2020年02月15日
オッサンのDream Journey(昔の人はエライ! 東海道五十三次 四日市宿〜桑名宿)
四日市宿から桑名宿を目指します。三里八丁(14.5Km)の道のりです。
四日市宿からから間もなく、三ツ谷の一里塚に差し掛かり、それを過ぎて暫く行くと力石があり、近くには羽津城跡があります。羽津城は15世紀後半、田原(藤原)盛宗により築城されました。盛宗はムカデ退治で有名な藤原秀郷の子孫だそうです。
力石の先には富田の一里塚があります。江戸日本橋から98番目の一里塚です。この辺りは富田の立場だった所で賑っていたそうです。近くの、冨田駅の東側に冨田城が有ったそうですが、今は富田幼稚園に名残として銀杏の古木が残っているそうです
富田の一里塚から暫く行けば、幕末の国学者橘守部の誕生地の遺跡があります。そこから少し行けば、伊勢朝日町駅の側に縄生の一里塚があり、近くには資料館なども有るそうです。
朝日町駅からさらに進むと、町屋川に差し掛かり川を渡ると、伊勢両宮常夜燈があります。文政年間桑名や岐阜の材木商たちが寄進したものと言う事です。この辺りは舟遊びの船着き場もあり賑っていたそうです。
少し行くと、矢田立場に突き当たりますが、途中の道は江場松原と言い松並木が続いていたらしいです。火の見櫓が復元されている矢田立場は旅人の休憩所として賑っていました。この辺りは戦災を免れたと言う事で昔ながらの家並みが見ることが出来るそうです。この辺りから街道は曲がり角が多くなりそうです。
そのまま、進むと吉津屋見附跡があります。曲がり角が多い事から七曲の見附跡と言われているようです。吉津見附が京都からの入り口なのでしょうか?
四日市宿と桑名宿間には他にも多くの神社仏閣、名所旧跡、史跡が点在しています。特に浄泉坊と言う浄土真宗本願寺派のお寺は、徳川家に縁のある、桑名藩主の正室の菩提寺だったこともあり参勤交代の折、大名たちはかごを降り黙礼したと言う事です。他にも、桑名市博物館や、安永餅店跡などがあります。
桑名宿は江戸から42番目の宿場町で、宮宿に渡る七里の渡しを控えて大きく賑った宿です。同時に松平家の城下町でもあり、桑名城は、九華公園になっています。
桑名宿内にも史跡や見どころが、七里の渡し跡は勿論、大塚本陣跡(船津屋)、脇本陣跡(駿河屋)、通り井跡、柿安本店、桑名宗社(春日神社)、海蔵寺(薩摩義士墓所)、佛眼院(喚鐘、桑名藩藩士墓所)他神社仏閣なども数多く有ります。
さて、桑名宿で美味しいものと言えば、「その手は桑名の焼き蛤」?の蛤ですよね。色んな店で提供しているようです。店先でも販売している処もあり立ち食いも可能な様です。柿安本店は文明開化初期に開業した牛鍋屋由来の老舗の食品メーカーで外食事業でも老舗のお店です。他には、安永餅があります、これは四日市宿笹井屋のなが餅と同じもので、呼び名が違うだけの様です。只、四日市宿と桑名宿の間でしか食べられない感じがします。
次は、宮宿に向かいます。約七里と言う事ですが、陸上を移動する場合でも20Kmほどはあるようです。
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9635672
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック