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2019年08月31日
夏空!
今年の夏は変だ。
今年の夏「も」かもしれないが。
7月は長雨で日照時間の少なさが目立った。
8月は突然猛暑日がやってきた。
夏休みも後半になったら、また雨、集中して線状降水帯に襲われる地域がある。
こんな時期、「夏らし〜〜い」空や雲が広がると嬉しくなってしまう。
2019/08/26の11:30頃の空だった。
今年は早朝の東の空も、はっきりとしなかった。
グズグズと灰色の空が広がっていた。
空を見上げて「お〜い!」と叫びたくなるような陽射しは貴重だ。
雲と空の青さが気持ち良い!
少しベタベタ感のなくなってきていた。
秋の気配だろうか?
今年の夏「も」かもしれないが。
7月は長雨で日照時間の少なさが目立った。
8月は突然猛暑日がやってきた。
夏休みも後半になったら、また雨、集中して線状降水帯に襲われる地域がある。
こんな時期、「夏らし〜〜い」空や雲が広がると嬉しくなってしまう。
2019/08/26の11:30頃の空だった。
今年は早朝の東の空も、はっきりとしなかった。
グズグズと灰色の空が広がっていた。
空を見上げて「お〜い!」と叫びたくなるような陽射しは貴重だ。
雲と空の青さが気持ち良い!
少しベタベタ感のなくなってきていた。
秋の気配だろうか?
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2019年08月30日
住人と庭の関係?
ご近所さんのことで気になることがある。
高齢?(年齢は知らない)のご夫婦二人で生活されているお宅だ。
お庭と言う程広いわけではないが、ご夫婦ともお花や植木が好きらしく塀に植物を這わせたりして楽しんでらした。
ご主人は、朝からテニスをやっていたようで、早朝テニスから帰ると植木や花に水を遣り、手入れをしていたような人だった。
だから、早朝組として私とよく挨拶をした。
その奥様は少し歩くのが大変になったのか、ゆっくりだけど、スティックを持って散歩を怠らない。
努力家のようにお見受けしていた。
高齢?のためかご主人は一年程前に車を手放したそうだ。
免許を返納する前は、まだ乗るつもりだったのか、新車に変えたのに、しばらくしてお孫さんに譲ってしまったと、聞いた。
ここの所、ご主人の姿をあまり見かけないのだ。
駐車スペースがガランとして、その脇を飾っていた鉢植えの花が枯れている。
鉢植そのものの数も減ってしまっている。
住人の元気がそのまま庭の植木に現れているようなのだ。
地面の植木は取り敢えず変わらないが、花やブドウなど、実のなるものも作っていたのに、
そんなものに向き合う姿も、最近は見られない。
テニスをされていた頃は体躯のしっかりとした人だったご主人が、最近杖を使っていたのを見て驚いた。
気さくなお二人だったが、時々娘さんのような方が出入りされているようで、どんな暮らしをされているのか心配している。
元気な鉢植えが家の周囲にあったのに・・・、今花は枯れている。
高齢?(年齢は知らない)のご夫婦二人で生活されているお宅だ。
お庭と言う程広いわけではないが、ご夫婦ともお花や植木が好きらしく塀に植物を這わせたりして楽しんでらした。
ご主人は、朝からテニスをやっていたようで、早朝テニスから帰ると植木や花に水を遣り、手入れをしていたような人だった。
だから、早朝組として私とよく挨拶をした。
その奥様は少し歩くのが大変になったのか、ゆっくりだけど、スティックを持って散歩を怠らない。
努力家のようにお見受けしていた。
高齢?のためかご主人は一年程前に車を手放したそうだ。
免許を返納する前は、まだ乗るつもりだったのか、新車に変えたのに、しばらくしてお孫さんに譲ってしまったと、聞いた。
ここの所、ご主人の姿をあまり見かけないのだ。
駐車スペースがガランとして、その脇を飾っていた鉢植えの花が枯れている。
鉢植そのものの数も減ってしまっている。
住人の元気がそのまま庭の植木に現れているようなのだ。
地面の植木は取り敢えず変わらないが、花やブドウなど、実のなるものも作っていたのに、
そんなものに向き合う姿も、最近は見られない。
テニスをされていた頃は体躯のしっかりとした人だったご主人が、最近杖を使っていたのを見て驚いた。
気さくなお二人だったが、時々娘さんのような方が出入りされているようで、どんな暮らしをされているのか心配している。
元気な鉢植えが家の周囲にあったのに・・・、今花は枯れている。
2019年08月29日
食事会での生生しい話。
またまた食事会がやってきた。
食事は勿論美味しいが、久しぶりのお喋りも楽しい!
