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ジャージーシティ散策

アメリカみやげばなしI
「ジャージーシティ散策」
旅の前半、
月曜の夜から金曜(ブラックフライデー)の朝まで宿泊したのは、
ニューヨークのハドソン川対岸の港湾都市、
ジャージーシティーのニューポートにあるホテル、
DoubleTree by Hilton Hotel & Suites Jersey City
…なかなか立派なホテル。
で、木曜と金曜の朝、
私は一行の洗濯物を黒くて大きなボストンバッグに詰めて、
散歩がてら、近くのランドロマット(コインランドリー)へ出掛けた。
エレベーターを降りて、ホテルの玄関を出ると、
ハドソン川の方から吹き付ける寒風が、むしろ心地よい。
寝ぼけ眼がしっかりと開く。
ジャージーシティのランドマークは、
マンハッタン側やリバティー島からも良く見えるゴールドマン・サックス・タワー。
言わずと知れた巨大投資銀行のオフィスビル。
2001年のテロ事件を機に、
ニュージャージー側にビジネスの機能を移転しようと建設されたらしいが、
ニュージャージーは貧乏臭く治安が悪いとのイメージが理由で、
ウオール街からの移転が進まず、稼働率はイマイチらしい。
しかし、ニューポート界隈のメインストリート沿いには、
いくつかの巨大なオフィスビルが建設中で、
都市の再開発が進行中のようだ。
私はホテルの駐車場の裏口から出て、
例のショッピングセンターの駐車場を横切る。
駐車場脇の路上では、コーヒーとドーナツの屋台が営業中。
通勤中らしい男が、温かいコーヒーを買っている。
旨そうだな…と横目で見ながら歩を進めると、
レンガ造りの廃工場と、鉄道の引込み線の跡。
この工場から貨車で港まで製品を運び、船に積み込んだのだろう。
港湾都市の歴史を垣間見た気がしたが、
同時に、70年代の治安が悪かった当時を思わせるロケーションでもある。
…ちょっと、剣呑な雰囲気に、思わず足を早める。
廃車置場の壁に、巨大な壁画。
通りに面したシャッターにも、素敵な絵が描かれている。
ウオール街の連中は貧乏臭いというのかもしれないけれど、
住民の活力を感じる、巷の芸術だと思う。
決して上手とは言わないが、大都市でよく見る落書きとは、
比べ物にならないほど、クオリティーが高い。
こんな裏町をしばらく歩くと、古びたビルの1階にお目当ての、
「ランドロマット グローブ」…名前はシェークスピアの劇場みたい(笑)。
中には銀色の業務用洗濯機と乾燥機が並び、
その上方には、これまたペンキで描かれた壁画が。
まあ、子供の絵のような出来栄えだが、
フリーダ・カーロ的な情熱を感じないでもない。
店は、40がらみの女主人が切り盛りしている。
ブロンドの碧眼は、
もしかしたらハイスクール時代はアイドルでした…って感じかもしれないが、
現在はニュージャージーの京塚昌子か(…喩えが古い…苦笑)。
時折娘さんなのか、ちっちゃな女の子の相手をしているが、
もしかしたら、この子が壁画の作者かもしれない。
他に持ち合わせが無いので仕方なく、
両替機に10ドル紙幣を挿入、ジャラジャラと大量の25セント硬貨。
洗濯機に洗濯物と洗剤を投入し、所定の金額の硬貨を入れてスイッチオン。
あとはベンチに座って、スマホをいじったり、ガイドブックに目を通したり…。
店の中は、私と女店主の二人きり。
彼女は、楽しげに電話で話をしている。
洗濯と乾燥で一時間ちょっと。
乾いた洗濯物を、再びボストンバッグに詰める。
出口で店主に「サンキュー」と声をかけると、
電話の送話口を手で押さえながら、満面の笑みで「バイバイ!」。
こちらも笑顔で「バイバイ!」…もう会うことはないだろうけど(笑)。
店を出ると、今度はやって来たのと逆方向に歩を進める。
2〜3階建ての小さな戸建住宅が並んでいる。
通りは並木道になっていて、リスがちょろちょろしている。
…静かだ。
ニューヨークは、新陳代謝が凄まじいというのか
…居るだけで刺激を感じる街だが、
ジャージーシティは、おだやかで心地よい。
…住むならこっちかなと思ってみたり(笑)。
通りの角に柵に囲まれたスペースがあって、
中には金色に塗られた兵士の胸像があった。
おそらくベトナム戦争の慰霊碑だと思う。
…この街から出征して、命を落とした兵士なのだろう。
慰霊碑の脇をリスがまた走り抜ける。
ジャージーシティはまだ、静けさの中だ。

