2018年09月23日
一緒に学ぼう世界史のポイント 91 《露土戦争その他》
世界史講義録より
一緒に学ぼう世界史のポイント 91 《露土戦争その他》
楽しいアクアリウムの世界
露土戦争その他
ヨーロッパ諸国
主要国以外の19世紀後半の様子を簡単に確認して置きます。
・オランダ・ベルギー ここは、ヨーロッパでも先進地域。立憲君主国として工業が発展します。
・スペイン・ポルトガル 商工業ブルジョアジーが弱く大地主による政治支配が続いている。
・スウェーデン 19世紀初めに憲法を制定し責任内閣制度が確立。
・ノルウェー ウィーン会議後スウェーデン領に為って居る。1905年に国民投票で独立します。
・デンマーク 1864年のデンマーク戦争でシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方をドイツに捕られてから農業牧畜による経済建設を進める。
・フィンランド 1809年以降ロシアの支配下 1917年に独立。
・スイス 1848年に民主的連邦制憲法を制定。
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関係地図
露土戦争
露土戦争(1877−1878)
オスマン帝国の弱体化については以前にも触れました。ヨーロッパで起きていた政治や経済の変化を取り入れる事が出来無かったのが衰退の大きな原因です。
オスマン帝国のヨーロッパ部分の領土がバルカン半島。オスマン帝国の弱体化に併せてこのバルカン半島でスラブ人による民族運動が活発化して行きます。これをパン=スラブ主義という。スラブ人の大国であるロシアが、このパン=スラブ主義の運動を後押ししてオスマン帝国内のスラブ人の独立運動を支援するのですね。これは南下政策です。ロシアの友好国ないしは同盟国を作る事によって南方に勢力を拡大しようと云う事です。
サラエボ事件とは?
具体的に1875年には、ボスニア・ヘルツェゴヴィナでオスマン帝国の支配に対して反乱が起こりブルガリアでも独立運動が起こります。当然これはオスマン帝国によって弾圧されましたが、バックに居るロシアとオスマン帝国の対立は又激しく為った。こういう流れの中で、又もやロシアとオスマン帝国の戦争が起こります。
1877年から78年までの露土戦争です。オスマン帝国内のスラブ人救済を名目にロシアが宣戦して始まった。戦争が長引いてクリミア戦争の時の様にイギリスやフランスが介入して来ない様にロシアは戦いを有利に進めると急いで休戦条約を結んだ。休戦条約をサン=ステファノ条約と云う。
サン=ステファノ条約
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この条約でロシアは大ブルガリア国の独立をオスマン帝国に認めさせました。これは、ロシアの南下政策に取っては画期的な成果でした。何故か。大ブルガリア国の領土を確認して欲しいのですが、現在のブルガリアよりも可成り大きい。そして一番のポイントは、何処を領土に含んでいるかなんです。
大ブルガリア国は、黒海海岸を領土に持つと同時に地中海岸にも領土あるのです。これは、どう云う事かと云うと、大ブルガリアの地中海岸の港にロシアの軍艦を浮かべれば、ボスフォラス海峡とダーダネルス海峡を通過し無くても地中海で軍事行動が採れる。
クリミア戦争後、両海峡は軍艦の通航が禁止されているからロシアに取ってこれは画期的だった。大ブルガリアはロシアのお陰で独立出来た訳だから完全なロシアの同盟国です。ロシアの要求を断る筈が無いので、ブルガリアの港がロシアの軍港として利用されるのは確実だったのです。
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この条約の中味を知って文句を着けて来たのがイギリスとオーストリアです。イギリスは、東地中海地域を勢力圏にしたいのでロシアの南下政策を止めたい。オーストリアはバルカン半島に領土的野心を持っていたので、大ブルガリア国の成立によってロシアの勢力が拡大するのを防ぎたかったのです。
両国は、サン=ステファノ条約に反対してロシアと対立しました。いよいよ、ロシアとイギリス・オーストリア連合の戦争が始まるかと言う位に緊張が高まりました。開戦前夜の状況に為って登場して来たのがドイツです。ドイツの宰相ビスマルクがこの対立の仲裁を買って出ます。
ベルリン会議 (1878年)
実は、当時ビスマルクは海外に植民地を持とうとかドイツの勢力圏を拡大しようと云う事は、全然考えていなかった。ビスマルクに取っては、ドイツの内政整備が最重要課題でした。ドイツ帝国成立以来まだ日が浅い。建国以来10年も経っていませんから国内問題に専念したい。専念する為には平和が欲しかったのです。
ドイツが戦争をしなくても国境を接する他国が戦争を始めれば、当然その影響がドイツにも及びます。国内政治に専念する為の条件として、ビスマルクは「ヨーロッパの安定」を何よりも望んで居まいした。ロシアもオーストリアもドイツの隣国ですからこの両国が戦火を交えるのは絶対に阻止したかった。
ビスマルクは「誠実な仲介者」として、戦争回避の為の会議を呼びかけた。各国にとっても戦争をせずに問題を解決出来るのならそれにこしたことはない。ビスマルクに領土的野心が無い事は皆知っているから呼びかけに応じて会議が開かれます。1878年のベルリン会議です。会議の結果結ばれたのがベルリン会議 (1878年)で中味は以下のとおり。
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ベルリン条約
・ブルガリアは領土を縮小して、オスマン帝国内の自治国とする。地図で確認すると、大ブルガリア国との違いが直ぐ判り要するに地中海岸の領土を削った。ロシアの南下政策が阻止された訳です。しかし、それだけではロシアは損するだけで面目丸潰れ。これでは「誠実な仲介者」に為らないので、ブルガリア以外にもスラブ人の国家の独立を承認した。
新たに独立を認められたのがセルビアとモンテネグロでスラブ系ではありませんがルーマニアも独立を承認された。スラブ系国家ばかりが独立すると益々バルカン半島にロシアの影響力が大きく為る。
・これではオーストリアが不満を持つので、オーストリアと国境を接するオスマン帝国の二つの地域ボスニア・ヘルツェゴヴィナの統治権をオーストリアに与えた。
・そして、イギリスはキプロス島を獲得。キプロス島は、シリア・パレスティナ・エジプト方面に睨みを利かせる絶好の場所にありますね。
以上が、ベルリン条約の中味です。オスマン帝国は、自分の領土を勝手に捕られたり独立させられたりして居るのですが、この会議には呼んでも貰えなかった。もう、遣られっ放しで文句も言え無い弱体振りです。
参考図書紹介・・・・もう少し詳しく知りたい時は
世界の歴史(22)近代ヨーロッパの情熱と苦悩 谷川稔 他 著 結構広い時代をカバーしていますが、ウィーン体制以後のヨーロッパ全体の流れを掴むには適している。
露土戦争その他 おわり 次のページへ 《ラテンアメリカの独立》
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