「折戸茄子のそうめん仕立て。五色の薬味添え。」
ドライアイスがモクモクと涼し気に冷気を立てるという演出が嬉しい。
茄子をそうめんのようにスルスルと頂く。
そのお喋りの中に生生しい出来事があった。
ある日、友人と同じマンションに住む、独り暮らしの高齢女性が慌てて友人の部屋に来た。
その女性の話は、
「ある人と電話でやりとりがあって、銀行の通帳を取りに来るということになってしまい、
今こっちに向かってるんだけど、どうしよう?」
と、相談に来たという。
相談された友人は物事をはっきりと言える人なので、(直接か、電話かで)どういうことなのか
確かめたらしい。
それで、○○詐欺?にまんまと引っ掛かる所を食い止めることができたという。
単純に考えれば、銀行の通帳だの、カードだのを初めて名乗っただけの人物に渡すなんていうことは先ず「詐欺」だと思わないのだろうか。
でも、多分、相手は話が上手くて、流れを作られると、断る機会がないままに、次々と喋ってしまうのだろう。
気付いた時は次のステップに進んでいて、怖くなって、知り合いのお宅に助けを求めたということなんだと思う。
でも、それでよかったんだと思う。
独りで悩むのが一番良くないという。
友人ははっきりと詐欺士と対峙したんだ。
高齢者の中には、対面や付き合いを重視して、「いい人に見られたい」という人はいる。
でも、現代社会はそんないい人を利用しようとする人が溢れている。
自分の身は自分で守る、と高齢になっても、いや高齢だからこそ肝に銘じていたい。
狙われるのなら狙われない対応を常に心掛ける。
電話での対応ならば、「銀行」「カード」「キャッシュカードの番号」などのワードは全て詐欺と
心得てよい。
対応をすぐ止めることだ。
いろんな勧誘の電話も確かにある。
でも、そんな類だったら、私はすぐに電話は切る。
「ご苦労様、家は要りません。」
で済むことです。
今は番号を表示する電話にして「0120・・・」とか「03・・・」とかで始まる番号には出ないなんて
対応している人もいるが、対応してしまったら、相手の流れを作らないで、自己主張をしっかりとすることだと思います。
と、そんな風に言っていても騙されるのが○○詐欺だともいう。
時々、アスリート達が試合の直前に自分の頬を叩いたり、腿を叩いたりして気合を入れている様子を見せることがある。
私達も、社会に向けてきちんと気合を入れているか時々自身の気合を確かめる必要があるかもしれない。
食事は勿論美味しいが、久しぶりのお喋りも楽しい!
「折戸茄子のそうめん仕立て。五色の薬味添え。」
ドライアイスがモクモクと涼し気に冷気を立てるという演出が嬉しい。
茄子をそうめんのようにスルスルと頂く。
そのお喋りの中に生生しい出来事があった。
ある日、友人と同じマンションに住む、独り暮らしの高齢女性が慌てて友人の部屋に来た。
その女性の話は、
「ある人と電話でやりとりがあって、銀行の通帳を取りに来るということになってしまい、
今こっちに向かってるんだけど、どうしよう?」
と、相談に来たという。
相談された友人は物事をはっきりと言える人なので、(直接か、電話かで)どういうことなのか
確かめたらしい。
それで、○○詐欺?にまんまと引っ掛かる所を食い止めることができたという。
単純に考えれば、銀行の通帳だの、カードだのを初めて名乗っただけの人物に渡すなんていうことは先ず「詐欺」だと思わないのだろうか。
でも、多分、相手は話が上手くて、流れを作られると、断る機会がないままに、次々と喋ってしまうのだろう。
気付いた時は次のステップに進んでいて、怖くなって、知り合いのお宅に助けを求めたということなんだと思う。
でも、それでよかったんだと思う。
独りで悩むのが一番良くないという。
友人ははっきりと詐欺士と対峙したんだ。
高齢者の中には、対面や付き合いを重視して、「いい人に見られたい」という人はいる。
でも、現代社会はそんないい人を利用しようとする人が溢れている。
自分の身は自分で守る、と高齢になっても、いや高齢だからこそ肝に銘じていたい。
狙われるのなら狙われない対応を常に心掛ける。
電話での対応ならば、「銀行」「カード」「キャッシュカードの番号」などのワードは全て詐欺と
心得てよい。
対応をすぐ止めることだ。
いろんな勧誘の電話も確かにある。
でも、そんな類だったら、私はすぐに電話は切る。
「ご苦労様、家は要りません。」
で済むことです。
今は番号を表示する電話にして「0120・・・」とか「03・・・」とかで始まる番号には出ないなんて
対応している人もいるが、対応してしまったら、相手の流れを作らないで、自己主張をしっかりとすることだと思います。
と、そんな風に言っていても騙されるのが○○詐欺だともいう。
時々、アスリート達が試合の直前に自分の頬を叩いたり、腿を叩いたりして気合を入れている様子を見せることがある。
私達も、社会に向けてきちんと気合を入れているか時々自身の気合を確かめる必要があるかもしれない。
2019年08月28日
久しぶりのMP3。
MP3とは、以下の事だそうなので引用します。
「音楽などの容量を小さくする技術の一つ。CD10枚分をCD1枚に収めることが出来る。しかも音質は変わらない。
音声圧縮方式の規格の一つ。MPEG 1 Audio Layer-3(エム・ペッグ・ワン・オーディオ・レイヤー・スリー)の略です。最近はMPEG 1の「1」を表記しないMPEG Audio Layer-3とされています。」
買いためたCDの中から選りすぐった曲を集めて私独自の選曲集を作成してある。
