2012年10月17日
中国市場におけるP&Gの浮き沈み(2)
中国市場におけるP&Gの浮き沈み
商学部4年フ組
13期生
李 梅
朱 琲クン
商学部4年フ組
13期生
李 梅
朱 琲クン
1980年代における中国の環境
経済政策の変化
1978年12月に中国にとって画期的な会議――第11期三中全会が開かれた。この会議で、改革開放路線が採用され、従来のソビエト連邦型の計画経済は否定され、市場指向型の経済に大きく舵を切った。
1980年代になると、中国政府は中央集権の計画経済とインフレ・失業・財政赤字無しに生産性、生活水準、技術水準を増大させるための市場指向型の経済を組み合わせようとした。農村部では、中国政府は人民公社を解体し、農民に、農作の決定権を与えるという生産責任制を採用する農業改革を実行した。また、農村にある郷鎮企業といった非農業活動を勧め、より自発的な国有企業の経営を推奨し、市場競争を強め、中国大陸と外国企業との直接の接触を促進した。都市部では、外資の積極利用が奨励され、華僑や欧米資本を積極的に導入することで、資本や技術の移転など成し遂げる一方、企業の経営自主権の拡大などの経済改革が進んだ。
中国政府は1978年経済体制の改革を決定すると同時に、対外開放政策も計画した。1980年から順次、広東省の深圳、珠海、汕頭、福建省のアモイ及び海南省に5箇所の経済特区を設置した。
1984年6月30日、中国の最高指導者であるケ小平は、次のことを言った。
「社会主義とは何か?そしてマルクス主義とは何か?我々は過去、このことについてあまりはっきりとさせてこなかった。マルクス主義は生産力を増加させることをことさら強調した。我々が言ってきたことは社会主義は共産主義の第一段階であること、そして、発展段階では能力によることから必要性によることにいたるまでの原則があてはまるということである。その原則は高度に発達した生産力と物質的豊かさを要求しいる。それゆえ社会主義の段階への基本的な課題は生産力を増加させることである。資本主義体制下の生産力よりも早く、大きく社会主義体制下での生産力が増加することによって、社会主義体制における優越性が示される。生産力が増加するにつれ、人民の物質的・文化的生活は絶えずに発展する。中華人民共和国建国後の我々の欠点は生産力を増加させることに気づかなかったのである。社会主義は貧困を根絶することを意味する。平等主義は社会主義ではなく、いわんや共産主義でもない。」
そして、1984年にはさらに大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海の14沿海都市を開放した。
1985年以降、長江デルタ、珠江デルタ、閩南トライアングル(アモイ・泉州・漳州)、山東半島、遼東半島、河北省、広西チワン族自治区を経済開放区として沿海経済開放地帯を形成した。
1990年、中国政府は上海浦東新区の開発と開放を決定し、一連の長江沿岸都市の開放をさらに進め、浦東新区を竜頭とする長江開放地帯を形成した。1992年以降は辺境都市や内陸のすべての省都と自治区首府を開放した。さらに一連の年に15箇所の保税区、49箇所の国家級経済技術開発区と53箇所のハイテク技術産業開発区を設定している。
このように中国は沿海、沿江、沿辺、内陸地区を結合して全方位、多次元、広領域の対外開放構造を形成している。対外開放地区ではさまざまな優遇政策を実施し外向型の経済、輸出拡大、先進技術導入などの面で大きな役割を果たした。
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