2018年11月17日
恥ずかしい行為というものは存在しない?
どもっ理想の身体づくりと深層心理を追求するうなじろうです
人生を好転させる最大の方法は「やりたいことをやる」に付きます。
私で言えばそれはウクレレだったり、ダイエットだったり、筋トレだったり、ブログだったり、そういった物事にチャレンジしている時はとても楽しいですし、充実感を得られます。
そうやって人生を楽しみ始めると、不思議なことにその楽しみ以外の部分もなんだか楽しくなってくるものです。
やはりやりたい事を追求するのはとても大切なことです。
ただ、そうやってやりたい事をやりなよってアドバイスをしても・・・
恥ずかしくてできない(/ω\)
とか言って自分のやりたいことをやらない人がいたりします。
それはやりたい事のレベルが今の自分からはとてもレベルが違うからなのか、単純にやりたいことが恥ずかしいと世間で言われているようなことなのか・・・
確かに私もウクレレの練習を始めてからまだ1年もたっていません
ですが、ガンガン人前で演奏したりします。ステージにも何回か立たせて貰ったりしています。
めちゃくちゃへたくそだけどね(笑)
確かにその演奏のレベルは恥ずかしいかもしれないけれど
どんなレベルだろうとやりたいものはやりたいし、人前で演奏した方が楽しいのだ。
そのやりたい事を隠して、鬱々としている方が僕はよっぽど恥ずかしいのではないかと思います。
さて、そもそも
恥ずかしい行為とは何なのだろうか??
先日うちの娘に教わったことがあります。
うちの娘(6歳)はどうやらちょっと羞恥心というものが欠如しているのかも知れません。
パンツとか見せても平気だし、恥部を見られても平気な顔をしている
幼いからなのかも知れませんが、そろそろ羞恥心が芽生えてもいいんじゃないのか??
と、思っていたのです。
その時うちの娘に聞かれたのです。
何で恥ずかしいの?
ふむ、確かに何でだ?
家族に裸を見せるのは正直恥ずかしくない
でも、他人には恥ずかしい
おそらくは羞恥心というものは
社会性の中に存在しているのです。
そもそも自分以外の誰もいない空間で恥ずかしがる事というのはほぼ無いと思います。
そう、誰かが見ているから恥ずかしい。
それは周りの人が自分をどう見ているのかを意識するから恥ずかしいのだ。
あの人から変な人だと思われたら困る
という気持ちから生まれるのが羞恥心なのだ。
そして恥ずかしいかどうかの尺度というのは見る人、見られる人によってまちまちだ。
分かりやすい例で
お年寄りのおばあさんからしてみたら、今時の肩を出しているような服装はとても恥ずかしい部類の服装でした。そもそも不要に肌を出すというのは恥ずかしいこととされていました。
それはその時代の良い女性像というのが奥ゆかしく派手でない人だったからだと思われます。
しかし、今はそのような考えた方も無くなったので肩を出していても何ら不思議でもないし、むしろ男性からしてみたらウェルカムな感じです(笑)
時代によっても恥ずかしいという行為は変わってくる。
これってつまりどういう事かというと
恥ずかしいという「行為」が存在するのではなく
恥ずかしいと「思い込んでいる人」が存在するだけなんですね。
おっぱい丸出しの部族だって実際存在するわけですし、行為として恥ずかしいというものは存在しないのです。
あくまでそれを見た人、見られた人の価値観の問題なのです。
逆を言えば自分的には恥ずかしくない行為だと思っていても、他人からしてみたらとても恥ずかしい行為をしているというパターンも存在すると言うわけです。
そうなってくると
恥ずかしがっているのってバカらしくないですか?
