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ヨーロッパの化粧文化

<はじめに>

私は今回ヨーロッパにおける化粧文化の歴史、そして現在(日本も含む)における化粧の役割について調べました。“化粧”という言葉で想像することは、ファンデーションであったり、口紅であったりすると思います。しかし、ここでは狭義ではなく広い意味で捉えたいと思います。



<化粧の歴史>

化粧の起源・・・現代の人類に近い骨格を持っていると言われえているクロマニヨン人のいたおよそ4〜5万年前までにさかのぼると言われ、大変に長い歴史を持っています。この時代は遺品から生活道具や武器が発見され、歴史上初めて動物やその他の家畜・生活様式を壁画に残したといわれています。また、一説には約20万年前のネアンデルタール人の時代までさかのぼるとも言われています。この時代の化粧とは、狩猟の儀式の際に体にペインティングしたものという説があり、*赤の粘土・赤い顔料を体に塗ったものを言います。また、紀元前3000年ごろの遺跡で化粧瓶・化粧パレット・手鏡・コール壺が発見されました。これが、はっきりとした化粧行為の確認といえるそうです。

* 赤色・・・昔の化粧で一番使われていたのが“赤色”であり、世界中で赤は化粧を代表する色とされているそうです。日本では、縄文時代・弥生時代・古墳時代まで肌に赤い色を塗ることが化粧とされていました。赤色のイメージとしては、照りつける太陽や血液・燃えさかる炎など熱や生命力を感じさせる色であり強いパワーを持っている。その強いパワーを持つ赤色を昔の人は「魔よけの色」として使っていました。



古代エジプト・・・西洋の化粧文化流れの出発点とされています。この頃には樹脂や練り香水が作り出され、エジプト人は香りのよい水で水浴するという習慣もありました。また、特徴としては目を強調するためのアイメークがよく見られたようです。当時の女性は今でいうアイライン・アイシャドーみたいなもので目の周りを真っ黒に塗っていました。この化粧は目をパッチリ大きく見せるために目を縁取っていたのかもしれません。しかし、これには他の意味があったと言われています。それは太陽の光を和らげるためや信仰のための二つです。今では美しさのためにとする化粧ですが、化粧の始まりは宗教に関連していたようです。



古代ギリシア・ローマ・・・この時代の化粧はエジプトのものが伝わったと言われています。ローマでは色白が美しさの基準であったため入浴が盛んに行われていました。現代で言うパックのようなものも盛んに行われ、鉛白や白亜(チョーク)などが使われていたそうです。また、スプレニアも流行しました。この時代の付けぼくろはオシャレが目的と言うよりは、吹き出物などを隠す役割を果たしていました。そして、贅沢を好むローマ人は香料を大量に使用していたようです。特に貴族たちは髪に付ける香油を浴室に持ち込み、一日に三度もすりこんでいました。



中世・・・この時代はキリスト教の影響で化粧はあまり進歩せず、むしろ回教(イスラム教)の世界で大きく進歩しました。



16〜17世紀・・・ルネサンス期を迎えるころ、イタリア・スペインを中心に香水が流行しました。これは、入浴して体を清潔に保つといった心遣いがなくなり、衛生に気を配るよりも香水のにおいでごまかすことをしていたということです。その後、香水は欧州全域にも拡大しました。香水は官能を刺激するものとしてだけではなく、いろいろな伝染病(特にペスト)に対して有効な予防薬として考えられていました。また、この時代にもつけぼくろ(パッチ)が流行しました。これは古代ギリシア・ローマ時代のものとも異なり、肌の白さを引き立たせるためのものでした。素材もベルベットやサテンでつくられており、この流行は次の世紀まで続きました。



18世紀・・・この頃から化粧の様子が少しずつ変化していきました。具体的には頬の上に

紅を丸く塗ったり、唇いっぱいに紅を塗ったりなどです。これはルイ14世の愛妾モンテスパン夫人の影響があるといい、彼女が出入りする以前の宮廷では紅はあまり使われていなかったようです。また、市民階級は地味な色、上流階級の貴婦人たちは鮮やかな色など紅の色合いで女性の階級などを区別していました。化粧品はすべて匂いが強かったが香料水を使うことも流行し、匂いが強ければ強いほど珍重されました。さらに、エチケットとして毎日香水を変えることも要求され、この香水の流行が貴族階級から市民階級へと広まりました。この時代も16〜17世紀同様に肌の白さは重要視され、引き立たせるために皮膚の上にうすく青色で1〜2本の血管を書いたりもしました。



19〜20世紀・・時代とともに濃厚な化粧はすたれ、控えめな化粧や香り、そして再び白い肌が好まれるようになりました。第一次世界大戦後は日焼けした小麦色の肌が健康美としてもてはやされたが、1930年ごろまでにはまた日焼けを嫌う傾向へと変化していきました。そして、1955年ごろにファンデーションが発売され、世界共通の化粧方法が生まれはじめたそうです。その後、各国の化粧品メーカーが科学技術品としての化粧品に腕を競うようになり現在に至っています。



<香水>

化粧の中でも香水または香料は古くから存在していました。似たような役割を果たすものは古代エジプトの時代からあり、その後ヨーロッパにおいて大きく発展したといわれています。17世紀にフランスの植物学者メルキュウティオ・フランギパレが香粉をアルコールに溶かし、香水として売り出したものが、現在の香水の始まりであるとされています。香水を含む“香り”は美容的な価値の面と治療的機能の面があり、それらがヨーロッパとくにフランスの宮廷文化とともに発展し、市民階級へも深く浸透していきました。その治療的機能の面としては、ペストなどの伝染病が流行したとき芳香性の植物を燻蒸する方法がよくとられていたようです。19世紀のパリ・ロンドンでは王室御用達の香水商も出現しました。また、オートクチュールが確立するとファッションデザイナーも化粧業界に参入するようになり、シャネル・ランバン・ディオールなどが数々の有名香水を発表するようになりました。現在においては、香水だけではなくアロマテラピーという形で香りが注目されるようにもなりました。



<化粧の力>

現在、化粧はおしゃれという面だけではなく病気の治療にも活用されています。その中で私が注目したのは介護現場での化粧の活用です。「お化粧大研究」(PHP研究所)の中である病院で66歳〜93歳の老人性痴呆の女性40名を対象にした調査結果が載っていました。

内容は毎週月曜に大広間に集まり、マッサージをしたりメークをしたりするというものです。それまで寝たきりでトイレもオムツに頼っていた女性がリハビリに積極的に取り組んで自分でトイレに行くことができるようになりました。この他にも表情の変化やみだしなみ・オムツがとれる・トイレ・リハビリなど様々な面でよい結果が得られたそうです。日本は先進国の中でも特に速いスピードで高齢化が進んでいるそうです。治療のための医療はある程度はすでに進歩しつくしています。そのような中で化粧療法を使うことが精神面からの治療の補助になるのではないかと思います。



<まとめ>

秋学期は化粧の歴史を中心に調べてきました。今まで、化粧について詳しく調べたことがなかったので知らないことなど発見が多くあったと思います。その発見したことや新たに得た知識をもとに、今回の研究でもふれた“香水文化”についてより深く調べてみたいと思います。さらにヨーロッパの香水文化を広める中で大きな役割を果たしたファッションデザイナーたちについても注目してみようと思っています。また、現在は化粧=女性というイメージがありますが、昔は男性も化粧をしていたことが分かりました。なぜ化粧が女性中心のものとなったのか?そして、化粧のおしゃれ以外の用途などについても、今後調べていきたいと考えています。


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