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2015年04月02日

インドの旅58

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夕方になり、ちょっとは暑さも収まったので出掛ける事にしたが、自分が案内出来る所はフードコートくらいだったので、日本人2人なら怖くないかな?と思って、スラム街の横を通って行く事に決めた。日本人の彼は、危なくないの?か聞いてきたが、2人なら大丈夫だよと答え、そのスラムの横を通ろうとした時に、やっぱり小さい子供達に捕まりそうになった。無視してスラムを横目にして歩いていると、彼が「すんげー所だね。カーストの一番低い人達は可哀想だよね。」と親身になって感想を話していたが、逃げるようにしてスラムを抜けた。橋を渡ると、別世界。近代的なビルが立ち並び、裕福そうな人の車の往来もしている。道端に屋台が出ていたので、サモサ(パイみたいな感じで中身はジャガイモを潰した物が入っている)を買って食べてみたら、その味は香辛料が強いインドなのだが日本人に合う香辛料の味で、夜ご飯用に更に3個買ってしまうほど美味しかった。1個15円ほどで買えるのも安くて良かったが、この味にハマってしまうほどだった。大通りを歩いていたが、他には見る所もないので、歩き疲れたのでオートリクシャを拾って宿へと戻った。


2015年04月01日

インドの旅57

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自分の近くの宿にカルカッタで一緒の部屋だった日本人の男性がチェックインをして、彼の部屋でゆっくり話をする事にした。彼はプリーから自分のあとを追う形で来たとの事だったが、プリーではサンタナ・ロッジではなくて違う所に泊まっていたので、プリーで会う事はなかった。まさか、この大都市で会うとは予想にもしていなかったので、カルカッタを離れてから、こここまでの旅の経緯の話をして盛り上がった。彼はカルカッタを出たのは、自分の出た2日後で、そのままプリーに移動したと言う。彼は、昨日にプリーを出発して、さきほどマドラスに到着して、エグモア駅まで電車で来たみたいで、さほど疲れていないと話していた。だが、プリーに比べてマドラスは暑いと言うのは同じ意見でもあり、この暑さで出掛けるのは地獄なので、夕方に一緒に出掛ける事にした。丸2日間も1人でいると寂しかったので日本語を話していると楽しい。旅を始めた頃は、1人の方が良かったのだが、今では1人が妙に寂しく感じる。自分は、彼と話している時に「自分の旅は終焉に向かっているのではないか?」と考え始めていた。最初は、自分を強くする為に始めた旅でもあったが、今では新しい街に行って日本人と遊ぶ事が当たり前になり、それが楽しみになっていた。もう、1年仕事もしないで、毎日が悪戯に過ぎていくだけの日に飽きてきているのかもしれないと感じていた。


2015年03月31日

インドの旅56

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マドラスの早朝、昨日の買ったフルーツを食べたおかげなのか、体調が完全に回復していた。ただ、暑さには勝てない。この暑さはブッタガヤ並に暑い。40℃は軽く超えている感じで吸う息が暑くて、天井にあるファンを強にしても暑い風が部屋を回っているだけで、しかもファンが壊れそうで外れたら羽が身体に当たって大怪我をしそうな感じだった。この暑さだと食欲もなくなるのでフルーツを買って食べないと脱水症状と熱射病になりそうだ。日中は部屋の中にいるのが一番安全でもあり、体力も奪われないが、部屋にいても暇なので、フロントに行ったりして宿の人と話したりして時間を潰すしかなかった。宿の近くにフルーツの売っている屋台があったので、そこでマンゴーなどを買って外に出るのは、それっきりだった。夕方、ちょっと気温が下がってから、昨日行った街中に行く事にした。宿の前でマンゴーを食べながら、行き交う人々を見ていたら、バックパックを背負った日本人に出会った。どこかで見た事のある顔だなーと思っていたら、カルカッタで一緒の宿だった人だった。話掛けたら、向こうもビックリした顔で、今さっっきマドラスに着いて宿を探しているとの事だった。自分の宿は満室だったので、一緒に近くの安宿を探す事にした。


