2019年04月18日
鵜ノ尾埼灯台へ(4)鵜ノ尾岬夕陽の広場から灯台へ
松川浦大橋を渡ってそのまままっすぐ進むと、岬の下を通り抜ける鵜ノ尾岬トンネルがある。
このトンネルを通り抜けると、視界が大きく広がってくる。
左側が太平洋で、右側に松川浦がある。
まっすぐ延びる道は、磯部地区へ向かう一本道である。
東日本大震災時の津波により、この道が甚大な被害を受け寸断されてしまった。
長年に亘る復旧作業を終えて、昨年の春に通行ができるようになったようである。
トンネルを抜けたところのすぐ左側に小さな駐車場があり、右側には広い駐車場が復旧整備されている。
夏などの観光シーズンなどでは、広い駐車場はありがたい。もちろん、無料である。
トイレも完備されていて、ここでゆっくり休むことができる。
すぐ前には松川浦があり、岸辺を散策することができる。
少し先の方では、岸辺から桟橋が沖へ延びていて、海の上を歩いている気分を味わうことができるかもしれない。このときは、実際にはそこまで歩いていないため、どこまで行けるかは定かでない。
かつては、潮干狩りで賑わっていたが、この頃はどうなのだろうか。まだその季節ではないので、実際の所はよくわからない。また、夏頃に来てみるしかないかな。
ここから夕陽がきれいに見えることから、「夕陽の広場」との名前が付いている。
夕焼けの空に、島々のシルエットがくっきりと浮かび上がる。そんな情景が見えてくるようである。
灯台へ行くには、「夕陽の広場」から反対側の駐車場を経由しなければならない。
このとき、横断歩道を渡ることもできるが、トンネルの上部を超えて行くルートもある。
「津波 避難場所」と書かれた大きな看板が目に付くが、この看板の傍にある階段を上っていくと、灯台のある方に行くことができる。
階段を上がったところからは、まっすぐ延びた一本の道と、その左側に太平洋を、そして右側に松川浦を一望することができる。
狭い山道を登っていくと、十字路に道しるべの看板が立っている。
まっすぐ行くと灯台へ行き、左へ行くと展望台がある。
右は「へりおす慰霊碑へ」と書かれている。
「へりおす慰霊碑」は、1986年6月16日に鵜ノ尾埼沖合いで海洋調査船「へりおす」が沈没した海難事故に由来している。
「へりおす」は、乗員9人を乗せ母港である静岡県の清水港を出港し、北海道の羽幌港に向かっていたが、途中、福島県いわき市の塩屋埼灯台付近で海域の悪天候に遭う。
運航管理者は「前線が近づいているのでなるべく避難するように」と助言したが、「へりおす」はそのまま航行した後、鵜ノ尾岬の沖合いで遭難信号がないまま消息を絶ったという。
その後、原因究明のため船体の引き上げがおこなわれ、高等海難審判庁で「本件遭難は、天候悪化の傾向があるときに陸岸に接航する針路をとらなかったことと、開口部の閉鎖が十分でなかったこととに因って発生したものである。」という主文を以って、1992年6月3日に裁決の言渡しが行われたとのことである。
この事故は、当時の報道などでは船体の欠陥という説が流れていたそうだが、実際はそうでは無かったようである。
「へりおす慰霊碑」は、このとき犠牲になった9名の乗組員を慰霊するために設置されたものである。
沖を行き交う船舶が安全に航行するために作られた灯台の傍に、このような慰霊碑があるというのは、何とも切ないものである。
このような事故が起こらないように、願うばかりである。
詳細は、ウィキペディア(Wikipedia)<海洋調査船へりおす遭難事故>
及び、<潜水艇支援調査船へりおす遭難事件>を参照
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「ぶらり散歩で」とのタイトルで、散歩での写真を中心に掲載しています。
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