2021年05月15日
キューバ フィデル・カストロらのモデーロ刑務所からの釈放66周年を祝う
フィデル・カストロ(中央)とその同志たち、モデーロ刑務所から釈放(1955年5月15日)
Radio Habana Cuba、2021年5月15日、PL
キューバ国民はきょう土曜日(5月15日)、キューバ革命の歴史的指導者フィデル・カストロ(1926-2016)とその闘争の同志たちの釈放について、その66周年を機に回想する。
このモデーロ刑務所での収監は、1953年にフィデルによって指揮されフルヘンシオ・バティスタ独裁(1952-1959)に対する叛乱闘争の起点となったサンティアゴ・デ・クーバのモンカダ兵営とバヤモのカルロス・マヌエル・デ・セスペデス兵営への襲撃に関する裁判に基づくものであった。
ピノス島国立男性刑務所いわゆるモデーロ刑務所の解放は、全国で力をつけ、このときまでになされたフィデルらの理想を支持する最大の動員となった活発な恩赦請願運動のおかげで可能となった。
同刑務所からの釈放時にフィデルは、ヌエバ・ヘローナのマルティ通りにあるホテル「イスラ・デ・ピノス」で記者会見に応じ、キューバ国民に闘争の継続を知らせる「宣言」をメディアに提供した。
「われわれの解放は祝い事や休息というわけではなく、闘争と義務にかかわることである。第一日目から停戦なしに戦うこと、専制政治や極貧のない祖国のための激しい任務であり、進むべき最高の道は何者にも変えられないものである。」
「キューバの国は、自身を虐待する者たちに対して強大にそびえ立ち、国民の意識に新たな信頼が生まれ、並々ならぬ目覚めが生じる。これを圧迫しようとすることは、前例のない大惨事を引き起こすことであり、忌まわしい結果がその犯罪人たちの頭上に降りかかることであろう」、とフィデルは指摘した。
それから2か月たたないうちにフィデル・カストロはメキシコに向かい、その後グランマ号による航海を準備し、キューバのオリエンテ地方に上陸、シエラ・マエストラでのゲリラ闘争を開始した。この闘争は1959年1月1日に叛乱軍の勝利で終わった。
キューバTV ドキュメンタリー「フィデルの釈放」(2015年)
Cuba recuerda salida de Fidel Castro de presidio
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/257363-cuba-recuerda-salida-de-fidel-castro-de-presidio
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