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2017年05月19日
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2017年05月05日
『 MAKIDAI』が事故から復帰で、 心境変化を激白した!!
MAKIDAIが事故で重傷――。衝撃の一報が飛び込んできたのは昨年末のことだった。
MAKIDAIは、VERBAL、DJ DARUMAらユニット「PKCZ」のメンバーとともに函館から札幌へ車で移動中、大型トラックと衝突。MAKIDAIは肋骨骨折、肺挫傷など大ケガを負った。
事故から4カ月。すでに火曜パーソナリティーを務める日本テレビ系「ZIP!」やステージへの復帰を果たすなど驚異的な回復力を見せているが、1カ月に及んだ入院生活で、これまでの人生観が大きく変わったという。復帰後の心境を初激白。
以下激白文
僕はいま41歳。デビューは遅い方で、「J Soul Brothers」の時が26歳。それからはや15年。振り返るよりも、新しいチャンスと出会いを求めて突っ走ってきました。
大きな転機は40歳のタイミングで「EXILE」という自分を形作ったグループからパフォーマーとして卒業したことですが、卒業とはいえ「ああ、これでゆっくりできる」という感覚は全然なくて、むしろ「PKCZ」の活動などで忙しく、東京にいる時間は前よりも少なくなっていました。
平均年齢からすれば40歳は人生の折り返し地点。100歳ぐらいまで生きたいなあとは思いますが、これからもっと本気で仕事に取り組むぞと思ったときに事故に遭いました。
当時は朦朧としていて、気がついたらベッドの上。函館の救急病院に入院当初は、自分で水も飲めないし、トイレにも行けない。ナースコールのボタンにも手が届かない。病院の白い天井を見ながら、ふと頭に浮かんだのは家族の顔でした。
■病院の天井を見つめながら考えた「仕事、家族、結婚」
一年のうちで実家の家族と顔を合わせるのは正月とか年に3回くらい。この15年はずっとそんな感じでしたが、事故の翌日に函館まで両親が来てくれた時は本当にありがたかった。
一つでも希望の兆しを見せねばと、「おりゃああ!」と絶叫しながらベッドに腰掛けました。むちゃくちゃ痛かったですけど(笑い)。それからは歩く、食べる、トイレに行くなど当たり前のことが当たり前じゃないという発見の連続。
それまでは仕事を軸にガムシャラに生きてきたから今の自分があるのは確かですが、見えないところで家族が支えてくれていたことに気づけたのは大きかった。早期復帰できたことも含めて丈夫な体に産んでくれた両親のDNAにも感謝しました。
僕も年齢を考えると早く自分の家族を持ちたい感情が自然と湧いてきました。独身主義ではないし、結婚の予定は今のところありませんが、願望はあります。両親に孫の顔も見せてあげたいし、60代の時に20歳の子供がいたらベストかもしれません。相手が必要なことですけど(笑い)。
もちろん仕事もバリバリやります。入院中は仲間が出演しているテレビを見たり、携帯にメッセージが送られてきたりすると不思議と力がみなぎってきました。
看護師さんがいつ入ってくるか分からないから照れくさくて泣くに泣けませんでしたが、エンターテインメントが生み出すパワーを身をもって感じました。今までは中にいたから分かりませんでしたが、これも第三者的な立場になって初めて気づけたことです。
まずは仕事の遅れを取り戻すのが先決ですが、人生は一度きり。そして究極いつかは死にます。それももう半分まできた。だったら、生きているうちにしかできないことをもっとやりたい。それがいまの率直な気持ちです。
☆1975年、横浜市生まれ。本名・眞木大輔。
99年に、J Soul Brothers加入。01年、J Soul BrothersからEXILEに改名。
その後は、EXILEとしての活動にとどまらず、俳優、モデルとしても活躍。15年いっぱいでEXILEのパフォーマーを引退。
