2019年12月19日
オッサのブラリ一人(丹波もみじめぐり 柏原八幡神社)
三寳寺の後、車で5分程のところに柏原八幡神社が有ります。丹波もみじめぐりのコースからは外れていますが、三寳寺まで来たら行かねばなるまいと、立ち寄りました。
駐車場に車を停めると、いきなり紅葉が迎えてくれました。こちらの紅葉は丁度見頃でした。
一の鳥居に来ました。参道は緩やかな石段になっています。
参道にも、少ないのですが鮮やかな紅葉が生えています。参道から紅葉を観ると、下のお寺を見下ろしていました。
中腹まで来ると社務所があります。この日は、神社で御朱印は頂くようになっていました。
社務所で折り返して神社へと向かいます。
神社に着きました。柏原八幡神社です。
柏原八幡神社は、舒明天皇の時代(629〜641)出雲の連が、入船山に素戔嗚尊(スサノオノミコト)を奉祀したのが始まりとされます。入船山というのは、柏原八幡神社が鎮座する山で正にここが入船山と言う事になります。
その後、1024年後一条天皇の勅意によって京都の石清水八幡宮から分霊を勧請、柏原別宮として創建されました。
祭神は誉田別命、息長足姫命、姫三柱之命で、ご利益としては厄除開運、家内安全、勝負必勝、病気平癒、健康長寿等となっています。
南北朝時代には争乱の兵火で社殿を焼失し、1579年にも例にもれず明智光秀の丹波攻めによってふたたび焼失しました。現在の社殿は1585年羽柴秀吉の命によって再再建されたものです、国の重要文化財となっています。
社殿です。
社殿の横に回ると、朱色の三重塔が飛び込んできました。
この三重塔は、1469年創建されたものです。本殿同様度々焼失しています。現在の三重塔は1815年に再建されたもので、県の重要文化財となっています。
明治時代には神仏分離令により、棄却の危機に瀕しました。以前、インターネットで見た時には例外的に神仏習合を認められて三重塔と鐘楼が残ったという文章があったと記憶しているのですが、いつの間にかどこを調べてもその文面がありません。どうやら、神仏習合を認められた訳では無い様です。しかし、八幡文庫と称することで、存続を認められたそうです。
塔が現存する神社は珍しく全国で18社のみとなっています。
鐘楼です。
この鐘は天正年間、秀吉が大砲を造るためこの地方の鐘を1か所に集めた際特に優れていたため八幡神社に寄贈したものだそうです。鐘には年号が2つ刻まれていますがどういう事なのか?は分かりません。
この鐘も神仏分離令の時に棄却の対象から免れていますが、その経緯は不明です。
境内の紅葉です。
厄除神社です。毎年2月には柏原の厄神さんと呼ばれる三丹一の厄除大祭が行われます。
特に2月17日の深夜に行われる、「青山祭壇の儀」は日本最古の厄除け神事とされています。
厄除神社の隣で御朱印を頂く事が出来ました。どうやら、参拝のタイミングによって境内で頂ける場合と、社務所で頂く場合があるようです。
神社の周りにも摂末社がいろいろあるのですが、紹介しきれませんでした。
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