昔から思っていたことがある
女を捨てることが出来る
女になりたい。
年を重ねた時に
自分は女を捨てて
女にしがみつかない
女になれるのか?
そんなことを考えていたのは
短大時代。
妻となり
母となり
段階を踏んで
女を捨てられるか?
そのことを考えていたのは
天王寺の
女たちだった。
年を重ねてからの
派手な化粧に
男を意識した服装。
生活の為だとは思いますが
そんなことも知らない私は
嫌悪感を抱いた。
女は女を捨てる時期がある
そのことを
短大時代に感じていて
女にしがみつく
愚かさを何となく自分にあてはめていた。
女とは
追い求めるほど
遠く
年相応という言葉は
女の為に出来たのかも知れない
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