2018年08月21日
一緒に学ぼう世界史のポイント 39 《イスラム教の成立》
一緒に学ぼう世界史のポイント 39 《イスラム教の成立》
イスラム教の成立
世界中が2000年?
2000年になりもう既に18年経ちました。好く人類は滅亡せずに2018年を迎えたナア、と云うのが私の素直な感想ですね。私の高校時代は1970年代です。2018年なんかは遠い将来の話で、現実にそんな年が来るなんて考えられ無かった。皆が58歳の自分を想像出来無い様なものだ。
小学生の頃「小学〇何年生」と云う雑誌を取っていて、付録に予言者の色々な予言が載っていたのを覚えているのですが、1979年に宇宙人が攻めて来て宇宙大戦争が起こるとか、笑ってしまうような予言とか色々載っていた。「嘘つけ!」と思って手帳に確りメモしたりした。中学に為るとノストラダムスの大予言という本が大ベストセラーになった。誰の家に遊びに行っても「ノストラダムスの大予言」とピンカラトリオの「女の操」はあったな。
「1999年7の月、恐怖の大魔王が空から降って来る」何て30年前に言われたら、何と無くそんな気にも生ったりする。放射能からダイオキシン、オゾン層破壊による紫外線、恐怖の大魔王は沢山あるからね。ノストラダムスが当たら無いにしても、21世紀まで人類は生き延びるんだろうかと考えていた人は案外多いと思う。
2000年1月7日の朝日新聞の夕刊に面白い記事があったので紹介します。「今日は何日?」と云う題です。2000年というのは西暦です。世界には西暦以外の暦が沢山ある。1月7日は、イスラム暦では1420年9月30日、ユダヤ暦では5760年4月29日、エチオピア暦では1992年4月28日、仏暦では2642年10月白分1日、新月から満月までを白分、満月から後を黒分として一ヶ月を二分割するらしい。これらは宗教に関わる暦です。例えばユダヤ暦の5760年というのは、神様が天地創造した日を紀元にしている。
夫々の国の歴史的出来事を紀元にする暦もある。インド国定暦では1921年10月17日、台湾では民国89年ですし、日本では平成12年、と云う訳だ。暦というのはそれを使う人の属する文化や夫々の価値観を知らず知らずに反映しているのですね。
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その中で西暦はキリスト教の暦なのですが、現在では最も宗教を意識せず世界中で通用する暦だと云う事です。サテ、イスラム暦ですが、宗教暦の中では一番根拠がハッキリしているものです。世界宗教の中で一番新しい宗教だから事情も好くわかって居る。今回からイスラムに関する歴史を勉強して行きます。
イスラム教は日本人には馴染みが薄いですが、世界ではドンドンイスラム教の信者は増えています。アラビア地方の宗教と考えたら間違いですよ。世界最大のイスラム教国は何処か知っていますか。インドネシアですね。東南アジアのこの国がイスラム教徒の人口が一番多い。
アメリカでもイスラム教徒が増えている。NHKで遣って居ましたがニューヨークのタクシー運転手の多くがイスラム教徒です。差別の無い清潔な宗教として、キリスト教から改宗する人が多いんですって。この宗教の歴史を確り理解して置くことは21世紀を生きる君達にとって大事なことだと思います。
ムハンマドの登場
今は世界中に広がっているイスラムですが、生まれたのは7世紀のアラビア半島です。当時のアラビア半島の人々はどんな暮らしをしていたのか。アラビア半島の住民はアラブ人が大多数です。セム語系の人たちです。当時彼等は国家を造っていません。民族としても全然まとまっていません。部族単位の暮らしをしていた。暮らし方も多様でした。ラクダの遊牧民、小規模農業、隊商貿易などです。アラビア半島の西側、紅海に面した方ですが、ここはインド洋と地中海を結ぶ交易ルートに為っていて隊商貿易の商人達が都市を造っていた。
宗教は多神教でした。土着の神様を夫々信仰して居た様です。又、ユダヤ教やキリスト教も商人によって伝えられていた。
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このアラビア半島にメッカという町がある。隊商貿易で栄えていた町で住民も商人が多い。この町で生まれたムハンマド(570?〜632)がイスラム教を創るのです。ムハンマドは、マホメットと云う呼び方の方が有名ですが、ムハンマドで覚えてください。
