」と退くに退け無く為る。血を流して勝ち取った土地を手放すことは国民が許さ無い。新聞やラジオは発行部数・聴取率アップのみの視点から反米感情を煽(あお)りに煽る。陸海軍は莫大な予算を得て置きながら今さら戦えませんとは口が裂けても言え無い。あの戦争は起こるべくして起こったと私は思います。



 




 「戦争を止められた人」はいたか?



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 三田 紀房(みた のりふさ) 漫画家。1958年生まれ、岩手県北上市出身。明治大学政治経済学部卒業。代表作に『ドラゴン桜』『インベスターZ』『エンゼルバンク』『クロカン』『砂の栄冠』など。
『ドラゴン桜』で2005年第29回講談社漫画賞(一般部門)、平成17年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞。『砂の栄冠』は平成27年度文化庁メディア芸術祭の審査委員会推薦作品に選出された。現在、『ヤングマガジン』(講談社)にて『アルキメデスの大戦』を連載中(撮影:梅谷 秀司)


 山本一生(以下、山本)日本が何故戦争へと突入したのかについての最新の研究を読むと、止められそうな人は沢山居た様です。それでも止められ無かった。不思議ですね。内大臣だった木戸幸一は戦後、矢張り、アレしか無かったと語っていて、無責任な様に聞こえますが、実は当時の状況を的確に表現した重い言葉ではないかと私は思っています。

 三田 止められる人が居るべきなのに止められ無かったと云うのは、現代の日本で大企業でも全く同じことが起きています、最近なら東芝がそう。全社を挙げて原子力事業に邁進し、ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー(WEC)を54億ドル(約6370億円)で買収し、世界3大原子力製造メーカーと為る。
 しかし2011(平成23)年、東日本大震災が起きて原子力発電所の安全神話が崩壊、全世界で原子炉需要が落ち込み、業績が悪化して、巨額損失を抱え経営危機に立たされる。WEC買収の時、社内で警鐘を鳴らす者が誰か居なかったのか。誰も疑問を呈すること無く突き進んだ結果、負債が拡大して行き、気づいた時にはもう引き返せ無い。引くに引け無い。
 ギャンブル中毒者と同じですよ。負けたら借金して又ギャンブル。こんなに負けたら一発大穴で取り返さなきゃって。こう為ると、もうダメ。冷静な判断など期待出来ない。



 




 山本 確かに、東芝にはもう反対する人が居なくなっていたんでしょうね。反対意見を述べる者は段々と排除されて行き、最終的には止める人が居ない。イエスマンだけで構成されると組織は危なく為って行く。で、これだけ犠牲を払ったんだから、こんなに巨費を投じたんだから、と云って暴走が止まら無く為る。
 人造石油もそうです。「石炭からガソリン」にここ迄国費を投入したんだから後に引け無く為る。「水からガソリン」はタダ(笑)でしたけど。それで、戦争したら案の定石油が無く為って、最後は松の根から油を抽出する松根油に国民を動員する「松からガソリン」ですから。実は私、この人なら太平洋戦争を止めることが出来たかも、と考えることがあります。



 




 三田 ホウ!それは、それは誰ですか? 
 山本 近衛文麿です。
 三田 エー!?近衛文麿は3度に渉って総理大臣を務めており、日中戦争と太平洋戦争へと傾斜して行く日本の国策のキーマンですよね。
 1937(昭和12)年の第1次近衛内閣時に日中戦争が勃発し、翌1938年正月に「爾後國民政府ヲ對手トセズ」の有名な声明を発表し日中講和は絶望的と為りました。この事から戦前の首相中で近衛文麿は東条英機に次いで評判が悪いですよね。



 近衛文麿がやったこと、やらなかったこと


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 山本 一生(やまもと いっしょう) 1948年生まれ。東京大学文学部国史学科卒。石油精製会社勤務の傍ら競馬の歴史や血統に関するエッセーを発表。1997年にフリーに為ると近代史に転じ、恩師である伊藤隆東大名誉教授の下で『有馬頼寧日記』の編集に加わり、その後は「日記読み」として戦間期の日記を基に時代を読み解く作業を行っている。
『恋と伯爵と大正デモクラシー:有馬頼寧日記1919』(日本経済新聞出版社)で第56回日本エッセイスト・クラブ賞受賞(撮影:梅谷 秀司)



 山本 1940(昭和15)年に第2次近衛内閣の時に日独伊三国軍事同盟を締結、北部仏印(フランス領インドシナ:ベトナム)への進駐が行われ日米対決は不可避の状況に陥ります。 
三田 この仏印(ふついん)進駐(しんちゅう)は、連合国の中国支援路、所謂援蔣(えんしょう)ルートを断って中国の戦争継続能力を奪うことが目的ですね。 
山本 翌1941年、第3次近衛内閣(改造内閣)が誕生します。そして南部仏印進駐が行われ、これに対しアメリカは対日石油全面輸出禁止と云う究極の経済制裁で対抗します。 
三田 戦後、太平洋戦争で米海軍作戦部長を務めたハロルド・スターク海軍大将は、こう語っています。
 「石油禁輸の後は、日本は何処かへ進出して石油を取得する他無かったのであり、自分が日本人だったとしてもそうしたであろう」と。
 今迄のお話からすると、近衛文麿が太平洋戦争の原因を作ったとは言えても、これを防ぐこと等は到底不可能のように思えますが……。