CDの全曲ではなくて、好みの曲だけ選んで、アーティスト別に収録してあるので
、アーティスト毎の曲が終わっても、次のアーティストの曲も好みだけなので、
本当に「私だけの」MP3となっている。
既に5年は経っていると思うが、当時私が聴いているのを知って、友人の一人が自分にも
作って欲しいということで一人に作ってあげた。
それを見たもう一人からも作って欲しいと言われ、合計4人の友人に、私の収蔵曲で仕上げたことがある。
毎晩忙しかった記憶がある。
セリーヌ・ディオンがまだフランス語で収録した曲なども入れてあったが、そんな曲が意外と好評だったりして、
面白いなと思った。
嬉しいことに全体的に好評でした。
毎日がルーティーン作業に追われていると、音楽をゆっくり聴いている時間など取れなかったりするので、
車で移動中は好みのCDを聴くことが多いが、「ライオンキング」のヒットでエルトン・ジョンの曲が聴きたくなった。
確か、収納してあった筈だと、暫く振りにMP3を引っ張り出して来て、PCに繋げて充電しなおした。
PCから離れても、車の中でなくても、移動しながら聴けるので、就寝前の落ち着いた時などにも聴くことができる。
(只、終了時間を決めないと、そのまま眠ってしまうことがあるので要注意ですが。)
最近は好みの曲のみダウンロードして買うような方法らしいのですが、私はCDとして残しておきたい派です。
自分が惹かれた曲やアーティストのCDを後年、引っ張り出して聴き直すのも楽しみがあるし、CDの制作年から、
CDの背景も想像できるからです。
名曲って、いつまで経っても色褪せないもので、いつ聴いても、その世界が広がります。
「音楽などの容量を小さくする技術の一つ。CD10枚分をCD1枚に収めることが出来る。しかも音質は変わらない。
音声圧縮方式の規格の一つ。MPEG 1 Audio Layer-3(エム・ペッグ・ワン・オーディオ・レイヤー・スリー)の略です。最近はMPEG 1の「1」を表記しないMPEG Audio Layer-3とされています。」
買いためたCDの中から選りすぐった曲を集めて私独自の選曲集を作成してある。
CDの全曲ではなくて、好みの曲だけ選んで、アーティスト別に収録してあるので
、アーティスト毎の曲が終わっても、次のアーティストの曲も好みだけなので、
本当に「私だけの」MP3となっている。
既に5年は経っていると思うが、当時私が聴いているのを知って、友人の一人が自分にも
作って欲しいということで一人に作ってあげた。
それを見たもう一人からも作って欲しいと言われ、合計4人の友人に、私の収蔵曲で仕上げたことがある。
毎晩忙しかった記憶がある。
セリーヌ・ディオンがまだフランス語で収録した曲なども入れてあったが、そんな曲が意外と好評だったりして、
面白いなと思った。
嬉しいことに全体的に好評でした。
毎日がルーティーン作業に追われていると、音楽をゆっくり聴いている時間など取れなかったりするので、
車で移動中は好みのCDを聴くことが多いが、「ライオンキング」のヒットでエルトン・ジョンの曲が聴きたくなった。
確か、収納してあった筈だと、暫く振りにMP3を引っ張り出して来て、PCに繋げて充電しなおした。
PCから離れても、車の中でなくても、移動しながら聴けるので、就寝前の落ち着いた時などにも聴くことができる。
(只、終了時間を決めないと、そのまま眠ってしまうことがあるので要注意ですが。)
最近は好みの曲のみダウンロードして買うような方法らしいのですが、私はCDとして残しておきたい派です。
自分が惹かれた曲やアーティストのCDを後年、引っ張り出して聴き直すのも楽しみがあるし、CDの制作年から、
CDの背景も想像できるからです。
名曲って、いつまで経っても色褪せないもので、いつ聴いても、その世界が広がります。
2019年08月27日
レストランでの少年。
あまりにもお行儀の良い少年が目に入ってきたので感心してしまった。
私達は息子家族と一緒だったので、家族の誰よりも幼児である少年のマナーに目が離せなく
なってしまった。
写真は修整して載せさせて頂きます。
少年といってもまだ幼稚園児くらいだ。
しかし、行儀と食べ方がいいのだ。
この年頃できちんと座って、ナイフとフォークを使って、口元に運んでいた。
隣にいたパパは下のお子さんを連れ出してママが食事できるようにしていた。
少年はママのフォローも、パパのフォローも受けることなくきちんと食べられていた。
こんな年頃の子供はムズムズしてみたり、提供されたものを残したり、その場に飽きてしまったりすることが
多かったりするものだが、完璧に小さな紳士のようだった。
もし、彼が幼稚園児だったら、園での様子もきちんとしていそうだし、家庭での様子もメリハリのある行動を取れそうだし、
こんな幼児は珍しくて感心しきりだった。
新幹線内で騒ぐ子供や、家庭内でも奇声やら大声で騒ぐなんて子供も多いことから、
保育士さんや教師の方々の苦労を想像していた最近なのに、こんなにきちとしたお子さんは見たことがなくて記事にしてしまいました。
多分、遊ぶ時は遊ぶ時で、遊びにも集中でき、子供らしさも十分あるお子さんであって欲しいなと思ってもいる。
海外のどこかで、こんなマナーを身につけたのか、と育ち方を知りたい程でした。
私達は息子家族と一緒だったので、家族の誰よりも幼児である少年のマナーに目が離せなく
なってしまった。
写真は修整して載せさせて頂きます。
少年といってもまだ幼稚園児くらいだ。
しかし、行儀と食べ方がいいのだ。
この年頃できちんと座って、ナイフとフォークを使って、口元に運んでいた。