ムハンマドの父親はメッカの商人でしたが、ムハンマドが生まれる前に旅先で死んでしまう。母ひとり子ひとりですが、母親も6歳の時に死んでしまって、ムハンマドはお祖父さんの元に引き取られます。そのお祖父さんも8歳の時に死んで、今度は叔父さんの元に引き取られる。要するにムハンマドは孤児で、親戚の間をたらい回しにされると云う幼年時代を送ったのですね。
叔父さんも隊商貿易に従事する商人で、ムハンマドは幼い時から叔父さんのキャラバンに着いて行った。雑用をしていたんでしょう。そのまま成長してムハンマド自身も隊商貿易の商人と為りました。
メッカに、かなりの財産を持ったハディージャという女性がいた。未亡人のハディージャはお金を出して商人に隊商貿易をさせて儲けていたんですが、或る時、ムハンマドが彼女に雇われて隊商貿易を取り仕切った。ムハンマドの仕事ぶりを気に入ったんだろう。この後、ハディージャはムハンマドに求婚しました。
逆玉です。財産の無いムハンマドには美味しい話だ。処が一つ問題があった。年齢です。この時ムハンマドは25歳。ハディージャは40歳。常識的に考えてバランス悪いです。もし、このシチュエーションで結婚したら財産目当てだと思われる。ムハンマドは非常に普通の発想をする人だから、財産目当てなどと他の商人達に思われたくは無いし、逆に自分を婿にして只働きさせる積りじゃあないかと疑う訳です。
そこで、人を介してハディージャの真意を尋ねた。結局、ムハンマドはハディージャが真剣に自分を愛しているということを確信して結婚します。二人の間には子供は産まれたけど、男の子は皆死んでしまう。跡取りの男の子を造る為に何人も妻を持っても好いんですが、ムハンマドはそう云う事はしない。ハディージャが死ぬまで他の妻を迎えなかった。仲の良い夫婦として過ごして居た様です。
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イスラム教の成立
結婚後のムハンマドはメッカの商人の旦那として不自由の無い生活を送るようになった。その後は何事もなく日々は過ぎてムハンマドは40歳になった。ムハンマドは趣味があった。瞑想です。メッカの近郊にヒラー山という山がある。暇があるとムハンマドはヒラー山に登り何日も洞窟に籠って瞑想をするのです。
或る日のこと、何時もの様にムハンマドが山のなかで瞑想をしていると、行き成り異変が起こった。金縛りにあったように身体が締め付けられてブルブル震えて来たんです。そして、目の前に大天使ガブリエルが現れてムハンマドに向かって「誦(よ)め!」と迫った。
ムハンマドは、今自分に起こっていることがなんなのかわからない。恐怖で一杯で「誦めません!」と抵抗した。
「誦(よ)む」と訳しているのですが、この「誦む」と云う字は「声に出して読むこと」なのです。朗々と歌うように読むことをいう。大天使ガブリエルというのは、ムハンマドが後後になってそう解釈したもので、その時点ではなんだかわかりません。
とにかく、訳の分からない魔人のようなのが「誦め!」という。その手には文字を書いた何かを持っていたんだろう。ムハンマドは字が読め無かったらしい。だから「誦めません!」というのですが、そうすると、大天使ガブリエルはさらにムハンマドの身体をグイグイ締め付けて「誦め、誦め!」と責める。
苦しさの余りに、口を開いて声を出したら誦めた。すると、自分を締め付けていたわけのわからない力が、スッと抜けてガブリエルも消えてムハンマドはもとの状態に戻ったのです。
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ムハンマドは、慌てて山から降りてハディージャの待つ我が家に帰った。兎に角怖かったのです。当時、砂漠にはジンと呼ばれる悪霊がいると信じられていた。砂漠で道に迷って死んだりする商人がいると、ジンに取り付かれたんだと言われていた。そこで、ムハンマドは自分にもその悪霊が取り付いたんだと考えたんだね。
ムハンマドは、この体験をはじめは誰にもしゃべらない。自分の胸にそっと仕舞って置く。しゃべって変に思われるのを怖れたんじゃないかと思う。処が、それ以後何回も同じような体験をするんですね。到頭、ムハンマドはハディージャに打ち明けた。
これこれ、こんな風に悪霊に取り付かれて、俺は気が変になっているんじゃないだろうか、とね。ハディージャは「大丈夫よ、あなたは変じゃないわ」と言って慰めた。