タイムズスクエア事件の顛末

「タイムズスクエア事件の顛末」
ロックフェラーセンター界隈を見物した後は、
6Ave(Ave of the Americas)を横切って49stがら7Aveへ。
左折して7Aveを南下して、
ブロードウェイと合流するあたり(ざっくり48〜44st)が、
世界一有名な交差点、タイムズスクエア。
私の記憶が確かなら、田舎から初めてニューヨークにやってきた若きマドンナが、
タクシーの運転手に行く先を、「全ての中心へ連れて行って」と言ったら、
ここで降ろされたという場所。
…世界に中心が実在するなら、きっとここかも知れないと私も思う。
お腹が空いたので、食事にしようと入店したのはマクドナルド。
世界中でマクドナルドのサンドはローカライズされているので、
実は本家のアメリカが一番不味い…という噂を聞いた事があったのだけれど、
息子たちの「ハッピーセット!」との声に押される格好で、
物凄い混雑の店内に入り、
2階席に陣取る(1階は調理場と販売カウンターのみ)。
で、アメリカにハッピーセットがあるかというと…ありましたねぇ。
ポケモンのおもちゃ…恐るべし任天堂(笑)。
息子たちは、大興奮であります。
日本では滅多に食べない、大きなクオーターパウンダーを食す。
まあ、大味な印象はあるけれど、決して不味くはないだろう。
満足しつつ完食…まあ、ここまでホテルの部屋でご飯パックばっかりだったし(笑)。
ところで、子供連れで出かけるときの鉄則なのが、
「トイレは行ける時に行く!」。
外を歩いていると、なかなか思うようにトイレには行けないので、
ここで済まそうという事になったのだが…。
タイムズスクエアのマクドナルドは、
もの凄いお客が毎日訪れるであろうにもかかわらず、
男子トイレは1階に個室がたったの一つ。
女子トイレは2階に個室がたったの三つ。
よって、トイレの前には長蛇の列ができるのである。
私はバッグをテーブルで待つ女房と義母に託し、
5歳の長男の手を引いて、男子トイレの列に並んだ。
10分…15分…。
混雑する店内で、
いつまでもテーブルを占有できないと感じた女房たちは、
一旦店を出ると告げに来た。
20分…30分…。
更に待ちかねたのか、女房は再度行列にやってきて、
今度は道路向かいの広場に移動したと言ってきた。
…この時、私のカバンはベビーカーのハンドルに引っ掛けてあり、
そこには2歳の次男と義母が居た訳だが…。
ようやく用を足して、女房たちに合流すると、
何故か私のカバンが忽然と消えている。
「俺のカバンは?」「私がベビーカーに…あれっ?」。
義母の話によれば、広場に移動してから、
女房が私たちの様子を見に行った僅かな間、
見知らぬ外国人(いや、外国人は自分たちだって…苦笑)に、
しつこく話かけられたと言う…やられたぁ(泣)。
明らかに、私のカバンは盗難に遭ってしまった。
黒くて大き目のエディーバウアーのヒップバッグ。
カメラでも入っていると思ったのかもしれない。
生憎、中身は小額(数千円)の現金と、
日本の金融機関のキャッシュカードが入った財布。
クレジットカードは持たないが、VISAのデビットカードが一枚
(後日確認したところ、この日に暗証番号違いで2度はじいていた!)。
あとはクルマとか自宅とか事務所の鍵、運転免許証、健康保険証、
メガネ、手帳、5年落ちのiPodなどなど…金目の物はまるで無く、
苦労して盗んだ連中には、まあご苦労さんな事だったのだが(苦笑)。
…ただ、こちらとしては困る物ばかりで…大迷惑じゃ!。
おそらく一人旅なら、このような事は無かっただろう。
比較的海外経験豊富な女房だったら、大丈夫だったかも知れない。
しかし、旅慣れぬ義母を一人にしてしまったのは、私たちのミスだ。
ただ、子供連れで旅をすると、どうしてもこんな隙ができちゃんだよねぇ。
私は、極力、落胆しないようにした。
幸い携帯電話やパスポートは無事だったし、
第一、徒に落ち込んでは、義母を責めるみたいになって申し訳ない。
まあ、強盗じゃなくて良かった…不幸中の幸いだ。
問題は、現地の警察に届けるのかどうか。
海外旅行保険には、警察への届出が必須なのだが、
残念な事に、保険でカバーされそうなものは盗まれなかった(苦笑)。
それと警察署がやや離れていたこと、英語力の問題、そしてこの人ごみ…。
その辺りを考えて、現地警察への届出を断念しました。
ちなみに帰国後、金融機関の勧めで、
地元の鹿児島西警察署に被害を届け出ましたが、
盗難に間違いないだろうけれども、
現場検証等で犯罪事実を確定することが困難とかで、
結局、遺失物扱いにされてしまって…なんだか悔しい(苦笑)。
キャッシュカード類の再発行は、一枚あたり概ね1000円+税。
盗難届けが受理された場合は、これが無料になる場合があるので、
もし同様の事態に見舞われたら、やはり現地警察に届けた方が良いですね。
一枚1000円とはいえ、私はトータル11枚持っていかれたのですから(涙)。
落ち込んでいては、せっかくの旅が楽しくない。
ここは、名物を一つ体験できたと割り切ろう。
私は、自分にそう言い聞かせつつ、子供たちとm&mワールドに遊び、
夕方5時にスタートするトイザらスのブラックフライデー前夜祭?
(サンクスギビングデーの翌日。この日からクリスマス商戦がスタートする)
売り出しイベントの、行列に並んだのでありました。
行列の中、ベビーカーで寝入った次男の顔を、
何社かの地元メディアが撮影していった…日本にも配信されたかな?。