隣にいたパパは下のお子さんを連れ出してママが食事できるようにしていた。
少年はママのフォローも、パパのフォローも受けることなくきちんと食べられていた。
こんな年頃の子供はムズムズしてみたり、提供されたものを残したり、その場に飽きてしまったりすることが
多かったりするものだが、完璧に小さな紳士のようだった。
もし、彼が幼稚園児だったら、園での様子もきちんとしていそうだし、家庭での様子もメリハリのある行動を取れそうだし、
こんな幼児は珍しくて感心しきりだった。
新幹線内で騒ぐ子供や、家庭内でも奇声やら大声で騒ぐなんて子供も多いことから、
保育士さんや教師の方々の苦労を想像していた最近なのに、こんなにきちとしたお子さんは見たことがなくて記事にしてしまいました。
多分、遊ぶ時は遊ぶ時で、遊びにも集中でき、子供らしさも十分あるお子さんであって欲しいなと思ってもいる。
海外のどこかで、こんなマナーを身につけたのか、と育ち方を知りたい程でした。
2019年08月26日
息子家族第2弾。
息子が子連れでやってきた。
内容の一部を先に記事にした通りだ。
子供達にとっては、我が家にやって来る時は、私の姉家族も近くに住んでいるので、そこも訪ねるのが慣例になっている。
また、そこには我が家の不愛想な猫とは打って変わって尻尾フリフリ喜んでくれる柴犬がいる。
犬と遊んだり、散歩体験もできて大喜びなのだ。
まだ母が健在だった頃は曾祖母にも会えたのだ。
大家族とまではいかなくても、お正月、お盆など全国的に帰省の季節に、親戚の皆が一同に会して会えるということは、
特に子供の時の経験として重要で、大切なことだと思っている。
本人の人生においての根っことなるからだ。
だから、我が家に来るのは大好きなのだ。
そして、私や、息子の兄弟もいる時は大勢でのトランプができるので、それも楽しみなのだ。
私が忙しくしていても、朝起きたばかりでも、
「ねエ、トランプできる?」
と催促してくる。
我が家で、トランプをやり始めた頃はごく普通の私が遊んできた頃の遊びの種類で遊んでいた。
「神経衰弱」とか「ババ抜き」とか「七並べ」なんていう類だった。
しかし、最近は、教えてもらう方に逆転しているのだ。
「借金、やらない?」とか「193(いっきゅうさん)やらない?」とか迫られるのだ。
「知らない〜!」
なんて言いつつ、やり方を教えてもらって始めると結構面白い。
「193の数字変えて、753にしない?」
なんて即席バージョンに変更したりすると、その場で真新しい内容になって皆テンションがあがる。
各人が慣れていない数字に対応するので、失敗が生まれる度合いが増えて、その度に歓声が上がる。
子供達の成長に合わせ、参加する私も、年齢も立場も忘れて対等に張り合って遊ぶ。
多分、彼女たちも対等な遊び仲間として私と遊びたいのだと思う。
「借金」なる遊びはカードの数字の価格が決まっていて、引いた数字によって、手持ちの金額を相手に払えなくなれば、借金という形を作る。
メモを横に置いて、人数分の相関関係図を作って、お互いの借金関係を記録していくことにした。
何度かやっている内に、始めるまえから、
「メモは?ペンは?」
と、段取りよく用意している。
「2000円手持ちがないから借りね、マイナス2000円と・・・。」
なんてやっていると、ゲームとは解っていても、妹の方は元気がなくなって、
「お金がない・・・・。」
「負けちゃう・・・。」
なんて本当に心配し始める。
逆に自分に沢山のお金が集まれば、にっこにこして嬉しそうだ。
最後に結果をみんなで計算して順位を決める。
こういう遊びができるって、とってもいい事だと思った。
現実ではないけれど、手持ち金に恵まれない時、借金が増えていく時、借金を先に返そうか、それとも
手持ちとして残そうかなどと、瞬時に考えるのだ。
本人の性格も垣間見えて面白い。
もっと大人になれば、現金を手元に残すのか、利率の低い経済情勢の中ではどのような支払い方が有利なのかなど、
実際の経済を考えなくてはならない。
だから、「借金」とは生生しいゲームだけれど、お金が有る時の感情と、無い時の感情などを味わうのもいいことだと思った。
ゲームは何人ででもできるが人数は多い方が盛り上がる。
私も、子供と対等に遊べるので子供達が来て、トランプゲームするのが本当に楽しい。
実際、カードが痛んでいたので、新しいカードに買い替えておいたりした。
子供達とまた遊びたいのが本音なのだ。
彼女たちが大人になった時、こんな風に遊んだという記憶が楽しく残ったら嬉しい。
私は母が結構遊びの「現場」を作ってくれたことを記憶している。
それも、近所の友達と一緒に遊べる工夫をしてくれたので、遊びが楽しかった。
ほんの学校に行く前に、「相撲の土俵」を地面に描いたり、長縄飛びを始めたりと、そんな記憶が、
まだまだ褪せることなく残っている。
そんな風に遊びの記憶が残ってくれたらいいなと、子供達と遊んだ。
内容の一部を先に記事にした通りだ。
子供達にとっては、我が家にやって来る時は、私の姉家族も近くに住んでいるので、そこも訪ねるのが慣例になっている。
また、そこには我が家の不愛想な猫とは打って変わって尻尾フリフリ喜んでくれる柴犬がいる。
犬と遊んだり、散歩体験もできて大喜びなのだ。
まだ母が健在だった頃は曾祖母にも会えたのだ。
大家族とまではいかなくても、お正月、お盆など全国的に帰省の季節に、親戚の皆が一同に会して会えるということは、
特に子供の時の経験として重要で、大切なことだと思っている。
本人の人生においての根っことなるからだ。
