2018年08月10日
一緒に学ぼう世界史のポイント 24 《秦の中華統一》
一緒に学ぼう世界史のポイント 24 《秦の中華統一》
秦の中華統一
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秦
前221年、秦が中国を統一しました。秦の都は咸陽(かんよう)現在の西安に近い所です。昔々の学生時代に私はこの咸陽に行ったことがある。未だ、自由に中国を旅行出来ない時代で学生友好訪中団と云う名目で観光に行った。
中国関係の勉強をしている学生ばかりの団体で初め咸陽は予定には入ってい無かったんですが、西安に行った序に是非行きたいとリクエストしたら急遽特別に行けることに為った。中国にはどの都市にも歴史博物館があってそこに行ったんですが、観光バスを降りたら現地の人達がドッと集まって来た。
マダマダ外国人が珍しい時期だったし咸陽は普通の観光コースから外れていたから物珍しかったんですね。我々日本人学生の周りにアッと云う間に黒山の人だかりが出来た。その人達皆農民の顔してる。服は全員真っ黒な綿入れを着ているの。ホントに黒山の人だかりだった。博物館で何を見たかは、全然覚えていませんが、咸陽の人々にジロジロ見られたのだけは忘れられ無い。その咸陽です。
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秦が戦国時代を終わらせる事が出来た理由
先ず、法家の採用がある。商鞅・李斯など法家の政治家を抜擢して内政改革を行ったことが国力の強化に繋がりました。更に、秦が地理的に辺境地帯にあったことが有利に働いた。戦国時代の先進国は何処かと云うと、韓・魏・趙、です。ここが一番文化が進んでいる。地図で見ても面積は小さいね。面積が小さいと云う事はそれだけ人口が集中して居る事の裏返しです。そう云う所は文化が高いと見て好い。しかし、それは逆に云うと開発の余地が少ないことでもある。
秦は辺境の遅れた国であったから、進んだ地域の文化や技術を効率好く取り入れることが出来たし、未開の地が多くある訳で周辺に向かって領土を拡大することも出来た訳です。現在の四川省方面を領土に組み入れて国力を伸ばしました。
秦の始皇帝
辺境の国としては南方の楚も同様です。矢張りここも戦国末期には強国として秦と対抗しています。結局は秦に負けますが、この後の話に為るんですが、秦が滅亡した後項羽と云う男が楚の地から出て一時中国全体に号令する様になる。この地域には矢張り秦と対抗出来る様なエネルギーがあったんでしょう。
秦が中国統一した時の王が政(せい)です。秦王政は周の時代とは比較に為ら無い位の大領土を支配することに為った。そう為ると、王と云う称号では満足出来ない。王よりもランクの上の称号として皇帝と云う呼び名を発明した。世界初の皇帝と云う事で自ら始皇帝と名乗ったと言います。
彼は、秦の国が永遠に続くものと考えて子孫の名前も決めた。自分を継ぐ二代目は二世皇帝、その次は三世皇帝、こんな風にドンドン数字を増やして皇帝名にする様に決めたらしい。何れは九千九百九十九世皇帝も出現する予定だったんですが、実際は三世皇帝で秦は滅んでしまいますがね。
この始皇帝、秦王政は統一を成し遂げただけあってそれ為りの人物だった。仕事も精力的に遣った。一日に公文書を30キロ分読んで決済を続けたと云う。文書を重さで量るのも凄いですね。彼にまつわる話は沢山あります。先代の秦王の子では無いと云う出生の秘密も言い伝えられている。
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有名なのが始皇帝暗殺未遂事件。中国映画になって公開されましたね。プリントに載せてある絵は漢の時代に描かれたものですが、直後の時代から人々に物語として語り継がれて居たことが判る。
秦による統一直前の話。秦王政を殺せば滅亡を免れると考えたのが燕の太子。太子は荊軻(けいか)と云う男に秦王政の暗殺を依頼する。戦国時代は能力主義の時代だったね。暗殺技術も立派な能力として認められていたんだ。
