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P R

2014年07月13日

母が亡くなる前の1週間前の話






今から、9年前、母は癌で亡くなりました。



亡くなる前の1週間前の話です。

僕は結婚して子供、妻を連れて帰郷し、病院に母の看病に行っていました。

そのころ、すでに母は、食べ物は食べては、吐き、1日に口にできるものは、スプーン一杯のアイスクリームだけでした。

夜7時、夕食が運ばれてきました。

母はそれに気づかず、つらそうに眠っていました。

そして、午後8時になって、食器を片付ける音が聞こえてきたので、僕は、母をそっと起こし、
少しでもいいから、食べて寝るよう勧めました。

母は、ゆっくり起き上がると、茶碗を手に持って、目をぎゅっとつむって、おかゆをかきこみ初めました。

僕が、そんなに急いで食べたら、また、吐くから!ゆっくり食べて、というと、母は、僕に、こういいました。

「だって、自分が早く食べて、栄一を家に帰してやらなきゃあ、家で待ってる美枝子や孫がかわいそうだ。」

それを聞いて、僕は頭が真っ白になりました。

病室で泣けず、母を寝かせて、病院の駐車場の車のなかで、声を上げて泣きました。

母は最期まで、そうゆう人でした。

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2014年07月12日

どこを向いているかということ







  書く本,推薦する本がいつもベストセラーになってしまう船井幸雄(株式会社船井総合研究所)、 40歳の頃,経営コンサルタントをやめて評論家になったほうが儲かるのではと,ある人に相談したときに こんなことを言われます。


    夫婦のような関係を信者の関係という。
    このような関係の人が一人できると一億円の価値がある。

    また,無理を頼める関係を友人の関係というのです。
    これは一人できれば百万円。

    お互いを知っている関係を知人の関係といいます。
    これは十万円。

    一方だけが相手を知っている関係をファンの関係といいます。
    これは一人について十円の値打ちしかない。

    若くして有名になると,ファンが増えるだけで,知人や友人もできないし,
    信者の関係もぐらついてくる。

    だから,五十歳までは有名にならないようにしなさい。
    売れる本を書くのもやめなさい。

    そして,彼はこの言いつけを守りました。



『 THE21・1995,8月増刊号〜船井幸雄のすべて 』(PHP研究所)より

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サーカスの象









象は地上で最も大きく、力もある動物。 でも、サーカスの象は、細いロープで繋がれているのにじっとしています。 象の力なら、簡単にロープを引きちぎれるのに、何故なの?

それは、象が小さい時から、頑丈なロープで繋がれ訓練されているからです。 象の赤ちゃんは、最初は激しく抵抗します。でも、やがて逃れられないことを悟ります。

その後大人に成長しても、ロープに繋がれている限り、逃げること、 抵抗することすら諦め、考えなくなるのですね。 なぜなら、それが日常のことで、サーカスの象の常識になるからです。 そして、その常識によって自分を制限してしまうのです。 そう、自分でも気付かない内に。

これと同じようなことがあなた自身の中にも起きていませんか? 自分には、どんな夢や可能性があっても、「ロープ」があると思い込んで、 『出来ない』、『駄目だ』と思い込んでしまって、『やらない』のではありませんか?



あなたには、素晴らしい才能があり、素晴らしい可能性が潜んでいるのです。 でも、あなた自身、潜在能力をホントはちゃんと知っているのです。

それに気づくのか、気付こうとしないのか、あなたの潜在能力を如何に引き出せるのか。 これが未来への架け橋への分岐点になるのです。

もしも、諦めの境地の象が、大地震や火事に襲われたとすればどうでしょう。 きっと、いとも簡単にロープを引きちぎり、本来の力を発揮することでしょう。

同じように、人間でも 『火事場の馬鹿力』が出るのです。 それが本来持っている潜在的な力なのです。





私の一人息子が小学一年の時 奈良から大阪へ車で連れて行った時のことです。 詳細はいつか機会があればお話ししますが、大阪で突然に行方不明になったのです。 警察にもお願いし、必死で探しました。 でも、いくら探しても見つかりません。 段々暗くなってきます。

