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2016年08月21日
日本の名馬!ナリタブライアン!
皆様こんにちは! Mr.Tです^^
本日はナリタブライアンのお話しをしたいと思います!
ナリタブライアン
父ブライアンズタイム母パシフィカス 牡馬 クラシック三冠、有馬記念、朝日杯3歳S
1993年8月デビュー!クラシック三冠含むG1を5連勝、10連続連対した有名な名馬です^^
デビュー前からバネや背中の柔かさ機敏性において半兄のビワハヤヒデを遥かに超える素質を持つと言われています。
初期調教の頃に複数の馬に牧場内の坂を上り下りさせる運動をしたところブライアン1頭だけ全く呼吸が乱れなかったそうです。元々の心肺機能が凄く強いんでしょうね!
ブライアンに初めて騎乗した主戦の南井はトップギアに入る時の加速感がオグリキャップと同じだと言ったそうです。
93年(3歳)
デビュー戦は意外にも負けていて2着。その後は何と4ヶ月で7戦してます!これはかなり多いです(;^_^A
これには理由がありブライアンは2つの気性の問題を抱えており常にテンションが高く特にレースが近くなるとそれを察知して更に興奮したそうです。これは頭の良い馬によく見られますね。
その対処の為に大久保調教師はローテ感覚を詰めてエネルギーを発散させていたそうです。
でもこれは栗東トレーニングセンターに居る時だけで牧場に居る時は非常に大人しかったそうです。
もう一つは臆病な性格で自分の影に驚きレースに集中出来ないと言う事。
これはブライアンの代名詞やトレードマークになったシャドーロールを装着する事で解決します!
シャドーロールを付けてからはあの大川慶次郎さんが「精神力のサラブレッド」と評する位に優れた集中力を発揮していたそうです。
またシャドーロールは外しても問題なかったのですが、その頃にはブラインのトレードマークにもなっていて「シャドーロールの怪物」と言う代名詞もあったので装着を続けたそうです。
3歳の最終戦の朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティーS)を制して3歳チャンピオンになります!
94年(4歳)
日本ダービーを見据え東京競馬場を経験させる為に共同通信杯からスタートして勝利します!
目標レースと同じ競馬場を経験させる事は凄く重要なんです。馬によっては物見したりナーバスになりますからね。
そして皐月賞トライアルのスプリングステークスに勝利!
クラシック1冠目の皐月賞はコースレコードで3馬身半差を付けて勝利!
日本ダービーは圧倒的な一番人気で5馬身差を付けて完勝!単勝払い戻しは120円であのシンボリルドルフの130円を抜いて歴代トップになります!
単勝支持率は1973年の元祖アイドル馬ハイセイコーの66.8%に次ぐ61.8%をマークしています。
シンボリルドルフを管理していた野平祐二は「現時点ではブライアンの方が上だ」と言っていたそうです。
ダービー後は休養&調整を北海道で行っていましたが菊花賞の回避を考える程に体調は悪く調整に大幅な遅れが出てしまいます。
秋の緒戦は菊花賞トライアルの京都新聞杯から始動しますがスターマンに最後差されて2着と敗れます。
体調が完全に回復していない問題もあり「ブライアンが負けるならこのレース」と言われていました。
そしてクラシック三冠を賭けた最後のレース菊花賞です!
馬場が稍重にも関わらず前年に半兄ビワハヤヒデがマークしたレースレコードを0.1秒上回るタイムで7馬身差を付けて圧勝!!史上5頭目のクラシック三冠馬となります!
ブライアンがクラシック3戦で2着に付けた着差は皐月賞3馬身半、ダービー5馬身、菊花賞7馬身と合計で15馬身半にも及びます!いかに1頭だけ別次元で走っていたかが分かる証拠です。
菊花賞の後に武豊は「まず2000mのレースをしてそのまま別のメンバーと1000mのレースをしてぶっちぎりで勝ったようなもの」と表現しています。
最終戦は暮れの有馬記念です!圧倒的な1番人気!
