2019年08月26日
息子家族第2弾。
息子が子連れでやってきた。
内容の一部を先に記事にした通りだ。
子供達にとっては、我が家にやって来る時は、私の姉家族も近くに住んでいるので、そこも訪ねるのが慣例になっている。
また、そこには我が家の不愛想な猫とは打って変わって尻尾フリフリ喜んでくれる柴犬がいる。
犬と遊んだり、散歩体験もできて大喜びなのだ。
まだ母が健在だった頃は曾祖母にも会えたのだ。
大家族とまではいかなくても、お正月、お盆など全国的に帰省の季節に、親戚の皆が一同に会して会えるということは、
特に子供の時の経験として重要で、大切なことだと思っている。
本人の人生においての根っことなるからだ。
だから、我が家に来るのは大好きなのだ。
そして、私や、息子の兄弟もいる時は大勢でのトランプができるので、それも楽しみなのだ。
私が忙しくしていても、朝起きたばかりでも、
「ねエ、トランプできる?」
と催促してくる。
我が家で、トランプをやり始めた頃はごく普通の私が遊んできた頃の遊びの種類で遊んでいた。
「神経衰弱」とか「ババ抜き」とか「七並べ」なんていう類だった。
しかし、最近は、教えてもらう方に逆転しているのだ。
「借金、やらない?」とか「193(いっきゅうさん)やらない?」とか迫られるのだ。
「知らない〜!」
なんて言いつつ、やり方を教えてもらって始めると結構面白い。
「193の数字変えて、753にしない?」
なんて即席バージョンに変更したりすると、その場で真新しい内容になって皆テンションがあがる。
各人が慣れていない数字に対応するので、失敗が生まれる度合いが増えて、その度に歓声が上がる。
子供達の成長に合わせ、参加する私も、年齢も立場も忘れて対等に張り合って遊ぶ。
多分、彼女たちも対等な遊び仲間として私と遊びたいのだと思う。
「借金」なる遊びはカードの数字の価格が決まっていて、引いた数字によって、手持ちの金額を相手に払えなくなれば、借金という形を作る。
メモを横に置いて、人数分の相関関係図を作って、お互いの借金関係を記録していくことにした。
何度かやっている内に、始めるまえから、
「メモは?ペンは?」
と、段取りよく用意している。
「2000円手持ちがないから借りね、マイナス2000円と・・・。」
なんてやっていると、ゲームとは解っていても、妹の方は元気がなくなって、
「お金がない・・・・。」
「負けちゃう・・・。」
なんて本当に心配し始める。
逆に自分に沢山のお金が集まれば、にっこにこして嬉しそうだ。
最後に結果をみんなで計算して順位を決める。
こういう遊びができるって、とってもいい事だと思った。
現実ではないけれど、手持ち金に恵まれない時、借金が増えていく時、借金を先に返そうか、それとも
手持ちとして残そうかなどと、瞬時に考えるのだ。
本人の性格も垣間見えて面白い。
もっと大人になれば、現金を手元に残すのか、利率の低い経済情勢の中ではどのような支払い方が有利なのかなど、
実際の経済を考えなくてはならない。
だから、「借金」とは生生しいゲームだけれど、お金が有る時の感情と、無い時の感情などを味わうのもいいことだと思った。
ゲームは何人ででもできるが人数は多い方が盛り上がる。
私も、子供と対等に遊べるので子供達が来て、トランプゲームするのが本当に楽しい。
実際、カードが痛んでいたので、新しいカードに買い替えておいたりした。
子供達とまた遊びたいのが本音なのだ。
彼女たちが大人になった時、こんな風に遊んだという記憶が楽しく残ったら嬉しい。
私は母が結構遊びの「現場」を作ってくれたことを記憶している。
それも、近所の友達と一緒に遊べる工夫をしてくれたので、遊びが楽しかった。
ほんの学校に行く前に、「相撲の土俵」を地面に描いたり、長縄飛びを始めたりと、そんな記憶が、
まだまだ褪せることなく残っている。
そんな風に遊びの記憶が残ってくれたらいいなと、子供達と遊んだ。