2015年03月30日

インドの旅55

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マドラスの中心地に着いて、1つのビルの中に入ったらフードコートがあったので、そこで食事を取る事にした。フードコートでは各店舗の写真を見るだけで何を売っているのか分かるので便利である。ハンバーガー屋を見つけたので、そこでハンバーガーを買って食べてみた。牛はインドでは神様なので、チキンやマトンが肉の主になるのだが、チキンバーガーはそこそこ美味しかった。食事を終えて、街中をぶらぶら歩いてみたが、都会の街並みなので目新しい物は特に見当たらなかった。暑さで体調が悪くなった事も踏まえて、フルーツの屋台でマンゴーを買って帰る事にした。マドラスに着いた初日から、あれもこれも見ても時間は充分にあるので、あまり無理をせずに宿へと歩き始めた。帰りは、あの川岸にあったスラム街を通らないように違う橋を通って、宿のあるエグモア駅前まで帰ったが、宿の周辺は人が多く、ここが旧市街みたいな感じに受止められた。今日は、マンゴーを食べて、ゆっくり静養すべく早めの就寝を取り、明日に備えた。マドラスの夜も暑くて、30℃以上はあった。寝苦しい夜は続く。


2015年03月27日

インドの旅54

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マドラスの繁華街を目指していると川が見えてきた。川沿いに歩いて橋を渡ればデパートなどの高層ビルの所まで行けるので、散策しながら歩いていた。その時、靴も履いてない小さい女の子が手を出してきた。川沿いの緑地を見てみたら、掘立小屋が所狭しを建っていた。恐らく、この地帯の子供みたいだが、お金をくれ!と言わんばかりに手を出している。少額な金ならあげてもいいのだが、1人にあげると次々と人が増えてくるので、可哀想だが無視をして歩いた。よく見ると、車の往来はしているのだが、歩いているのは自分だけであった。やはり、小屋から人が出てきて金をくれとせがんできた。自分は、危険を感じ歩く速度を上げて橋へと向かった。歩いている最中に掘立小屋の中がチラッと見えたのだが、とても人間が住むような造りもしていなく、かなりの人間が狭い所で寄り添って住んでいる感じに受止められた。帰りは、絶対にこの道を通るのは避けるしかないと思い、橋を渡った。対岸に着くと、大通りに出て近代的なビル群が沢山見られた。ガラス張りのビルなど近代的な感じがして、インドでは初めての光景だった。少しお腹も空いてきたので、食事を取れる場所を探す事にした。


2015年03月26日

インドの旅53

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倒れそうになりながらも何とか宿の人から貰ったフルーツで回復した身体に嬉しくなり、マドラスの街へと繰り出したが、自分がどこにいるのか分からないので宿の場所を忘れないように歩き始めた。車、人、リキシャの喧騒の中、歩き始めた時、バスがクラクションを鳴らしながら自分の方へ突っ込んできた。スピードは出ていなかったので普段通りに道の脇に避けたのだが、前に歩いている家族の男性に軽くぶつかった。バスの運転手はワザと「コツン」と当てた感じだったが、日本だったら大問題である。当てられた男性はビックリしてバスの運転手を見たが、何もなかったかのように家族は脇に移動してバスを通した。当てられた男性は、色の真っ黒なカーストの一番低いクラスだと分かった。運転手は肌の色は黒いが、浅黒い方だったのでカーストが、まだ上だと分かった。カースト制度はなくなったと聞いていたが、未だに残っているのが、はっきりと自分で確認出来てしまった。北インドでは見かけなかった光景に、ちょっとビックリしてしまったが、たまたま北インドで自分が遭遇しなかっただけなのかもしれない。マドラスに着いて、数時間しか経っていないのに、ちょっと嫌な所を見てしまった。自分はショックを受けながらも、繁華街を目指した。


2015年03月25日

インドの旅52

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プリーを出発して、翌朝の早朝にマドラスに到着した。カルカッタと同じくらい大きい駅であり、駅を出たら早速リキシャやタクシーの客引きに捕まったが無視をして街へと歩き始めた。相変わらずの暑さであり、むしろプリーよりも暑かった。灼熱の太陽の下で歩いているのは辛いが、やはり体調が悪いのかフラフラしてきた。それでも頑張って歩いていたが、倒れそうなほどメマイがしてきたので、大きくて綺麗なホテルが近くにあったので入る事にした。汚い服装で入ったら追い出されるかもしれないほど、1流に近いホテルだったが、そのままレストランへと入った。特に何も言われずにレストランの席につかせてもらい、バナナシェイクを注文してクーラーが効いている所で休憩を取った。バナナシェイクが出てきて一気に飲み干したら元気が出てきた。どうやら熱射病にかかったみたいだ。1時間ほどレストランに滞在していたら歩けるようになったので、お金を払ってホテルを出た。外は35℃は軽くあるみたいで、そこから1キロほど歩いた所に安宿を発見したのでチェックインをして部屋で横になり、途中で買った水をガブ飲みして体力の回復を待つ事にした。南インドの初日から倒れる寸前までに至った事に不安も感じ、宿には日本人らしき人も見かけなかったので助けを求める事も困難だった。自分の部屋は角部屋だったのだが、窓の隙間からインド人が覗いていて話かけてきた。プライバシーもない宿にウンザリしたが、そのインド人は宿の人みたいで、自分の体調が悪いのを察したらしく、マンゴーとバナナを持ってきてくれていたのだ。その果物を受取り、お礼を言って食べてみたら、急に体調が回復してくるのが分かった。ビタミン不足だったのかな?とも思い、フロントに行って、そのインド人にお礼の言葉を伝えて、街へと繰り出した。