だって相手がどう思うかなんてこちらではどうしようもないのです。
何をしたってバカにされる時はされるし、されない時はされないのです。
そこは我々ではどうしようもない
だから私としてはそんな事気にしてやりたい事やらないなんて実に勿体ないことだなと思うのです。
皆さんも恥ずかしがってないでどんどん色んな事に積極的にチャレンジしてみてください。
人生とても楽しくなりますから
では(´∀`*)ノシ バイバイ
この本を参考にはしゃぎまわってみたらどうかと思います( ´艸`)
人生を好転させる最大の方法は「やりたいことをやる」に付きます。
私で言えばそれはウクレレだったり、ダイエットだったり、筋トレだったり、ブログだったり、そういった物事にチャレンジしている時はとても楽しいですし、充実感を得られます。
そうやって人生を楽しみ始めると、不思議なことにその楽しみ以外の部分もなんだか楽しくなってくるものです。
やはりやりたい事を追求するのはとても大切なことです。
ただ、そうやってやりたい事をやりなよってアドバイスをしても・・・
恥ずかしくてできない(/ω\)
とか言って自分のやりたいことをやらない人がいたりします。
それはやりたい事のレベルが今の自分からはとてもレベルが違うからなのか、単純にやりたいことが恥ずかしいと世間で言われているようなことなのか・・・
確かに私もウクレレの練習を始めてからまだ1年もたっていません
ですが、ガンガン人前で演奏したりします。ステージにも何回か立たせて貰ったりしています。
めちゃくちゃへたくそだけどね(笑)
確かにその演奏のレベルは恥ずかしいかもしれないけれど
どんなレベルだろうとやりたいものはやりたいし、人前で演奏した方が楽しいのだ。
そのやりたい事を隠して、鬱々としている方が僕はよっぽど恥ずかしいのではないかと思います。
さて、そもそも
恥ずかしい行為とは何なのだろうか??
先日うちの娘に教わったことがあります。
うちの娘(6歳)はどうやらちょっと羞恥心というものが欠如しているのかも知れません。
パンツとか見せても平気だし、恥部を見られても平気な顔をしている
幼いからなのかも知れませんが、そろそろ羞恥心が芽生えてもいいんじゃないのか??
と、思っていたのです。
その時うちの娘に聞かれたのです。
何で恥ずかしいの?
ふむ、確かに何でだ?
家族に裸を見せるのは正直恥ずかしくない
でも、他人には恥ずかしい
おそらくは羞恥心というものは
社会性の中に存在しているのです。
そもそも自分以外の誰もいない空間で恥ずかしがる事というのはほぼ無いと思います。
そう、誰かが見ているから恥ずかしい。
それは周りの人が自分をどう見ているのかを意識するから恥ずかしいのだ。
あの人から変な人だと思われたら困る
という気持ちから生まれるのが羞恥心なのだ。
そして恥ずかしいかどうかの尺度というのは見る人、見られる人によってまちまちだ。
分かりやすい例で
お年寄りのおばあさんからしてみたら、今時の肩を出しているような服装はとても恥ずかしい部類の服装でした。そもそも不要に肌を出すというのは恥ずかしいこととされていました。
それはその時代の良い女性像というのが奥ゆかしく派手でない人だったからだと思われます。
しかし、今はそのような考えた方も無くなったので肩を出していても何ら不思議でもないし、むしろ男性からしてみたらウェルカムな感じです(笑)
時代によっても恥ずかしいという行為は変わってくる。
これってつまりどういう事かというと
恥ずかしいという「行為」が存在するのではなく
恥ずかしいと「思い込んでいる人」が存在するだけなんですね。
おっぱい丸出しの部族だって実際存在するわけですし、行為として恥ずかしいというものは存在しないのです。
あくまでそれを見た人、見られた人の価値観の問題なのです。
逆を言えば自分的には恥ずかしくない行為だと思っていても、他人からしてみたらとても恥ずかしい行為をしているというパターンも存在すると言うわけです。
そうなってくると
恥ずかしがっているのってバカらしくないですか?
だって相手がどう思うかなんてこちらではどうしようもないのです。
何をしたってバカにされる時はされるし、されない時はされないのです。
そこは我々ではどうしようもない
だから私としてはそんな事気にしてやりたい事やらないなんて実に勿体ないことだなと思うのです。
皆さんも恥ずかしがってないでどんどん色んな事に積極的にチャレンジしてみてください。
人生とても楽しくなりますから
では(´∀`*)ノシ バイバイ
この本を参考にはしゃぎまわってみたらどうかと思います( ´艸`)
タグ:人の深層心理を考える
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