道はいくらでも伸びている。
私自身
色々な道を選択し
また、流れによって動いているので、
どの道も自分にとって
必要だと感じている。
人から見て
困難な道のりかと思う人もいれば
たやすいことだと感じる方もいると思いますが
私自身
まだ、道半ばのため
大きな顔をして
この道が正しい
とは言えませんが、
もう人生の折り返し地点まで来ているので、
何となく
不器用だたけれど
無駄なことはしてこなかった人生のように思います。
良く
CMなどでも
人生は選択の繰り返し
などと言われています。
今の時代
自由なように見えて
意外と不自由で、
人からの影響を受けやすいのも
事実です。
私の場合
比較的、自由にさせてもらっていたので、
自分の人生をしっかり歩んでいるように感じます。
考え方や趣味なども
偏っているようなイメージもしますが
基本、自分が良かったらそれでいい
と思う人なので
自分と他人との境界線みたいなものは
良く出来ています。
もともとの家庭の育ち方もあるのでしょう
昭和ど真ん中世代で
家は家、他所は他所
どんなにわがままを言っても
先ずは我慢をさせられていたが
時折、
贅沢もさせてもらっていた。
自然と他所とは家は違う
ということに違和感を感じなく
違うことが当たり前の感覚になっていくように
しつけられてきたように感じます。
人と違っていて当たり前。
ですから、
人を受け入れる受け皿みたいなものも
小さな時からの躾から
出来ているのだと思います。
だって
人と私は違うから。
そういう観点から
私は色々な選択をしてきましたが、
これからも
もっと深い選択も必要となってくる。
そのころには
もっと色々な人が
私のそばに居てくれたらと
感じています。
【このカテゴリーの最新記事】