隠れた人気馬ツインターボがテレビ画面の端まで後続が見えない位の大逃げを打ち1000m58秒台のハイペースでレースは進みます。
ブライアンは道中それ程かかる事もなく追走し第4コーナーでは早くも先頭に立ちそのまま突き抜けて勝利!
よく言われる古馬の壁を難なく突き破ってしまいます。単勝払い戻しは120円!
2着は女傑ヒシアマゾン!16年振りの牝馬の連対で3歳馬によるワンツーフィニッシュでした!
年度代表馬に選ばれますが172票のうち1票がノースフライトに入りましたので満票ではありませんでした。
ビワハヤヒデとの有馬記念での兄弟対決はハヤヒデの故障による引退の為に夢と終わっています。
評論家の方は口々に1600から2000ならハヤヒデ、2400は互角、3000から3200はブライアンと評価しています。
95年(5歳)
緒戦は阪神大賞典から始動します!ここを圧勝するも股関節炎を発症してしまいます。
この怪我がブライアンの競走馬生命を狂わせていく事になります・・
休養明けは天皇賞(秋)からの始動となりますがこの出走には賛否両論あり三冠馬ほどの馬を本調子じゃないのに出すべきではないとマスコミからもバッシングを受けています。
1番人気になりますが結果は12着と惨敗します・・その後ジャパンカップは6着、有馬記念は4着と負けが続きます。
この時に騎乗していた的場も武豊も「途中までは良いが直線で止まってしまう」と言っていました。
ここで1つ情報なんですが、前回でも書いたように私は身内に競馬関係者がいる訳ですが以前にこんな話を聞いてるんですよ。
阪神大賞典の後に腰に疲労が蓄積されてると診断を受け約1か月後に股関節炎を発症してるとなっています。
が・・・私が聞いた話によると実は阪神大賞典の際に最後の直線に入るか入らないか辺りで故障していたと。
ブライアンは非常に頭の良い馬ですからそれを覚えていて直線で本気で走るとまた怪我をしてしまうんじゃないか?と恐怖感を抱いてしまっていると。
だから途中まで良くても直線に入ると走らなくなってしまうと言う話しを聞きました。
定かな話しかどうかは今でも分かりませんが「なるほど」と思う部分も確かにありますね。
話しが逸れてしまいました(笑)
96年(6歳)
緒戦は去年と同じ阪神大賞典から始動します。
ここで後に名勝負と語られるマヤノトップガンとの一騎打ちがありました。
トップガンには田原、ブライアンには武豊が騎乗し最後の直線は完全に2頭のマッチレースでした。
最後の最後でブライアンが少し出てアタマ差で勝ったのですが3着には9馬身の差が付いていました。
名勝負とも言われる反面でブライアンの体調が本調子だったらこんなマッチレースにならずに圧勝していたと言う意見もあるのは事実です。
現にトップガンに騎乗していた田原は「ブライアンが本調子ならトップガンはスタンドまで吹っ飛ばされてるよ」と言ってますしブライアンに騎乗した武豊も「ゴールした時は鳥肌が立った」と言ってますが後日「あの馬の全盛期はあんなものじゃなかったし本当のブライアンの姿をもう一度取り戻したい」と語ってます。
武豊は以前に「ブライアンには勝てる気がしない。あの馬に勝たれるのは仕方ないと思ってしまう。」とブライアンと対決したレース後に言ってますから本当のブライアンの強さを知っているからこそ出た言葉なんでしょう。
その後は天皇賞(春)に出走するもサクラローレルに最後交わされ2着に敗れます。
そして宝塚記念を目標にしたのですが、その前に高松宮杯に出走する事になります。
これも物議を醸した出走選択です。何故か?・・・
それは高松宮杯が1200mのスプリント戦だからなんです。
普通は中長距離を走る馬はスプリント戦なんて出ません(笑)マイル戦(1600m)だって怪しいもんです。
それも3200mのレースを走った後に1200mなんて誰が考えても無謀過ぎる選択です。
調教師の大久保は後日このように語っています。「本当に強い馬に距離は関係ない」と。
確かにそうですが全盛期の強さを取り戻していない馬にこの選択はどうかと思いました。
結果は最後の直線だけ競馬して4着です。直線だけ競馬して4着はやはりブライアンは強いと改めて思いましたね。
この1か月後に屈腱炎を発症して引退の運びとなる訳です。
史上初めて通算獲得賞金で1000万$(10億円)を超えメジロマックイーンを抜いてトップに立ちました!
