2018年03月27日
ドーナル・ドゥアルテ インタビュー INDERによる1年間の出場禁止処分に反論
ドーナル・ドゥアルテ
Guerrillero、2018年3月27日、Victor Manuel Blanco González記者
本紙は先週、スポーツ体育レクリエーション庁(INDER)の公式声明を報じた。そこで野球選手ドーナル・ドゥアルテに対する1年間の国内イベント参加禁止の処分が知らされた。
このニュースは県内外に大きな波紋を投げかけた。この10年間まさにピナール・デル・リオのチームの主将であり原動力である選手に関わることだったからだ。
公式発表だけに留まっていてはいけないと考えた本紙は、今週、このベテラン選手へのインタビューをお届けする。そこでドーナルは、その処分を引き起こしたと考えられる背景を明らかにしている。
- 自身に課せられた措置をどのように考えていますか。
処分はかなり不公平だと思う。処分するなと言っているわけじゃない。自分を擁護しているわけじゃなく、1年というのは長すぎる。ピナール・デル・リオの人たちはみな、私が国際イベントから戻ったらいつも県大会に参加していたことを知っている。
私はいま35歳で、キューバリーグでのキャリアは17年になる。だから、県シリーズでプレーしたあと、4ヶ月のトレーニングに加わり、さらに3ヶ月のリーグでプレーするのは、かなりきついものだ。もう36歳になる身にとってはシーズンを通してプレーし続けるのはやりすぎだと思う。ここピナール・デル・リオでは、「県」シリーズ云々の問題のためではないと認識されながら、私は処分を受けている。
- 自身を省みて、なんらかの措置が課せられる行為をしたと考えていますか。
なんらかの措置がありえたとしても、それは1年の処分ではない。私はピナールの第二ラウンドでの不調に責任はない。なぜならチームはドーナル・ドゥアルテ個人ではないからだ。
- 県シリーズに出場しない場合これほど大きな決定を受けるかもしれないという注意は事前に受けていましたか。
チームの監督とは会話をした。彼は私に、県シリーズには出場する義務があると言ったが、そのとき私が家族の問題を抱えていたことを知っている人はたくさんいた。いとこが15日間入院していて、そのあと亡くなった。私の家族はここではなくサンルイスにいたので、つまり、あらゆることがここでなされていて、私は昼食をつくり、彼女に食事を運ばなければならなかった。
またほかの試合に出なかったのは、私はいま家を建てていて、君も知っている通り、私の家の玄関の補修をしなければならなかったからだ。また私はまったく出場しなかったわけでもなく、一試合はプレーした。チームの監督と、サンルイスのコミッショナーは、私にいろいろな用事があり出場しないことを知っていた。
すでに私は異議申し立てを提出した。私の弁護士は、私をプレーから除外した彼ら二人が署名した書類を持っている。異議申し立てが動き出せば、誰が正しいか明らかになる。繰り返すが、キューバでは皆、これが県の問題ではないと知っている。
- 現在、ペドロ・ルイス・ラソとあなたの間には不和が存在しますか。
彼と私は良好な時間を同志として過ごした。彼は私にとってつねに愛すべき存在だったよ。私は誰に対しても嫌がることはしたことがないからね。
私は一度も彼がチームについて下した決定に口をはさんだことはなかった。私は彼に意見や見解を伝えていた。だから私たちに問題はおきなかった。私は彼が監督に指名されたときに彼を支えたひとりだった。彼のサポートを続けるために私は海外リーグとの契約を断念し、若い選手たちが私に続くように、4ヶ月間ほぼ一兵卒としてトレーニングした。
試合から逃げ出して家に帰ったと私は非難されたが、しかし私はカナダから戻ったらすぐに、そのままカマグエイに行き、そこからシエゴ・デ・アビラに向かったんだ。私は常にピナール・デル・リオをはじめとする自分が参加したキューバのチームのために献身してきた。いま人びとが私を擁護していることに私は喜んでいる。INDER指導部はそのことをすべて忘れて、1年間の制裁処分を私に下した。私個人に向けた重すぎる処分だ。
- もし処分がピナール・デル・リオ内だけにおさまるものであったなら、他県に行ってましたか。
ピナール以外の他のチームでのプレーは一度も考えたことがない。まずコミッショナーと監督は私に、今回のあらゆる議論が起こる前に、チームには私はいらないと言ったんだ。つまり、彼らはもうピナール・デル・リオには私を受け入れなかった。私には家族がおり、野球をやめることはできない。家族はそれを望んでいるから。
- もし明日処分が撤回され、チームとのプレーが許されたら、あなたは加入しますか。
それはまだ家族と調整しなければならない状況だ。明日処分が解かれたからすべて忘れてというわけにはいかない。もはや私だけでは決められない、苦しんでいるわが愛する家族次第というところがある。
- 丸一年プレーしないことは、あなたくらいの年齢の選手にとってむごいことかもしれない。そのことについて考えますか。
野球を1年プレーしないことは私にとってきついだろう。今年36歳になるんだ。太ってもいる。もう私のエネルギーも同じではない。この期間に何が起きるか確認したい。誰にもわからない。初めて起きることだ。決意を持って立ち向かわなければならない。じっと耐えている家族とここで私は一緒にいるんだよ。
- 1年後ピナールに復帰しますか。
うん、もちろん。来年に県シリーズが始まるときにはプレーする形に仕上がっているかもしれないと思う。今年何が起きるか見なければならない。私はもうやらないかもしれない。家族がとる決断を待たねばならない。
- それはあなたが望んでいるキャリアの終え方ではないと想像します。
ピナール・デル・リオの人びとにとってドーナルは終わった、というのは不正確だ。私が考えていることを知ってもらうために、インタビューしてほしかった。人びとに大変感謝している。なぜなら大半のひとは私を擁護してくれており、私への処分に同意していないのだから。
La versión de Donal Duarte
http://www.guerrillero.cu/deportes/3787-la-version-de-donal-duarte.html
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