友よさらば

友人が亡くなりました。
同じ中学の同期で、同じクラブ活動で油絵を始め、
昨年再会を喜び合った旧友が亡くなりました。

14日に自宅で倒れて、そのまま逝ってしまいました。

第一線で活躍したデザイナーの才能が、
同時に永遠に失われました。

彼の死を受け入れられず、仕事も手につかない私は、
彼が大ファンだった手塚治虫の
「ブラック・ジャック」の文庫本を手に取っていた。
巻末の解説で、手塚夫人の悦子さんが書いていた。
「あなた、あなたのブラック・ジャックはどこへ行ってしまったの。
お願い、奇跡を起して…」。

私は、切なくなった…ブラック・ジャックなら、君を救えたのか。

君よ…友達でいてくれてありがとう。
心よりご冥福をお祈りします。

トップオブロック/光と影

「トップオブロック/光と影」
サンクスギビングデーのパレードは、ホテルのテレビで見た。
幼児二人を連れて、あの雑踏に踏み込む根性が無かった故だけれど、
3大ネットワークを含む地元テレビ局が熱心に中継しているので、
ベッドに寝転びながら、ゆっくり楽しむことができた。
鹿児島県民的には、
「おはら祭り」のテレビ中継のようなノリといったところか(笑)。
キティちゃんや、スヌーピーの巨大バルーンが通りを闊歩する様は、迫力満点。
パレードが終わる頃を見計らって、パストレインで終点33st駅へ。
そこからパレード帰りの人々とすれ違いながら、
通路で繋がった地下鉄の34st駅から、50st駅/ロックフェラーセンターまで。
地上に出ると、マンハッタンのミッドタウン。
摩天楼を見上げると、心が昂ぶる…「これぞニューヨーク!」。
まだパレード目当ての露天が商売しているが、
辺りは祭りのあとの余韻が漂っている。
有名なラジオシティーミュージックホールの脇を抜け、
善男善女の集うセントパトリック聖堂を覗き込み、
振り返るとそこに、アメリカの富の象徴、ロックフェラーセンター…トップオブロック。
バブルの頃、ここを三菱地所が買収して、顰蹙を買った事があったなぁ。
世界的な企業が本拠を置き、
きっと世界の上位数パーセントに入るような大金持ちが居る筈のこの界隈で、
結構目に付いたのがホームレス…数が多かった訳ではないけれど。
ミッドタウンの一等地の一角をダンボールで占拠し、
通りの向かい側の摩天楼を見つめる表情は、必ずしも暗くは無い。
通り一本隔てて、大富豪とホームレスが同居する街…それがニューヨーク。
「光と影」…彼らの存在もまた、
アメリカが標榜する自由の為に支払っているコストのように思えてくる。
NYPDの警官よりも、パリッとした制服を着た、
ロックフェラーセンターの警備員に導かれ、
有名なアトラス像や、クリスマスツリー(夜に見たかったなぁ…苦笑)を見物。
ビルに登ろうかと思ったけれど、行列が凄くて断念。
そのまま48stを歩いて、タイムズスクエアを目指す。
…そして、事件が…。

真昼のナイトミュージアム(笑)