  




 山本 「天皇の大権」として明治憲法に記された「統帥権」を軍部が振り回して大陸での戦争を勝手に拡大します。近衛さんに同情する訳ではありませんが、閣僚人事でも陸海軍の顔色を伺うばかりで、総理大臣は軍事に関与出来ない状況にありました。
 第1次近衛内閣発足の1カ月後に盧溝橋事件が起きて支那事変が始まりますが、近衛はハナから蚊帳の外に置かれて戦線は一方的に拡大して行きます。近衛は「唯、空漠たる声望だけあって力の無い自分の様な者が何時までも時局を担当すると云う事は、甚だ困難なことでございます」「どうも、まるで自分の様な者はまるでマネキンガールみた様なもので、(軍部から)何も知らされ無いで引っ張って行かれるんでございますから、どうも困ったもんで、誠に申し訳無い次第でございます」と天皇に申し開きしています。


 三田 山本五十六と共に「海軍省左派トリオ」と称された対米英協調派の井上成美(なるみ)海軍大将(トリオのもう一人は敗戦時の海相を務めた米内光政(よないみつまさ)海軍大将)は近衛をこう評しています。「近衛と云う人は、一寸遣ってみて行け無く為れば直ぐ自分は拗(す)ねて引っ込んでしまう。相手と相手を嚙み合せて置いて自分の責任を回避する。三国同盟の問題でも対米開戦の問題でも、海軍にNOと言わせさえすれば自分は楽で責めは全て海軍に押し付けられると考えていた。開戦の責任問題で人が常に挙げるのは東條の名であり、無論それには違いは無いが、順を追うてこれを見て行けば、其処に到る種を播いたのは皆近衛公であった」と。


 「決められるリーダー」が戦争を始める?



 




 山本 三田さんがおっしゃる様に何かと評判の悪い近衛ですが「直ぐ自分はすねて引っ込んでしまう」実はここがポイントです。
 家柄も好いし見栄えが好くて当時の国民から圧倒的に人気があった近衛は、実は「決められ無い」リーダーだった。第3次近衛内閣が総辞職するのは1941(昭和16)年10月18日、そして東条英機内閣が組閣され太平洋戦争に突入するのですが、もし近衛文麿が政権を投げ出さすグズグズすねて首相をして居たら、徒に時間を浪費して、結果、日本が望みを託していたナチス・ドイツが独ソ戦で苦戦を強いられているとの情報が伝わり、対米開戦は不可能との結論に達したかも知れ無い。史実は、能吏の東条がテキパキことを進めて開戦に至るのですが。
 12月5日の対米開戦の3日前、ナチス・ドイツはモスクワの23キロメートルまで迫りましたが、そこから赤軍の大反撃が始まります。ナチス・ドイツが英国本土上陸、次いでソ連邦首都モスクワ攻略の両方に失敗します。
 ドイツに参戦しても大戦の見通しは暗い、ここは臥薪嘗胆(がしんしょうたん)すべき時・・・と為れば、対米開戦は避けられたかも。しばしば「決められる政治」と云うことが云われますが、時には「決められ無い政治」が有効な場合もあると云う事でしょう。

 

 




 三田 ウーン、どうでしょう。米国務長官コーデル・ハルが突き付けたハルノート(1941年11月26日アメリカ提案)を見るとそれも難しい様な気がします。
 戦って得た中国利権の放棄・三国同盟等外交関係の破棄など、平和主義者で日米開戦回避に全力を傾けた時の外務大臣・東郷茂徳もハルノートを見て「これは日本への自殺の要求に等しい」「目が眩(くら)むばかりの衝撃に打たれた」と心境を吐露しています。
 日中戦争で南京攻略後の講和交渉で日本側が過大な要求を突き付けた時、蔣介石は日記にこう記しています。「日本側の提出した条件は我が国を征服し滅亡させるに等しい。屈服して滅ぶより闘って滅ぶ方がマシである」西洋人は負けると判った時降伏しますが、東洋人はそれでも戦う道を選ぶ気がします。だから太平洋戦争も戦った。


 三田 開戦直前の8月28日、陸海軍及び民間から若手エリートを選抜して開設された内閣総理大臣直属の研究機関・総力戦研究所で対米戦の第1回総力戦机上演習(シミュレーション)が行われました。
 ここでは、極秘であった真珠湾作戦とアメリカの原子爆弾投下以外、敗戦直前のソ連邦参戦までホボ史実と同じ展開の末、日本必敗に至るとの結果が導き出されています。
 これを見学し終えた東条英機は「実際の戰争と云ふものは、君達が考へているやうな物では無いのであります。戰といふものは、計畫通りに行かない。意外裡な事が勝利に繫がつて行く」と称して飽くまで開戦の決意を変え無かった。「窮鼠猫を嚙む」の故事もあるように追い詰められたら弱者も強者に反撃する。アメリカもまさか日本が本当に戦争して来るとは思ってなかったでしょう。



