2020年02月25日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 藤川宿〜赤坂宿)
今回の妄想は、藤川宿から赤坂宿二里九丁(10.3Km)を目指します。
実は、藤川宿と赤坂宿の間にはもう一つ、本宿が有ります。赤坂が宿場になる前に宿場だった所だそうです。
赤坂宿の京側の入り口は、西の見附になります。藤川宿と赤坂宿西の見附の間の史跡は、山中立場、本宿、磯丸歌碑、長沢一里塚、西の見附と有ります。
藤川宿を出て暫く行くと、名電山中駅を少し過ぎた辺りが山中立場となります。山中立場も本宿並みに賑っていたそうです。歌川広重は、付近の風景を藤川として描いています。
電車で1区間程度の先に本宿です。丁度駅前に本宿一里塚が有り、ここが、本宿の入り口と考えて良いでしょう。街道には本陣跡や味噌工場など、古い町並みが残っているようです。街道から少し離れると法蔵寺が有ります。法蔵寺は、二村山法蔵寺と言い浄土宗西山深草派のお寺で、本尊は阿弥陀如来です。徳川家の始祖松平親氏が伽藍を建立したことから、松平家の菩提寺となっているそうで、徳川家康が幼少の頃このお寺で読み書きなどを習ったという事で、その遺品も残っているとの事です。他にも法蔵寺には日本武尊東征の故事が伝わる硯水や、新撰組組長近藤勇の首塚などが有ります。
本宿を出て、名鉄長沢駅の手前に、観音堂跡があり磯丸(みほとけ)歌碑が有ります。長沢駅を過ぎると、長沢一里塚が有ります。その先に、八幡神社が有り、そのあたりに見附跡の標識があるようです。
江戸から36番目の赤坂宿は、隣の御油宿と合わせ「赤坂御位」と言う一つの宿場町でした。江戸時代家康の命により2つの宿場に分けられたという事です。その為赤坂宿と御油宿の間は一六丁しか離れていません。
赤坂宿内の街道沿いには、高札場跡、大橋屋、尾崎屋、浄泉寺、問屋場跡などの史跡が有ります。
高札場跡の近くには、陣屋跡の説明看板もあるそうで、廃藩置県の折には三河県の役所になっていたらしいです。
大橋屋は1649年創業の旅籠で、広重の、絵のモデルにもなっています。2015年に旅籠としての営業を終了されました。近くの尾崎屋は曲げ物製造卸問屋です。
浄泉寺は浄土宗のお寺で、境内の観音堂には百観音が安置されているという事です。本堂前のソテツは広重の絵で有名だそうです。
問屋場跡は説明看板のみですが、向の本陣跡は資料館になっているようです。
さて、赤坂宿での美味しいものを調べてみると、隣の御油宿に日本3大稲荷の豊川稲荷が有ります。そうなると、やはり稲荷寿司他の稲荷物ですね。稲荷ずしは勿論、いなりバーガーやいなりうどん、などお店によって、様々な物が提供されているようです。赤坂宿か御油宿で食べたいですね!
次は、御油宿へと向かいます。僅か一六丁(1.7Km)の距離です。
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