2024年05月04日
もと大リーガーのアレクセイ・ラミレース キューバ野球リーグでの通算100本塁打達成
アレクセイ・ラミーレス、キューバでの100本塁打達成
Radio Sancti Spíritus、2024年5月4日、MAIKEL MARTÍN GALLEGO記者
もと大リーガーのアレクセイ・ラミーレスは、キューバ野球リーグでの通算100本塁打を達成し、自身のキューバ野球への復帰成功を祝った。ラミーレスは現在、かつて7シーズン共にしたチーム、ベゲーロス・デ・ピナール・デル・リオに所属している。今期のデビュー以降、自チームにもっとも貢献している選手の一人となっている。
メジャーリーグでは9シーズンプレーした。そのデビューはシカゴ・ホワイトソックスでの2008年3月31日だった。最後のシーズンでは、ほかの2チーム、サンディエゴ・パドレスとタンパベイでプレーした。
2006年の第一回WBCではキューバ代表で準優勝メンバーとなった。
アレクセイ・ラミーレスは、もし国際大会でのキューバ代表候補メンバーに召集されたとして、米国に戻るだろうか? インタビューを見て、その返答を確認しよう。
アレクセイ・ラミーレス インタビュー(2024年5月3日)
Alexei Ramírez: ahora Pinar del Río, después vemos lo que pasa… (+ video)
https://www.radiosanctispiritus.cu/es/alexei-ramirez-ahora-pinar-del-rio-despues-vemos-lo-que-pasa-video/
2024年05月03日
エアチャイナとアビアンカ航空 キューバへの運航を再開へ
Radio Habana Cuba、2024年5月3日、Prensa Latina
エア・チャイナとアビアンカ航空がキューバに向けた航空便運航を再開することになり、これはもちろんラテンアメリカとカリブ地域における接続を増やすことになる、と公式筋が金曜日(5月3日)発表した。
この発表は、5月5日までハルディーネス・デル・レイで開催されている第42回国際観光フェア(FITCUBA2024)に際して、航空業界に捧げられた日においてなされた。
エア・チャイナは5月17日から週2便、アビアンカは6月6日から週6便の運航を再開する。
これは、地域内の接続性を高め、この地域の観光業を促進する重要な一歩となる。
幹部によると、今回のイベントには航空会社18社と、社長や地域代表者を含む業界関係者54人が出席している。
また、キューバで運航している航空会社に導入されることになる機体の部品・パーツのサービス供給会社の役員も出席している。
キューバTV(2024年5月3日)
Dos nuevas aerolíneas volarán a Cuba
https://www.radiohc.cu/noticias/economia/353857-dos-nuevas-aerolineas-volaran-a-cuba
2024年05月02日
コロンビアのアビアンカ航空 ボゴターとハバナ間の直行便運航再開を発表
Radio Habana Cuba、2024年5月2日、Prensa Latina
コロンビアのアビアンカ航空はきょう木曜日(5月2日)ボゴターにおいて、7月2日から再開する同国首都とハバナ間の直行便のチケット販売開始を確認した。
「4年ぶりにキューバに戻れてうれしい。われわれのユーザーにカリブ地域の追加目的地を提供でき、キューバ人をわれわれのネットワークの一部である25か国、75か所につなげることもできる」、とアビアンカ航空のコロンビア・南米部門販売局長ダビド・アレマンは述べた。
同氏はまた、これですでに70便以上、ルート数は10近くになり、カリブ地域から往来するユーザーを、アルバ、キュラソー、プンタ・カナ、サント・ドミンゴ、サン・フアン、そして今回キューバの首都ハバナにもつなぐことになる、と強調した。
この新航路はエアバスA320機(180席)で週6便運航予定である。
同社は週に2100席以上のキャパシティを提供することになる。
アビアンカ航空は、2012年から2020年にかけてハバナに向けて運航していたが、今回、コパ航空やウィンゴといった、現在キューバをコロンビアとつないでいる航空会社に加わることになる。
