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メンタル心理カウンセラー・上級心理カウンセラー・行動心理士の高原茂です。宜しくお願い致します。 「このサイトはアフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しています。」 など
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2024年12月08日

【愛語とは?】

【愛語とは?】

『愛語』とは何でしょう?

大辞林に、こう書いてあります。

「四摂法(ししょうぼう)の一。
仏道に導くため、親しみの気持ちを抱くような心のこもった言葉をかけること。」

ブリタニカ国際大百科事典には、こう書いてあります。

「仏教を実践する人が人々をひきつけるためにそなえるべき4種の美点(四摂事)の一つ。
愛語摂ともいう。
あたたかい心のこもった言葉をかけること。
これによって人々に接近し、彼らを悟りの境地に導く。」

愛語は仏教用語です。

『愛語』に関して、

『愛語 よい言葉をかけて暮らそう』
(原著 山田無文 禅文化研究所)

の中に、こう書いてあります。

「お年寄りも何かせんといかん。

身体が動けるうちは働きなさい。

この手で何かを作っていく、
そこに人間の喜び、
生きがいがある。

もし身体が衰えたら、
短歌や俳句を作りなさい。

やさしい言葉を作りなさい。

(中略)

わたくしは、
よく話を頼まれて老人会にまいりますが、
そこでいつも申しあげるのは、
年を取っても遊んでいてはいかんということです。

スウェーデンという国は、
世界一の福祉国家として知られておりますが、
なぜかお年寄りの自殺も一番多い国だそうであります。

そこで当局の人が考えました。

これはおそらく福祉設備が整いすぎて、
何もせんでも生活していけるために生きがいがなくなってしまうからだろう。

何か仕事があればいいのではなかろうかと考えて、
南方から藤の蔓をたくさん取り寄せました。

そして老人ホームの人たちに、
それで何か作るようにと申しましたら、
椅子だとか籠だとか、敷物など、
みなが自由に好きなものを作るようになり、
生き生きとしてきたということです。

手を動かしてものを創る喜びを覚え、
人のために働く立派な希望も持てるようになって、
自殺する人がなくなったのです。

今では、
世界で一番お年寄りの自殺が多い国は日本だといわれております。

そこで、
日本のお年寄りも何かせんといかん、
遊んでおっちゃいかんと、
わたくしはお話することにしているのです。

身体が動けるうちは働きなさい。

息子の仕事の手伝いでもよい。

庭掃除でもよい。

花を植えて育てることでもよい。

この手で何かを作っていく、
そこに人間の喜びがあり、
生きがいがある。

もし身体が衰えて、
手も自由に動かん人、
寝たきりで起き上がれない人でも作るものはあります。

三十一文字を並べて短歌を作ってごらんなさい。

俳句を作ってごらんなさい。

うまく作ろう、
立派なものを歌おうと思わんでよろしい。

『きょうは、だれも尋ねてきてくれなかった、淋しかったな』

『慰問にきてくれた人が柿をくれた、おいしかった』

『いまごろは紅葉がきれいだろうな、残念だが寝たままで見に行けない』

というようなものでいいのです。

その日その日、
何か思ったこと、
感じたことを歌にしていけばよいのです。

また短歌や俳句を作るのはかなわんという人なら、
やさしい言葉を作りなさい。

いつもお世話をしてくれる看護婦さんやお手伝いさん、
お嫁さんたちに、

『ありがとう。すみません。おかげさまです』

と、心のこもった言葉を掛けることです。

そうすれば、
自分も、
お世話をしてくださる方も、
どんなに気持ちがよいかわかりません。

やさしい言葉に、
やさしいほほ笑み。

いつもほほ笑んでいられる人は菩薩さまです。

奈良の中宮寺の弥勒菩薩さまのように、
また世界的な名画として知られる、
あのモナリザの微笑のように、
いつもほほ笑みをたたえている人であってごらんなさい。」(76頁〜78頁)

「ある会社の社長がおっしゃるには、
近ごろの新入社員は挨拶をせんそうです。

社長に会っても、
『おはようございます』
の一言も言わん。

仕方がないから社長のほうから、
『おはよう』
と言うようにしておりますと、
何回目かにようやく挨拶を交わすようになるということです。

決して悪気があるわけじゃないが、
どうも近ごろの若い人にはものを言う習慣がないらしいと、
このようなことをお話しなさっておりました。

今はどこを見まわしても、
機械ばかりです。

お金を入れさえすれば、
切符が出る、
タバコが出る、
ジュースが出てくる世の中です。

あの自動販売機というものは、
『ありがとう』も、
『おはよう』も言わん。

ものを言わん機械に囲まれて生活しているうちに、
人間までがものを言わんようになったのでしょうか。

たとえ知らない人とでも、
会えば、
『おはようございます。よい時候ですなあ』
と、お互いに言葉をかけ合っていくところに、
人間の価値がなければならんと、
わたくしは思います。

秋深き隣は何をする人ぞ

と芭蕉は詠っておられます。

京都の嵐山あたりにあった、
あるパトロンの別荘で、
芭蕉はしばらく暮らしていたことがあります。

そこで紅葉の嵐山を眺めながら、
おそらくこんな気持であったのではないでしょうか。

『美しい景色を見てまことに幸せだが、
話し相手がなくて、
ちょっと淋しいな。

二丁ほど先にどこかの別荘があるが、あそこにはどんな人が暮らしておられるのかな。

若い人かな、ご夫婦かな、何をしている人かな。

見ず知らずの人のところへ、
こちらからご案内に行くわけにはいかんが、
向こうから一度お茶でも飲みに来いと言うてくれんかな。

話しに来いと言うてくれんかな。
こんな日は、せめて隣の人に会うて話がしたいな』

こういう気持ちが、
『秋深き隣は何をする人ぞ』
という句になったといえましょう。

いかにも人間らしい、
人間愛にあふれた芭蕉の心であります。

ところが、
このごろではアパートやマンション暮らしの人が多くなって、
隣の人がどんな人やら、
どこの会社に勤めている人やら、
まったくわからん。

何年住んでいても滅多に顔を合わせることもなくて、
一度も言葉をかけたこともない。

こういう淋しい時代が今の世の中であります。

お互いに話し合い、
意見を交換し合うところに人間の価値があるのです。

よい言葉をたくさん使うところに、
人間らしさがあるのです。

ですから、
ものを言わん機械だらけの世の中にあって、
もっともっとお互いによい言葉をかけ合い、
仲よく話し合っていくのが人間でなければならんと思うのであります。」(268頁〜270頁)

批評・批判・非難・否定・否認・誹謗ではなくて、

受容・承認・称賛・共感・感謝・寛容・尊敬などの温かい心のこもった言葉を互いに掛け合い、
良好なコミュニケーションを図りたいものですね。

『愛語』がキーワードです。

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