引退式は関東と関西の2か所で行われました。関東は東京競馬場、関西は京都競馬場です。
この引退式、実は私も行ってます(笑)ブライアンの最後の姿を見ようと気合い入れて行きました。
確か引退記念のポストカードなどが配られた記憶があります!
関東と関西の2か所で引退式を行ったのはシンザン、スーパークリーク、オグリキャップに続いて4頭目でした。
97年(引退後)
引退後は生まれ故郷でもある新冠町にあるCBスタッドで種牡馬になりました。
当時の最高額の20億7000万円のシンジケートが組まれています。
ブライアンの血統は5代前まで遡ってもインブリードがないんですね。アウトブリードの馬ほど丈夫と言われています。
これもあり繁殖実績の高い牝馬や牝馬クラシックホース、国内外の良血繁殖牝馬が集められ交配されています。
関係者の期待も高く行く行くは大種牡馬になって欲しかったのですが・・・
翌年98年に胃破裂により安楽死処分となってしまいます。僅か2世代しか産駒を残せませんでした。
このNEWSを知った時に凄くショックを受けたのを覚えています。
余談
筋肉が柔かく馬体のバランスも素晴らしく走り方も全て理想的で20年に一度の馬と言われていました。
蹄は4つとも同じ大きさで(普通は前より後が小さい)同じように減ったそうです。これは体のバランスが素晴らしかった証拠と言われています。
愛称は普通はブライアンですが後にナリブーと呼ばれました。厩務員の村田さんはブーと呼んでたそうです^^
20世紀の名馬で1位に選ばれています!
ノーザンダンサーを祖先に持たないブライアンズタイムとノーザンダンサーを父に持つパシフィカス。
この2頭を同じ年に購入して来た早田さんにはナリタブライアンを誕生させる意図があったとしか思えません。
決して偶然ではなくナリタブライアンは生まれるべくして生まれた名馬だったんです。
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本日はナリタブライアンのお話しをしたいと思います!
ナリタブライアン
父ブライアンズタイム母パシフィカス 牡馬 クラシック三冠、有馬記念、朝日杯3歳S
1993年8月デビュー!クラシック三冠含むG1を5連勝、10連続連対した有名な名馬です^^
デビュー前からバネや背中の柔かさ機敏性において半兄のビワハヤヒデを遥かに超える素質を持つと言われています。
初期調教の頃に複数の馬に牧場内の坂を上り下りさせる運動をしたところブライアン1頭だけ全く呼吸が乱れなかったそうです。元々の心肺機能が凄く強いんでしょうね!
ブライアンに初めて騎乗した主戦の南井はトップギアに入る時の加速感がオグリキャップと同じだと言ったそうです。
93年(3歳)
デビュー戦は意外にも負けていて2着。その後は何と4ヶ月で7戦してます!これはかなり多いです(;^_^A
これには理由がありブライアンは2つの気性の問題を抱えており常にテンションが高く特にレースが近くなるとそれを察知して更に興奮したそうです。これは頭の良い馬によく見られますね。
その対処の為に大久保調教師はローテ感覚を詰めてエネルギーを発散させていたそうです。
でもこれは栗東トレーニングセンターに居る時だけで牧場に居る時は非常に大人しかったそうです。
もう一つは臆病な性格で自分の影に驚きレースに集中出来ないと言う事。
これはブライアンの代名詞やトレードマークになったシャドーロールを装着する事で解決します!
シャドーロールを付けてからはあの大川慶次郎さんが「精神力のサラブレッド」と評する位に優れた集中力を発揮していたそうです。
またシャドーロールは外しても問題なかったのですが、その頃にはブラインのトレードマークにもなっていて「シャドーロールの怪物」と言う代名詞もあったので装着を続けたそうです。
3歳の最終戦の朝日杯3歳ステークス(現在の朝日杯フューチュリティーS)を制して3歳チャンピオンになります!