車だったので真冬なのに薄着のまま 下手すると、凍死するかも…。 誰かに連れ去られるかも…。 車に撥ねられるかも…。 どこかで膝小僧を抱え、泣いているかも…。 不安が不安を増幅させます。

行方不明から5時間以上経った頃でしょうか 自宅で一人留守番待機し、気丈に情報基地になっていた小学4年の次女 (全員捜索の為情報の一元化が必要だった⇒携帯が普及する前の話し)に電話を架けたところ 今一人で帰ってきた とのこと。

えーっ、、、どうやって?? 歩いて!?  えっ、、大阪から奈良まで20キロ以上の道のりを、 一人で、 なっ、なんと!? 道も知らないのに?? えーっ、、!! 自動車専用の阪奈道路を!! 小学一年の子供が、一人で歩いて、とぼとぼと…!?

聞けば、車の排ガスで、顔中まっ黒け 歩道もない専用道路ゆえ、真横を車がびゅんびゅん通過していく 子供心にも危ないと感じ、ガードレールに掴まりながら歩いたとのこと お陰で、手もまっ黒け よくぞ車に撥ねられず生きていたもの…。 車の運転手は驚かなかったかい? うん、びっくりして振り返ってたよ ううむ…それだけ…??

もし道が分からず、迷ったらどうする気だったの?? 知ってる場所まで戻り、最初からやり直した と淡々と話す。

えーっ!! とても信じられない、、、。 知らない道を誰の手も借りずに、ただただ黙々と5時間以上歩き続けた…。 僅か6歳の一人息子…。 もし万一何かあったのなら全て私の責任…。 今でも思い出す度に背筋が凍る。

ホッとするのと信じられない気持ちの交錯。 人の無限の力、可能性を垣間見た瞬間であった。

もう、大人になった一人息子だが 奇跡を見たのは 後にも先にもこの時だけ… (苦笑) もしかしたら、全ての勇気と知恵をこの時に使い切ったのかも…。 やっぱり私の所為か…トホホッ…(;~∧~;)ヾ。





人にはまぎれもなく無限の可能性があるのです。 ああ、自分にはこんなに力があったのか? 可能性があったのかと。

結局、これまでの自分の経験や教育、 見たり、聞いたり、体験したものがベースになって 自分の常識や限界を決め打ちしているのですね。

自分は、この程度 自分には変えれない 変われない。

無限の可能性に自分でリミッターを掛けて制限しているのです。

しかし、その制限を外すことができれば そこからまた新たな成長が始まります。

その壁を破るには、今までの思いこみ、自分の常識、過去の記憶を塗り替えること。 それには、今までの常識、現実を超えるような成功体験をすること。

そんなことが可能なのか? 可能です。

自分の限界に果敢にチャレンジすることです。 無理だと思って、思い込んでいることにチャレンジするのです。

チャレンジして、成功体験になった時 あなたの記憶は書き換わり、クイは抜け、ロープがちぎれるのです。 あなたを現状に留めていたリミッターが外されるのです。

そのはじめの第一歩は、 『限界だ!という思い込みを捨てること。』 『サーカスの象』にならないこと。

本当に自分がなりたい、したい現実を、自分の心に問いかけ 見つめ直すこと。

それが、現実とかけ離れているのなら 今が、それほど良いものではないということを、素直に認め、 受け入れること。

そして、その現実を変えることを決断し実行に移すことです。

今から これから

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2014年07月11日

プレゼント






次のような銀行があると、考えてみましょう。  その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400円を振り込んでくれます。同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。 つまり、 86,400円の中で、あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。 あなただったらどうしますか?もちろん、毎日86,400円全額を引き出しますよね。

 私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。それは時間です。 毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。 それは、翌日に繰り越されません。それは貸し越しできません。

 毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。 もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、あなたはそれを失ったことになります。 過去にさかのぼることはできません。あなたは今日与えられた預金のなかから今を生きないといけません。

 だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。 そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。時計の針は走り続けてます。 今日という日に最大限の物を作り出しましょう。

 1年の価値を理解するには、落第した学生に聞いてみるといいでしょう。

 1ヶ月の価値を理解するには、未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

 1週間の価値を理解するには、週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。

 1時間の価値を理解するには、待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

 1分の価値を理解するには、電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

 1秒の価値を理解するには、たった今、事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

 10分の1秒の価値を理解するためには、オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

 だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだったら、十分に大切にしましょう。その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。

 そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。明日は、まだわからないのです。今日は与えられるものです。

 ―――だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。

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将棋プロ棋士の頭脳は天才?記憶力の逸話





彼らはプロなだけあって、
記憶力や思考力が一般人とは桁違いです。
今回はそんな彼らにしか有り得ない、
数々の逸話やエピソードを見ていきたいと思います。

「プロ棋士」という言葉を聞いたことがある人は多いと思いますが、
実際どこでどんな活動をしているのか、
あまり知られていないというのが実情でしょう。

少し将棋が好きな人からすると、
彼らの将棋の強さはもはや異次元のレベルなのですが、
彼らの思考力や記憶力が発揮されるのは将棋の勝負に限ったことではありません。

今回は、プロ棋士が残した数々の逸話やエピソードの中から、
特にすごい物だけをまとめて紹介しようと思います。

そのすごさに驚くこと間違いなしです笑
それでは、早速見ていきましょう!



天才と言えばやっぱりこの人



プロ棋士の中でも郡を抜いて天才と言われるのが
「羽生」さんです。

本名は「羽生善治」というのですが、
なんだか名前だけでもすでに強そうですよね。笑

でも実際に数々の逸話を残しています。



タイトルの半分が羽生さん

羽生さんの将棋の強さを人に教える時によく言われることなのですが、
タイトルの取得数がハンパじゃないです。

将棋のプロの世界では、年間7個のタイトルがあり
それを目指してプロ棋士の方々は日々勉強しています。

過去10年間だと合計70個のタイトルが
存在することになりますよね。

羽生さんはなんとその半分の35個のタイトルを獲得しています。

最初にも書きましたが、プロ棋士は一般人から見たら
変態レベルに強い人たちの集まりです。
小学校から基本的には将棋しかやってないのですから。

羽生さんはそんな厳しい環境の中で
半分ものタイトルを獲得しているのです。





タイトルを独占したことも

そんな強い羽生さん、たった1度だけですが、
年間の7タイトルを1人で全て獲得してしまったことがあります。

見事に1995年にタイトルを独占しています。
(他のところもほとんど羽生さんですよね…笑)

この他にも、将棋のトーナメントで4連覇を達成したり、
プロでもなかなか思いつかないような手をひねり出したりなど、
将棋界で様々な伝説を築いています。



プライベートではチェスが趣味

さて、羽生さんの将棋の強さは伝わったと思いますが、
羽生さんはチェスもやっていてこちらも強い。

どのくらい強いかというと、
チェスの大会で日本一になったことがあります。

「…うん??」ってなった方が多いと思いますが、
これも事実だから仕方ない。笑

そうなんです。
将棋だけならいざ知らず、チェスでも日本一の実力を持っているのです。
しかもこれはチェスを始めてから2年目のことです。笑

どうでしょう、羽生さんの頭脳がいかにすごいか
分かっていただけたでしょうか?





羽生さんの永遠のライバル森内さん



さて、こちらの方は本名「森内俊之」プロ棋士です。

羽生さんとは小学校からの知り合いで、
今でもタイトル戦でよく戦っています。



チェスを習ったその日に完勝

森内さんのエピソードで面白いのがチェスに関するものです。
(プロ棋士の方には趣味でチェスをやっている方がけっこういるようです)

チェスを始めようと思って、チェスの先生をやっている方に
1日指導をしてもらったらしいのですが、
初めて教えてもらったその日に先生に勝ってしまいました。笑

対局が終わったあとは
お互い気まずい感じになってしまったようです。笑

しかし、その森内さんでも勝てないのが羽生さんというわけですね!