  




 北朝鮮と戦前の日本は似ている


 山本 これは昔の日本の話だけじゃ無い。今現在の北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)にも云える話だと思うんです。石油を止めると云うのは殆ど戦争行為に等しい。先程の三田さんではありませんが、余り北朝鮮を追い詰め無い方が好い様な。
 三田:今の北朝鮮は戦前の日本と似ているかも知れませんね。戦前、戦艦は今で云う核兵器と同じ扱いで、国際条約で各国毎の保有数と大きさ(排水量)が定められ、均衡による平和が保たれていた。そう考えると、北朝鮮の核兵器・大陸間弾道弾は、72年の時を経て蘇って来た北朝鮮版の戦艦「大和」と「武蔵」なのかも知れない。
 
 山本 なるほど。

 三田 戦争は莫大な浪費に過ぎません。おカネをドブに捨てる様なものです。太平洋戦争で陸軍が使用した軍事費総額は1133億9000万円、海軍は732億8400万円と云う巨費に達しています。戦艦「大和」の建造費1億4000万円処ではありません。
 そしてアメリカが第2次世界大戦に費やした総額は、米国議会調査局資料で3600億ドル、米国防省資料には3410億ドルと記されています。これを1941年当時の円ドル為替レートで計算すると、1兆5336億円と1兆4526億6000万円と為る。詰まりアメリカは日本の8.21倍(3410億ドルの場合、7.78倍)もの莫大な金額を投じたことになります。
 米国議会調査局資料が作成された2002年の物価で換算した場合、3600億ドルは4兆7100億ドルと為ります。この年のドル円為替レートは平均125.3円。詰まり現代の日本円に換算した場合590兆1630億円と云う天文学的な金額です。更に第2次世界大戦でアメリカは30万人もの戦死者を出しています。日本の戦死者は軍民合わせて200万人とも300万人とも言われています。戦争に真の勝者など存在しない。唯、犠牲者のみが残る。そんな気がしてなりません。


(構成:後藤一信)


  






 【管理人のひとこと】


 戦争を憎む・・・戦争で不幸になった人々は日本の過去に、嫌、世界人類の過去に数知れず存在した。戦争=人類の歴史と云って過言では無い。何故人類は戦争から逃れられ無いのだろうか?
 そして、戦争の本質を身をもって知るのは敗北した時だけでは無く、勝利した時でもその真実に対面する。勝利しても決して幸福は得られ無いことも知る。更に、勝利を続けることは不可能であり、幾ら大国・強国と云えども敗北を知ることもあるのが戦争の歴史だ。
 超大国のアメリカと云えども過去には多くの敗北もある。例えば、朝鮮戦争やベトナム戦争では、莫大な経費を湯水のごとく消費し人間を投入して戦い続けたが、結局勝利は得られ無かった。幾ら相手が弱小の小国でも、その国の全部の国民を相手に戦うのは不可能なのだ。場面場面の戦局では勝利を得られても、終局の勝利には結びつかないことも多い。

 戦争の原因で勝敗が決まる訳でも無く、正義不正義の善悪でも無い。かと云って経済力・国力の差だけでも無いし、精神力(モチベーション)の強い弱いの差でも無い。全て面での総合力の運とでも呼ぼうか、歴史の流れとでも呼ぶべきか・・・
 しかし、人類は戦争の理不尽さを何度経験しても懲りない生き物なのだ。民族を守る為・我が宗教の為・国土を守る為・悪い相手を懲罰する為・・・と、何らかの理屈をこねて戦いを始める。現在、世界を相手にテロ自爆を続けるイスラム戦士達も、世界からの差別と偏見を排除する為に自らの生命を紙屑のごとくに捨て去る。聖戦(ジハード)と呼び、此処で死ぬのが神様の元に近づける道だと信じ・・・

 我が国でもつい数十年前には「身を捨ててお国の為に・・・」と自爆して命を絶った若者が数多く存在した。イスラム戦士の自爆と我が国のそれとを区別するのは難しい。あくまでも命令では無く志願して亡くなったと説明するが、傍(はた)から見るとその区別は出来ない一種の集団催眠の様なものだろう。親や兄弟が他から白い目で見られぬ様、郷土の尊厳を守ろうと死を覚悟せざるを得なかった。不幸な時代だったその当時は、今のイスラム戦士や北朝鮮の戦士達と何ら変わら無い環境だったのだ。
 最早、その時代へ逆戻りはしないだろうが「戦争はダメだ」と何時でも心に唱えて居なければ、心にスキが出来ると息を吹き返すのが戦争の実態でもある。

 米朝関係の直ぐ近くにこの危険な誘惑が待ち構えている。そして、人気があり実行力の強い指導者が一番近くに存在するのが常だ。人気無く実行力の無い指導者に戦争は出来ない。そんな不人気でグズグズの指導者が、実は偉大な指導者であることを多くの人は知らない。大声で威張り散らし尊大な指導者を好むのが弱い国民なのだ・・・残念だが本当で、国民は臆病な指導者を選択すべきなのだが・・・



  



  



 



 



 


 
 

 
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