それ以後もムハンマドに何かがとりつくと云う事はしばしば起きるのね。その時に聞こえて来る声を、ムハンマドはハディージャに伝えるようになる。ハディージャも、ムハンマドの身に起こっていることが何なのかだんだん気になってきます。
心配になったハディージャは、物知りの従弟に相談するんですが、この従弟はアラブ人には珍しいキリスト教徒だったのです。(一神教に詳しかっただけで、キリスト教徒ではなかったと云う説もあります)
相談を受けた従弟は「ムハンマドみたいな声を聞いた奴は、昔から何人もいたんだよ」と答えた。「例えば、アブラハムだろ、ノア、モーゼ、イエス、預言者といわれた人たちは皆同じような経験をしたんだ」とね。アブラハムというのは旧約聖書に出て来る有名な人物です。ハディージャは「そうか!」と安心して、その話をムハンマドにする。ムハンマドもその話を聞いて胸にストンと落ちるものがあったんだろうね。自分が陥っている事態をそういうものとして受け入れた。
そういうものというのは、詰まり、自分に聞こえているのは神の声で、自分は神の声を授かるもの「預言者」であると云う事です。
で、神はムハンマドに何を言っているかというと「神は自分だけである」「過つて、イエスに言葉を与えたけれど、その後の人類はイエスの言葉を間違って解釈していて神の教えが歪められている」「だから、お前ムハンマドに自分の言葉を託すから人々を教え導け」こんな事を神はずっとムハンマドに伝えていた。これが悪霊の仕業でなく、本当に神の声だと確信したんだからムハンマドは布教しなければならないのですよ。それが預言者というもんです。
処が、ムハンマドという人は滅茶苦茶に普通の人なんですよ。いきなり、神の声を聞け!なんて言っても、皆信じてくれないよな、変人扱いされるのが関の山だよな、布教活動なんて恥ずかしいなって思った。
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だから、イエスやシッダールタみたいにいきなり街角で辻説法なんて出来ません。どうしたかと云うと、自分の身内から布教を始めた。身内なら、こいつ可笑しいんちゃうか?と思っても、いきなり邪険にはしませんからね。
で、最初にムハンマドが布教したのが奥さんのハディージャ。ハディージャは愛する夫の言うことだから黙って信者になりました。信者第一号です。後、親戚連中を訪問して布教します。従弟連中や叔父さんたち。入信して呉れる人もあれば、馬鹿にする人もいた。この布教の初期の頃のムハンマドの行動を見ていると、この人は本当に普通の常識的な人だったんだなあと思いますね。
処で、信者になった人たちの入信の理由ですが、ムハンマドは他人の前でもしばしば神がかり状態になった。そうなると、顔面蒼白になって身体がブルブル震えて見るからに異常になる。で、その口から神の言葉が出て来るんですが、神の言葉は詩になっているの。キチンと韻がふんであって、誦むと云うのにふさわしく、朗々と歌うように神の言葉が出てきた。
ムハンマドは詩の才能は全くない、これは周囲の皆が知っている。アラビアでは詩のコンテストがあった位に、詩人というのは尊敬されていた。そういう、天才詩人が作る様な言葉で神の言葉が語られるのです。ムハンマドには才能はないのだから、やはりこれは神がムハンマドの身体を借りて話しているんだ、と見ている人は思ったそうです。
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さて、親戚連中に対する布教が終わると、今度は他人にも布教せざるを得なくなる。要約メッカの商人仲間にも布教を始めるんです。仲間のなかには親切に忠告して来る人もいる。「お前、馬鹿なことは辞めて置け。商人として一応の地位を築いてきたのに信用を失うぞ」とね。
はじめは、親切心からムハンマドに布教を思い留まる様に言っていたメッカの商人たちですが、ムハンマドから見れば、神の声を信じない不届きものですから、彼等の忠告を無視せざるを得ない。自分の布教を邪魔するものとして対立して行きます。また、いつの時代でも新興宗教というのは胡散臭い目で見られるものです。メッカの有力者、商人たちのムハンマドに対する態度は忠告から弾圧へと変化して来る。それに対して臆病だったムハンマドも、戦闘的に為っていきます。メッカで弾圧を受けていた頃のムハンマドの言葉です。というか神がムハンマドに伝えた言葉です。
「悪口、中傷をなす者に災いあれ。彼等は財を蓄えてはそれを数えているばかり。財が人を不滅にするとまで考える。必ずや地獄の炎に焼かれるであろう」「お前は最後の審判など嘘っぱちだなどと云う輩をみたか。連中は孤児を手荒に扱い貧しい者に糧食を与えようとはしない。災いあれ・・・」