2015年03月24日

インドの旅51

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翌朝、サンタナ・ロッジをチェックアウトして駅まで歩いて行った。プリーでは雨日がなく快適に過ごす事が出来た。駅に着くと電車が定刻通りに来てくれたので、ほとんど待ち時間がなく電車に乗る事が出来て、ベッドも自分だけで専有する事も出来た。バラナシからカルカッタに向かう電車ではベッドをシェアしないといけない事態になったが、今回は足を伸ばして寝る事が出来そうだ。次に向かうマドラスはどんな街なのか分からないが、南インドに入るので北インドとは全く違うと話を聞いてもいたので楽しみだった。電車は満員で、自分が乗っている寝台車では床に座っている人もいなく、かなり居心地の良い移動になった。マドラスに着くのは次の日の朝になっていたので、ゆっくりとガイドブックを見たりして時間を潰した。バックパックを枕にしてチェーンでバックを盗まれないようにしてトイレに向かった。どうも、お腹の調子が悪いみたいで、便座の脇に足を乗せたら、穴の開いている所は下のレールが見えていて垂れ流しになるのと足を踏み外したら危険だと感じたが、ここはインド。中々ディープな国だが、この適当さも自分は好きになっていた。日本みたいに細かい所が嫌いな自分には、こういう国が合っているんだなと感じながら電車はマドラスに向けて走って行った。


2015年03月23日

インドの旅50

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1週間半もプリーのサンタナ・ロッジに宿泊していると飽きが出てきた。次の街を目指すべく地図を広げてみた。日本の約8倍もある広大なインドで、どこに行こうか迷ってしまうほどであったが、次に、目指す事にしたのは「マドラス」に決めた。ここが見たいと言うのはなかったが、南周りでインドを旅をするにはマドラスを目指すほかなかったからだ。何気にサンタナ・ロッジで過ごした時間も楽しかったが、みんなみたいに1ヶ月〜3ヶ月も滞在するには飽きてしまう。宿の店主に明日チェックアウトする旨を伝えた所、チケットも宿で買えるので必要か?と聞かれたのでお願いする事にした。最後のプリー滞在となったので、海を見に行ったり、テラスでみんなと談笑したりして過ごした。夕食時に店主からチケットを渡された。きちんとオーダーしたベッドのマドラス行だった。最終日の夕食はビールも頼んで深酒をしてしまったが意外と楽しく、周りのみんなも送迎会を開いてくれて、夜遅くまで酒を飲んで最終日を満喫する事が出来た。ガングロ軍団の人達とも仲良くなり、最後はみんな良い人達だなーと感じて、その夜は終わった。明日はマドラスに向けて出発だ!知っている事と言えば、学校で習った「東インド会社」って言う単語だけ。行けば何とかなるで旅をしてきたので不思議と緊張はなく、どちらかと言うと興奮していた。


2015年03月20日

インドの旅49

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このサンタナ・ロッジに宿泊していれば、ほとんど外に出なくても1日は快適に過ごせる。日本の書籍なども置いてあり、食事は2食付いていて、別途支払えば昼食やジュースも手に入る。チャイは1日に2回無料で付いてくるので、1日中ベッドに寝そべって本を読んでいてもいいし、テラスに行けば誰かしら話相手がいる。店主の人柄も良くて日本語が話せる所も魅力だった。ガングロに焼けた肌の人達は朝食前に海に行って泳いで宿に帰ってきて朝食を取り、あとは一歩も外に出ない生活を送っていた。プリーに着いた最初の頃は、朝食を食べたら外に出掛けてみて昼前に帰ってくる生活を自分はしていたが、段々と生活のスタイルが変わっていき、自分も朝に海に行ったら彼等みたいに宿で過ごす生活になっていった。そんな生活をして1週間が過ぎようとしていた。次第に自分はインドのガイドブックを見るようになり、次はどこへ行こうかと考えるようになっていった。1週間もいると新しいバックパッカーも入ってきて、そのバックパッカーとテラスで話をするようになっていった。ガングロ軍団は宿をチェックアウトするような話も出ないので、6ヶ月のビザをプリーで使い切るような感じだった。ここに居ても何も変わらない、つまらなくなったと感じて来た自分は次の行動に頭が切り替わっていった。


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