キューバTV(2024年5月4日)
Aerolínea colombiana anuncia vuelos hacia La Habana en julio
https://www.radiohc.cu/noticias/economia/353756-aerolinea-colombiana-anuncia-vuelos-hacia-la-habana-en-julio
キューバ 観光ビザの電子申請システムを導入へ 5月6日より
Radio Habana Cuba、2024年5月2日、キューバ外務省
5月中にわが国は、観光ビザの最新電子管理システムの導入を開始する。Evisa(エビサ)と命名されたこのシステムは、海外のキューバ領事館を通してビザを申請するユーザーへの、より効率的で機動的なサービス提供を可能とする。
Evisaによって申請者は、インターネットに接続したあらゆる端末から、オンラインでのビザ手続きを開始できるようになる。
このプラットフォームはビザ申請と管理のプロセスを簡素化するもので、紙ベースの書類の追加提出の必要性がなくなる。
Evisaは、その利用の手軽さのほか、その親しみさと環境保護に対する貢献でも抜きんでている。
今回の新規発案は、最初の申請から国境での管理まで、観光ビザのあらゆるプロセス段階における安全と効率の強化を目指すものである。
Evisaによって、キューバはより最新で、現行の必要性に適合した、領事システムの導入に向けて前進していく。
キューバTV(2024年5月2日)
Cuba presenta Evisa, nueva plataforma para la gestión de visas de turismo electrónicas
https://www.radiohc.cu/noticias/economia/353744-cuba-presenta-evisa-nueva-plataforma-para-la-gestion-de-visas-de-turismo-electronicas
2024年05月01日
サンティアゴの若き有望野球選手ダニエル・コラース死去
ダニエル・コラース
Cubadebate、2024年5月1日、Prensa Latina
重い病気のためグラウンドを離れていたサンティアゴ・チームの野球選手、ダニエル・コラースが、自身の23回目の誕生日であったきょう水曜日(5月1日)、死去した。
U23リーグで出身地サンティアゴチームの準優勝メンバーだったこの若き選手は、第59期キューバ野球リーグでデビューし、3シーズンを経た昨季、病気のため降格していた。
キャリア通算では、94打席で、打率.191、二塁打3本と三塁打1本、6打点、20得点を記録した。
遊撃手を務めたサンティアゴの背番号13は、守備機会144回中失策14回で、守備率は.903だった。
Fallece joven promesa del béisbol santiaguero
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/05/01/fallece-joven-promesa-del-beisbol-santiaguero/
2024年04月30日
キューバ外相 キューバ渡航歴のある欧州市民30万人への米国のESTA拒否を非難
Cubadebate、2024年4月30日
キューバを訪れたことのあるヨーロッパ市民30万人に対する電子ビザ「ESTA」へのアクセス拒否は、米国による大量虐殺的封鎖の域外適用の一端である、とブルーノ・ロドリゲス・パリージャ外相は糾弾した。
キューバ外相はXでの投稿で、このビザの拒否は米国政府による行為であり、ヨーロッパ市民に対して移動の自由を制限する、一方的規制の押しつけの明白な一例である、と強調した。
「米国政府は、ヨーロッパ市民に対し、どの国に旅行でき、どこに旅行できないかを、強制している」、とロドリゲス・パリージャ外相は述べた。
外相はこのESTA拒否措置を、キューバの経済や成長に深刻な被害を与えている政策である、米国政府によるキューバに対する60年以上にわたる大量虐殺的封鎖の域外適用の一環である、とみなした。
