2018年06月02日
無理に感謝なんてする必要は無い
どもっ理想の身体づくりと深層心理を追求するうなじろうです
朝一の筋トレほどその日一日の気分をアゲてくれるものも、他にないだろうという気がしている今日この頃です。
休日の穏やかな朝に筋トレしたり、快晴の日差しの中ジョギングしたりしていると本当に気分が良いのは元からなのですが
最近では
すごくこの時間がありがたい事だなと感謝するようになりました。
まず
健康な体で生まれてきた事だったり
そう言う穏やかな時間だったり
自分の為に使える時間がある事だったり
身体がトレーニングの効果を結果として出してくれる事だったり
高たんぱく低脂質な食事をできる事だったり
そう言った物が今の自分の生活の中にあるからこそ筋トレにうつつを抜かしていられるのです。
だから
やっぱり恵まれているのだなと思うのです。
昔はそうはそうは思えなかった
でも、ちょっと前までの私はそう言う風には思えなかった(´・ω・`)
色んな自己啓発本にも書いてあるんですよね
感謝しましょう
って
だから無理してそんなに感謝して無いのにコンビニのレジのむかつくお兄ちゃんとかにも笑顔で「ありがとう〜」とか言うようにしてた
今思えば無理して笑顔になってたな〜とか思います。
だってむかつくお兄ちゃんに何で俺笑顔で挨拶してんだ?とか内心感じていたんだもの
冒頭で言っていた、今でこそ幸せだと思えることも昔の私はそれが幸せであることに気づけていなかったのです。
痩せない自分にイライラしたり、
もっと自分の時間が無いと足りないと嘆いていたり、
健康な体なのは当たり前だと思っていたり
脂っこい食事ができないことに不満を持っていたり
お金も全然足りてないと思っていた
不満ばかりだった
でも本に感謝すると人生が良くなるよって書いてあるからうわべだけでも感謝してるように装ってコンビニでイヤイヤ笑顔で「ありがとう」っていうの(笑)
きっと嫌な笑顔だったろうね(笑)
今の私は無理して笑顔で挨拶する事なんてなくなりました。
挨拶したくない時はしない。お礼したくない時はしない。
まぁ、なんでか知らないけれど、最近は会う人会う人みんな気持ちの良い人ばっかりだから大概こちらも笑顔で対応してしまう事がほとんどなんだけど。
心の中の「前提」が間違っていた
たぶんですが
そもそも心の中の前提が間違っていたんです。
不足している部分を中心に自分の人生を見て過ごしていたから
そうすると、どうしても今の持っている物ってかすんで見えてしまう
本当は大切な物を両手いっぱいに抱え込んで生きていたのに、まだまだ足りないって言って、その足りない部分ばかり見てた。
そしてそんな自分をもっと良くして幸せになるために感謝しなきゃいけないと思っていた。
感謝しなくちゃ幸せになれないと思っていた。
感謝しない自分はダメな奴で不幸な奴なんだと思っていた。
でも、そんなことは無かった。
色んな事がきっかけになって、ある時から自分がその日どんな事が出来たのか、自分が今どんな幸せの中にいるのか気づく訓練をしました。
人生の視点を不足している部分から、有る部分へ変えたのです。
別に感謝なんてしてなくても、すでに十分に自分は恵まれている環境であることに気が付いてしまった。
自分が望んでいる通りの人生を今歩んでいることに気が付いてしまった。
既に十分幸せだった
ダメな自分でも幸せだったし、上手く痩せれなくても幸せだったし、十分に豊かだったし、できない事は悪い事では無かった。
幸せになるのに必要な物なんて無かった。
感謝しないと幸せになれないなんて事は無かったよ。
でも不思議と
でも、不思議なんですが
自分の幸せを噛みしめ始めると感謝したい出来事がいっぱいになってくるのです。
なんかみんなフレンドリーに接してくれるし、楽しい事ばっかりになってくるし、大して頑張ってないのに物事がうまく進むようになるし、みんな色々手伝ってくれるし、ミスしても許してくれたりすることが多くなったように思う。
だから
ついつい感謝してしまう(笑)
やっぱり
感謝ってそういうもんだと思うな〜
タグ:人の深層心理を考える
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