2016年03月04日
軍用イルカの歴史−ネイビー・ドルフィン−
1.軍用イルカの活躍
アメリカとロシアはこれまで軍隊でイルカなどを訓練していました。訓練の内容は、水中で迷ったダイバーの救出、或いは海面下の機雷の捜索を行っていました。しかし、ロシアは1990年代の初めにこれを終了しています。
アメリカ海軍は今でもサンディエゴの基地でイルカ及びアシカの訓練を続けています。イルカの寿命は約30年です。これまで海軍は任務の遂行ができなくなって引退したイルカをマリンパークなどに提供したこともあります。海軍は1960年代以来、海獣類を訓練しており、現在でも約100頭のイルカおよびアシカを飼っています。大部分はサンディエゴの基地で飼育されています。
海軍はこれまで約35年間に海獣類の飼育技術や病気の治療、そして繁殖の技術など多くを学びましたが、これらの論文は機密にせずに公開されていて水族館で飼育されている海獣類の管理にもこの情報が役立たれています。また、さらに民間人など無差別殺人を引きおこす機雷の掃海や重要海域で軍用・民間用の船舶を破壊するテロ行為を防ぐためにイルカ・アシカが使われていて、あくまで平和的な活動にのみ使われています。そして海軍は、これらの任務はイルカやアシカの能力でしか実現できないと言っています。
一方、海軍では最先端の技術を使って、海獣達を使わない活動も視野に入れていて、海獣類のバイオセンサーを超える機器の開発にも力を入れています。
こうした軍用イルカの存在を心配するグループもいて、WDCS(クジラ・イルカ保護学会)は、軍用イルカの扱いに疑問を投げています。この作戦でイルカが傷つく可能性があるのでは?、賢いイルカに対し間違った使い方をしているのではないか? との懸念もあるのです。例えばイラク戦争に使用されるイルカとアシカは、行動が制限されることや精神的ストレスで、自然界のイルカより寿命の低下、乳児の高死亡率などがあると説明しています。
その間にも、米海軍のイルカは、バルト海、アラスカ、ハワイ、フロリダ、ペルシャ湾、ベトナム。またイラク戦争の中でも使用されてきました。
これらの展開で海軍は、イルカ・アシカの船での移動、ヘリコプターでの輸送などを経験し、より良い輸送方法の模索、輸送ダメージの軽減をはかる輸送容器の改良などを行ってきました。
こうした様々な問題を含みながらも、人類が初めてイルカとのコミュニケーションがとられた軍用イルカ、あるいはネービー・ドルフィンとも呼ばれるこのプロジェクトを学んでみましょう。ここでは、新しい話題から徐々に昔の情報へさかのぼっていきます。
2.2007年
2007年2月 米海軍はワシントン州の海軍基地にイルカ・アシカを実戦配備したと発表しました。ワシントン州シアトルの近くにあるキトサップ・バンゴール海軍基地。同海軍基地は潜水艦基地という性格上、海上での警備活動に加えて海中での警備活動(不審者の侵入)の必要性が重視されたので、テロを抑えるためにイルカ・アシカが配備されたました。
配備されたイルカ・アシカはサンディエゴにある海軍哺乳類教育センターで特殊訓練が行われ、その一期生がシアトルへ送られました。最終的に30頭ほどのアシカと大西洋のバンドウイルカを送ることになっています。送られるアシカ・イルカはこの特殊な任務に適性を持っています。イルカの驚くようなソナー能力を駆使して、許可を得ないスイマーやダイバーの存在を知らせることができます。イルカはこのような不審者を見つけると、不審者発見の信号を放して、ここに不審者がいたという位置発信器が発信を開始するのです。一方、アシカはその発信器に音を頼りに近づき口のハーネスに長いロープを付けて、水中の不審者に近づき、後方から不審者の脚部をカフスで拘束する技術を教えています。こうして水中の不審者を探しだすことができます。さらにはロープを引いて不審者を引き上げることもできます。
海軍では今後も海中警備任務の他にも、機雷除去任務などに特殊訓練を受けたイルカ・アシカを使う意向です。また、海軍では現在、特殊訓練を受けたイルカ・アシカが環境に与える影響度を調査しています。これはその海域の野生のイルカとの問題や病気の感染などであり、広くパブリックオピニオンも受け入れるとしています。
3.2005年
これまでアメリカ海軍の"軍用イルカ"は小説「イルカの日」のイメージをダブらせて、イルカやアシカが爆弾を抱えた"動物兵器"ではないかと取り上げられてきた経緯があります。また、2005年にはハリケーン・カトリーナの襲来でフロリダの施設から逃げ出した軍用イルカが、毒矢を装備していたのではないかと大きくメディアに取り上げられました。 いずれも英国の同一新聞記者が記事にしていて、根拠がうすい記事であったようです。
4.2003年
イラク戦争では、クエートに近いイラクのウムスカル湾の機雷の掃海に米海軍のイルカが出動しました。イラクへ支援するための船舶が入港できないと復興作業に支障をきたすからです。この任務はとても重要な任務でした。海軍では70頭のイルカと20頭のアシカを訓練していますが、この内9頭(8頭の記事もある)のイルカがイラクに派遣されました。サンディエゴからペルシャ湾までは空輸され、ペルシャ湾では艦船のイルカプールの中で移送されました。さらに現場への移送ではヘリコプターが使われています。
最初の展開は3月26日で、2頭のイルカがウムスカル湾の機雷の設置された海域を捜索しました。海域では機雷の捜索よりも野生のイルカがいると2頭のイルカが襲われる危険の方が高いと言われています。