「真昼のナイトミュージアム(笑)」
アメリカ自然史博物館。
映画「ナイトミュージアム」の舞台ですね。
映画でロビン・ウイリアムスが演じた、セオドア”テディ”ルーズベルトの像
(件の蝋人形じゃないけど)の横の階段を昇り、
ベビーカーには拷問のような回転ドアを抜けると、
早速、巨大な恐竜の骨格がお出迎え。
その大迫力に、2歳児は大喜びで、熱心に見上げている。
壁面には、この博物館のコレクションに貢献したという、
ルーズベルトの、人類の好奇心を称えるメッセージが記されている。
サンクスギビングデーの前日ということもあってか、
チケット売り場は大混雑。
20分程待たされただろうか、チケットを購入すると、
今度は一目散に宇宙関連展示のある
ローズセンター(Rose Center for Earth and Space)へ。
実は、ここで待ち合わせをしていたのである。
今回の旅の主目的は、
中学教師である女房の教え子の結婚式への出席だった。
歌の得意な新婦は、私たち夫婦の結婚披露宴にも出席し、
見事な歌を披露してくれたので、私も面識はあった。
彼女は高校卒業後、歌を学ぶためにニューヨークへ渡り、
この地で素晴らしい伴侶と出会い、結婚式を挙げることになったので、
是非…とのご招待を受けたのであった。
私にも3年程教師経験があって、教え子の結婚式にも何度か招かれたが、
これほど教師冥利な事はない。
さりとて、アメリカ東海岸はあまりに遠く、小さい子供もいるし、どうしようか…
とちょっと迷いはしたけれど、考えてみればよい機会ということで、
家族うちそろって渡米した次第。
チケット購入に思いがけず時間がかかったので、
少々行き違いはあったものの、無事新婦とその親御さん、
そして新郎に会うことができました。
新郎の黒人青年は、私と身長があまり変わらなかったので、
アメリカでは小柄な部類だろう。
笑顔の素敵なナイスガイで、法律家(判事?)のエリートらしかった。
…やったね(笑)。
私たちを引き合わすと、新郎は翌々日の挙式の準備の為に退席。
私たちは、新婦親子と、
名物ヘイデンプラネタリュウムを鑑賞し(心地よくて居眠り…笑)、
地下のカフェテリアで昼食会。
食後に恐竜(ティラノサウルスにアロサウルス、トリケラトプスにステゴサウルスと、恐竜界のオールスターキャスト)やマンモスの骨格標本、
海洋生物の展示を満喫したのでありました。
一通り観覧して外へ出ると、午後の日差しは少し傾いていて、
翌日のサンクスギビングデーのパレードの為の巨大バルーンが準備中。
わが息子どもは、恐竜以上に巨大な「機関車トーマス」のバルーンに、
感激を隠せないのでありました(苦笑)。

憲法論議2

さて、9条の話(大ネタだ…ブルッツ)。
日本は平和主義国家で云々…という話はしません。
当然の前提として、スルーしますwww。

考えたいのは、国防戦略としての9条の話。

集団的自衛権に関する私の態度は、
あえて保留とさせていただきます。
どちらがどうとは言いませんが、
与野党の議論がどうも噛み合っておらず、
判断材料が足りないと感じるからです
(マスコミの世論形成も、
議論の本質をぼやかしている気がする。
水掛け論で終わらせて良い問題ではなかろうに。)。

この議論の中で反対派の側からよく聞かれる、
「日本を戦争ができる国にするな!」という主張。
侵略戦争に限ればその通りですが、
実際のところどうなのでしょうか。 



憲法論議1

自分はどちらかと問われれば護憲派なのでしょうが、
その動機は、所謂「護憲派」と呼ばれる方々とは、
かなり違うと言わざるを得ません。

例えば、改憲に関して言えば、
その可能性まで否定はしません。
条文が現実に照らしてあまりに不合理で、
改正が国民大多数のコンセンサスを得られるならば、
改憲は行われるべきものだと思います。
ただ、その為に設定されたハードルを低くするというのは、
本末転倒だと考えます。
法的な不備を解消するのは良いとしても、
ルールをいじって主張を通しやすくしようというのは、
政治家が国民大多数ののコンセンサスを得る努力を
放棄したようにも見えます。



ちょいと宣伝

パシリ…少々、心が疼きます…。

父ちゃんは、40年かかったぞ!

息子よ、お前は生まれてわずか3年で、父がお前くらいの頃からあこがれ続けた英雄の手を握り締めたのだ。

父ちゃんがその英雄に出会って、同じくその手を握り締めるのに、およそ40年の歳月が経過したというに。

女房の実家

昨夜の供は、本格焼酎黒伊佐錦。

出産のため実家に帰省中の女房の実家を訪れて、
その親父さんと飲みました。








我侭振舞(わがままぶるまい)
3,129円

   
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痛飲王
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