荊軻はプロの殺し屋ですがこの時は自分の死を覚悟して秦に向かいます。手土産が無いと秦王政に謁見出来無いので秦からの亡命将軍の首と燕の領土の地図を手土産に持って行く。首尾好く政に謁見出来て、地図の中に隠し持っていた短刀で政に斬り掛かった。
処が第一撃で刺し損なってしまった。謁見の間には多くの秦の役人や軍人が居並んで居るんですが、宮廷で武器を持つ事は禁じられていたので誰も荊軻を止める事が出来無い。秦王政一人だけ剣を持っているんですがその剣は特別製でやたらに長い。剣と云うのは鞘に入っている。こう、剣の柄を右手で持って前に伸ばすでしょ。右手が伸びる以上に剣が長ければ鞘から抜け無いのですよ。政の剣はそれ位長かった。
しかも突然襲われて焦っているから猶更抜け無い。家臣団が見守る中を柱の間をグルグル回って逃げる。それを荊軻は追っ掛ける。要約一人の家臣が「王よ、剣を背負われよ!」政は気づいて剣を背中に背負った。そしたら鞘はストンと床に転がって要約剣が抜けた。反撃を開始して家臣も後ろから荊軻に飛び着いて要約取り押さえた。その場面を書いてある。
始皇帝の陵墓を守る為に作られた兵馬俑坑(へいばようこう)と云う遺跡から青銅の剣が出土して居るのですがこれが長さ91.3センチ。始皇帝の剣はこれよりも余程長かったんでしょう。そんな事件もありながらの統一だった訳だ。
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秦の政策を見て行きましょう。
先ず統治方式として郡県制を採用します。絶対に覚えて 置く事。秦の政治は郡県制。好いですね。
周の時代には諸侯や卿に大夫が夫々自分の邑を自由に支配したね。この周の封建制と対称的な方法が郡県制。秦は全国に郡、その下に県と云う行政組織を置いて、中央政府から官僚を派遣して中央集権的な一元支配を行った。中央集権的専制国家の誕生と言います。基本的に20世紀に清朝が滅びるまで中国の政治制度はこの形を崩すことがありませんでした。
そう云う意味で、郡県制の採用と云うのは物凄く大きな制度の変更な訳です。因みに日本では県の下に郡がありますが、中国では逆。郡の方が県よりも大きな行政単位です。
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更に秦は統一国家として、制度を統一して行きます。
1 文字の統一 戦国時代には各国で文字の字体が違っていました。これを統一した。秦の字体は篆(てん)書と言います。やがてこれから楷書や草書が発展することになります。
2 貨幣の統一 秦の貨幣は穴の開いた環銭。特にこの時の環銭を半両銭と言います。
3 度量衡(どりょうこう)の統一 度は長さ量は体積衡は重さを夫々を測る単位です。これを統一した。単位が地域毎に違って居ては行政は混乱しますからね。
4 車軌(しゃき)の統一 車軌と云うのは馬車の車輪と車輪の間の長さです。当時は舗装道路などありませんから馬車が走れば地面は抉れる。抉れた部分がレールみたいに為って行くんです。そこを車軌が違う馬車が走ると車体が傾むいて思うように走れ無い。だから、戦国の各国はワザと自国の車軌を他国と違うようにした。そうすれば敵国の戦車が遣って来ても攻め難いでしょう。でも、天下統一すればこれは不便だから統一しました。
5 序に思想も統一した 焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)と云う。大臣李斯の献策で秦の政治に批判的な学問を弾圧した。医学に農業と占いの学問しか許さず、それ以外の本を集めて燃やした。これが焚書。焚は燃やす事です。戦国時代の学問の多くがこれによって失われました。現在では断片しか残っていない学問もある。残念なことだね。
坑儒は460人余りの儒者を生き埋めにして殺した事件です。始皇帝の個人的な怒りから起こった事件なのですが、結果としては学問の弾圧に為りました。坑は生き埋めにすることです。