だから、我が家に来るのは大好きなのだ。
そして、私や、息子の兄弟もいる時は大勢でのトランプができるので、それも楽しみなのだ。
私が忙しくしていても、朝起きたばかりでも、
「ねエ、トランプできる?」
と催促してくる。
我が家で、トランプをやり始めた頃はごく普通の私が遊んできた頃の遊びの種類で遊んでいた。
「神経衰弱」とか「ババ抜き」とか「七並べ」なんていう類だった。
しかし、最近は、教えてもらう方に逆転しているのだ。
「借金、やらない?」とか「193(いっきゅうさん)やらない?」とか迫られるのだ。
「知らない〜!」
なんて言いつつ、やり方を教えてもらって始めると結構面白い。
「193の数字変えて、753にしない?」
なんて即席バージョンに変更したりすると、その場で真新しい内容になって皆テンションがあがる。
各人が慣れていない数字に対応するので、失敗が生まれる度合いが増えて、その度に歓声が上がる。
子供達の成長に合わせ、参加する私も、年齢も立場も忘れて対等に張り合って遊ぶ。
多分、彼女たちも対等な遊び仲間として私と遊びたいのだと思う。
「借金」なる遊びはカードの数字の価格が決まっていて、引いた数字によって、手持ちの金額を相手に払えなくなれば、借金という形を作る。
メモを横に置いて、人数分の相関関係図を作って、お互いの借金関係を記録していくことにした。
何度かやっている内に、始めるまえから、
「メモは?ペンは?」
と、段取りよく用意している。
「2000円手持ちがないから借りね、マイナス2000円と・・・。」
なんてやっていると、ゲームとは解っていても、妹の方は元気がなくなって、
「お金がない・・・・。」
「負けちゃう・・・。」
なんて本当に心配し始める。
逆に自分に沢山のお金が集まれば、にっこにこして嬉しそうだ。
最後に結果をみんなで計算して順位を決める。
こういう遊びができるって、とってもいい事だと思った。
現実ではないけれど、手持ち金に恵まれない時、借金が増えていく時、借金を先に返そうか、それとも
手持ちとして残そうかなどと、瞬時に考えるのだ。
本人の性格も垣間見えて面白い。
もっと大人になれば、現金を手元に残すのか、利率の低い経済情勢の中ではどのような支払い方が有利なのかなど、
実際の経済を考えなくてはならない。
だから、「借金」とは生生しいゲームだけれど、お金が有る時の感情と、無い時の感情などを味わうのもいいことだと思った。
ゲームは何人ででもできるが人数は多い方が盛り上がる。
私も、子供と対等に遊べるので子供達が来て、トランプゲームするのが本当に楽しい。
実際、カードが痛んでいたので、新しいカードに買い替えておいたりした。
子供達とまた遊びたいのが本音なのだ。
彼女たちが大人になった時、こんな風に遊んだという記憶が楽しく残ったら嬉しい。
私は母が結構遊びの「現場」を作ってくれたことを記憶している。
それも、近所の友達と一緒に遊べる工夫をしてくれたので、遊びが楽しかった。
ほんの学校に行く前に、「相撲の土俵」を地面に描いたり、長縄飛びを始めたりと、そんな記憶が、
まだまだ褪せることなく残っている。
そんな風に遊びの記憶が残ってくれたらいいなと、子供達と遊んだ。
2019年08月25日
子供の一言。
強い味方「男手」 2019/08/17の記事
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12506630047.html
第一弾の息子達のお盆の記事だった。
今回は第二弾、遠方に住む息子が子供達を連れてくることになった。
静かなお盆の季節はやはり過ごせないのだと、歓迎することにした。
子供達はどんどん成長していく。
少し会わないだけの間に身体的な成長は目を見張るものがある。
8月下旬はもう夏休みも終わりに近い。
バスケットをやっている上の子供のクラブ休みと休暇を合わせて来るとのこと。
夫婦で静かに暮らしている日常は一気に吹き飛ばされる。
それについては次の機会に書きたい。
私が早朝猫散歩をすると知っていて一緒に散歩したいというもう一人の下の子供が、
早起きしてきた。
しかし、それでも猫の散歩は終了していた。
間に合ったとしても、警戒心の強い猫は、私以外とは絶対に散歩しないので同行は無理なのだけれど。
とに角お泊り客がいる間は手の届かない場所に隠れてしまうのだ。
それで、外猫さんが沢山いる場所に散歩したことがあるので、また行きたいというので、
二人で散歩することにした。
公園で遊んだり、猫を探したり、と近所を往復した。
私は、子供の動画を撮ったり、写真を撮ったりしながら、お喋りして歩いた。
その時、スマホアプリがどうも写真バージョンに戻らなくて、再起動しても動画になってしまうので、
「ああ、写真が取撮れない・・・・。」
と、スマホと格闘していた。
結局後で写真は撮れるようになって、私は安心して、不要な動画を削除したりした。
夕食後、トランプなどして、もう就寝時間と言う頃、彼女がポツリと、しかし確かに訊いてきた。
「ねえ、写真撮れるようになった〜?」
「あっ、大丈夫、撮れるようになったよ。」
と、とっさに返したけれど、実のところは驚いていたのだ。
独りで、つぶやいていた事をしっかりと観察していたのだ。
そして、その結果を確かめたのだ。
入浴後にも、一言、洗面所にいた私に向かって、
「パジャマ、可愛い〜!そのね、耳についているアクセサリー取らないの?」
と、さりげなく聞いてくる。
ピアスに関しての観察だ。
姉妹で終日遊びに夢中でいるのに、その観察はどこでしてるの?