クイズも大好き





そんな森内さんですが、クイズも趣味の1つで、
アタック25にも出場したことがあります。

1度目に一般で出場した時には、惜しくもパネル1枚の差で
優勝を逃してしまったようですが、
2度目に知性派タレント頂上決定戦に出場した時には、
やくみつる、丸山和也、高田万由子を破ってフランス旅行を獲得しています。

将棋だけじゃなく頭脳を使う勝負は何でも強いんですね!

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犬の十戒










1. My life is likely to last ten to fifteen years.
私の生涯は10年から15年くらいしかありません。
Any separation from you will painful for me.
その間に少しでもあなたと離れている事はとてもつらいのです。
Remember that before you buy me.
私を飼う前にどうかその事を忘れないでください。
2. Give me time to understand what you want of me.
あなたが私に望んでいる事を私が理解するまでに少しの時間をください。
3. Place your trust in me- it's crucial to my Well-being.
私にとって一番大切な事はあなたからの信頼なのです。
4. Don't be angry at me for long and don't lock me up as punishment.
私の事を長い時間叱ったり、そして罰として閉じ込めたりしないでください。
You have your work, your entertainment and your friends.
あなたにはあなたの生活があり、仕事や楽しみ、そして友達だっているでしょ。
I have only you.
でも・・・私にはあなたしかいないのです。
5. Talk to me sometimes.
時には私に話し掛けてください。
Even if I don't understand your words, I understand your voice when it's speaking to me.
あなたの話してくれる言葉の意味など判らなくても、私には全身であなたの言葉を理解できるのです。
6. Be aware that however you treat me, I'll never forget it.
あなたが私にどんな風に接してくれたか、私は絶対に忘れません。
7. Remember before you hit me that l have teeth that could easily crushthe bones of your hand
but that I choose not to bite you.
私にはあなたの手を粉々に噛んだり傷つける事も出来る歯があるけれど、
それでも私はあなたを傷付けてはいけないと心に決めてるのです。
8. Before you scold me for being uncooperative, obstinate or lazy,
ask yourself if something might be bothering me.
あなたが私を叩く前に何故私がそうなったかを一度自分に問い掛けてみてください。
Perhaps I'm not getting the right food, or I've been out in the sun too long
or my heart is getting old and weak.
食事はちゃんと与えましたか?暑い外に長い時間放置してなかったですか?
もしかしたら私の体が年老いてどこか弱っているのかも知れません。
9. Take care of me when I get old . you, too, will grow old .
いつか私が年老いたら、私の面倒を見て欲しいのです。私達は共に老いて行くのです。
10. Go with me on difficult journeys.
私に何が起きてもいつまでも私のそばにいてください。
Never say, I can't bear to watch it or Let it happen in my absence.
「君のそばにいてあげる事は出来ない」「私のいない所でどうにかなればいい」なんて決して言わないで欲しいのです。
Everything is easier for me if you are there.
あなたがそばにいるだけで、どんな事でも私は乗り越えれる気がするからです。
Remember, I love you.
だから忘れないで・・・私はいつもあなたを愛していると言う事を。
Author Unknown
作者不詳

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2014年07月10日

「BIGBANG」の「G-DRAGON」の天才的な「SNS戦略家」






日韓の音楽シーンで、いつの間にかトップになっている「BIGBANG」。そのリーダーの「G-DRAGON」(GD)は色々な才能を持っている。アーティスト以外にも、プロデューサー、作曲家、コメディアンの才能までだ。しかし、ファンがまだ気づいていない彼のもう一つの姿がある。それは、「SNS戦略家」だ。