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・外征 秦は北方の遊牧国家である匈奴に対して討伐軍を派遣しています。又、南方のベトナム北部方面には領土を拡大して南海郡など三郡を置きました。
・大土木工事も行った その中で有名なのが万里の長城の建設。これは全て始皇帝が作った訳では無い。戦国時代に北方の各国は既に個別に長城を作っていたんですが、始皇帝はこれを繋いで長城として完成させたのです。
現在残っている長城は大体は明代(1368〜1644年)に修築されたものです。資料集の写真は八達嶺(はったつれい)にあるものです。北京から近いので観光地として整備されている所で上を歩ける様に為って居ます。山の稜線の上を何処までもウネウネと続いている。どれだけの人間の労力が使われたかを思うと気が遠くなる。中国旅行で、ここも行きましたよ。この上を歩いた。三月で丁度北の空から雪が降って来たんです。アア、この遥か向こうから遊牧民族が遣って来たんだなと思ったらナカナカとロマンチックでしたね。
・宮殿も造った 阿房宮と呼ばれる壮大な宮殿で、一万人が座ることの出来る広間があってその下に10メートルの旗指物を持った軍隊が集結出来たと云います。
・墓も作った 驪山(りざん)陵と言いますが地下に宮殿を造営したらしい。中国人はあの世でもこの世と同じ様な暮らしをすると考えていましたから同じモノを作るのです。
・更にこの地下の宮殿を守る為に地下の軍隊を作った。これが有名な兵馬俑坑です。始皇帝陵の東三キロの所に人形の軍隊が発掘された。これですね。土台を含めると2メートルの高さの人形です。こんなのが今の所約三千体発掘されています。これがキッチリ整列していて、当時の軍の編成などが判る様です。
この兵士の人形は一つ一つ皆表情や髪型が違うんです。当時の人達は出身部族によって髪型、男でも髪を長く伸ばして髷を結っているんですが、その髷の形が違って居たんです。で、兵士俑を調べて行くと、色々な部族から軍が編成されて居ることもわかる。秦は辺境にありましたから周辺の民族も多く加わっていたのでしょう。この辺にも秦の強さの秘密があるのかも知れない。
兵馬俑坑はまだ全部が発掘されていなくて掘ればマダマダ幾らでも出て来るそうです。だけど、出土しても保存処理が追いつかないので埋めたままにしていると云う事です。以前テレビでこの兵士の人形を作る実験をやっていましたが一つ完成させるのに一月以上掛かって居た記憶がある。全国から陶工が集められて何年もかけて一体一体焼き上げて行ったんですね。
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長城と言い兵馬俑と言い、何を遣るにも徹底した人海戦術です。兎に角全国から人を動員し捲る。始皇帝陵だけでも70万人が動員されたと言いますから、折角戦国時代が終わって平和がやって来た筈なのに庶民にとっては、始皇帝の大動員は迷惑千万な話だったに違いありません。
・更に始皇帝は全国に自分専用の道路を作らせました。これは幅が70メートル。更にその真ん中に7メートルの少し高い道路がある。ここが皇帝の専用部分。始皇帝の馬車しか走ることが許され無い。その他の貴族、官僚、軍隊はその縁の一般道を行きます。
始皇帝はこの道路で全国を旅行したんですが、その目的は自分の顔を民衆に見せる為なの。そもそも、皇帝と言ったって出来たてホヤホヤの単語だから一般民衆には何のことだか判ら無い。始皇帝の偉さも判ら無い。そこで、度肝を抜区様な豪勢で煌(きら)びやかな行列を連ねて諸国を廻ってその偉さを思い知らせて遣ろうと云う訳だ。
民衆はこの道路工事にも使役され、オマケに始皇帝が通過する時には食糧とか徴発されてその顔を拝ませられるのですね。始皇帝はこの専用道で全国を巡り各地に自分の功績を刻んだ石碑を立てさせ、泰山と云う山で封禅の儀式をした。封禅と云うのは天子に為った事を天地の神に報告する重要な儀式です。
サテ、天下を統一して遣りたいことは何でも遣った始皇帝ですが、こう為ると最後に欲しく為るものがある。それは不老長寿です。不死を手に入れたい始皇帝に、胡散臭い連中が近付いて来ます。方士と云う魔術師や呪術士の様な者達が始皇帝に色々な不老長寿の技法を伝授したようです。