と、聞きたくなってしまう。
我が家は息子達しかいなくて、女の子を育てていない。
男子に対しては親、とくに母親はあまり近づき過ぎず、一歩引いてドライな感覚で接していたいと考えていたので、
必要な事はきちんと、そうでないことはそれぞれの支援の内容に応じて息子達の要請があれば応えるという風にしてきた。
見守ってはいるが、細かなことは言わない。
母と息子が密着していいことなど無いと自分に言い聞かせてきた。
息子は自立こそが目的なのだ。
社会に旅立てる準備の邪魔をしてはならないし、まして親であっても子供に依存するなど有り得ない。
だから、女子の観察眼が新鮮だったのかもしれない。
でも、女子なら皆同じでもないだろう。
聞くこと、視ること、どちらも彼女なりの観察眼なのだろう。
子供の能力は大人より低い、未発達だなんて勝手に決めつけてはいけないと思った。
ぼ〜っと生きてる大人よりも、何事にも好奇心に溢れた子供はよく見て、よく探求しているのだ。
そんな子供達の「芽」を摘むことなく無限に伸ばしてあげたいと思う時、一方で
夏休みのお天気観察表なるものに記入している姿を見て、
「こういうのは、気象庁にデータがあるので、それを最終的にまとめてもいいんじゃない?」
なんていう発想をして、その時間をもっと他のアイデアのある時間に費やしてはどうかと、
十年一日のごとく代わり映えしない宿題を済ましている彼女たちに、そして彼女たちの学校に言いたくなった。
何事にも「俯瞰図」の如く少し、引いて観察したいのが私のようなのです。
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12506630047.html
第一弾の息子達のお盆の記事だった。
今回は第二弾、遠方に住む息子が子供達を連れてくることになった。
静かなお盆の季節はやはり過ごせないのだと、歓迎することにした。
子供達はどんどん成長していく。
少し会わないだけの間に身体的な成長は目を見張るものがある。
8月下旬はもう夏休みも終わりに近い。
バスケットをやっている上の子供のクラブ休みと休暇を合わせて来るとのこと。
夫婦で静かに暮らしている日常は一気に吹き飛ばされる。
それについては次の機会に書きたい。
私が早朝猫散歩をすると知っていて一緒に散歩したいというもう一人の下の子供が、
早起きしてきた。
しかし、それでも猫の散歩は終了していた。
間に合ったとしても、警戒心の強い猫は、私以外とは絶対に散歩しないので同行は無理なのだけれど。
とに角お泊り客がいる間は手の届かない場所に隠れてしまうのだ。
それで、外猫さんが沢山いる場所に散歩したことがあるので、また行きたいというので、
二人で散歩することにした。
公園で遊んだり、猫を探したり、と近所を往復した。
私は、子供の動画を撮ったり、写真を撮ったりしながら、お喋りして歩いた。
その時、スマホアプリがどうも写真バージョンに戻らなくて、再起動しても動画になってしまうので、
「ああ、写真が取撮れない・・・・。」
と、スマホと格闘していた。
結局後で写真は撮れるようになって、私は安心して、不要な動画を削除したりした。
夕食後、トランプなどして、もう就寝時間と言う頃、彼女がポツリと、しかし確かに訊いてきた。
「ねえ、写真撮れるようになった〜?」
「あっ、大丈夫、撮れるようになったよ。」
と、とっさに返したけれど、実のところは驚いていたのだ。
独りで、つぶやいていた事をしっかりと観察していたのだ。
そして、その結果を確かめたのだ。
入浴後にも、一言、洗面所にいた私に向かって、
「パジャマ、可愛い〜!そのね、耳についているアクセサリー取らないの?」
と、さりげなく聞いてくる。
ピアスに関しての観察だ。
姉妹で終日遊びに夢中でいるのに、その観察はどこでしてるの?
と、聞きたくなってしまう。
我が家は息子達しかいなくて、女の子を育てていない。
男子に対しては親、とくに母親はあまり近づき過ぎず、一歩引いてドライな感覚で接していたいと考えていたので、
必要な事はきちんと、そうでないことはそれぞれの支援の内容に応じて息子達の要請があれば応えるという風にしてきた。
見守ってはいるが、細かなことは言わない。
母と息子が密着していいことなど無いと自分に言い聞かせてきた。
息子は自立こそが目的なのだ。
社会に旅立てる準備の邪魔をしてはならないし、まして親であっても子供に依存するなど有り得ない。
だから、女子の観察眼が新鮮だったのかもしれない。
でも、女子なら皆同じでもないだろう。
聞くこと、視ること、どちらも彼女なりの観察眼なのだろう。
子供の能力は大人より低い、未発達だなんて勝手に決めつけてはいけないと思った。
ぼ〜っと生きてる大人よりも、何事にも好奇心に溢れた子供はよく見て、よく探求しているのだ。
そんな子供達の「芽」を摘むことなく無限に伸ばしてあげたいと思う時、一方で
夏休みのお天気観察表なるものに記入している姿を見て、
「こういうのは、気象庁にデータがあるので、それを最終的にまとめてもいいんじゃない?」
なんていう発想をして、その時間をもっと他のアイデアのある時間に費やしてはどうかと、
十年一日のごとく代わり映えしない宿題を済ましている彼女たちに、そして彼女たちの学校に言いたくなった。
何事にも「俯瞰図」の如く少し、引いて観察したいのが私のようなのです。
2019年08月24日
向田邦子さんの記事
新聞のコラムから引用
省みるという字に「目」があるのは、自分をしっかり見よということなのだろう。元になった金文では、
「少」の部分が「生」を意味する部首になっている。生きることや生命に向き合うという字義だと解釈したい
▼戦後、昭和天皇との会話を初代宮内庁長官がメモした「拝謁[はいえつ]記」が公表された。
日本の独立回復を祝う1952年の式典を前に「反省するといふ文句ハ入れた方がよいと思ふ」。