 「SNS疲れ」が社会現象となって現れ始めている今、「Twitter(ツイッター)は時間の無駄だ」、「Facebook(フェイスブック)中毒は人生を壊す」などと、従来のSNS文化に疑問を投げかける声も聞こえてくるようになった。

 事実、世界各国では「世界と繋がれる」SNSサービスから、「LINE(ライン)」や「WhatsApp(ワッツアップ)」、「WeChat(ウィーチャット)」などといったクローズド型メッセージングサービスに移行する人たちも増えているようだ。

 また、「Instagram(インスタグラム)」や「Tumblr(タンブラー)」のように既存のSNSサービスとの差別化に成功し、急速に普及したものもある。
年々多種多様化しているこれらのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)だが、とくに、日々のマーケティングやイメージ戦略が大事とされる芸能界では、必須アイテムとして重宝がられている。




 もちろんK-POP界においても、ビジュアルに自身のあるアイドルを中心に多くのアーティストたちがSNSを活用している。中でも圧倒的な存在感を放っているのが「BIGBANG」の「G-DRAGON」だ。

 「Twitter」のフォロワーは約260万人、「Instagram」は215万人以上のフォロワー数を誇っていて、中にはPharrell Williams、RIHANNA、Lily Allen、THOM BROWNEといった欧米の有名アーティストやデザイナーも含まれている。

 「G-DRAGON」という名前が欧米で広く知られている訳ではないが、ミーハーな海外セレブたちの間では、「要注目アジアン」としてチェックされていることは間違いないだろう。

 このような、世界における自分の立ち位置を誰よりも的確に把握し、SNSの媒体としての利便性を自身の芸能活動にもいち早く取り入れてきたのだ。
世界ツアーの度に、積極的に動きまわっては著名人たちとの人脈確保にも労力を惜しまない彼の姿がSNS発の情報からも予実に表れている。

 例えば、シャネルの元主席デザイナーKarl LagerfeldやRick Owensなどの著名人とのツーショットを何気ないひと言を添えてさらっと流したり、有名人からのプレゼントや差し入れなども自身のファッションにマッチングさせる形で違和感なく公開したりする。
もともとファッションの感覚に優れている彼だからこそできる技でもあるが、そのセルフプロデュース能力だけは認めざるをえない。

 一方、彼がSNS上でプライベートの話をすることはほとんどなく、ファン(一般人)との距離感を常に調整することで「海外のセルブにも負けないアジアン」という無国籍感をほどよく演出している。

 多忙なスケジュールの中でも、ニューヨークの有名ブランドのファッションウィークやパリの「Haute Couture」関連イベントに参加したり、トレンディーな大規模クラブイベントなどにも顔を出したりする。
そして、その場のキーマンと挨拶を交わし、セルフ写メや動画として残していくのだ。
これらのビジュアル的なデジタルコンテンが彼の得意とするキャッチなエレクトロニクス系サウンドをさらに引き立たせてくれることを彼自身が一番よく知っているのかもしれない。

 得意分野である音楽とファッションを軸に、イベント事や海外セレブとの人脈を調味料にしてさらに自分の領域を高めていく「G-DRAGON」。

 どこまでを「戦略」として意識しているのかは分からないが、彼の芸能活動が「グローバルなエンタメサイクル」として順調に回っていることは確かだ。
もし、デビュー当初からこの一連のイメージ管理を狙ってやっているとしたなら、クォン・ジヨン(「G-DRAGON」の本名)はまさに天才的な「SNS戦略家」と言えよう。

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母ちゃんは泣いた








小柄な母に、ゴールへ飛び込む息子の姿は見えなかった。
エムウェーブのスタンドで一番うしろの席だった。スタートの合図と同時に、目の前の大観衆が一斉に立ち上がった。 30数秒後、バンザイをする手で視界がいっぱいになった。ああ、勝ったんだ、と思った。
清水津江子さんはこの日、金メダリストの母になった。