国際世論が繰り返し非難してきたこの封鎖は、米国国境を越えて拡大されており、キューバとの商業・文化・観光の関係を築きたいと願う国々や市民に、否定的な衝撃を与えている。
Canciller cubano denuncia carácter extraterritorial del bloqueo: Estados Unidos negó visado a 300 000 europeos que visitaron Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/30/canciller-cubano-denuncia-caracter-extraterritorial-del-bloqueo-estados-unidos-nego-visado-a-300-mil-ciudadanos-europeos-que-visitaron-cuba/
2024年04月29日
キューバ野球コミッショナー 審判の問題について語る
JIT、2024年4月29日、José Luis López Sado記者
キューバ野球コミッショナーのフアン・レイナルド・ペレス・パルドはきょう(4月29日)、明日火曜日(4月30日)に第9節が始まる第63期キューバ野球リーグに関係するいくつかの議論沸騰のテーマについて、率直に説明した。
マタンサスと地元ピナール・デル・リオとの二連戦のなかで、審判リカルド・カンパニオーニは火曜日の自身のミスによって、2試合の出場停止となった。土曜日に復帰し、場内アナウンスでは別の名前で呼ばれるという、キューバリーグ史上前代未聞のことが起きた。
彼は2試合出場できず、スコアボックスと公式記録用紙にある通り、土曜日と日曜日のあいだ審判をした、とキューバ野球コミッションによる報道陣との恒例会見でコミッショナーのペレス・パルドは説明した。
コミッショナーは、報道陣やカピタン・サンルイス球場での場内放送には、由来もわからない偽名が提供されたが、これは野球の幹部(試合あるいは審判の役員)によって提供されたものでは決してなかった、と述べた。
この件は、事の真相にたどりつき、このわが国の野球を貶める行動を為した者は誰か知るために作られた委員会によって調査中である、とコミッショナーは説明した。
コミッショナーのペレス・パルドは、審判の問題に関する対策の中で、審判団を強化する取り組みが日々なされており、各県側からは球場のさらなる警備強化が要請されている、と語った。
コミッショナーはまた、来週の金曜日からシリーズの現状をテーマにしたオンラインの審判会議が各県で編成される、と強調した。
日曜日(4月28日)のカマグエイと地元シエンフエゴスとの試合で、選手6人と首脳陣1人が退場となり、1試合の出場停止処分を受けた。
本件は分析が終わった時点でさらに重い処分に至る可能性がある、とコミッショナーは述べた。
今度の火曜日の試合に出場できないシエンフエゴスの選手は、リチェル・ロペス、フェリクス・ロドリーゲス、ルス・ビセンテ・マテオ、ルイス・セルパ、ダニィ・オラマス、サムエル・カルデロン、そして監督のホルヘ・ロドリーゲスである。
週間最優秀選手に選ばれたヨスバニ・アラルコン(ラス・トゥナス)とホセ・イグナシオ・ベルムーデス(マヤベケ)は、ソフトボールの往年の名選手エステバン・グロエロから表彰を受けた。
キューバTV(2024年4月29日)*開始時間設定済み
Expulsiones e investigación en Serie Nacional de Beisbol
https://www.jit.cu/NewsDetails.aspx?idnoticia=777000
2024年04月28日
支倉常長 キューバにやってきたサムライ
ハバナの支倉常長像、日本人彫刻家、土屋瑞穂作
Cubadebate、2024年4月28日、Abel Aguilera Vega
アジアの文化は伝統的に「西洋」から縁遠い、と誤って考えられてきたが、この数千年間、何らかの形で接触を継続してきた。紀元前4世紀のアレキサンダー大王の征服以降、少なくとも紀元前1世紀以降の両大陸をつなぐ商業ルートの運用や、紀元13世紀初頭のチンギス・ハーンの東ヨーロッパでの存在、あるいは14世紀末のマルコポーロによる中央アジアや中国への渡航可能性は、両地域のあいだの交流を証明している。