蓄財に走る商人や貧しいものを救おうとしない金持ちに対して、呪いの言葉を投げつけているでしょ。ムハンマドは、未亡人や孤児を大事に扱えと教えていますが、この辺は自分の体験がもとになっているんでしょうね。イスラム教の成立の背景として、メッカなどの商業都市での貨幣経済の活発化に伴う貧富の差の拡大があったと言われています。頷ける処です。
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ヒジュラ
ムハンマドが布教を開始したのが610年頃、その後12年間メッカで布教を続けるんですが、弾圧は激しくなるばかりで、信者や自分の命すら危ない状態になってきます。ムハンマドとその信者たちは弾圧を逃れて、メッカから200キロほど北にあるメディナと云う都市に移住することにした。622年のことです。
ムハンマドなどは追っ手に命を狙われながら、命からがらメッカからの脱出に成功する。この時の信者は一体何人いたと思いますか。布教開始から12年ですよ。驚きますよ、信者の数は僅か70人です。足ったこれだけ。今の日本にだって信者数70名くらいの宗教団体ならそれこそ星の数ほどある。だから、ムハンマドグループのメディナへの移住は、世界の片隅で起きた小さな小さな事件に過ぎなかった筈です。
処が、ムハンマドたちがメディナに移住した後、そこで信者が爆発的に増加するのです。そこで、イスラムではメッカからメディナへの移住のことを「ヒジュラ(聖遷)」と呼び、ヒジュラの年622年をイスラム暦元年としています。当時メディナの町はアラブ人、ユダヤ人が住んでいた。アラブ人住民は部族間の対立が激しく、またアラブ人とユダヤ人との対立もあって非常に不安定な状態だったのです。
一方移住してきたムハンマドと信者たちは、皆部族の絆を断ち記ってムハンマドに着いて来た。部族を超えてアラブ人がまとまっている。これは、アラブ人の歴史上始めてのことで、彼等もこのことを意識している。部族を超えた信者たちのまとまり、共同体のことを「ウンマ」と云う。「ヒジュラ」とか「ウンマ」と云う様なイスラム独特の表現は確り覚えてください。
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部族対立が激しくなっていたメディナの町でムハンマドたち「ウンマ」の存在は、部族を超えた中立な調停者としての立場を得ることに為った。ムハンマドは、相争う勢力を自分の同盟者、ウンマの一員にすることでメディナに安定をもたらした。宗教的というより、政治的に勢力を拡大するのです。「部族対立を解決したかったら私の信者になり、ウンマの一員になりなさい」と云う事です。
メディナで勢力を広げる過程で、ムハンマドは自分の宗教の儀礼を定めて、宗教としての体裁を確立していきます。この段階でイスラム教と云うものになったと云う事です。
メディナでイスラム教のウンマがある程度の大きさになると、砂漠の遊牧諸部族もこれと同盟を結んだ方が有利と考えるようになる。部族間の小競り合いはしょっちゅうある。イスラムの信者を兵力として借りることが出来ればそれだけ敵より有利になるよね。
ムハンマドはそういう部族に対して、信者になったら助けてやると云う。言われた部族は丸毎入信します。敵対部族もやっつけられ無い為には、自分たちもウンマの一員に為ればよい。こっちも部族丸毎入信するわけだ。こんな風に、後は雪崩式に勢力は拡大して行った。
これが、イスラムの発展になるのですが、結果としてこう云う布教方法は国家を持た無かったアラブ人に政治的まとまりをもたらすことになったのです。部族に関係なく、信者はみんな平等だと教えるムハンマドの言葉を紹介しておきましょう。
「 …最早何人たりとも地位や血筋を誇ることは許され無い。彼方方は、アダムの子孫として平等であり、もし彼方方の間に優劣の差があるとすれば、それは神を敬う心、敬神の念においてのみである」
630年には、ムハンマドは、ずっと敵対して来たメッカを征服、631年にはアラビア半島を統一しました。オッカナビックリ始めた宗教活動が、アラブ人をまとめるまでになった。既に、イスラム教そのものが国家です。その翌年、632年にムハンマドは死去します。しかし彼の死後、イスラムは更に発展して行きます。
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