夫の均さんが9年間の闘病の末に亡くなったのは7年前だ。4人兄弟の末っ子の清水選手は、まだ高校生だった。
泣いている暇はない。建設現場の作業員として働き始めた。
汚水管の中へ入って継ぎ目をふさぐ。大型の金槌でコンクリートを砕く。免許を取り、大型ローラーで地固めもした。小柄な体にはきつかった。最初は勝手がわからず、現場の監督によく叱られた。
「でもね、外で働く方がお金になるんですよ。冬は雪で仕事がないから、宏保の試合の応援に行けるし」

生活は苦しかった。清水選手はスケートのおかげで高校、大学と授業料は免除された。でも、試合に出るための遠征費の半分は、自分で負担しなければならない。

大学2年のとき、費用が足りず、ワールドカップ(W杯)を3戦、欠場した。
「長男も娘たちも、みんな必死で働いて宏保に仕送りしたんですが……。私がふがいなかった」
いま、清水選手は海外遠征に行くたびに、「かあちゃん、みやげ持ってきたぞ」と、スカーフや時計やブローチを買ってくる。「日雇い仕事をしていた私には、エメルスだかエルメスだかの高級ブランドなんてもったいない」と、たんすの肥やしになっている。

清水選手の4組前の選手が接触して転倒、会場に響きわたるようなうめき声を上げた。津江子さんは身を乗り出し、そしてうつむいた。
頭を上げると、練習用レーンをゆっくり滑る清水選手の姿を、目でずっと追い続けた。

津江子さんは、「スケートは夫の形見なんです」という。壮絶な父子だった。
足が少し不自由だった均さんは、3歳でスケート靴をはいた息子に、五輪への夢を託した。友達と遊びに行こうとすると、「30分で戻って来い」と命じ、毎日リンクへ通わせた。転ぶとどなり、言った通りに滑らないと殴った。

ガンの宣告を受けたとき、清水選手はまだ小学2年だった。「死」の実感がない息子に、「スケート靴は命の次に大切だ。お父さんがいなくなっても、一人で刃を研げるようにならなきゃだめだよ」と話すのを見て、津江子さんは涙が止まらなかった。

入院しても、息子が見舞いに来ると知ると、椅子にきちんと座り、「強い父」を装った。そして、「ここへ来る暇があったら練習しろ」と叱った。

均さんの通夜を終えた深夜、清水選手は突然、トレーニングウェアに着替えた。
2月の寒い夜だった。「今日も走るの」と驚く津江子さんに、「おやじなら『走れ』って言うに決まってる」と言って、泣きながら飛び出していった。

母は涙もろい、と清水選手は言う。
その通り、スタート前からずっと、白いハンカチで目を押さえていた。
コートのポケットに、均さんの遺影をしのばせていた。
ゴール後、ピンクの小さな額縁に入った写真を、そのハンカチでそっとくるんだ。
「夫もびっくりするでしょう。特別な思い入れのあったスケートと、息子ですから」。

日の丸を振ってウイニングランをする清水選手が津江子さんの見つけ、にっこり笑った。そして手で目を覆った。 それを見た母は、今度は声をあげて泣き始めた。

五輪の前、津江子さんは息子のふとももに触った。
「そしたら、すごく硬いんですよ。この足で滑るんだなあって、何か感動してしまいました」。 母にもらったその足で、息子は勝った。

1998/2/11 長野冬季オリンピック(世界に輝く小さな体 朝日新聞より)    

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ドラえもん最終回








ドラえもんとのび太の別れ

のび太とドラえもんに別れの時が訪れます。それは、なんともあっさりと...。

のび太はいつものように、宿題をせずに学校で叱られたり、はたまたジャイアンにいじめられたり、時にはスネ夫の自慢話を聞かされたり、未来のお嫁さんであるはずのしずかちゃんが出来杉との約束を優先してしまう、などなど、とまあ、小学生にとってはそれがすべての世界であり、一番パターン化されてますが、ママに叱られたのかもしれません。とにかく、いつものように、あの雲が青い空に浮かんでいた、天気のいい日であることは 間違いないことでしょう。

