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2021年07月07日
** 今日は七夕ですね **
** ベルビル地区 **
** ベルビル地区 **
「phewの夏」、それは7月と8月にベルビル地区の協会によって
アニメーション化されたスーパーイベントです。
コンサート、ダンスワークショップ、ガーデニング、料理..
7月の毎週木曜日(8、15、22、29)、ベルビル大通りは、
パリ市民に無料のエンターテイメントを提供するために
地元の協会によって催しされます。
老若男女がルドモンドの巨大な木製ゲームを楽しんだり、
パリエストムーブでグラフィティモードで服をカスタマイズしたり、
ヒップホップを学ぶことができます。
他の曜日と週末、そして8月には、リサイクルワークショップ、
短編映画上映、パーカッション、サッカーの試合、サイクリング、
空の観察など、地区内の他のイベントを楽しむことができます。
2021年07月03日
** 1632 -1641 年頃のパリの地図 **
2021年07月02日
** ヴァカンス(Les Vacances)**
貸別荘
貸別荘
** ヴァカンス(Les Vacances)**
アンティーブの岬にあるエデン・ロック
フランス人というといつもヴァカンスの事ばかり考えている
イメージですが、実際その通りです。
年末年始を過ぎると、職場では自分のヴァカンスが希望通り取れるかどうか?
仲間内で探り合いがあるようで、基本は子供のいる家庭が優先され、
年功序列もちょっと含まれ、結局、独身者と新入社員が後回しになるようです。
職種にもよりますが、7〜8月はやっぱり皆が休みをとるために
人員不足となりあんまり機能しないようです。
それではどんな休みの過ごし方あるのか?、
フランス人家庭で地方に実家があれば、どっちかの実家に行くことが一般的。
殆どは「うちにいるよ」という人も、
また、行先としては、海ならばノルマンディーやブルターニュ、
山ならばピレネーや中央山地といったところ?
日本の皆さんなら誰もが考える地中海・コートダジュールへ行くと
いうのは、ごくごく一部の富裕層に限定されていると思う。
本当のお金持ち層だけしかいないように思われる。
フランスは廻りは陸続きの外国に接しているものの、
フランス人で海外でヴァカンスという人は少ないらしい。
2021年07月01日
** 地下鉄ミュージシャン **
2021年06月30日
** ジャックマール・アンドレ美術館 **
2021年06月29日
** クレマンソー博物館 **
クレマンソーの肖像画(39歳)(エドゥアール・マネ作) オルセー美術館所蔵
クレマンソーとモネ
モネの庭にも有る笹藪
** クレマンソー博物館 **
1931年にオープンした、この魅力的なパリの博物館はまだ余り人々には知られていません。
ドレイファス事件での戦いで有名な、植民地主義に対する死刑、平等、世俗主義の廃止のために、
ジョルジュ・クレマンソー(1841-1929)は偉大なフランスの政治家でした。
彼の死後、パリの16区の彼のアパートは、博物館になりました。
ジョルジュ クレマンソーと言えば、メトロ1号線の駅名『シャンゼリーゼ クレマンソー』が
ありますが、この駅の上に、クレマンソー広場があり、
そこには、ジョルジュ クレマンソーの銅像があり、その駅名が付きました。
20世紀始めのフランスの政治家で、首相を2期務めています。
又、画家クロードモネの友人として、晩年のモネに『国の為に睡蓮を描いて欲しい』と勧めた人物です。
モネも『死ぬまで描かせて欲しい』と、白内障の手術を何度か行って、
巨大な睡蓮の連作を仕上げていきました。
そして、モネが他界した数ヵ後に、モネの連作の睡蓮が見られるように
オランジェリー美術館を作ったのもクレマンソーでした。
2人は手紙でやり取りをしていたのですが、その手紙の数が凄く、
何百通と残っているそうです。
モネが他界後には、一人でモネの家のお庭を訪れて、
物思いにふけっていらっしゃったようです。
親友が先に他界してしまうのは、何て、寂しい事でしょうか。。。
2021年06月28日
** ル・クラランス・パリ **
2021年06月27日
** ちょっと裏話 〜モンテーニュ通り〜 **
** ちょっと裏話 〜モンテーニュ通り〜 **
クリスチャンディオールを初めとする高級ブティックが軒を連ね、
パリで最も洗練されたエリアとして知られている「モンテーニュ通り」ですが、
実はその昔、この辺りは、カボチャ系の植物などを栽培していた農園地帯でした。
18世紀後半になると周辺の薄暗い通りや怪しげなギャンゲット
(キャバレーやダンスホールの事)で出会いを求める男女達が集まるようになり、
『未亡人通り』などと呼ばれていた時期もあったそうです。
モンマルトルなどの庶民的な郊外地区にも多くの店があったそう。
そんなイメージを払拭する為、1850年にルネッサンス期の哲学者で、
ミッシェル・ド・モンテーニューの名前が付けられたと云われています。
見事にイメージチェンジを遂げた訳ですが、
まさかそんな場所だったとは想像もつかないですよね・・