内容の一部を先に記事にした通りだ。
子供達にとっては、我が家にやって来る時は、私の姉家族も近くに住んでいるので、そこも訪ねるのが慣例になっている。
また、そこには我が家の不愛想な猫とは打って変わって尻尾フリフリ喜んでくれる柴犬がいる。
犬と遊んだり、散歩体験もできて大喜びなのだ。
まだ母が健在だった頃は曾祖母にも会えたのだ。
大家族とまではいかなくても、お正月、お盆など全国的に帰省の季節に、親戚の皆が一同に会して会えるということは、
特に子供の時の経験として重要で、大切なことだと思っている。
本人の人生においての根っことなるからだ。
だから、我が家に来るのは大好きなのだ。
そして、私や、息子の兄弟もいる時は大勢でのトランプができるので、それも楽しみなのだ。
私が忙しくしていても、朝起きたばかりでも、
「ねエ、トランプできる?」
と催促してくる。
我が家で、トランプをやり始めた頃はごく普通の私が遊んできた頃の遊びの種類で遊んでいた。
「神経衰弱」とか「ババ抜き」とか「七並べ」なんていう類だった。
しかし、最近は、教えてもらう方に逆転しているのだ。
「借金、やらない?」とか「193(いっきゅうさん)やらない?」とか迫られるのだ。
「知らない〜!」
なんて言いつつ、やり方を教えてもらって始めると結構面白い。
「193の数字変えて、753にしない?」
なんて即席バージョンに変更したりすると、その場で真新しい内容になって皆テンションがあがる。
各人が慣れていない数字に対応するので、失敗が生まれる度合いが増えて、その度に歓声が上がる。
子供達の成長に合わせ、参加する私も、年齢も立場も忘れて対等に張り合って遊ぶ。
多分、彼女たちも対等な遊び仲間として私と遊びたいのだと思う。
「借金」なる遊びはカードの数字の価格が決まっていて、引いた数字によって、手持ちの金額を相手に払えなくなれば、借金という形を作る。
メモを横に置いて、人数分の相関関係図を作って、お互いの借金関係を記録していくことにした。
何度かやっている内に、始めるまえから、
「メモは?ペンは?」
と、段取りよく用意している。
「2000円手持ちがないから借りね、マイナス2000円と・・・。」
なんてやっていると、ゲームとは解っていても、妹の方は元気がなくなって、
「お金がない・・・・。」
「負けちゃう・・・。」
なんて本当に心配し始める。
逆に自分に沢山のお金が集まれば、にっこにこして嬉しそうだ。
最後に結果をみんなで計算して順位を決める。
こういう遊びができるって、とってもいい事だと思った。
現実ではないけれど、手持ち金に恵まれない時、借金が増えていく時、借金を先に返そうか、それとも
手持ちとして残そうかなどと、瞬時に考えるのだ。
本人の性格も垣間見えて面白い。
もっと大人になれば、現金を手元に残すのか、利率の低い経済情勢の中ではどのような支払い方が有利なのかなど、
実際の経済を考えなくてはならない。
だから、「借金」とは生生しいゲームだけれど、お金が有る時の感情と、無い時の感情などを味わうのもいいことだと思った。
ゲームは何人ででもできるが人数は多い方が盛り上がる。
私も、子供と対等に遊べるので子供達が来て、トランプゲームするのが本当に楽しい。
実際、カードが痛んでいたので、新しいカードに買い替えておいたりした。
子供達とまた遊びたいのが本音なのだ。
彼女たちが大人になった時、こんな風に遊んだという記憶が楽しく残ったら嬉しい。
私は母が結構遊びの「現場」を作ってくれたことを記憶している。
それも、近所の友達と一緒に遊べる工夫をしてくれたので、遊びが楽しかった。
ほんの学校に行く前に、「相撲の土俵」を地面に描いたり、長縄飛びを始めたりと、そんな記憶が、
まだまだ褪せることなく残っている。
そんな風に遊びの記憶が残ってくれたらいいなと、子供達と遊んだ。
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