そんないつもの風景で、ドラえもんが動かなくなっていた...。
当然、のび太にはその理由は分かりません。喋りかけたり、叩いたり、蹴ったり、しっぽを引っ張ってみたりもしたでしょう。 なんの反応も示さないドラえもんを見てのび太はだんだん不安になってしまいます。

付き合いも長く、そして固い友情で結ばれている彼ら、そしてのび太には動かなくなったドラえもんがどういう状態にあるのか、小学生ながらに理解するのです。 その晩、のび太は枕を濡らします。ちょこんと柱を背にして座っているドラえもん...。のび太は眠りにつくことができません。泣き疲れて、ただぼんやりしています。

ドラえもん故障の原因究明

 無駄と分かりつつ、いろんなことをしました。できうることのすべてをやったのでしょう。 それでも何の反応も示さないドラえもん、泣くことをやめ、何かしらの反応をただただ、だまって見つめ続ける少年のび太。 当然ですがポケットに手を入れてみたり、スペアポケットなんてのもありましたが動作しないのです。そして、なんで今まで気付かなかったのか、のび太の引き出し、そう、タイムマシンの存在に気がつくのです。ろくすっぽ着替えず、のび太はパジャマのまま、22世紀へとタイムマシンに 乗り込みます。

これですべてが解決するはずが...。
のび太は、なんとかドラミちゃんに連絡を取り付けました。しかし、のび太はドラミちゃんでもどうにもならない問題が発生していることに、この時点では気が付いていませんでした。いえ、ドラミちゃんでさえも思いもしなかったことでしょう。 「ドラえもんが治る!」、のび太はうれしかったでしょう。 せかすのび太と状況を完全には把握できないドラミちゃんはともにかくにも20世紀へ。

しかしこの後に人生最大の落胆をすることになってしまうのです。 動かないお兄ちゃんを見て、ドラミちゃんはすぐにお兄ちゃんの故障の原因が分かりました。 正確には、故障ではなく電池切れでした。そして電池を交換する、その時、ドラミちゃんはその問題に気が付きました。予備電源がない...。

いよいよクライマックス

衝撃の真実! 
のび太には、なんのことか分かりません。早く早くとせがむのび太にドラミちゃんは静かに伝えます。 『のび太さん、お兄ちゃんとの思い出が消えちゃってもいい?』 当然、のび太には理解できません。

なんと、旧式ネコ型ロボットの耳には電池交換時の予備電源が内蔵されており、電池交換時にデータを保持しておく役割があったのです。そして、そうです、ドラえもんには耳がない...。

のび太もやっと理解しました。そして、ドラえもんとの思い出が甦ってきました。初めてドラえもんに会った日、数々の未来道具、過去へ行ったり、未来に行ったり、恐竜を育てたり、海底で遊んだり、宇宙で戦争もしました。鏡の世界にも行きました。どれも映画になりそうなくらいの思い出です。

ある決断を迫られます...。
ドラミちゃんは、いろいろ説明をしました。ややこしい規約でのび太は理解に苦しみましたが、電池を交換することでドラえもん自身はのび太との思い出が消えてしまうこと、今のままの状態ではデータは消えないこと、ドラえもんの設計者は、設計者の意向で明かされていない(超重要極秘事項)ので連絡して助けてもらうことは不可能であるという、これはとっても不思議で特異な規約でありました。

ただ修理及び改造は自由であることもこの規約に記されていました。 のび太はドラミちゃんにお礼を言います。そして「ドラえもんはこのままでよい」と一言、告げるのです。ドラミちゃんは後ろ髪ひかれる想いですが、何も言わずにタイムマシンに乗り、去っていきました。 のび太、小学6年生の秋でした。
のび太の決意!

