2017年06月09日
やっと見えるようになったお金の価値
毎日何のために働いてるのだろう?
働いてきたお金は全て使ってきた私には何も残ってないからそう思ってしまうのだろうか?
朝早く起きて会社に向かい、今日もこんな事やるのかと気が遠くなるような仕事をやらされる、それでも仕事だから嫌だという心を午前8時までにはなんとか仕事モードへと切り替えて、なに食わぬ顔で仕事をスタートする。皆様平然としてるが、楽な仕事などあるわけがないのでみんな心はズタボロである。
それでもきつい仕事でも、精神的にまいりそうな仕事でも、とんでもないバカがいて思いっきり足を引っ張られようとも、なんとか今日1日仕事をやりきろうと皆平然と仕事をする。全く社会人とは大変である。
どんな理不尽な事を言われようと、どんなにバカにされても、1日仕事をやりきって家へと帰る。頭にきて殴ったり、帰ったりする人間は社会人として通用しない。
社長になるか株の取引で確実に利益をあげれるような人はもちろん我慢する必要なんてないだろう。
イケメンだろうがプロレスラーのような体をしてようが東大卒だろうが、会社に属さず生活していけないのであれば社会人としての苦労は避けられない。
ではなぜ、みんなそんな気が遠くなるような毎日を平然と過ごせるのか?
それは輝かしい車や家、輝かしい家族、輝かしい金があるからであろう。仕事をしてない人間であればいずれ失うか、その前に手にもしていないだろう。
では、そういった支えが無い私みたいな人間はどうやって頑張っているのだろうか?
毎日が苦痛でしょうがないのである。なんとか、酒、タバコ、パチンコでストレスを追い払ってみても、形で残るような成果が出ない事には仕事に対するメンタル強化などあり得ない。
ではどうすればいいのか?
私はお金とは何かに気付く事だと思っている。
好きに使える程持っていれば、やりたいことなどほぼ何でも叶うような魔法の紙である。
しかし、必要最低限持ってないと住む事も、食事する事も出来ない。何をするのにもお金がかかる、電話するのも体を洗うのもどこかに移動するのもいちいちお金がかかる。
私のような歳で独り者であれば働いていれば生活出来ないような事はあまりないだろう。
一ヶ月の給料と一ヶ月に生活するのにかかるお金、そして自由に使えるお金。それを考える事ができ、自由に使えるお金しか使わない。
それが出来れば大した事がない学歴や資格なんかよりよっぽど役にたつ。
むしろ人生最強の資格ではないだろうか?自立士とでも勝手に名付けて今日から生まれ変わってやってみようか?
しかし、お金は魔法の紙。欲望を抑えきれなければ10万、20万などあっという間に消える。
通帳に給与223000円と記載されていても、全部使ってはダメなのである。そこから使えるのは何万円かだけである。
その生活に慣れてしまえば、我慢や苦痛など感じなくなるだろう。パチンコサンドに一万円入れるような事さえしなければ、普通に生活できるし、遊べるし、余裕を持って翌月を繰り越せる。
そして、それは貯金である。
いつの間にかそれは100万円の束になり勇気と自信をくれるに違いない。
心の支えであり、安心感である。
働いてきたお金は全て使ってきた私には何も残ってないからそう思ってしまうのだろうか?
朝早く起きて会社に向かい、今日もこんな事やるのかと気が遠くなるような仕事をやらされる、それでも仕事だから嫌だという心を午前8時までにはなんとか仕事モードへと切り替えて、なに食わぬ顔で仕事をスタートする。皆様平然としてるが、楽な仕事などあるわけがないのでみんな心はズタボロである。
それでもきつい仕事でも、精神的にまいりそうな仕事でも、とんでもないバカがいて思いっきり足を引っ張られようとも、なんとか今日1日仕事をやりきろうと皆平然と仕事をする。全く社会人とは大変である。
どんな理不尽な事を言われようと、どんなにバカにされても、1日仕事をやりきって家へと帰る。頭にきて殴ったり、帰ったりする人間は社会人として通用しない。
社長になるか株の取引で確実に利益をあげれるような人はもちろん我慢する必要なんてないだろう。
イケメンだろうがプロレスラーのような体をしてようが東大卒だろうが、会社に属さず生活していけないのであれば社会人としての苦労は避けられない。
ではなぜ、みんなそんな気が遠くなるような毎日を平然と過ごせるのか?
それは輝かしい車や家、輝かしい家族、輝かしい金があるからであろう。仕事をしてない人間であればいずれ失うか、その前に手にもしていないだろう。
では、そういった支えが無い私みたいな人間はどうやって頑張っているのだろうか?
毎日が苦痛でしょうがないのである。なんとか、酒、タバコ、パチンコでストレスを追い払ってみても、形で残るような成果が出ない事には仕事に対するメンタル強化などあり得ない。
ではどうすればいいのか?
私はお金とは何かに気付く事だと思っている。
好きに使える程持っていれば、やりたいことなどほぼ何でも叶うような魔法の紙である。
しかし、必要最低限持ってないと住む事も、食事する事も出来ない。何をするのにもお金がかかる、電話するのも体を洗うのもどこかに移動するのもいちいちお金がかかる。
私のような歳で独り者であれば働いていれば生活出来ないような事はあまりないだろう。
一ヶ月の給料と一ヶ月に生活するのにかかるお金、そして自由に使えるお金。それを考える事ができ、自由に使えるお金しか使わない。
それが出来れば大した事がない学歴や資格なんかよりよっぽど役にたつ。
むしろ人生最強の資格ではないだろうか?自立士とでも勝手に名付けて今日から生まれ変わってやってみようか?
しかし、お金は魔法の紙。欲望を抑えきれなければ10万、20万などあっという間に消える。
通帳に給与223000円と記載されていても、全部使ってはダメなのである。そこから使えるのは何万円かだけである。
その生活に慣れてしまえば、我慢や苦痛など感じなくなるだろう。パチンコサンドに一万円入れるような事さえしなければ、普通に生活できるし、遊べるし、余裕を持って翌月を繰り越せる。
そして、それは貯金である。
いつの間にかそれは100万円の束になり勇気と自信をくれるに違いない。
心の支えであり、安心感である。
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