日本との関係で有名なのは徐福。この人は東の海に蓬莱と云う島があってそこに不老長寿の秘薬があると始皇帝に教えた。そこで始皇帝は徐福にその薬を取りに行かせたと言います。徐福は将か自分が行かされるとは思っていなかったみたいで、嫌々だった様ですが東の海に出掛けた。その後どう為ったかは記録がありません。只、紀伊半島の熊野地方にはこの徐福が遣って来たと云う伝説がある。新宮市には徐福の墓まであるそうです。
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始皇帝に近づいた方士の中に水銀を不老長寿の薬と教えた者もあった様です。水銀、触ったことありますか。体温計を割ったことのある人は経験あると思うけど、水銀と云うのは何だか不思議なんだよね。液体なのに丸くてコロコロしてる。指で潰すと小さな粒粒になる。弄っていると飽きないです。体内に入ったら毒だから水銀で遊んでいると怒られましたね。
昔のことで、科学的知識は少ないから、水銀を見せられてこれが不死の薬だと言われれば信じる様な気がします。で、始皇帝はどうも水銀を少しずつ飲んでいたらしい。アンナもの飲んでいたら胃はボロボロでしょう。毎日始皇帝は胃痛で苦しんで居たんじゃないかな。
水銀服用が原因かどうかは判りませんが、遂に始皇帝が死にます。前210年のことです。サテ、死んだのが都の咸陽だったら問題は無かったのですが、全国旅行の途中で死ぬんだ。死んだ時に彼の側に仕えていたのが宦官(かんがん)の趙高です。
皇帝が公の仕事をする時には官僚が補佐するんですが、プライベートの時間に皇帝の世話をするのが宦官です。宦官は男性性器を切り取られている者達です。彼等は身分は低く皇帝の私的な奴隷に近い存在です。皇帝の身近に居るので妃達に近づく機会もある訳だ。妃達が皇帝以外の男性と間違いを起こして皇帝の子供では無い子を産んだりしては困るからね。これが宦官が使われる理由です。
宦官と云う制度は中国最後の王朝清が滅亡するまで続いていました。最後の宦官の人は遂20年位前まで生きていたと思います。資料集には清朝時代の宦官の写真がありますね。お爺さんの写真だ。宦官は若い時には凄く綺麗なんだそうですよ。ホルモンの関係で歳を取ると御婆さんの様な顔に為るらしい。
戦争捕虜や奴隷、犯罪者を手術して宦官にする場合や、貧しいものが自ら宦官に為ったり、親に手術をされて宮廷に売られたり、宦官に為るには色々は理由がある様です。この宦官は身分的には低くて役人でも無いのですが、皇帝に身近に接触する時間が長いから皇帝に成り代わって権力を振るう者も出たりする。皇帝の秘密を知ることも出来るしね。
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サテ、趙高達数人の宦官だけが始皇帝専用の馬車に出入りする事が許されて居たんだ。始皇帝の死を趙高しか知ら無い。彼はこれを利用して権力を握ろうとした。
始皇帝の遺言をコッソリ見てみた。すると、次の皇帝は長男に譲ると書いてある。長男はこの時匈奴討伐で北方に遠征中。遠く離れているんだね。始皇帝には何人か息子が居るんだが末っ子の胡亥(こがい)だけが始皇帝と共にこの旅に出て居る。そこで、趙高は胡亥にそっと接触して始皇帝の死を告げる。
「陛下の死を知っているのは私と貴方だけです。今なら遺言を書き替えて胡亥様が次に皇帝に為る事が出来ます。私と協力しませんか?」などと言って忠言した。胡亥も皇帝に為れるのならと喜んで即位後の趙高の地位と権力を保証したんでしょう。もう一人大臣の李斯もこの仲間に加わった。
秘密にしたのは陰謀だけでは無く、旅行中に死んだことを公にすれば各地で反乱が起きる事を心配したと云う事もあったんでしょう。ホンの僅かな人間にしか始皇帝の死は伝えられず、皇帝の大行列は咸陽の街に向かって旅を続けた。その間に趙高や李斯は胡亥に即位させるように色々な準備工作をして居たんでしょう。