任務はイラクが設置した機雷約100機の設置位置を探すこと、探したら機雷の位置を知らせるために機雷の周りを旋回すること、旋回することで掃海艇に機雷の位置が判るようイルカには位置情報発信器が取り付けられていました。そして機雷は撤去され、復興のための船舶の出入りが行えるようになりました。
5.1990年代
冷戦状態が終えて、米海軍の海獣プログラムは徹底的に縮小されて行きました。そしてサンディエゴのトレーニングセンターを除いてハワイとフロリダの施設は全て閉鎖されました。こうして103頭のイルカは70頭だけになりました。この時、海軍は50万ドルを使ってイルカを自然の生息地へ戻すための計画に使われました。退役したイルカが自然の中で生活するための"リハビリ訓練"が必要なのです。また、退役した一部は水族館などへの提供が申し出られましたが、4件の問い合わせしかありませんでした。1994年の終わりにフロリダ、キーの近くに3頭のイルカを飼育して自然の海へ戻す教育が行われました。
そしてさらに、1992年には海獣プログラムの機密扱いは解除され、多くのイルカが退役しました。この退役したイルカを海へ戻すことの論争が大きな話題になりました。
バンドウイルカは海面下の機雷の掃海を行っていました。イルカはエコロケーションで機雷を見つけ、機雷の近くにウエイトの付いたロープラインを置いていました。一方、アシカは海底の落下物にリカバリー装置を取り付ける訓練を行っていました。これらは水中処分隊のダイバーと連携で行われています。
機雷の掃海訓練では最初にダイバーが行って、最後にはイルカ・アシカによって残った機雷がないか掃海されていました。また、他の訓練では、バンドウイルカによる警戒水域の確保が行われていました。
これらの機雷の掃海と警戒水域の確保はベトナム戦争(1960?75年)で実戦配備され、警戒水域の確保が行われました。警戒水域の確保では、警戒水域をイルカがゆっくり泳いで警戒し、許可を得ない人の侵入があれば警備員に知らせる。或いは侵入をブロックすることができます。しかし、ベトナム戦争では、よく言われるようにイルカが侵入者を武器で襲う訓練や活動は一切行っていないそうです。
1997年にソ連の海軍が訓練したウクライナのイルカは、今、アメリカにいて、自閉症で情緒不安定の子供の治療のために活躍しています。
6.1980年代
米海軍の海獣プログラムは、800万ドルの予算を使って多数のアシカとベルーガ(シロイルカ)・クジラ、そしてイルカは100頭以上も飼育・訓練して全盛期を迎えました。
1986年には、議会が部分的に海獣保護法(1972年)を撤廃し、野生のイルカを国防目的で捕獲していました。海軍は機雷処理ユニットを拡張し、さらに繁殖プログラムを構築しました。
1986-88年にはペルシャ湾へ出動しましたが、6頭のイルカで機雷の掃海、警戒水域の警備を行いました。任務はペルシャ湾、バーレーンの湾内警備、クエートの石油施設で行われました。この内、イルカの「スキッピー」は細菌感染で現地において死亡しました。
1980年代の後半にはワシントン州での警戒水域の警備の計画がありましたが、動物愛護団体などからメキシコ湾で捕らえられたイルカを冷たい水域の北部へ配置することはイルカを傷つけるとして海軍を訴訟しました。結果的に海軍はこのプロジェクトを放棄しました。
1994年までに基本的に異なる水温環境にイルカを移動させることはなくなりました。海軍は緊急時を除けば温度20度の差の範囲内としました。
7.1960年代
米海軍の海獣プログラムは2つのゴールから1960年に始まりました。最初に、海軍は、障害物を検知するより効率的な方法を開発するため、イルカ、ベルーガ、及びクジラの水面下のソナー能力を研究していました。加えて、船舶および潜水艦の速度を改善するために、高速で泳ぐイルカを研究しました。
海軍は、さらに、海底の落下物の捜索のためにイルカなどの口で保持されたカメラを使用して、捜索を行う訓練をイルカ、ベルーガ・クジラ、アシカおよび他の海獣を訓練しました。特にイルカは、ベトナム戦争とペルシャ湾の中で何回か使用されました。この海獣プログラムは、冷戦中に最も多く使用されていました。ソ連の軍関係でも水面下を支配するために同様の研究と海獣類の訓練を行っていました。
1965年には、海獣プログラムの最初の活動が行われました。それは海底居住実験の「シーラブ計画」でした。カリフォルニア、ラ・ホヤ沖の海底で生活しているアクアノート(ダイバー)にメールや機材をイルカの「タフィー」が運んだり、迷ったダイバーをハビタート(居住基地)へ連れ戻す役割を担っていました。「タフィー」は日に何回も水深60mまで潜って最初の海獣システムの演習を成功に導きました。
1965?75年の間にカムラン湾の警戒水域の確保に5頭のイルカが派遣されました。この時も不法侵入者に対して殺人機器を使ったのではないかと報道されましたが、根拠の薄い報道と判断されました。
1975年 イルカプログラムの成功でアシカ、ベルーガ、クジラを導入しました。このプロジェクトは海底に落とした機器の回収を迅速に、確実に、安価で行うことでした。アシカは水深200mまでの落下物(ミサイル)を回収することができました。他の動物であるベルーガ、クジラはイルカ・アシカより深い水深、さらに低い水温でも活動できることができました。
この成果による予算増加にともなってイルカを捕獲して訓練イルカを増加させたのです。
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