日本が戦争へと突き進んだことに向き合った昭和天皇の後悔が詳細に記録されている
▼8月は不慮の死について思い巡らす機会が多い。原爆忌や終戦の日のほか、日航ジャンボ機墜落事故(85年)は
520人が犠牲になった。きのうは、77人が亡くなった広島土砂災害から5年。交通事故や水の事故も後を絶たない。
1カ月たった京都アニメーション放火殺人事件は鎮魂の思いをさらに強くさせる
▼数々のテレビドラマ脚本で昭和を描いた向田邦子さんは45歳で乳がん手術をした。
輸血後肝炎を併発して右手が利かなくなり〈あまり長く生きられないのではないか〉と、
〈のんきな遺言状〉の気持ちで初めてのエッセー依頼を引き受けた(「父の詫び状」あとがき)
▼〈いったん火をつけると、不意に足許[もと]で小さく火を吹き上げ、思いもかけないところへ飛んでいって
爆[は]ぜ…これが私のお盆…〉。死者の記憶をねずみ花火に例えた。死者を思い出すことと自分が生きている
ことは表裏ということか
▼向田さんは颯爽[さっそう]と昭和を生き、81年8月22日、台湾取材旅行中に飛行機事故で帰らぬ人に。51歳だった。
以上引用
2017/12/27の向田邦子さんの記事。ブログを始めたばかりの頃だ。
「マガジンハウスの中の向田邦子さん」
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12339744726.html
時々彼女のことを思い出す、憧れの女性だった。
こうして新聞のコラムでも思い出されることが嬉しかった。
生きてらしたら黒柳徹子さん世代の方で、まだまだいろんな語録が聞けたのではないかと
惜しくてならない。
この以前のブログが不具合を起こして、もう一記事書いてあったのが見ることができなくなっている。
彼女と恋人のカメラマンさんとのことも書かせて頂いた。
だから素敵な写真が、マガジンハウスでは見れる。
8月22日には彼女のことを思い出しているだろう。
省みるという字に「目」があるのは、自分をしっかり見よということなのだろう。元になった金文では、
「少」の部分が「生」を意味する部首になっている。生きることや生命に向き合うという字義だと解釈したい
▼戦後、昭和天皇との会話を初代宮内庁長官がメモした「拝謁[はいえつ]記」が公表された。
日本の独立回復を祝う1952年の式典を前に「反省するといふ文句ハ入れた方がよいと思ふ」。
日本が戦争へと突き進んだことに向き合った昭和天皇の後悔が詳細に記録されている
▼8月は不慮の死について思い巡らす機会が多い。原爆忌や終戦の日のほか、日航ジャンボ機墜落事故(85年)は
520人が犠牲になった。きのうは、77人が亡くなった広島土砂災害から5年。交通事故や水の事故も後を絶たない。
1カ月たった京都アニメーション放火殺人事件は鎮魂の思いをさらに強くさせる
▼数々のテレビドラマ脚本で昭和を描いた向田邦子さんは45歳で乳がん手術をした。
輸血後肝炎を併発して右手が利かなくなり〈あまり長く生きられないのではないか〉と、
〈のんきな遺言状〉の気持ちで初めてのエッセー依頼を引き受けた(「父の詫び状」あとがき)
▼〈いったん火をつけると、不意に足許[もと]で小さく火を吹き上げ、思いもかけないところへ飛んでいって
爆[は]ぜ…これが私のお盆…〉。死者の記憶をねずみ花火に例えた。死者を思い出すことと自分が生きている
ことは表裏ということか
▼向田さんは颯爽[さっそう]と昭和を生き、81年8月22日、台湾取材旅行中に飛行機事故で帰らぬ人に。51歳だった。
以上引用
2017/12/27の向田邦子さんの記事。ブログを始めたばかりの頃だ。
「マガジンハウスの中の向田邦子さん」
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12339744726.html
時々彼女のことを思い出す、憧れの女性だった。
こうして新聞のコラムでも思い出されることが嬉しかった。
生きてらしたら黒柳徹子さん世代の方で、まだまだいろんな語録が聞けたのではないかと
惜しくてならない。
この以前のブログが不具合を起こして、もう一記事書いてあったのが見ることができなくなっている。
彼女と恋人のカメラマンさんとのことも書かせて頂いた。
だから素敵な写真が、マガジンハウスでは見れる。
8月22日には彼女のことを思い出しているだろう。
2019年08月23日
ガス点火電池。
ビルトインガスコンロの「ガス点火用電池」が切れます、というランプが点滅し始めていた。
リンナイ製だ。
解っていても、先延ばししても大丈夫だろうと、勝手に解釈したいのが心情なのだ。
「そう、設置する時ガス会社の人が丁寧に教えてくれたんだよね〜。」
と記憶はしている。
しかし、妙に隠れた場所に電池が入ってるんだということで、何故先延ばしにするかの原因
は自分で分かっている。
ガスコンロの点火用電池入れ替えの場所がわからないのだ。
「え〜っと、ここじゃない?、ここでもない?」
と、表示板を出したり収めたり、電池の場所を探しまくった。
「ない。分からない。ふ〜!」
と溜息をついて休止。
でも、ランプはチカチカしているのだから、いずれ点火できなくなる。
後で考えれば、ネットで探せばその方法は動画で説明されているのだが、ガス会社のショールームに訊くことにした。
コンロの型番が分かればきちんと説明してくれる。
(ん?ちょっと詳しくなくて、パソコンで見てみますと言っていた。)
結局、表示板を皮を剥がすようにして現れるというものだったが、空間の利用としての設計はできているのだろうが、老若男女問わず誰でもが解るかと言えば、とっても分かりにくい設計だと思った。
(指が触れている箇所の奥に電池が収納されている。)
普段は表示板と一体化しているから剥がれるとは思わない場所なのだ。
こうして四苦八苦して経験すれば忘れないけれど、(多分?)その場所を探さなければならないというハードルがあって