現在は、DJ MAKIDAIとしてクリエーティブユニットPKCZの活動のほか、日本テレビ系「ZIP!」の火曜日メーンパーソナリティーも担当。LDH所属。
MAKIDAIは、VERBAL、DJ DARUMAらユニット「PKCZ」のメンバーとともに函館から札幌へ車で移動中、大型トラックと衝突。MAKIDAIは肋骨骨折、肺挫傷など大ケガを負った。
事故から4カ月。すでに火曜パーソナリティーを務める日本テレビ系「ZIP!」やステージへの復帰を果たすなど驚異的な回復力を見せているが、1カ月に及んだ入院生活で、これまでの人生観が大きく変わったという。復帰後の心境を初激白。
以下激白文
僕はいま41歳。デビューは遅い方で、「J Soul Brothers」の時が26歳。それからはや15年。振り返るよりも、新しいチャンスと出会いを求めて突っ走ってきました。
大きな転機は40歳のタイミングで「EXILE」という自分を形作ったグループからパフォーマーとして卒業したことですが、卒業とはいえ「ああ、これでゆっくりできる」という感覚は全然なくて、むしろ「PKCZ」の活動などで忙しく、東京にいる時間は前よりも少なくなっていました。
平均年齢からすれば40歳は人生の折り返し地点。100歳ぐらいまで生きたいなあとは思いますが、これからもっと本気で仕事に取り組むぞと思ったときに事故に遭いました。
当時は朦朧としていて、気がついたらベッドの上。函館の救急病院に入院当初は、自分で水も飲めないし、トイレにも行けない。ナースコールのボタンにも手が届かない。病院の白い天井を見ながら、ふと頭に浮かんだのは家族の顔でした。
■病院の天井を見つめながら考えた「仕事、家族、結婚」
一年のうちで実家の家族と顔を合わせるのは正月とか年に3回くらい。この15年はずっとそんな感じでしたが、事故の翌日に函館まで両親が来てくれた時は本当にありがたかった。
一つでも希望の兆しを見せねばと、「おりゃああ!」と絶叫しながらベッドに腰掛けました。むちゃくちゃ痛かったですけど(笑い)。それからは歩く、食べる、トイレに行くなど当たり前のことが当たり前じゃないという発見の連続。
それまでは仕事を軸にガムシャラに生きてきたから今の自分があるのは確かですが、見えないところで家族が支えてくれていたことに気づけたのは大きかった。早期復帰できたことも含めて丈夫な体に産んでくれた両親のDNAにも感謝しました。
僕も年齢を考えると早く自分の家族を持ちたい感情が自然と湧いてきました。独身主義ではないし、結婚の予定は今のところありませんが、願望はあります。両親に孫の顔も見せてあげたいし、60代の時に20歳の子供がいたらベストかもしれません。相手が必要なことですけど(笑い)。
もちろん仕事もバリバリやります。入院中は仲間が出演しているテレビを見たり、携帯にメッセージが送られてきたりすると不思議と力がみなぎってきました。
看護師さんがいつ入ってくるか分からないから照れくさくて泣くに泣けませんでしたが、エンターテインメントが生み出すパワーを身をもって感じました。今までは中にいたから分かりませんでしたが、これも第三者的な立場になって初めて気づけたことです。
まずは仕事の遅れを取り戻すのが先決ですが、人生は一度きり。そして究極いつかは死にます。それももう半分まできた。だったら、生きているうちにしかできないことをもっとやりたい。それがいまの率直な気持ちです。
☆1975年、横浜市生まれ。本名・眞木大輔。
99年に、J Soul Brothers加入。01年、J Soul BrothersからEXILEに改名。
その後は、EXILEとしての活動にとどまらず、俳優、モデルとしても活躍。15年いっぱいでEXILEのパフォーマーを引退。
現在は、DJ MAKIDAIとしてクリエーティブユニットPKCZの活動のほか、日本テレビ系「ZIP!」の火曜日メーンパーソナリティーも担当。LDH所属。