2016年03月28日
江戸前寿司発祥の言われ【歴史】
今は回転すしチェーンが流行っています。
庶民が格式高い値段も表示されていないような老舗の寿司屋の時価の寿司を食べる機会はほとんどない。
支払い時の伝票を見たら卒倒するかも?(笑)
回転すしは江戸前の「にぎり寿司」です。
寿司と言えば昨今ではほとんど江戸前のにぎり寿司を指し、大阪のバッテラに代表される棒寿司や押し寿司のようなモノは例外です。
元来寿司は「なれずし」と言う魚の魚の保存したものがその発祥でした。
今の時代のように冷凍冷蔵庫がない時代に、たくさんの魚がとれたときの保存の仕方は、塩蔵あるいは干物、あるいは米とともに漬けて発酵させてしまうしか手段がなかったのです。
フナ寿司に代表される発酵した寿司です。
実は米と一緒に漬けて保存するという方法は、タイやカンボジアなど稲作文化の地域では古くから行われていた手法なのです。
これが段々インスタント化して、米と塩で10日ぐらい漬け込んだだけで米ごと食べたのが、室町時代であると言われています。
米を発酵させた酢が調味料として手に入るようになると、ご飯に酢をかけて魚とあわせて箱に入れて、オモシをして一晩寝かせる大阪寿司のスタイルが完成しました。
この箱寿司は大阪が本場のような気がしますが、江戸でもこのスタイルが当時は主流でした。
ですが、江戸っ子のセッカチが、ここで我慢しきれず、「なぜ一晩も待たなきゃいけねぇんだい!!」ということになった。
今の東京湾は当時魚の宝庫。
アジ、コハダ、タイ、アナゴ・・・など新鮮な魚が刺身で食べられるので、「酢をしためしにこれらを乗せて食べればいいんだろうが!!」ということになり、誕生したのが、「にぎり寿司」だったわけ。
とにかくその場でにぎって立ち食いするという、セッカチな人や忙しい人にも重宝なスタイルが、江戸に定着したというわけなのです。
じゃ〜、にぎり寿司がそれ以来ずっと寿司の主流だったのか?と言うとというと、さにあらず。
第二次世界大戦で東京から地方へ疎開した寿司職人が広めた戦後になってからのお話なのです。
まあ、歴史的にはそんなに古いわけでもないと言うことです。
庶民が格式高い値段も表示されていないような老舗の寿司屋の時価の寿司を食べる機会はほとんどない。
支払い時の伝票を見たら卒倒するかも?(笑)
回転すしは江戸前の「にぎり寿司」です。
寿司と言えば昨今ではほとんど江戸前のにぎり寿司を指し、大阪のバッテラに代表される棒寿司や押し寿司のようなモノは例外です。
元来寿司は「なれずし」と言う魚の魚の保存したものがその発祥でした。
今の時代のように冷凍冷蔵庫がない時代に、たくさんの魚がとれたときの保存の仕方は、塩蔵あるいは干物、あるいは米とともに漬けて発酵させてしまうしか手段がなかったのです。
フナ寿司に代表される発酵した寿司です。
実は米と一緒に漬けて保存するという方法は、タイやカンボジアなど稲作文化の地域では古くから行われていた手法なのです。
これが段々インスタント化して、米と塩で10日ぐらい漬け込んだだけで米ごと食べたのが、室町時代であると言われています。
米を発酵させた酢が調味料として手に入るようになると、ご飯に酢をかけて魚とあわせて箱に入れて、オモシをして一晩寝かせる大阪寿司のスタイルが完成しました。
この箱寿司は大阪が本場のような気がしますが、江戸でもこのスタイルが当時は主流でした。
ですが、江戸っ子のセッカチが、ここで我慢しきれず、「なぜ一晩も待たなきゃいけねぇんだい!!」ということになった。
今の東京湾は当時魚の宝庫。
アジ、コハダ、タイ、アナゴ・・・など新鮮な魚が刺身で食べられるので、「酢をしためしにこれらを乗せて食べればいいんだろうが!!」ということになり、誕生したのが、「にぎり寿司」だったわけ。
とにかくその場でにぎって立ち食いするという、セッカチな人や忙しい人にも重宝なスタイルが、江戸に定着したというわけなのです。
じゃ〜、にぎり寿司がそれ以来ずっと寿司の主流だったのか?と言うとというと、さにあらず。
第二次世界大戦で東京から地方へ疎開した寿司職人が広めた戦後になってからのお話なのです。
まあ、歴史的にはそんなに古いわけでもないと言うことです。
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