94年(4歳)
日本ダービーを見据え東京競馬場を経験させる為に共同通信杯からスタートして勝利します!
目標レースと同じ競馬場を経験させる事は凄く重要なんです。馬によっては物見したりナーバスになりますからね。
そして皐月賞トライアルのスプリングステークスに勝利!
クラシック1冠目の皐月賞はコースレコードで3馬身半差を付けて勝利!
日本ダービーは圧倒的な一番人気で5馬身差を付けて完勝!単勝払い戻しは120円であのシンボリルドルフの130円を抜いて歴代トップになります!
単勝支持率は1973年の元祖アイドル馬ハイセイコーの66.8%に次ぐ61.8%をマークしています。
シンボリルドルフを管理していた野平祐二は「現時点ではブライアンの方が上だ」と言っていたそうです。
ダービー後は休養&調整を北海道で行っていましたが菊花賞の回避を考える程に体調は悪く調整に大幅な遅れが出てしまいます。
秋の緒戦は菊花賞トライアルの京都新聞杯から始動しますがスターマンに最後差されて2着と敗れます。
体調が完全に回復していない問題もあり「ブライアンが負けるならこのレース」と言われていました。
そしてクラシック三冠を賭けた最後のレース菊花賞です!
馬場が稍重にも関わらず前年に半兄ビワハヤヒデがマークしたレースレコードを0.1秒上回るタイムで7馬身差を付けて圧勝!!史上5頭目のクラシック三冠馬となります!
ブライアンがクラシック3戦で2着に付けた着差は皐月賞3馬身半、ダービー5馬身、菊花賞7馬身と合計で15馬身半にも及びます!いかに1頭だけ別次元で走っていたかが分かる証拠です。
菊花賞の後に武豊は「まず2000mのレースをしてそのまま別のメンバーと1000mのレースをしてぶっちぎりで勝ったようなもの」と表現しています。
最終戦は暮れの有馬記念です!圧倒的な1番人気!
隠れた人気馬ツインターボがテレビ画面の端まで後続が見えない位の大逃げを打ち1000m58秒台のハイペースでレースは進みます。
ブライアンは道中それ程かかる事もなく追走し第4コーナーでは早くも先頭に立ちそのまま突き抜けて勝利!
よく言われる古馬の壁を難なく突き破ってしまいます。単勝払い戻しは120円!
2着は女傑ヒシアマゾン!16年振りの牝馬の連対で3歳馬によるワンツーフィニッシュでした!
年度代表馬に選ばれますが172票のうち1票がノースフライトに入りましたので満票ではありませんでした。
ビワハヤヒデとの有馬記念での兄弟対決はハヤヒデの故障による引退の為に夢と終わっています。
評論家の方は口々に1600から2000ならハヤヒデ、2400は互角、3000から3200はブライアンと評価しています。
95年(5歳)
緒戦は阪神大賞典から始動します!ここを圧勝するも股関節炎を発症してしまいます。
この怪我がブライアンの競走馬生命を狂わせていく事になります・・
休養明けは天皇賞(秋)からの始動となりますがこの出走には賛否両論あり三冠馬ほどの馬を本調子じゃないのに出すべきではないとマスコミからもバッシングを受けています。
1番人気になりますが結果は12着と惨敗します・・その後ジャパンカップは6着、有馬記念は4着と負けが続きます。
この時に騎乗していた的場も武豊も「途中までは良いが直線で止まってしまう」と言っていました。
ここで1つ情報なんですが、前回でも書いたように私は身内に競馬関係者がいる訳ですが以前にこんな話を聞いてるんですよ。
阪神大賞典の後に腰に疲労が蓄積されてると診断を受け約1か月後に股関節炎を発症してるとなっています。
が・・・私が聞いた話によると実は阪神大賞典の際に最後の直線に入るか入らないか辺りで故障していたと。
ブライアンは非常に頭の良い馬ですからそれを覚えていて直線で本気で走るとまた怪我をしてしまうんじゃないか?と恐怖感を抱いてしまっていると。
だから途中まで良くても直線に入ると走らなくなってしまうと言う話しを聞きました。
定かな話しかどうかは今でも分かりませんが「なるほど」と思う部分も確かにありますね。
話しが逸れてしまいました(笑)
