2018年06月22日
アリエル・ペスターノ退院インタビュー 私は200年生きるだろう
アリエル・ペスターノ
Vanguardia、2018年6月22日、 Osvaldo Rojas Garay記者
マタンサス戦での有名な満塁本塁打がビジャ・クララの5回目の王座獲得に重要な役割を果たしてからちょうど丸5年になる今年の6月15日(月曜日)、デマの噂がキューバ中を、そして海外まで駆け巡った。
アリエル・オスバルド・ペスターノ・バルデスが死んだというデマを何者かが撒いたのだ。著名人や有名人に対してこのようなことが起きるのは初めてではない。
1969年にドン・マルティン・ディイゴ・ジャノスが心臓疾患でシエンフエゴス県病院に入院した。当時、この不朽の名選手は亡くなった、と言われたが、これはバングアルディア紙の記者ミゲル・アンヘル・ペレス・クエジャルによって否定された。
このデマニュースが、米国でスペイン語を話すもっとも有名な野球アナウンサーであるエロイ・バック・カネル(1906年〜1980年)の耳に入り、彼はディイゴと対話するために1969年5月末サンタ・クララに来て、クルーセスに向かった。
2009年7月、われわれの同僚と友人に、傑出したスポーツアナウンサー・解説者のエクトル・リノ・アロマー・フォンタニルズ(1929年〜2017年)がそのことを伝えた。
今回これがペスターノに起きた。ペスターノは6月11日、複雑なレプトスピラ症の症状と、高熱、衰弱、震えを発症し、アルナルド・ミリアン・カストロ大学県病院の集中治療室に入院した。
治療の結果、彼の体調全般は改善し、実施されたすべてのテストに良好に反応した。
彼の顔色は変わり、数日後には命の危険はなくなった。隔離し多くの人との交流をさけるため、集中治療室での入院は維持された。往年のスター捕手は6月21日(木曜日)に退院した。彼はそっと自宅に戻ろうとしたが、そこには常に彼を待ち受けている人がいた。
- 今回の悪いデマにはどこまでショックを受けましたか。
うん、私は動揺しないで、前向きな面をとらえた。これは、人びとが私のことを心配している、私のことを愛している、私にあこがれている、というしるしなんだと。でもそれは嫌な状況には変わりなかった。たくさんの仲間、友人、家族を慌てさせたのだから。
- 感謝のことばを。
受けた治療にとても満足している。看護士、医師のみんな、そして私の回復に関係したすべての人びとに感謝したい。また病院以外のことになるが、私の病気を気をかけてくれたヘラルド・エルナンデスとラモン・ラバニィーノにも感謝を伝えたい。
- キューバ国民、特にビジャ・クララの人びとに伝えたいことは。
私は体調が良く、自分に課せられたすべての課題を成し遂げる用意ができている。すぐに本来のペスターノに戻る。死が報じられたら長寿になると言われている。今回のことがさらなる健康を与えてくれたとしたら、私は200年は生きることだろう。
退院時の(病院内での)別のインタビュー(2018年6月21日)
≪Si eso da más salud voy a durar 200 años≫
http://www.vanguardia.cu/deporte/11634-si-eso-da-mas-salud-voy-a-durar-200-anos
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