そんな童謡ですが、中には意味がよくわからないものや怖い雰囲気が歌詞に入っているものもあります。そんな童謡の時代や背景を調べてみました。
通りゃんせ
通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの細道じゃ 天神様の細道じゃ
ちょっと通してくだしゃんせ
御用のない者通しゃせぬ
この子の七つのお祝いに お札を納めに参ります。
行きはよいよい 帰りは怖い 怖いながらも
通りゃんせ 通りゃんせ
この通りゃんせの歌詞は、七つになった娘のお祝いのために神社にお参りに来たという状況を見ることができます。今でいうところの七五三でしょう。御用のないものは通さないという一文がありますから、門番のような人がいるのでしょうか。ここで不思議なのは、帰りは怖いという歌詞です。七五三に来て帰りがなぜ怖いのかですよね。医学が発達するまでは、子供の死亡率はとても高く、7歳になるまでに亡くなってしまう子が多かった時代です。この童謡の子は7歳まで生きて成長していますね。
7歳までは神様の子という考え方をしていました。つまり、もし亡くなってしまっても神様の子が神様のもとに戻ったと考えることで、悲しみを和らげていたのでしょう。しかし、7歳を過ぎると人の子になります。自分の力で生きていく年齢になったこと、神様の守りがなくなったことを意味して、帰りは怖いとなっているのです。昔の人たちの生きてくための知恵がそこに隠れているように感じますね。
しゃぼん玉
しゃぼん玉 とんだ
屋根まで とんだ
屋根までとんで 壊れて消えた
しゃぼん玉 消えた
飛ばずに 消えた
生まれてすぐに 壊れて消えた
風かぜふくな しゃぼん玉 とばそう
この歌の背景も、子供の命が儚く消えてしまった心情を歌っています。この童謡の歌詞を書いたのは「野口雨情」という大正・昭和の詩人です。野口雨情は幼い娘を亡くしています。しゃぼん玉の歌詞には亡くなった娘への想いが込められていると言われています。特に、昭和の初期までは、幼い子供が病で亡くなることは珍しくはなく、歌詞のしゃぼん玉のように生まれてすぐに消えていく命がたくさんあったのです。
てるてる坊主
てるてる坊主 てる坊主
明日天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに
晴れたら金の鈴あげよ
てるてる坊主 てる坊主
明日天気にしておくれ
私の願いを聞いたなら
甘いお酒をたんと飲ましょ
てるてる坊主 てる坊主
明日天気にしておくれ
それでも曇って泣いたなら
そなたの首をチョンと切るぞ
この歌詞を作詞した浅原さん曰く、夕方、道を歩いていて明日晴れないかと思ったときに、望郷の念に駆られてふと思いついた歌詞だと語っています。てるてる坊主を吊るすと何故、晴れると思うのでしょうね。てるてる坊主が日本に伝わったのは平安時代といわれています。中国の風習のようですが、坊主ではなく箒を持った娘がてるてる坊主の起源のようです。中国に伝わっている晴娘という少女の伝説です。
遠い昔、雨が降り続きみんなが困っていました。すると天から「その美しい娘を差し出せば晴れにしてやる。差し出さなければ都を水没させるぞ」という声が聞こえてきました。娘は、人々を救うために犠牲になり天に昇っていきました。すると天は箒で雲を掃いたように晴れ渡ったと言います。切り紙が得意だった娘を偲んで、紙で『掃晴娘(そうせいじょ)』を作って吊るすようになりました。
日本にこの伝説が伝えられた時に、天候の祈祷をしていたのが僧侶であったので、娘が坊主に変わったという話もあります。娘は人柱にされたような気がしますよね。日本でも川の氾濫や自然災害が起きると、人柱を立てた風習がありましたからね。
時代とともに変化する歌
昔からある歌詞は、その時代時代の背景を歌っているために、現代人にはピンとこないものもたくさんあります。そこから読み取れる、その時代の人たちの想いなども感じることができるのではないでしょうか。日本にはたくさんの童謡や民謡があります。調べてみると面白いかもしれませんね。
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