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2018年11月20日

フレデリク・セペダ フィデル・カストロとの思い出を語る フィデルこそが野球である

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フィデル(左)とセペダ(右)、2004年アテネ五輪帰国時

Trabajadores、2018年11月20日、Joel García León記者

フレデリク・セペダは誠実である。他の時代の野球選手ほど何度もキューバ革命指導者の近くにいなかったが、その自身の経験を永遠の痕跡として持っている。2002年から2010年にかけて、フィデルと対面したり、会話したりするたびに、フィデルがつねに発していた当初の緊張に打ち勝ち、アドバイスや細部の話、もっとも必要な励ましを受け取った。

セペダは、それらの瞬間について、ラティーノアメリカーノ球場で語ることを選んだ。16年前、インターコンチネンタルカップ開催中にはじめてフィデルに挨拶をした場所だ。「パナマとの試合のときで、そこに到着してから、フィデルが私たちに会いに来ると聞かされた」、とセペダは回想する。セペダはその年、キューバリーグの準優勝チームメンバーとなり、国際大会でのキューバ代表メンバーに初めて選ばれていた。

「その試合は雨のために3回で中断し、私たちは警備員たちと野球の話をしていた。すぐにフィデルが到着したと知らされた。警備員たちは持ち場に着いて、10分もたたないうちにフィデルがベンチに現れた。印象的だった。フィデルは信じられないほどのエネルギーを発していた。」

「フィデルは野球がとても好きで、代表チームにいた選手の名前を、初選出だった私たちを含めて、全部知っていた。その日、フィデルはバルバロ・カニィサレスや、私、そしてほかの何人かについて尋ねた。私が挨拶すると、フィデルはこう言った。"おい、きみは若いのにバッターボックスでなんて辛抱強いんだ。"」

「その大会で私は四球をいくつか獲得していたが、それより私が注目したのは、フィデルがその膨大な仕事のさなかに、わずかな時間を使って、相手を評価したり鼓舞したりするために必要なことを伝える術を知っている、という細部だった。そのあとフィデルは、彼に会いたがっていたパナマの選手たちに挨拶をして、去っていった。」

アテネからの階段を降りながら

セペダは2004年アテネ五輪からの帰国時にふたたびフィデルと対面した。総合スポーツ大会のたびにいつもおこなっていたように、フィデルは選手団を出迎えた。選手たち全員が機内の窓からフィデルの姿を見て、彼がしうるであろう予期せぬ質問のことを考えて、神経を高ぶらせた。

「野球チームはオーストラリアとの決勝戦に勝ち、2000年シドニー五輪で失った金メダルを取り返していた。その試合で私は本塁打を打ったが、飛行機の階段から降りてフィデルに挨拶したとき、浴びせられたのがそのときの詳細だった」、とセペダはふたたびその場面にいるかのように回想する。

「私の手をとってフィデルは言った。"きみはミートしたとき、あの打撃が本塁打になるとわかっていた?" 私はすぐに、スイングとバットの音から本塁打を確信していたと説明した。フィデルはいつものようにメダルを私の胸にかけてくれ、こう言った。"きみのあの打撃と金メダルを祝福する" 。そのあとの公式スピーチで、フィデルは野球チームに言及し、すべての選手団の結果について話した。これが1枚の写真に保存されている忘れられないもう一日だ。」

WBCと辛抱強さ

第一回WBC(2006年)の準備トレーニング中に、フィデルは何度か球場にいたが、選手たちの集中を乱したり、いかなるプレッシャーも与えないようにと考え、選手たちと話さないことを選んだ。出発の前日、国家評議会で会合があった。何のためにとは誰も言わなかったが、フィデルが選手たちと情報共有するのだろうと誰もが思っていた。

「私たちはフィデルを待って20分ほど座っていた。フィデルがドアから入ってきて、くだけた調子で私たちに話しかけた。フィデルは座りもしなかった。机にもたれかかって、そこに4時間以上いたんだ。」

「フィデルは若いころ野球をしたときのことを話して、ホセ・ジャヌサやエル・ガジェゴ・フェルナンデス(ホセ・ラモン・フェルナンデス)と冗談を言ったあと、そこにいたジャーナリストたちにこう言ったんだ。"きみたちはこの若者たちが何をしに行くのか世界に伝えたのか。勝つべきだ、何がなんでも勝てとは私は誰にもいってほしくない。彼らはひじょうに厳しい大会に立ち向かうんだ。もっとも大事なことは、つねに私たちを特徴づけてきた尊厳を持って帰国することだ。国民はつねに彼らを支持するだろう。"」