しかしながら、これらの接触はつねに定期的なものではなく、十分に豊富なものでもなかった。上述の出来事は、わが国と結びついた慶長使節団のようなほかの接触を目立たなくさせてきた。
予期せぬ旅
支倉常長は17世紀の日本の侍であり、1613年にヨーロッパへの外交使節団を率いた。慶長使節団として知られるこの使節は、徳川秀忠将軍によって、スペインとローマ教皇と商業および政治関係を結ぶために派遣された。支倉とそのお供は、1620年に日本に帰国するまで、ヨーロッパのさまざまな国々を旅行した。
支倉の生涯の前半についてはほとんど知られていない。1571年に生まれ、早くから侍として教育されたことが確認されている。1592年から1597年にかけて日本による朝鮮侵略に参加し、その軍事的手腕とともに航海の知識を獲得したことが、外交使節に選ばれるにあたって決定的なものとなった。
15世紀から17世紀にかけては海洋探検の黄金時代であった。この期間にキリスト教は日本で人気を得たが、1613年に江戸幕府はその布教を禁じた。しかしながら、探検家セバスティアン・ビスカイーノをヌエバ・エスパーニャに帰国させたいという将軍の意思によってこの使節が始まったのは、この時期であった。ビスカイーノは金銀島の探検のために日本に到着していたが、嵐により船が被害に遭い、継続できなかった。将軍は日本の使節団と一緒にビスカイーノが帰国できるようようガレオン船の建造を命じた。
1613年10月28日、フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロと支倉によって率いられた使節団は、日本に有利な新たな商業ルートの開拓を目的として、月ノ浦湾を出発した。
世界をめぐるひとりの日本人
太平洋を航海し、メキシコを横断したあと、使節団は1614年7月23日にハバナに着き、支倉はキューバの地を踏んだ記録上初の日本人となった。当時、ハバナのサン・クリストバル集落は、100軒ほどの家々と、カリブ地域にたどり着いた船乗りたちの娯楽のための商業施設がある程度であった。
アジアの一行が現れたことは、ハバナの人びとにとって大きな驚きであったに違いない。その身体的特徴や、着物の服装、腰に差した刀、草履を履いていること、それらはこれまでキューバ国内で決して見られなかった風変りな様相を呈していた。これら訪問者に興味を抱いた植民地当局は、彼らを訪問し、おそらくは聞き取りをおこなった。
ハバナでの短い滞在のあと、船はスペインに向かって出発し、スペインでは当時大陸の主要大国の君主であったフェリペ三世に迎えられた。
この会見はなごやかなものであったが、日本におけるキリスト教弾圧の時代におこなわれたため、日本側が求めていた通商協定の調印をフェリペ三世は拒否した。一方、ローマ教皇パブロ五世からは叙勲を与えられ、三か月の間の滞在許可を受け、「ローマのパトリシオ」の称号を授与された。支倉はキリスト教に改宗したが、これはキリスト教を禁じていた自国での災難をのちに彼にもたらした。
ヨーロッパを出発した使節団は、ほぼ同じルートで戻り、7年かけて1620年に日本に着いた。実際のところ使節団はほとんど結果を出せず、この間に日本は大きく変わり、鎖国に向けて進んでいた。これが、日本がヌエバ・エスパーニャと予定していた協定を結ばず、1623年に同国との通商取引を破棄し、1624年に国交断絶する原因となった。
しかしながら、この使節団は日本とヨーロッパのあいだの関係の歴史において、画期的な出来事とみなされている。2001年4月以降、キューバと日本の関係発展の反映として、ハバナのプエルト通りには、支倉常長を称えるブロンズ像が建立されている。
クロード・デリュエによる支倉常長の肖像画、1615年作
Hasekura Tsunenaga, un samurái en Cuba
http://www.cubadebate.cu/noticias/2024/04/28/hasekura-tsunenaga-un-samurai-en-cuba/
2024年04月25日
フィデル・カストロのハーバード大学演説から65年 米国親善旅行同行記(最終第10回)
フィデル・カストロ、ハーバードでの演説、1959年4月25日。バルコニー沿いに座っている1人目が法学部の部長マクジョージ・バンディ。