先延ばしになった今回の電池交換でした。
しかし、そんなに隠さなくても、分かり易い場所で簡潔にしたいものです。
まあ、そんなに何度もないからこそ、普段は見えない場所に収納しようという意図は分からないでもないけれど、
クイズをやっているような場所探しでした。
ショールームの女性社員さんと電話でやりとりしていて、こちらが探し当てた時は、
「あっ、ありました〜!」
「ありました〜?よかった〜!」
なんて喜びあってしまったので、結構楽しかったんですけどね。
リンナイ製だ。
解っていても、先延ばししても大丈夫だろうと、勝手に解釈したいのが心情なのだ。
「そう、設置する時ガス会社の人が丁寧に教えてくれたんだよね〜。」
と記憶はしている。
しかし、妙に隠れた場所に電池が入ってるんだということで、何故先延ばしにするかの原因
は自分で分かっている。
ガスコンロの点火用電池入れ替えの場所がわからないのだ。
「え〜っと、ここじゃない?、ここでもない?」
と、表示板を出したり収めたり、電池の場所を探しまくった。
「ない。分からない。ふ〜!」
と溜息をついて休止。
でも、ランプはチカチカしているのだから、いずれ点火できなくなる。
後で考えれば、ネットで探せばその方法は動画で説明されているのだが、ガス会社のショールームに訊くことにした。
コンロの型番が分かればきちんと説明してくれる。
(ん?ちょっと詳しくなくて、パソコンで見てみますと言っていた。)
結局、表示板を皮を剥がすようにして現れるというものだったが、空間の利用としての設計はできているのだろうが、老若男女問わず誰でもが解るかと言えば、とっても分かりにくい設計だと思った。
(指が触れている箇所の奥に電池が収納されている。)
普段は表示板と一体化しているから剥がれるとは思わない場所なのだ。
こうして四苦八苦して経験すれば忘れないけれど、(多分?)その場所を探さなければならないというハードルがあって
先延ばしになった今回の電池交換でした。
しかし、そんなに隠さなくても、分かり易い場所で簡潔にしたいものです。
まあ、そんなに何度もないからこそ、普段は見えない場所に収納しようという意図は分からないでもないけれど、
クイズをやっているような場所探しでした。
ショールームの女性社員さんと電話でやりとりしていて、こちらが探し当てた時は、
「あっ、ありました〜!」
「ありました〜?よかった〜!」
なんて喜びあってしまったので、結構楽しかったんですけどね。
2019年08月22日
またやった!
2019/08/12の記事に「リモコン買い替え顛末記」を書いた。
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12503179569.html
そんなことと似たようなことがまたあった。
冷蔵庫の製氷室の氷ができていなかった。
お水をセットしてあるのに氷ができていなかった。
「ん?故障?」
と、お水をセットし直したことがあった。
「う〜〜〜ん、この季節に困ったナ」
と、対策を考え始めていた。
しかし、数時間経ったら、製氷室には氷がゴロゴロできていたのだ。
この原因は何だったのだろうと、不思議に思っていた。
お盆の時期に息子たちが来て、飲み物などに沢山の氷を使ったので、頻繁にお水の量をチェックしていた。
そうしたら、不足になることなく氷は次々と出来上がっていた。
普段は、そんなにセットする水の量を気にしないでもよかったので、日数が経っても、
「あれだけの量入れてあったのだから氷不足にはならないだろう。」
と高をくくっていたのだと思う。
予測不足だったのだろう。
絶対必要と準備すれば、製氷機能は素直に発揮されたのだ。
結論は、
氷は出来なかったのではなく、製氷機能も正常で、私の準備不足だったようなのだ。
要するに「人的ミス」だったのだ。
リモコンも電池の残量不足という初歩的なこと、氷に関しても、水を用意してなかったという
初歩の初歩のミスだった。
これからは、故障の時は、先ず根本的に初歩の点検は済んでいるかを、もっと慎重に丁寧に確かめるということだと、学んだ。
暑さで、・・・・、なんて言い訳はしないけれど、やっぱり暑い!
かき氷が食べた〜〜〜い!
(写真はイメージ。一番涼しそうで美味しそうだった。)
https://ameblo.jp/kickbell/entry-12503179569.html
そんなことと似たようなことがまたあった。
冷蔵庫の製氷室の氷ができていなかった。
お水をセットしてあるのに氷ができていなかった。
「ん?故障?」
と、お水をセットし直したことがあった。
「う〜〜〜ん、この季節に困ったナ」
と、対策を考え始めていた。
しかし、数時間経ったら、製氷室には氷がゴロゴロできていたのだ。
この原因は何だったのだろうと、不思議に思っていた。
お盆の時期に息子たちが来て、飲み物などに沢山の氷を使ったので、頻繁にお水の量をチェックしていた。
そうしたら、不足になることなく氷は次々と出来上がっていた。
普段は、そんなにセットする水の量を気にしないでもよかったので、日数が経っても、
「あれだけの量入れてあったのだから氷不足にはならないだろう。」
と高をくくっていたのだと思う。
予測不足だったのだろう。
絶対必要と準備すれば、製氷機能は素直に発揮されたのだ。
結論は、
氷は出来なかったのではなく、製氷機能も正常で、私の準備不足だったようなのだ。
要するに「人的ミス」だったのだ。
リモコンも電池の残量不足という初歩的なこと、氷に関しても、水を用意してなかったという
初歩の初歩のミスだった。
これからは、故障の時は、先ず根本的に初歩の点検は済んでいるかを、もっと慎重に丁寧に確かめるということだと、学んだ。
暑さで、・・・・、なんて言い訳はしないけれど、やっぱり暑い!
かき氷が食べた〜〜〜い!
(写真はイメージ。一番涼しそうで美味しそうだった。)