「その4時間のあいだ、フィデルは、いろんな思い出話や逸話、もうキューバ代表チームにはいない選手たちのことを尋ねたりしながら、私たち全員に最高の鼓舞を与えてくれた。最後にフィデルはウルティア、パレ、ペスターノや私たちに冗談を言って、記念写真を1枚撮った。」

「そして私たちは準優勝を獲得して戻ってきた。シウダ・デポルティバ競技場でおこなわれた式典で、フィデルは私たち全員に挨拶をしたあと、私にまたこう言ったんだ。"なんて辛抱強いんだきみは、フレデリク、なんて辛抱強さだ。"」

「フィデルはスピーチで、その前に出席していた記者会見について少し言及して、私について、アーノルド・シュワルツェネッガーの座を奪ってしまうから、カリフォルニア州知事選には立候補しないようにと言った。シュワルツェネッガーは私のことをとてもよく表現していたからね。私は頭を下げて、笑ったけど、このことは、自分にとって、エネルギーを維持するための褒章になった。スピーチのあとフィデルは私たちともう少しだけ一緒にいて、急いで去っていった。」

保存されている思索

2009年のWBCのとき、フィデルの登場はすでに直接ではなかったが、すべての詳細を知るために電話を通じておこなわれた。そのコミュニケーションはいっそう親密になった。チームドクターがフィデルの息子アントニオ・カストロで、彼はセペダの個人的友人だったからだ。

「その大会のときは、電話で2回フィデルと話した。辛抱強さを維持して集中をきらないようにとアドバイスしてくれた。私の見本を他の選手が見習うようにと書いた声明を送ってくれた。これはのちにフィデルの著作「思索」に反映され、いま私の家の居間に額で飾ってある。」

「...残念なことにわが国ではファースト・ストライクを見逃すという有害な習慣ができた。これは古い習慣だが、キューバ野球選手はこれに慣らされてしまった。対する投手はこれを知って、ど真ん中にゆうゆうとファーストストライクを放っている。彼らを最初の瞬間から困難な仕事に追い込まなければならない。」

「わがチームには見本にすべきモデルがある。セペダの信じられないほどの落ち着きと確実さだ。この思索では彼の偉業に対し賞賛を送りたい。WBCでの最初の打席から彼のスポーツ的効率はまったく変わっていない。きのうのメキシコ戦でのわれらのチームの5得点のうち、4得点がセペダの打点である。あの試合はわれわれが相手投手に打ち勝てることを示した。...」

(「思索」2009年3月17日)

フィデルの最後の声

2010年、プエルト・リコでの世界大会予選で、セペダはキューバ代表チームの主将だった。ドミニカ共和国との決勝戦の数時間前に、フィデルは選手団長に電話をかけ、セペダと話したいと申した。これがフィデルと話す最後の機会になるとはセペダは思ってもみなかった。

「電話はすぐに私につながった。私が大会の首位打者にいることを祝ってくれたあと、ひとつの課題を私に残した。"これまできみがなしてきた通りにチームを維持しなさい。きみの長年の経験を使ってチームを勝利に導きなさい。" 私はフィデルが言ってくれたことをミーティングでおこなって、選手たちはフィデルが試合に注目していることを知っていたが、残念ながらその試合には負けて優勝を逃してしまった。」

ラティーノアメリカーノ球場はすでに夕暮れになっていた。セペダとのインタビューの最後に、この質問をした。「キューバでの野球について語るとき、フィデルが不可欠なのはなぜでしょう。」

「50年間以上、彼がやってきたことによる。フィデルはキューバ野球のすべてを革命した人だ。世界に残る唯一のナショナルリーグを作った。完全なるスポーツ活動を構想し、国を構想し、とりわけ、国民に教育を施した。これらすべてが賞賛されるべき価値だ。疑いはない。フィデルが野球なんだ。」

Cepeda-y-Fidel-en-el-clasico-de-beisbol.jpg
フィデルとセペダ、2006年WBC帰国時

Cepeda: “Fidel es béisbol”
http://www.trabajadores.cu/20181120/cepeda-fidel-es-beisbol/
posted by vivacuba at 03:37| Comment(0) | TrackBack(0) | beisbol
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