2014年02月19日
「打ちのめされるようなすごい本」 米原万里
生前わが国最高峰のロシア語通訳者であった米原万里の各紙に掲載していた書評を一冊にまとめ上げたものである。書評対象となる本はかなり幅が広く、米原自身の知的好奇心も相当広いものであったことがわかる。対象となる本は1995年〜2005年のものがメインだ。
タイトルはある日掲載された書評のタイトルなのだが、読了後に思えばこの本自体が「打ちのめす」だけの力を持っていることが分かる。作者のコメントは時に辛辣、時にべた褒めであり、ぼろくそにけなされていた本ですら読みたくなるから不思議だ。また感情論に終始しない、論理的かつ具体的な批評精神で評しているのが素晴らしい。
また、本書を構成する彼女の言葉一つ一つが箴言となっていることも本書の大きな特徴である。
「作家は、自身の見解を率直に偽りなく語るべきで、権力者におもねったり遠慮したのでは、言葉が力を失う。」
「生死の境を何度も彷徨い、恐怖と裏切りに弄ばれて人格を崩壊させていく人々もあれば、そんな中でも温かい人間関係を築き、尊厳を維持していく人々の姿がある。」
「文字で記されたものには虚構が紛れ込みやすい。」
また、本書は単なる書評以外に作者のガン闘病日記としての側面も併せ持つ。書評対象の幾分かはガン治療に関する本が占めており、彼女は読んだ治療法を実践するところまで書き表している。あまりにも知識を仕入れすぎているために、医者に煙たがられたり、追い出される描写が幾度もある。彼女レベルでインフォームドコンセント、セカンドオピニオンを発揮する患者もそうそういまい。医療従事者からしてみれば、ある意味そこら辺の問題を患者側から描いた作品と読むこともできる。また、代替医療の実践についても記されているのだが、少しでも詐欺臭さ・まがい物臭さがするとすぐに返品したり、止めてしまうところも彼女らしい。
「知識人99人の死に方(荒俣宏監修)」という本では三島由紀夫、吉田茂ら知識人達の死にざま・死に臨んでの心情が描かれており死を前にして知識人の知識・思考はどのように振る舞ったかを知るに絶好の書であるのだが、本人視点の闘病記、それもとりわけ理知的な作者の手による点で本書はそれ以上に読む者をぐいぐい紙面へ引き込んでゆく。少しも死を前にした諦め、弱音といったものが感じられず、最後まで生きよう、本を読もう、世界を知ろう、として足掻いたのが分かる。
解説を井上ひさしと丸谷才一が書いているが、この二人の文章もまた真に読むに値するものである。書評という著作にしてはあまりオリジナリティーを全面に押し出せない分野において、ここまで読み手を魅了できる書き手はそうそういないだろう。その分、張りつめたものが切れて読了後、どっと疲れが出た。
タイトルはある日掲載された書評のタイトルなのだが、読了後に思えばこの本自体が「打ちのめす」だけの力を持っていることが分かる。作者のコメントは時に辛辣、時にべた褒めであり、ぼろくそにけなされていた本ですら読みたくなるから不思議だ。また感情論に終始しない、論理的かつ具体的な批評精神で評しているのが素晴らしい。
また、本書を構成する彼女の言葉一つ一つが箴言となっていることも本書の大きな特徴である。
「作家は、自身の見解を率直に偽りなく語るべきで、権力者におもねったり遠慮したのでは、言葉が力を失う。」
「生死の境を何度も彷徨い、恐怖と裏切りに弄ばれて人格を崩壊させていく人々もあれば、そんな中でも温かい人間関係を築き、尊厳を維持していく人々の姿がある。」
「文字で記されたものには虚構が紛れ込みやすい。」
また、本書は単なる書評以外に作者のガン闘病日記としての側面も併せ持つ。書評対象の幾分かはガン治療に関する本が占めており、彼女は読んだ治療法を実践するところまで書き表している。あまりにも知識を仕入れすぎているために、医者に煙たがられたり、追い出される描写が幾度もある。彼女レベルでインフォームドコンセント、セカンドオピニオンを発揮する患者もそうそういまい。医療従事者からしてみれば、ある意味そこら辺の問題を患者側から描いた作品と読むこともできる。また、代替医療の実践についても記されているのだが、少しでも詐欺臭さ・まがい物臭さがするとすぐに返品したり、止めてしまうところも彼女らしい。
「知識人99人の死に方(荒俣宏監修)」という本では三島由紀夫、吉田茂ら知識人達の死にざま・死に臨んでの心情が描かれており死を前にして知識人の知識・思考はどのように振る舞ったかを知るに絶好の書であるのだが、本人視点の闘病記、それもとりわけ理知的な作者の手による点で本書はそれ以上に読む者をぐいぐい紙面へ引き込んでゆく。少しも死を前にした諦め、弱音といったものが感じられず、最後まで生きよう、本を読もう、世界を知ろう、として足掻いたのが分かる。
解説を井上ひさしと丸谷才一が書いているが、この二人の文章もまた真に読むに値するものである。書評という著作にしてはあまりオリジナリティーを全面に押し出せない分野において、ここまで読み手を魅了できる書き手はそうそういないだろう。その分、張りつめたものが切れて読了後、どっと疲れが出た。