【日日是好日とは?】
禅の名言に『日日是好日(にちにちこれこうにち)』があります。
意味は何でしょう?
『岩波 仏教辞典』に、こう書いてあります。
「日常はマンネリ化し、色あせたものになりがちである。
それを打破するのは〈平常心是道〉の自覚であり、
時は過ぎやすく、
決して同じ一日はないことの反省をもって、
この一日というかけがえのない即今(いま、ただいま)を享受すること。」
『日日是れ好日』について、
『禅力 あなたを変える禅の名言』(著者 河野太通 海竜社)
の中に、こう書いてあります。
「雨安居の終わりの日の七月十五日、
雲門和尚が修行僧たちに今後の決意を問いました。
『十五日已前は汝に問わず、十五日已後一句を道い将ち来たれ』
今まで九十日間、
諸君は一生懸命修行してきた。
さぞみんな相応の所得があったことであろう。
その間のことについては問うことはやめよう。
問題はこれからである。
明日以後、
みんなどういう心境で生活しようと思っているのか、
それをひと言でいってみてほしい、
と。
ところが雲門和尚の問いにだれも答えるものがなかったので、
雲門和尚がみずから代わっていわれました。
『日日是れ好日――毎日毎日がすばらしい日だ』
ところがなかなかそうはいかないものです。
いやな日もあれば、
腹立たしい日もあるはずです。
親兄弟の死に目にも逢うでしょう。
雲門和尚はそういうことを知らずにいったはずはありません。
それを百も承知で、
しかも毎日がすばらしい日だと言われるのです。
良寛和尚は
『災難に遭う時節には 災難に遭うがよく候
死ぬ時節には 死ぬがよく候』
と言っています。
災難や病に遭えばその苦痛でのたうちまわる。
それでもその日を好日と受け取る。
なかなか容易なことではありませんが、
なにか大いなるものにまかせきった良寛和尚の安心の境地がうかがえるようです。
良いことが続いて、
それで日々が好ましい日だというのではあたりまえのことです。
悪い日であっても、
すばらしい日であると受けとれる心境が開けてこなければならないのですがどうでしょう。
この世にあるものは、
すべて移ろいゆきます。
そして消え去ってゆきます。
それが生きているということであり、
この真実には例外もはずれもありません。
まことに冷厳な事実です。
この道理を私も生きているのであれば、
この道理にまかせ切るとき、
好し悪しを言うことはない。
すべてはそのままでよいのだ。
一切を否定してはじめて一切を肯定する心が出てくる。
そうあってはじめて
『日日是れ好日』
という安易な現状是認ではない雲門和尚の創造的大肯定の世界が開けてくるというものであります。」(124頁〜126頁)
人生で起こるすべての出来事を受け入れ、
すべてのことを肯定し、
すべてのことに感謝する。
全受容・全肯定・全感謝を旨とし、
何事も建設的・発展的・肯定的・創造的に考え、
人生の一切に勇往邁進しましょう。
『すべて移ろいゆく日々に好し悪しはない』
『日日是れ好日』
(推薦図書)
『禅力 あなたを変える禅の名言』
(著者 河野太通 海竜社)
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