Cubadebate、2024年4月25日、Luis Báez
1959年4月15日、フィデル・カストロは、米国への旅行を開始し、それは4月28日まで続いた。このときフィデルは、アメリカン・ソサエティ・オブ・ニュースペーパー・エディターズ(新聞編集者協会)の招待にこたえて民間人として渡航した。この旅行は、ルイス・バエスによって書かれた書籍「フィデル・世界をめぐる」に詳しくまとめられている。バエスは、米国・カナダ・南アメリカをめぐる最高司令官に同行した新聞記者の一人だった。
この歴史的旅行から65周年を記念して、クーバデバテと「フィデル思想の戦士」サイトは、バエスによる当時の回想録を共有する。
1959年4月25日、土曜日
ニューヨークからボストンへ列車で移動。ハーバード大学で教授や学生たちと交流。ある若者グループがフィデルに、「キューバで独裁を終わらせるために命をかけた」ホセ・アントニオ・エチェバリアとフルクトゥオーソ・ロドリーゲスの名誉プレートを献上。
ハーバードスタジアムにあるディロン・フィールド・ハウスの広大な敷地に1万人を超える人びとが集まる。その演説は聞き手に深い感動を与える。
フィデルはあらゆる側からの招待を断らなければならない。各地でフィデルを求めている。サンフランシスコ、シカオ、デトロイト、ニューオーリンズがフィデルの来訪を申し入れる。
ボストンから、親善大使はモントリオールへ出向く。カナダは、フィデルの旅行におけるもうひとつの画期的成功である。
27日の月曜日にテキサスのヒューストンに着き、この州がなした温かい招待を、短時間ではあったが、こなした。ここが米国領土での最後の経由地である。ここでラウル・カストロ司令官が待っている。
記者団への短い声明のなかで、ラウル・カストロ軍司令官は、こう述べた。「意見交換のための短い旅だ。わたしは国内の全体的状況の報告をし、新たな指示を受け取った」。
28日、二人の兄弟は別れる。ラウルがハバナに向けて出発。南半球はキューバ革命の旗手を出迎える準備をする。
動画での、ハーバードのフィデル
フィデル・カストロ、ハーバード大学での演説、1959年
フィデル・カストロはカナダ最大の小児病院「セイント・ジャスティス」を訪問、1959年4月26日
Fidel en Harvard hace 65 años: Un viaje de buena voluntad(X y Final)
http://www.cubadebate.cu/especiales/2024/04/25/un-viaje-de-buena-voluntad-a-65-anos-de-la-visita-de-fidel-castro-a-estados-unidos-x-y-final/
2024年04月24日
クバーナ航空 アルゼンチンへの運航を停止 アルゼンチンの燃料供給会社がサービス提供を拒否 米国による経済封鎖の影響
Radio Habana Cuba、2024年4月24日、Prensa Latina
航空会社クバーナ航空は、アルゼンチンの航空機用の燃料供給会社がサービスの提供を拒否したため、4月23日と24日の同国行きの運航便を停止した、ときょう水曜日(4月24日)現地テレビが伝えた。
これら供給会社は、提供拒否の決定を正当化するために、キューバに対して米国が課している封鎖政策の規定を引き合いに出した。
クバーナ航空は、声明のなかで、「この供給拒否は、クバーナ航空と契約している他の航空会社に対しても広げられている」と述べた。
同航空会社は、キューバにいるこれらの航空便の予約客は保護され、アルゼンチンとの接続がある他の航空会社の航空便で送り届けられる、と説明した。
一方、渡航をまだ開始していない客は、その航空券の100%の払い戻しを受けられる。
クバーナ航空は、今回のアルゼンチンの供給会社による行動は、クバーナ航空のあらゆる決定の埒外にある、と述べた。
Cubana de Aviación suspende vuelos a Argentina
https://www.radiohc.cu/noticias/nacionales/353103-cubana-de-aviacion-suspende-vuelos-a-argentina