96年(6歳)
緒戦は去年と同じ阪神大賞典から始動します。
ここで後に名勝負と語られるマヤノトップガンとの一騎打ちがありました。
トップガンには田原、ブライアンには武豊が騎乗し最後の直線は完全に2頭のマッチレースでした。
最後の最後でブライアンが少し出てアタマ差で勝ったのですが3着には9馬身の差が付いていました。
名勝負とも言われる反面でブライアンの体調が本調子だったらこんなマッチレースにならずに圧勝していたと言う意見もあるのは事実です。
現にトップガンに騎乗していた田原は「ブライアンが本調子ならトップガンはスタンドまで吹っ飛ばされてるよ」と言ってますしブライアンに騎乗した武豊も「ゴールした時は鳥肌が立った」と言ってますが後日「あの馬の全盛期はあんなものじゃなかったし本当のブライアンの姿をもう一度取り戻したい」と語ってます。
武豊は以前に「ブライアンには勝てる気がしない。あの馬に勝たれるのは仕方ないと思ってしまう。」とブライアンと対決したレース後に言ってますから本当のブライアンの強さを知っているからこそ出た言葉なんでしょう。
その後は天皇賞(春)に出走するもサクラローレルに最後交わされ2着に敗れます。
そして宝塚記念を目標にしたのですが、その前に高松宮杯に出走する事になります。
これも物議を醸した出走選択です。何故か?・・・
それは高松宮杯が1200mのスプリント戦だからなんです。
普通は中長距離を走る馬はスプリント戦なんて出ません(笑)マイル戦(1600m)だって怪しいもんです。
それも3200mのレースを走った後に1200mなんて誰が考えても無謀過ぎる選択です。
調教師の大久保は後日このように語っています。「本当に強い馬に距離は関係ない」と。
確かにそうですが全盛期の強さを取り戻していない馬にこの選択はどうかと思いました。
結果は最後の直線だけ競馬して4着です。直線だけ競馬して4着はやはりブライアンは強いと改めて思いましたね。
この1か月後に屈腱炎を発症して引退の運びとなる訳です。
史上初めて通算獲得賞金で1000万$(10億円)を超えメジロマックイーンを抜いてトップに立ちました!
引退式は関東と関西の2か所で行われました。関東は東京競馬場、関西は京都競馬場です。
この引退式、実は私も行ってます(笑)ブライアンの最後の姿を見ようと気合い入れて行きました。
確か引退記念のポストカードなどが配られた記憶があります!
関東と関西の2か所で引退式を行ったのはシンザン、スーパークリーク、オグリキャップに続いて4頭目でした。
97年(引退後)
引退後は生まれ故郷でもある新冠町にあるCBスタッドで種牡馬になりました。
当時の最高額の20億7000万円のシンジケートが組まれています。
ブライアンの血統は5代前まで遡ってもインブリードがないんですね。アウトブリードの馬ほど丈夫と言われています。
これもあり繁殖実績の高い牝馬や牝馬クラシックホース、国内外の良血繁殖牝馬が集められ交配されています。
関係者の期待も高く行く行くは大種牡馬になって欲しかったのですが・・・
翌年98年に胃破裂により安楽死処分となってしまいます。僅か2世代しか産駒を残せませんでした。
このNEWSを知った時に凄くショックを受けたのを覚えています。
余談
筋肉が柔かく馬体のバランスも素晴らしく走り方も全て理想的で20年に一度の馬と言われていました。
蹄は4つとも同じ大きさで(普通は前より後が小さい)同じように減ったそうです。これは体のバランスが素晴らしかった証拠と言われています。
愛称は普通はブライアンですが後にナリブーと呼ばれました。厩務員の村田さんはブーと呼んでたそうです^^
20世紀の名馬で1位に選ばれています!
ノーザンダンサーを祖先に持たないブライアンズタイムとノーザンダンサーを父に持つパシフィカス。
この2頭を同じ年に購入して来た早田さんにはナリタブライアンを誕生させる意図があったとしか思えません。
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