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日本の化粧の歴史

ここまで、化粧の効果や、自己と他者との関係において化粧が果たす役割を見てきた。次に、化粧文化の歴史を通して、現代における化粧のとらえられ方について記述する。

1 .古代から江戸時代 ―化粧の大衆化―
化粧の起源には、自然界からの防御、共同体の規則、身分の象徴などの説があり、日本においても古くから化粧が行われてきた。縄文時代に行われた化粧では、主に赤と黒の2色が用いられており、この赤を使用した化粧の傾向は、後の弥生時代、古墳時代まで続いたとされる。その後、奈良時代に、女性天皇である持統天皇をはじめ宮廷の女性たちに、唐から伝来した白粉が普及し、以降、飛鳥時代から奈良時代を経て平安時代初期にいたるまで、隋や唐の流行を多く取り入れた化粧がなされていたと考えられている。
戦国時代から江戸初期は動乱の時代である。戦に出かける身分の高い武士のあいだでは、平安時代の貴族の化粧を受け継ぎ、死に顔が美しいようにと白粉に置眉を描き、お歯黒をし、紅をさすなどの化粧行動がなされた。
その後、江戸中期、元禄文化の時代になると、文化の担い手が一部の上流階級から町人へ拡大し、大衆文化が生まれた。この時期に、京坂や江戸市中に住む都会の人々が、これまで貴重で高価なものであった化粧品や化粧道具を町で手に入れられるようになり、一般の人々が化粧をするようになったのである(石田:2002)。また、江戸末期には、化粧や髪結の、いわゆるハウツー本である『都風俗化粧伝』が出版されている。

2 .近代から現代 ―世界的流行と化粧品の発達―
19世紀末から第一次世界大戦までの間にかけて、化粧を含むファッションは、世界規模での一体化がはじまる。世界的にリップスティックが普及し、白塗りだった白粉が肌の色に近づいている。これらは大正から昭和初期にかけて日本にも取り入れられている。
そして第二次世界大戦後、ハリウッドの女優たちによって、化粧が一般にひろく普及するきっかけが与えられた。パウダリーファンデーションやリキッドファンデーション、黒や青のアイシャドウ、マスカラ、濡れたような質感の赤い口紅など、さまざまな化粧製品
がハリウッドから次々と生み出され、普及した。日本でも、1950〜60年代にアメリカではじまったアイメークブームや、欧米から入ってきた日焼け肌が流行するなど、世界の流行を取り入れてきた。さらに、化粧品の技術開発が進み、1970年代にはほぼ現在使用されている化粧品と同じようなものが使われるようになったといわれている。

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