処で、始皇帝が死んだのが現在の山東省。時は七月。暑かったんだ。当然始皇帝の死体は腐って来る。やがて異様な臭いが始皇帝専用馬車から漂い始めた。何も知らされていない大臣や将軍達が不審に思い始めると、趙高は干し魚を大量に買い集めて始皇帝の馬車の左右に着けて併走させた。魚の臭いで死臭を誤魔化そうと云うの。大臣達が趙高に何故そんな事をするのかと尋ねると「陛下のご命令で、私にも存じかねるのでございます」と答える。始皇帝の命だと言えば誰もそれ以上は追求出来ないのですよ。
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奇妙な臭いをまき散らしながら大行列は咸陽に帰り着いた。趙高は準備通り始皇帝の死と胡亥の二世皇帝としての即位を発表しました。長男には匈奴との戦いで戦果を挙げていない事を理由に自殺する様に命令する。始皇帝の偽の手紙を送ってだ。
この様にして即位した二世皇帝胡亥はやがて飾りものに為ってしまいます。実権は宦官の趙高が手にするように為った。宦官は普段は人間以下の存在として軽蔑されているから権力を握ると遣りたい放題に為る。政治に対して責任感を持つことは余り無い。只管自分の富と虚栄心を追求するように為る様です。どうせ子孫も無い訳で守ら無ければ為ら無いものも無いからね。
趙高はやがて自分自身が皇帝に為る野心を持った様です。自分がどれ位宮廷の役人達を掴んでいるのか試します。或る時二世皇帝の前で百官が揃って居る所へ趙高は鹿を連れて来て「馬でございます」と言って献上した。二世皇帝は「趙高、何を言っているのか。角が生えている、鹿ではないか!」と反論した。誰が見ても鹿は鹿ですからね。
すると趙高はジロリと居並ぶ百官を見回したんだ。すると趙高に阿(おもね)る役人達は口を揃えて「陛下こそ、何をおっしゃいます。馬ではありませんか」 二世皇帝は愕然とする。自分の皇帝の地位なんて云うのが実は空っぽの椅子だった事に気づくんですね。これが「馬鹿」と云う単語の語源だと云う。
実はこの頃に為ると、各地で反乱が起きて居るんです。だけど秦の政府は宮廷内の権力闘争でキチンとした対策が執れ無い。まさしくこんな馬鹿な事ばかり遣って居る間に反乱は秦を滅ぼす程大きく為って行きました。
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参考図書紹介・・・・もう少し詳しく知りたい時は
秦・始皇帝陵の謎講談社現代新書 (1232) cover 岳 南著。こんな話が載っていた本。ᥴ年、中国の考古学者たちが兵馬俑坑の試掘を始めると、毎日試掘現 場に白髪の老人が現れる。木陰に座って発掘を見守りながら、担当者に 「その下にはあるかい?」 と声を掛ける。変な爺さんだと評判になったらしい。そんな或る日の夕方、その老人が一寸微笑んで 「着いて来い」 発掘担当者が付いて行くと、井戸から200メートルも離れた所で老人は立ち止まって 「試掘しなくても好い。俑坑の突き当たりはここじゃ」 担当者「ほんとうか?」 老人「信じるかどうかはお前の勝手だ」 老人は笑いながら柿林の奥に消えてそれ切り二度と現れ無かったそうです。老人の言葉通り彼の指し示した下が兵馬俑坑の突き当たりだったことはいうまでもありません。
宦官―側近政治の構造中公新書 (7) 三田村 泰助著。中国史を人に語るなら、これを読んでおかないと、恥ずかしいくらいの本。別に脅しているわけではなく、長年読み継がれてきた基本的な本です。
史記列伝 1〜5 岩波文庫 青 214-1 〜214-5 司馬 遷 (著), 小川 環樹 (翻訳) 。時間がある人は、本物を読んでみるのもいいかもしれない。史記は、春秋戦国時代から、前漢初期までの、基本的な文献。荊軻の始皇帝暗殺事件も、史記が元ネタです。こういう本を読むと、自分自身の時代に対するイメージが湧いてくる。ちなみに、私は高校時代に読んだので、充分皆さんにも読めます。
秦の中華統一 おわり 次のページへ 《楚漢の興亡》
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