去年、従兄とその母が、津波で亡くなりました。
従兄の身体はもう、お骨になって母方の墓地に収められています。
それでも母は、その場に御魂が残っている様な気がすると、ずっと言っていました。
去年はなかなか都合が付かず、また心の整理もつかず、そこに行くことが出来ませんでした。
だけど今日、やっと行くことが出来ました。
そこは、なんにも無くなっていました。
幼い頃、学生だった頃、何度も遊びに行った町も、従兄の家も、何もかもが無くなっていました。
そこで、従兄の親友の方が、簡単な献花台を作っていてくれました。
お線香をあげました。
花を手向けました。
従兄の母が、おばちゃんが好きだった大福を供えました。
母は、泣いていました。
父は固い表情で、親友の方と従兄とおばちゃんが見つかった時の話をしていました。
私は、何も言葉に出来ませんでした。
近くの市場で、数人のお坊さんが、海に向かって回向を上げていました。沢山の方が海に向かって祈っていました。
風は冷たかったけれど、空は晴れていました。
昨日の予報では、今日は曇りのち雪だと言っていたのに。
神様が気でも利かせたのでしょうか?
でも、私は神様を許しません。
今日、こんなつまらない気の利かせ方をするくらいなら、なぜあの日、あんな事をするのを思い止まってくれなかったのか。
なぜ、こんなにも沢山の人を連れて行ってしまったのか。
私は絶対に許しません。
例え、いつかそれで地獄に落ちる事になったとしても。
従兄の親友の方は、今日の夕方まで献花台を守ってくれると言っていました。
母は、何度もお礼を言っていました。
父は、従兄はいい友人を持ったと言っていました。
来る時、あちこちで沢山の方が祈っているのを見ました。
帰り道も、同じ様に沢山の方が祈っていました。
私は神には祈りません。
だから、あの日旅立った方達に祈ります。
どうか願わくば、今日のこの祈りが、貴方達への安らぎの導となりますように。
どうか願わくば、貴方達が遺した方々の傷が、いつか少しでも、和らぎますように。
どうか。
どうか。
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