あれから、数年後...。
のび太の何か大きく謎めいた魅力、そしてとても力強い意志、どこか淋しげな目、眼鏡をさわるしぐさ、 黄色のシャツと紺色の短パン、しずかちゃんが惚れるのに時間は要りませんでした。外国留学から帰国した青年のび太は、最先端の技術をもつ企業に就職し、そしてまた、めでたくしずかちゃんと結婚しました。そして、それはそれはとても暖かな家庭を築いていきました。

ドラミちゃんが去ってから、のび太はドラえもんは未来に帰ったとみんなに告げていました。そしていつしか、誰も「ドラえもん」のことは口にしなくなっていました。しかし、のび太の家の押入には「ドラえもん」が眠っています。 あの時のまま...。

のび太は技術者として、今、「ドラえもん」の前にいるのです。
小学生の頃、成績が悪かったのび太ですが、彼なりに必死に勉強しました。そして中学、高校、大学と進学し、かつ確実に力をつけていきました。企業でも順調に、ある程度の成功もしました。 そしてもっとも権威のある大学に招かれるチャンスがあり、のび太はそれを見事にパスしていきます。 そうです、「ドラえもん」を治したい、その一心でした。

人間とはある時突然変わるものなのです。それがのび太にとっては「ドラえもんの電池切れ」だったのです。修理が可能であるならば、それが小学6年生ののび太の原動力となったようでした。

自宅の研究室にて...。
あれからどれくらいの時間が経ったのでしょう。 しずかちゃんが研究室に呼ばれました。絶対に入ることを禁じていた研究室でした。中に入ると夫であるのび太は微笑んでいました。そして机の上にあるそれをみて、しずかちゃんは言いました。『ドラちゃん...?』 のび太は言いました。『しずか、こっちに来てごらん、今、ドラえもんのスイッチを入れるから』 頬をつたうひとすじの涙...。

しずかちゃんはだまって、のび太の顔を見ています。 この瞬間のため、まさにこのためにのび太は技術者になったのでした。なぜだか失敗の不安はありませんでした。こんなに落ち着いているのが変だと思うくらいのび太は、静かに、静かに、そして丁寧に・・・・何かを確認するようにスイッチを入れました。 ほんの少しの静寂の後、長い長い時が繋がりました。

『のび太くん、宿題は済んだのかい?』
ドラえもんの設計者が謎であった理由が、明らかになった瞬間でもありました。
あの時と同じように、空には白い雲が浮かんでいました。







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心にしみる詩・・・・








A CREED FOR THOSE WHO HAVE SUFFERED
「悩める人々への銘」

I asked God for strength, that I might achieve
I was made weak, that I might learn humbly to obey...

「大きなことを成し遂げるために 
 強さを与えてほしいと神に求めたのに
 謙遜を学ぶように
 弱さを授かった」

I asked for health, that I might do greater things
I was given infirmity, that I might do better things...

「偉大なことができるようにと
 健康を求めたのに
 よりよきことをするようにと
 病気を賜った」

I asked for riches, that I might be happy
I was given poverty, that I might be wise...

「幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった」

I asked for power, that I might have the praise of men
I was given weakness, that I might feel the need of God...

「世の人々の称賛を得ようとして
力と成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった」

I asked for all things, that I might enjoy life
I was given life, that I might enjoy all things...

「人生を楽しむために
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを慈しむために
人生を授かった」

I got nothing that I asked for―but everything I had hoped for
Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!

「求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ」

AUTHOR UNKNOWN, 作者不詳
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 「悩める人々への銘」はニューヨーク大学の壁に掲げられている詩です。
南北戦争に従事した南軍の兵士が作ったものと言われています。

 1950年代、スティーブンソンは52年56年の大統領選に民主党候補として出馬して二度ともアイゼンハワーに敗北した。失意のさなか田舎の教会でスティーブンソンはこの詩を見つけこの珠玉の言葉によって思慮深い人間に立ち直った。

 スティーブンソンは1965年国連大使として次のような演説を残している。

 『われわれはみな、旅のみちずれ、小さな宇宙船の乗客
       いまにも壊れそうなこの船に、十分な配慮と愛情を注ごう』
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